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第6話 王都追放〈終〉

「ふふ、厳密には貴族の子女としては褒められたことではないのでしょうが、この年なら憧れの先輩や舞台俳優なんかの話が少しくらい出てもいいのに、アリシア様そういうの全然だったから」

「ちょ、ちょっとイリナ⁉ 何か誤解が生まれていませんこと⁉」

 アリシアの慌てる様子を見て、ヘルガが何となく複雑そうな顔をしている。ミラがそれを察し、「気になるわよね、私もよ」と友人に同意を示した。ヘルガは今の気持ちをどう表現したものか考えあぐねつつ、「アリシア様」と呼びかける。

「あの、私、一代貴族となったくだんのお方を個人的に存じてはいません。獣人セリアンに対する偏見の目を肯定するのが悪しき伝統であることも理解しています。ただ、相手がどんな人であれ、友人としては常に心配をするものだと覚えていてくださいね」

「あ、あらぬ誤解を前提に話が進んでいる気がするのですけれど……!」

 どう考えても、ヘルガ、イリナ、ミラの三人は、アリシアがレオを意識しているものとして話している。「相手とか、そんなことはなくて……」と言いかけたアリシアに、「そうでしょうか?」とミラが首を傾げた。

獣人セリアンの彼に対する、さっきのアリシア様の悔恨……婚約なさっていたケイル様との破局を語る時より、ずっと落ち込んで見えました」

「わ、わたくし……」

(た、確かに……ケイル王子との婚約破棄というより、ジェイドに疑われたことやマンジュ卿に迷惑をかけてしまったことにばかり目が向いて……)

 何か言いかけてやめてしまうアリシアの様子に、ヘルガが立ち上がった。テーブルの中央あたりにまだ手つかずで置いてあったフルーツサンドの皿を手に取り、カットされた半分を自分の皿に乗せ、もう一方を「はい、半分こ!」とアリシアに強引に勧める。勢いに押されて、アリシアは苺のサンドを受け取った。ヘルガはにっこり笑う。

「アリシア様がご自身の口で事情を話そうとしてくださって、私、嬉しかった。今日を最後にしばらくランチをご一緒できないなら、楽しい時間にしなくては」

 ヘルガの思いを汲んで、ミラが「そうね」と相槌を打つ。

「登校されないのは残念ですが、アリシア様と一緒に卒業する日を待つ楽しみができましたよ」

 イリナが「後から振り返って初めて、恋だったって気付くパターンもありますしねぇ」と一人うんうん頷く。マイペースな様子にアリシアは思わず吹き出し、「まだ言ってるし」とヘルガも笑う。「そういえば」と、ミラがアリシアに尋ねた。

「王都を離れて、とのことですけれど、もう行く先は決まっているのですか?」

「南に、ピオ村というポーレット家の荘園があるの。しばらくはそちらに」

「わぁ。じゃあ、次の長期休暇に遊びに行ってもいいですか?」

 思ってもみなかったイリナの申し出に、アリシアは目をしばたかせた。

「アリシア様が王都から離れるなら、私達が会いに行きます」

 ヘルガがそう言い切って、アリシアは思いがけず泣きそうな気持ちになった。学友達ともう気軽には会えないのだと改めて感じ、何としても卒業課題をクリアしなくてはと決意する。

 デザートのフルーツサンドをアリシアは口にした。瑞々しい甘味。爽やかな酸味。優しくまろやかな口どけのクリーム。友人達の声。すぐそばに感じる木々や草花の存在。王都で過ごす学院の生徒として最後かもしれない午後は、アリシアにとってかけがえのない時間となった。


    §


 ロアラの王城は丘の上にある。崖のような高さではないため、城壁がしっかりと築かれたクラシックなスタイルだ。石造りの城にはメインの主塔が二棟あり、シンメトリーな美しさを備えている。一階には広間があり開放的だが、隣にある中庭に差し込む光で全てを照らしきることはできず、特に夜を過ごすには蜜蝋や獣脂のろうそくが欠かせない。火の基素エーテルと相性の良い召使いが魔法の力を加えて、朝まで安全な照明を用意するのだ。言い換えれば、昼日中、建物に沿った拱廊アーケードに差すのは自然光だけで、そこを歩く人々が中庭を背にすれば逆光になって表情ははっきりとは照らされない。

「ケイル」

 立ち止まって交わされる会話。弟を呼んだのは、ロアラ国第一王子のジェイドだ。

「叔父上が、俺のところにも確認に来たぞ。ポーレット家に特に処罰は求めない、という決定で本当にいいのかと」

 これから兄弟揃って剣術の指南を受けるため、二人は軽装だ。ジェイドは白を、ケイルは黒を基調とした平服で、共に膝下丈の裾絞りニッカーズズボンを履いている。

「しつこいなぁ、叔父上」

 ケイルは苦笑し、肩をすくめた。

「兄さんの乗る馬車への襲撃に言及するような不審な発言はあの令嬢からあったけれど、実害と結び付いた証拠はない。ポーレット家から、忠義の証として献上品の申し入れと書簡があったよ。書簡は受け取ったが、非がないと主張するなら献上品を用意する道理はないと下がらせた」

「書簡には何と?」

「令嬢が、謹慎のためにしばらく王都を離れるんだと」

 兄のジェイドは「そうか」とだけ言い、ケイルは飄々と報告を続ける。

「叔父上、自分が噛んでいた話だからだろうが、ほとぼりが冷めたら再びポーレット家の娘を呼び戻してはどうかと進言してきたよ。聖職者らしい性善説主義者なのか、王室の次男坊が勝手に他国の勢力と連携しないよう釘を刺しているつもりなのか、俺にはさっぱりだ。よく分からん」

「婚姻か。お前の好きにすればいい、と言いたいところだが……」

 いつも優しい青灰色の兄の目が、真剣な光を湛える。

「──俺に何かあったら、継ぐのはお前だ。ケイル」

 重みのある言葉を受けて、ケイルは目を見開いた。心臓が高鳴る。喉が乾いて、声が張り付くように錯覚する。

「そ、そんなこと、あり得ないよ」

「あの馬車の事故で確信した。父上の病状が芳しくない今、俺に何かあったらお前が背負わなければならない」

 空に、にわかに雲が湧く。城全体に影を落とす。遠雷が鳴っているようだ。

「兄さんのことは、俺が守──」

「ジェイド様! ケイル様! ここにおられましたか!」

 ケイルのつぶやきに重なって快活に響いたのは、王立軍将校、アイザック・マーティンの声だ。兄弟王子の指南役である。

「ささ、参りましょう! 今日は攻守の切り替えを左右する膝の使い方を中心に稽古しますぞ。いざ馬に乗った時にぎこちなくては話になりませんからな」

 ジェイドが、話はここまでだな、と言いたげに目配せし、ケイルは頷く。三人は稽古場に向かい、弟王子は決意と誓いを込めるようにサーベルの鞘にそっと手を触れた。

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