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第6話 王都追放〈10〉

 授業開始が迫る中、学院長室を出たアリシアとリアムは足早に教室へ向かっていた。

「は、早まってしまったでしょうか……?」

 アリシアからの問いにどう返事をしたものか、リアムは少しだけ逡巡した。

「このまま退学してしまうよりはよかったと思いますよ。無茶振りだとは思いますけど」

「そうですよね、これってきっとかなりの無茶ですよね……。大善を知る雫の生成って、本当に成功例はないんですか?」

 リアムは「うーん」と短くうなって「まぁ表向きは」と答える。気になる言い方だ。

「国同士が激しく争っていた時代には、複合基素結晶レペティティオ・クリュスタルスについて今よりずっとさかんに研究されていたはずです。このロアラでも他国でもね。国が強く在るための手段になり得ますから。世が世なら、平たく言えば兵器ですよ」

「さ、さらっとおっしゃいますけど……っ」

 奇跡の結晶について、ゲームの重要アイテムとしか捉えていなかったアリシアは突然提示された生々しさに戸惑う。

「そんな強力な品だなんて……」

「過去には、研究すら禁忌として制限した地域もあるようですね」

 リアムの言葉に、アリシアは「ん?」と引っかかる。

「が、学院長先生は、そんなアブナイものを生徒に作らせようとしているということですの⁉」

 思わず食って掛かったアリシアに、リアムはたじろぎつつ説明を補足する。

「ま、まぁ複合基素結晶レペティティオ・クリュスタルスに限らず、各種結晶系には純度とかサイズとかいろいろ基準があるから……。兵器レベルになるのはよほどのレアケースで、それこそ神話や伝説の中にしか記述はありませんよ。だから、そこまで危険なものを取り扱うことを学院長が望んでいるとは思えませんが……」

 ここで一旦言葉を切り、リアムは「でも、ポーレットさんから辺境へ移り住むと聞いて、ひそかな研究をさせるのに適任だと考えた可能性は否定できませんね。あの人、学院の中での出来事はたいてい把握していますし、頭の回転の早い人ですから」と明後日の方向を見やる。咳払いしてから再び口を開いた。

「無茶を言う人ですが、学院長がこれまで約束をたがえたことはありません。あなたが混成魔法と相性が良い様子も予め知っていたようですし、学院長としては不可能な課題などではなくちゃんとあなたに達成の見込みがあると思って条件を決めたのだと思いますよ」

(卒業したい一心だったけれど……これってひょっとして……)

 とんでもない約束をしてしまったのかもしれない、とアリシアはくらくら目まいがするような体感に襲われる。教室に間もなく到着するというところで、リアムが今後について話を振った。

「私から何らかの連絡手段を取るようにしますから、当面は今学期末の試験を見据えての自学と複合基素結晶レペティティオ・クリュスタルスの文献確認をお願いします。予算はできるだけ材料調達に温存しておきたいので、私から資料を──」

「……コルヴィス先生、わたくしと学院長先生の約束をこれ幸いと、研究を満喫して楽しもうとされてません……?」

 いわゆるジト目で見つめるアリシアからの視線をぎくりと受け止めて、ややウキウキしていたリアムは「いっ、いやいやそんなことは……!」と弁解するが、誤魔化しきれない人のさで「す、少しだけ……」と白状する。その様子に、アリシアは吹き出した。一昨日の晩餐会での失態からずっと心にまとわりついていた落胆と緊張が、ほんの少しだけ和らいでゆるんだような気がする。

「好きな事柄に打ち込めるというのは素晴らしいことですわ」

 教室の前に到着したアリシアは立ち止まり、リアムに対して一礼した。

「今後とも、ご指導のほどよろしくお願いいたします」

 リアムは不思議な気分だった。悪評高いアリシアに対する警戒のようなものを以前の自分は抱いていたはずなのに、今は少し違う。誓ってそんな事実はないのに、アリシアに対して誰よりも心を許していた過去があったような気がするのだ。

 本鈴が校舎に響く。リアムはハッと我に返り、「こちらこそ」とだけ返事をして一限目の授業を受け持つクラスに入った。アリシアも自分の教室へ向かい、クラスメイト達からの好奇の視線を受けながら席に着く。沈んでいた気持ちをまだ切り替えることはできないけれど、新たな指針はアリシアにとっての光明の一筋になりそうだった。


 授業が終わっての休憩時間。ヘルガ、イリナ、ミラの三人は、アリシアが大臣邸の晩餐会で何をしでかしたのか、噂について多少気になっているだろうに彼女達からアリシアに尋ねることはしなかった。でも、アリシアとしては辺境へ移住する前にちゃんと挨拶しておきたい。令嬢は「昼休み、温室前はいかが?」と三人を誘った。

 温室前、と彼女達が呼ぶのは、ダイニングでサンドイッチなどの軽食を買い求めて、それを手に中庭の温室そばにしつらえてあるテーブルセットで過ごすことだ。多くの生徒はいつも食堂で昼食を摂るので、昼休みの温室の周辺はたいてい静かで人通りも多くない。

 ヘルガ達はアリシアの提案を二つ返事で承諾し、彼女らは午前中を過ごした。

 昼休み開始を知らせる鐘が鳴り、アリシア達は連れ立って食堂に向かう。入り口にあるメニューボードの今日のおすすめ献立も気になるけれど、四人はデザートや軽食が並べてあるコーナーを目指した。

「……おいしそう」

 サンドイッチは、具を挟んだ断面がよく見えるように並べてある。イリナの素直な感想に、不意に緊張の糸がゆるんでアリシアは楽しそうに笑った。

「ふふ、本当に」

「黒パンはチェダーチーズとハムで、白パンは卵とレタスのサンドか。あ、ベーグルもありますね」

 陳列棚を眺めるミラが、「チキンフライのバーガーも捨てがたいなぁ」とつぶやく。アリシアはデザートコーナーに目をやり、ヘルガに声をかけた。

「……ねぇ、ヘルガ。イチゴのフルーツサンド、わたくしと半分こしませんこと? 私がオーダーしますから」

 先日はヘルガの方から申し出たデザートのシェアを、今度はアリシアから持ちかける。その誘いが、ヘルガにこのまま泣いてしまいそうな感情をもたらした。

(少し前までのアリシア様は、人が変わったみたいに冷たかった……。だけど、今はどうしたことだろう。私がアップルパイとチーズスフレを分けようとお誘いした時みたいに、今度はアリシア様の方から──)

 対等な友人だとアリシアに言ってもらえているようで、それがヘルガにはとてつもなく嬉しい。同時に、すでに彼女の耳にも入っているアリシアの噂がヘルガを落ち着かなくさせる。王子がアリシアに処分を下すとか、ポーレット家存亡の危機だとか。

 ヘルガは、本人から話してもらうまで余計なことは考えないようにしようと強く自分自身に念押しして、卵サンドをテイクアウトでオーダーした。

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