まず、アリシア。続いてリアムが部屋に入る。
「失礼いたします。二年次生のアリシア・ポーレットです」
「おはようございます、学院長」
学院長室に一歩踏み入れただけで、この部屋はどこか他と違う、と令嬢は感じ取る。暗いモスグリーン色の絨毯が訪問者の靴裏を柔らかく受け止めた。張り出し窓の手前スぺ-スには日時計のオブジェ。ソファとローテーブルを組み合わせた応接セットの机の上に飾られた、背の低いデザインのフラワーアレンジメント。本棚やコート掛けなど、室内の主なインテリアは飴色をした木の素材でほぼ統一されている。部屋の正面奥に執務デスクがあり、備え付けた椅子にソフィアが座っていた。
学院長、ソフィア・シモンズ。
ソフィアは元々、古書店を営む家系の出身で、学院との関わりが生まれたのは学院内の図書館リニューアルを請け負ったからだった。図書館関連の業務が落ち着いた頃、学院長選考会議から声がかかったのだ。前評判を覆し、ソフィアは選出、選挙、選考の末に学院長の座に就いた。学院について詳しくない人々からは外部の人間が選ばれるなんて意外だ、八百長ではないかと囁かれたけれど、リアムを始め学院内部の者からすれば何ら人選に不思議はない。
リアムがまだオリーブグリーンの髪を伸ばしぎみにせず白衣も羽織っていない頃──学院の教授職を拝命するずっと前の学生の頃から、優秀な生徒達はシモンズ古書店の常連だった。学院の生徒ばかりではない。農業に携わる者や判事を目指す受験生など、それぞれのニーズに合わせた書籍や資料を取り揃えた古書店は、知を司る使命を帯びていた。店主のソフィアは飄々としながらも、卓越した洞察力、豊富な知識や経験則によって客達の信頼を勝ち得ていたのである。
そう考えると、ソフィアはゆうに齢五十を越えているのではないかとリアムは思うのだが、見た目には全然そうは見えない。若返りの妙薬が古書通りに存在するのなら、きっとソフィアは使い心地を知っているはずだ。
「おはようございます。お掛けなさい」
部屋へと招き入れた学院長はアリシア達にソファを勧め、自分も執務机を離れて来客と向かい合うようソファに座った。
「ポーレットさん、なかなか大変な状況のようね」
「恥ずかしながら、お耳に入っておられるその件で、その……」
アリシアが一瞬言葉に詰まったところへ「で? 実際王妃様の襲撃を企てていたの?」と学院長がすかさず問いを差し込んだ。
「そ、そんなことは誓ってしておりません!」
「そう? 正直に答えていいのよ。学院内には自治権があるし、国家権力に
「……学院長」
リアムが半ば呆れぎみに諫めて、ソフィアは「冗談よ」と肩をすくめた。アリシアは、気を取り直して再び切り出す。
「わたくし、王家の方々に対する
アリシアは向かいに座る学院長を見つめて、言葉の一つ一つを丁寧に紡ぐ。
「ですから、特例とは承知の上で申し上げます。学院への登校がなくても学期ごとの試験を受けられるお許しと、その試験成績によって進級や卒業がかなうようお取り計らい頂きたいのです」
「あら、いい論を展開するわね」
アリシアの言葉を受けたソフィアは嬉しそうに微笑み、「これってあなたの入れ知恵?」とリアムに尋ねる。
「いいえ、一切」
ソフィアは「ふぅん」とつぶやいて、「で、私にメリットは?」と令嬢に尋ねた。
「メ、メリット、ですか?」
「ええ。私や学院側に何の益もないのでは、特例を認める動機付けが弱いとは思わない? あなたが何を提供しようと考えるのか、その気概を示して交渉してほしいわ」
(えーっ⁉)
教育者から生徒に対して、そんな個人的なリクエストがあっていいのだろうか、とアリシアは戸惑う。しかし同時に、ゲームをプレイしていた時から学院長は破天荒な人物として描かれていたよなぁと妙な納得感もあるのだ。
(主人公の校則違反をおもしろがって不問にしたり、突然学院内隠れ鬼ごっこ大会を企画したりするエピソードもあったっけ、それに……)
アリシアは回想しかけて我に返る。ゲームの内容を思い出している場合ではない。
自分が学院のためにできるようなことが何かあるだろうか、とアリシアは考え、思い浮かんだ内容をとりあえず打診してみる。
「学院への寄附、というのはいかがでしょう?」
「うーん、学院へのメリットとしては無難で妥当なところよね。でもそれはポーレット家の資産の持ち出しであって、あなたが生み出したものではないわ」
ソフィアの言うことも理解できる。黙ってしまったアリシアに、学院長は「例えば」と持ちかけた。
「あなたが辺境へ移り住むということは、ポーレット家が所有する荘園に赴くということよね? その荘園であなたの知恵や手で何かを生み出して得た金額の一部を寄附するならば、私がイメージする対価に近いかしら」
「でしたら……!」
アリシアは「ぜひともそうさせて頂きます!」と続けるつもりだったが、ソフィアはため息をつく。
「でも、それだけじゃどうにもつまらないわ。普通すぎて」