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第5話 婚約破棄〈10〉

 出入口である掃き出し窓からホールにアリシアが戻ると、さっきテラスでは聞こえていなかったのが嘘のように人のざわめきが耳に入ってくる。

(少しうるさいくらいのほうが、余計なことを考えないで済むわ)

 アリシアは、レオに対して自分が取った態度のことを振り返らないようにしようと努める。みにくい保身だ。一見彼を気遣っているようでありながら、その実、自分は相手を無意識のうちに見下して甘えていたのだ。

(爵位を持つほどの殿方にあんなことを言うだなんて)

 考えないようにしようと思う一方で、自分の粗忽そこつさが許せずにイライラしてしまう。気持ちの高ぶりのせいで歩き方も雑になりそうなところ、どこかから「ほら、ポーレット家の……」と自分を指すであろう声が耳に入ってきてアリシアは我に返る。

(いけないわ。今日はとても大事な日なのだから落ち着かなければ)

 何とか冷静さを取り戻そうと意識を切り替えて、アリシアはエントランス付近に控えていた両親と合流する。

「アリー、よかった。もう少し遅かったら、探しに行かねばならないと思っていたよ」

「ごめんなさい、お父様」

 ジョージに謝るアリシアに、カミラが「王子が予定より随分早くご到着になるそうなの」と声をかける。

「 王家の親戚であるハーヴィー司教が、付き添い人として先行でご到着になってね。王子が席にお着きになる前にご挨拶するからそのつもりで」

 継母である彼女の表情は分かりやすく上機嫌だ。プライドの高いカミラにとって、王族と親戚づきあいをしていく今後が楽しみで誇らしくてたまらないのだろう。

 そうこうしているうち、にわかにグラセリニ邸の使用人達の様子があわただしくなった。令嬢は深呼吸する。今日、この日から、この晩餐会から、王族の一員として過ごす日々が始まるのだ、と自戒する。さっきの、テラスで演じたような失態はもうこりごりだ。

 外からのざわめきが大きくなる。あぁ、いよいよだ。アリシアも、周りの緊張感に飲まれる形でエントランスを見つめて待つ。グラセリニ邸の執事長バトラーが、主人とその周囲の客人に向かっておごそかに告げた。

「司教のハーヴィー様。第一王子、ジェイド様。第二王子、ケイル様。御成おなりでございます」

(な……っ⁉)

 アリシアは驚きで目を見開く。

(そ、そうだったぁ……! 今日の段取りをしっかり頭に入れておかなきゃってことばっかり考えてたけど!

 ジェイド! ジェイドも来るんじゃん! おっ、お、お、お、推し~~~~ッ‼)

 花の兄。ロアラ国、第一王子のジェイド。白梅の花びらのような白い正装。その服を彩る金色の飾り紐。腰にいた儀礼用のサーベル。サイドを撫で付けるようにセットされた金髪。弟の晴れの席を祝う表情は柔らかく、ブルーグレーの瞳は喜びをたたえている。

(か、顔が良い……。弟の婚約をニコニコ祝う気満々なの、可愛いかよぉ、お兄ちゃんっ!

 こんな世界があっていいの……? 信仰の対象が偶像じゃなくなって実体化していいの? 推しの幸せを願う課金は、ライゼリアではどこからさせてもらえれば? アッ、王族を推すなら税? 税かな⁉ 納税頑張るってことでいいのかな⁉)

 動揺しているのはアリシアだけではない。事情を知らない人々も、現れた三人の姿を見てどよめいた。客のほとんどに王子達がやって来ることは伏せられていたのだから当然の反応だ。グラセリニ夫妻が司教と王子達に挨拶をして、用意していた席を執事長に案内させる。

 うろたえているアリシアを継母のカミラが小さく小突いて、移動を促した。グラセリニ邸の執事長が先導し、司教と二人の王子に続いて、ジョージ、アリシア、カミラがホールの上座方向へと向かう。ホール内のゲスト達が、何事かと注目の視線を注いだ。このような衆人環視の状況も王家の血を引く者にとっては取るに足らないことのようで、ハーヴィー司教はポーレット家の三名に向かって気負うでもなく話を切り出す。

「皆様、本日はどうぞよろしく。本来なら陛下と妃殿下もお越しになる予定だったのですが、少し怪我をされてしまいましてね。大事を取って欠席ということになりました」

 司教の言葉にカミラがいち早く「まぁ何と」と反応し、ジョージは心配げに「ご無理は禁物だとお伝えください」と礼の仕草を見せた。二人はてっきり、アリシアも自分たちの言葉に続くものだと思っていたから、無言のままの娘を見やる。

「……アリシア」

 愛称ではない呼びかけは、父が我が子をたしなめるシチュエーションならではだ。小さな声でジョージが促し、令嬢は我に返った。

「すっ、すみません」

 アリシアはわずかな刹那に、ぐるぐると思い悩んでしまう。

(何か全然落ち着かない……! ジェイドが同じ空間にいるってこともそうだし、ホールに入ったらマンジュ卿がいるはずだって思っちゃってさっき失礼な態度を取った情けなさがよみがえるし……! うぅ、しっかりしなきゃ。王妃様が怪我をしたってことは、ゲームのメインシナリオは動き出してるってことだもの!)

 慌てて、王と妃の欠席についてアリシアも言及する。

「あ、足を痛めていらっしゃる時の移動は、ご不便でお辛いでしょう。妃殿下の御快癒をお祈りいたします。またこちらからご挨拶に行かせてくださいませ」

 微笑み、王妃を心から気にかけて言葉を選んだアリシアだったが、彼女は「きゃっ」と小さく声を上げて立ち止まった。前方を歩いていた弟王子のケイルが突然振り返って、アリシアの方へ向かってきたからだ。アリシアとケイルがホールの中ほどで相対したことで、ジョージ、カミラも王子の挙動を気にして足を止めた。一行を先導していたグラセリニ邸の執事長が異変に気付き、ジェイドとハーヴィー司教に声をかけて彼らもやや引き返して立ち止まる。

 パーティの招待客達は、皆一様に不思議そうな顔でアリシア達を見つめている。次の瞬間の、ケイルの発する言葉は冷たかった。

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