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第5話 婚約破棄〈7〉

「先ほどのご無礼、お許しください」

 馬から降りて手綱を引きつつ三人に挨拶をしたのは、さっき大きな声で呼びかけてきた警護担当の青年だ。

「第二衛兵任務隊、第一中隊所属のエイダン・マーティンです」

(やっぱりぃ‼)

 アリシアは何とか声を外に漏らさずにこらえた。

 ゲーム『魔奇あな』のメインキャラの一人、近衛兵のエイダンだ。トレードマークは赤い髪。日曜朝なら戦隊モノのレッドをいかにも担当していそうな、やや直情型で情に厚めの好青年だ。

(ターキにたしなめられて多分最初はイライラしただろうけど、こうやって素直にちゃんと謝れるのがエイダンだよなぁ)

 エイダンの生い立ちはゲームの中ですでに語られていて、彼のシナリオもかなり泣けるストーリーだ。エイダンは北の国境近くで保護された辺境の民の孤児で、幼かった彼の中に両親の記憶はおぼろげにしか残っていない。その身体能力と気質を王立軍将校のアイザックに買われて、彼は代々軍人として王家に仕える名門・マーティン家の養子となった。マーティンという姓は戦いの神の名が由来であり、エイダンもその名に恥じぬ成長と活躍を見せる。

(ところが、養父であるアイザックが過去に辺境の民の制圧に関わっていたという過去を知って、エイダンは葛藤するんだよ……。しかも、昔のように甘えてくれないことを思春期特有の通過儀礼かと思ってアイザックが気を遣って距離を置いたせいで、二人はすれ違ってしまうんだよぉ……!)

 そんなエイダンとアイザックの雪解けのきっかけとなるのが作中のヒロインだ。親子の絆を改めて深めた上で、エイダンは自分のもう一人の家族としてヒロインを迎えたいとプロポーズする。

(わーっ。なんか、私はアリシアだから目の前のエイダンと直接は関係ない話なのに、顔見てたら恥ずかしくなってきたっ)

 エイダンルート初プレイ時の感動や気恥ずかしさが一気によみがえってきて、思わずアリシアは口元を抑えて視線をエイダンから外した。ちなみに、アリシアが考えにふけっていたのはおよそ五秒にも満たない。オタクの思考は飛躍的で迅速だ。

「おお、あのマーティン家の」

 ジョージは柔和に笑って自らも名乗り、エイダンに妻と娘を紹介する。

「私はジョージ・ポーレット。こちらは妻のカミラ、そして娘のアリシアだ」

 アリシアが会釈したその時、グラセリニ邸の使用人がもう一人、足早に屋敷の方向から駆けつけてきた。

「ポーレット家の皆様、おそれいります。ただいま正面玄関が非常に混み合っていますので、少しだけご案内までお待ちください」

「なに、構いませんよ。ならば帰りのことを少しターキと相談してこよう」

「あらそうなの。では、馬車の中で控えさせて頂きますわ」

 ジョージとカミラがそれぞれ席を外すと、必然アリシアがその場に残る。グラセリニ家の使用人の一人は屋敷の方へ戻り、もう一人の使用人はカミラが馬車内へ戻るためのエスコートに向かった。

 続いてエイダンも「では」と言いかけたところで、思わず令嬢は声をかけていた。

「あのっ」

「はい?」

 エイダンの表情は、何となく疑わしげだ。きっと悪役令嬢の悪評はエイダンの耳にも入っているのだろうとアリシアは思う。

(それが悲しいとかショックだとか、そんな風に感じる必要はきっとないのよね)

 頭ではそう分かっていても、大好きなゲームのキャラクター達から嫌われている状況はなかなか辛いものがある。主人公としてゲームをプレイしたシナリオ上では、どのキャラクターともベストエンドを迎えて涙したのだから。

 アリシアは再びエイダンを見る。ケイル王子と悪役令嬢の婚約が今夜公表されるということは、ゲームのストーリーラインとしてはまだまだ先は長い。となると、エイダンと養父のぎくしゃくしてしまった関係が改善するのはかなり後のことだろう。目の前の彼は、強がるくせに誰にも悩みを打ち明けられず、人知れず悩み、自分の生い立ちに負い目すら感じているのだ。

「何か?」

 呼びかけられ、何を言い出すのだろうかと待っていたエイダンが痺れを切らして続きを促す。考え込んでいたアリシアは、急いで取り繕った。

「い、いえ、ご苦労様です。このように王城の外でもお勤めがあるとお忙しいですね」

「別に。最近馬車の事故がありましたから、より安全面に配慮するよう通達があっただけで」

 あっ、ゲームの冒頭の、ジェイドとケイルの母──つまり、この国の王妃が馬車の事故で足を骨折したのをヒロインが見かけてを救うやつだ、とアリシアにはピンとくる。学院を探しても主人公を見つけられなかったけれど、ちゃんとゲームのメインシナリオ通りにこの世界は動いているらしい。

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