晩餐会といえど、外出の支度は日の傾くよりずっと前から行われる。会場となる邸宅で働く者達にとっては当日の段取りは言わずもがな、何週も前から準備しておくものだ。執事はリストアップしたゲストに招待状を送り、厨房のスタッフはメニューを考案して材料を調達する。全ては、主人に恥をかかせることなくホストとしての威光を高め、招待客に満足して帰ってもらうために。
そういう意味では、今夜の晩餐会においてアリシアは単なる客ではなく、グラセリニ大臣邸に招かれてはいるけれどゲストをもてなす側面もあるという、少々複雑な立場だ。
ドレスアップして馬車を待つアリシアは、藤色がかったプラチナブロンドを高くまとめて美しく結い上げている。
(ここまでのおめかし、成人式でもしなかったよ……)
アリシアは自らの装いをちらりと見やり、その視線を隣のジョージ、カミラにも向ける。二人とも、もちろん正装だ。カミラは今日も臙脂色のドレスを着ている。アリシアの記憶の中にはないデザインだから、国王一家と同席する今日のために新調したのかもしれない。
屋敷のエントランスに馬車が回され、親子三人が乗り込んだ。行き先は、今夜の会場であるグラセリニ大臣邸だ。
アリシアが通う王立学院よりもグラセリニ大臣の屋敷は少し遠い。とはいえ目的地は同じ王都の中だから移動にそこまで難があるわけではない。たいていの貴族は王都に居を構えているが例外はもちろんあり、郊外の領地に大きく広い屋敷を別荘扱いで建てる者や、職によっては昼夜を問わず城に勤めるために王城のすぐ近くに仕事用の家を用意する者もあった。
(ゲームの中じゃ、マップ上で選択するだけで移動できてたから楽だったよなぁ。現実だとそうはいかないよね)
アリシアはゲームのプレイ画面を思い出し、今の自分がライゼリアに生きている不思議を思う。中世イメージの窓のない馬車に乗って、ドレス姿でこうして揺られているだなんて。
出発してからしばらく経った。ジョージとカミラはグラセリニ大臣夫妻への感謝を口にし、今日来られない親戚の話をしている。アリシアは晩餐会での段取りをもう一度おさらいすることにしようと、リストで見かけた顔見知りを思い出しているその時だった。
外から「止まれぇ!」と声が響く。二十歳前後だろうか、若い青年の声だ。馬車内の三人の耳にもはっきりと聞こえた。御者がうまく馬をなだめ、馬車がゆるやかに停止する。
「何かしら」と
馬車が止まってからも馬の足音がするので、先ほどの声の主は馬に乗っているのだろう。再び外から呼びかけがあった。
「失礼。周辺の警護中で、ご協力頂きたい。行き先は?」
アリシアは、聞き覚えのある声にぴくりと反応する。
(この声、まさか──)
そのアリシアの思考を、落ち着いて凛とした御者からの返答が遮った。
「ドアに描かれた家紋も確かめず声をかけるような注意散漫な者に、警護のお役目が務まるとは思えませんな」
ポーレット家のベテラン御者、ターキ。使用人の中でも切れ者の一人だ。ジョージがすぐさま馬車の外に出ず様子を見ようと判断したのも、今日の御者が彼であるからこそだった。ターキの言葉は続く。
「とはいえ協力の要請に従わぬつもりはありません。すぐそこの、貴殿が警護中であろうグラセリニ大臣のお宅へ招かれております」
無作法を咎めつつも、すぐさま反論の隙を与えず折れるあたりがさすがである。警護を担当するという青年も同じことを感じたようだった。
「……面目もありません。ポーレット家のご協力に感謝いたします。今日は客が多いため、馬車をつける場所を誘導いたしますのでこちらへ」
馬車が動き始める。聞こえるやり取りからアリシアが察するに、外の相手とターキはうまく折り合いをつけたらしい。
アリシア達の馬車が動き出し、ほどなくしてグラセリニ大臣邸に到着する。警護にあたる青年の誘導で、エントランスの少し手前に馬車は停まった。
「ポーレット家の皆様、ようこそお越しくださいました」
グラセリニ大臣の屋敷に務める使用人がノックの後に馬車の扉を開き、アリシア達三人は外に出た。