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第5話 婚約破棄〈2〉

 四人で向かったダイニングは盛況だ。入り口のメニューボードに今日のおすすめメニューがいくつか書かれていて、イリナが嬉しそうに読み上げる。

「メインは川魚の揚げマリネ、菜花のポテトオムレツ。デザートはフレッシュチーズのスフレですって」

「今は川魚が旬だからね。上流の魚は特に香りがいい」

 聡明なミラが説明を加える横で、食堂を見回したアリシアはいたく感激していた。

(こっ、コラボカフェがかすんじゃうレベルなんですけど……っ!)

 内装、メニュー、テーブルクロスや食器にいたるまで、紛れもない「本物」が目の前に存在していることにアリシアはわくわくする気持ちを抑えられない。ゲームのプレイ中に食欲を刺激されてどんな味わいだろうと想像を膨らませた料理や、ファンによる再現調理の動画で感動しながら眺めていた献立の香りが実際にただよっているのだ。友人達がオーダーしていくのを見ながら、アリシアは思いがけないチャンスにうっとりと目移りしつつメニューを選ぼうとする。

「何だか、今日のアリシア様嬉しそう。選ぶのに迷っていらっしゃるんですか?」

 イリナにすぐさま見抜かれて、アリシアは思わず「うっ」と答えに詰まる。

「メインは川魚にするつもりなんだけど、あ、アップルパイかチーズスフレか、どちらも気になって……」

「あら、アリシア様、そういう時は両方食べちゃえばいいんですよ」

「……イリナは細い割にしっかり食べるよね」

 イリナとミラの言葉に続き、「では、私がアップルパイをオーダーしますから、アリシア様はチーズスフレを注文なさって、半分こすればいいのでは?」と意外な提案がヘルガから持ちかけられる。アリシアは驚いて目を見開き、ヘルガは照れ隠しに目線を逸らし、イリナは「うふふ」と笑い声を零した。


 揚げた魚のマリネは柔らかな身がほろりと崩れる繊細さと香ばしさが絶品で、付け合わせの野菜も瑞々しい。

 パンは中身の気泡が大きめで少しハードなタイプと、きめ細やかな生地で白く柔らかなタイプ。噛むほどに小麦の味わいが広がる。

 アップルパイとチーズスフレは、それぞれのおいしさも、食感の対比も素晴らしい。さくさくとしたパイ、わずかにシナモンが香る甘酸っぱいリンゴのフィリング、メレンゲのおかげで口の中でとろけるような舌触り、そしてチーズとレモンの組み合わせの妙による爽やかな味わい。

(おっ、おいしすぎるぅ!)

 元の世界でのあれこれを回想し、世間一般の学食や社食だって基本的にはおいしくてお値打ちで素晴らしくはあるのだが、今味わっている料理はそれらとは一線を画しているとアリシアは思う。

(私がライゼリア料理に興奮してるっていうのを抜きにしてもクオリティ高すぎ! さすが貴族の子女が通う学院だわ……)

 ダイニングには給仕スタッフも巡回していて、デザートを食べているアリシア達にコーヒーやハーブティーを勧めてくれた。花の香りが匂い立つカップに口を付けてから、ヘルガがぽつりとアリシアに話しかける。

「……パイもスフレも、おいしかったですね」

「とっても! シェアしてくれてありがとう、ヘルガ」

 ゲームで見た料理の数々に浮かれる気持ちのまま素直にアリシアが感謝を述べて、アリシア以外の三人は虚を突かれた表情で固まる。最初に吹き出したのはヘルガだった。

「ふふ、それなら本当によかったですわ、アリシア様。私も、今日のデザートすごく好きです」

 あ、変わった、とアリシアは思う。自分達を取り巻く空気が明らかに変化した。こじれた関係が修復される予感はあったけれど、はっきりと互いの間のわだかまりが解けていくのが分かる。許されることを期待してはいけないと思っていた分、アリシアは胸が苦しくなるような安堵をを強く覚えた。ミラとイリナも、目配せし合って友人達の雪解けをささやかに喜ぶ。

「ねぇミラ、私達が喧嘩した時も、一緒にデザートを分けっこして仲直りしましょうね」

「……イリナには、そのまま一人分プレゼントした方が喜んでもらえる気がするなぁ」

 ミラの切り返しに、アリシアも思わず笑う。

 きっと、今日の友人達との会話を自分は忘れることなく、折にふれて回想するのだろう。元の世界ではすでに学生ではなく社会人であるからこそ、アリシアはそう思う。不意に心に深く刻まれる出来事は、特別なパーティや重要な儀礼の場だけじゃなく、こんな風に当たり前の日々の中にだって在るのだ。思いがけない場所ではぐれ妖精を見つける時みたいに。

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