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第4話 愛を説くけだもの〈終〉

 アリシアが教室に到着したのは、もう一限目終了間際の時刻だった。教室の後ろのドアから静かに教室へ入ると、数理の授業を担当するニューウィル女史が見とがめて声をかけた。

「ポーレットさん」

「時間に遅れ、申し訳ありません。今日の講義範囲をまとめたレポートを後ほどお持ちいたします」

 少しだけ、生徒達がざわめいた。アリシアは自分の行動に文句をつけられているような嫌な気持ちになるが、己自身を制御することだけに集中する。ニューウィル女史は、アリシアの方から提出課題に言及したことで言うことが何もなくなり、「席へお着きなさい」とだけ告げた。しばらくして鐘が鳴り、授業が終わる。アリシアはしばし深呼吸をし、思いを巡らせ、それから席を立った。向かった先は同級生のところだ。例の三人組が窓に近い場所で談笑している。

「ヘルガ・ローレンス」

 呼んだのは、今朝アリシアがぶつかった女子生徒のフルネーム。記憶の中からちゃんと探れば、ただモブの三人組という元の世界でのゲームの知識だけでなく三人の名前をアリシアは思い出すことができた。

 アリシアは三人組のすぐかたわらに立ち、残りの二人の名前を呼ぶ。

「イリナ・クーバー。それから、ミラ・ブルー」

 三人ともの目を、それぞれにしっかりと見つめる。余計なことを言ってしまいそうな衝動を、気合いで飲み込む。ヘルガはこの中で一番背が低くて、愛嬌のある性格。イリナはおっとりした気質で、逆に言えば少しのんびり屋。ミラは長女であるためかきっちりしたタイプで、教師からの信頼も厚い。今朝の自分は、どうして彼女達をモブではなく学友として認識しなかったのだろう。優子としてのゲーム知識に意識が向きすぎていたし、以前の彼女は周囲の個人個人の人物像にそれほど注意を払わず軽視していたということなのかもしれない。

「今朝はごめんなさい。あなた達にひどいことを言ってしまった。

 ぶつかった時、ヘルガ、あなたにケガをさせていないか、わたくしは案じることさえしなかったわ。友人に対する態度ではなかった」

 ヘルガ、イリナ、ミラの三人はぽかんと口を開ける。謝罪するアリシアは真剣な表情だ。芝居がかって嫌味を言っているような素振りではない。思いがけないアリシアの態度に驚いていた三人だが、一番最初に反応したのはヘルガだった。

「そっ、そんなしおらしいこと突然言われても信じられないわ」

「そうよ」

「ふ、二人とも、声が高いよ」

 ヘルガの反発にミラが同調し、イリナは場を収めようとなだめる。三人は、アリシアがどう言い返すだろうかと身構えたが、予想に反して、アリシアは怒ることも悲しむこともしなかった。

「ヘルガがそう思うのも当然だわ。詫びたいと思うのはわたくしのわがまま」

 当然反撃が来るだろうと思ったのに、肩透かしを食らってヘルガは目を見開いた。アリシアは相手を小馬鹿にするような態度も見せず「突然こんなことを言い出して困らせているかもしれないわね。重ね重ねごめんなさい。謝ったからといって許されることを期待するのは虫がよすぎるほどの態度を繰り返していたと、承知しているつもりよ」と、よく通る声ではっきりと自分の思いを言葉にする。

 人から見れば、令嬢はかなり冷静だっただろう。だがその実、失言をぶっ放してしまいやしないかと、彼女は三人組に話しかけながらひやひやしていた。ようやく言いたいことを伝え終わって、アリシアは安堵のままに「では」と三人に会釈し踵を返す。

(思ったよりうまくコントロールできたな⁉)

 気を抜かずに制御しようと努力すれば、思ったよりたやすく己という暴れ馬を乗りこなせるのかもしれない。そう思って席に戻ろうとしたアリシアを、鋭い声が呼び止めた。

「ずるいわ!」

 ヘルガの声だ。少し震えているのは気のせいではないだろう。アリシアは反射的に振り返って、ヘルガの、普段は屈託なくよく笑う愛らしい顔がやりきれない気持ちのせいでゆがんでいるのを目撃する。

「ずるいわよ、言いたいことだけ言って。そうでしょう? こちらの反応をもう少しちゃんと見たらどうなの?」

「それは……そうね、その通りだわ」

 アリシアは再びヘルガの方を素直に向いて、続いての友人の言葉を待つ。そうすることで、さっきのヘルガの発言が彼女にとっての試金石なのだとアリシアはすぐに分かった。それを証拠に、ヘルガは黙ったままで、何か言いたげな顔をしている。指摘された通りにアリシアは相手の反応をつぶさに見つめ、ヘルガはそれ以上何も言わないままアリシアからの視線を逃げずに受け止めた。イリナとミラは、アリシアとヘルガの表情を代わりばんこに見やって、何が起こるのだろうかとうろたえている。

 そうこうするうち、鐘の音が鳴って次の授業の開始が知らされた。緊張の糸が切れる。ヘルガは、ぷいと顔をそむけ、無言を貫いたまま自分の席に戻った。次の授業を担当する教師が教室へ入ってきて、イリナとミラ、そしてアリシアも同じく元の席へ着く。

(そう簡単に話がうまく収まるわけないわよね)

 アリシアはそう自分に言い聞かせつつ、三人に向き合うために自分を律しようとしたことはきっと無駄じゃないはずだと思う。

(こうやって制御するべくトレーニングしていけば、マンジュ卿が言っていたように自分を磨けるかもしれない)

 複数のエーテルを扱う特性が本当に自分に当てはまるのかは、よく分からない。けれど、妖精達に愛された、という表現がひときわアリシアの心の中に残っている。自分にできることがあるならやってみたい、やらなければ、と不思議な衝動にかられる。

 彼女の十七歳の誕生日をあと三日後に控えての、アリシアの小さな決意だった。

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