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第3話 学び舎にて〈終〉

 あの三人組とアリシア、ゲームで遊んでる時は親しそうに見えてたのにな。

 リアムと、これから関係を改善していけるのかな。

 何だか気力の全てが削がれてしまったみたいだ。本当なら生徒である自分も教室に向かうべきだろうと分かっているのに、アリシアは気が向かない。他人事のように、初めて来た学院なのに、どこに自分の所属するクラスがあるのか分かるのって不思議だよなぁとぼんやり思う。

(ルーシィちゃんは、元の世界の記憶と、肉体に残るアリシアの記憶が私の中に混在してるって言ってたっけ。なんか、まだ全然慣れないや……)

 アリシアの目線が、自らの開いた手のひらに落ちる。手首を返し、続いて甲を見る。他人のもののようにも、自分のもののようにも思える手。ペンだこなんて無くて、ネイルはしていないけれど、丁寧に磨かれた爪を乗せた労働を知らない貴族の令嬢の麗しい手。

(私、これからどうしたらいいんだろう)

「おい」

「え?」

 気落ちするアリシアにぶっきらぼうに声をかけたのは、まだ幼さの残る声だった。

「お前、ついに先生の前でも猫かぶんのやめたんだ?」

「るッ」

 ルーク! 喉まで出かかった声を何とかアリシアは我慢する。リアムを呼び捨てにしてしまった時のように、同じ轍は踏むまい。アリシアが振り返った先にいたのは『魔奇あな』登場キャラクターの一人、ルーク・ロックフォードだった。

 彼は、メインキャラの中で唯一、主人公よりも年下の少年だ。さらさらした髪と、猫みたいにまるい瞳の色はどちらも涼しげなアイスブルー。王立学院中等部の制服を着た彼は、ゲーム序盤の頃のように、いや、その数倍つれなかった。これも、やはりゲームファンから悪役令嬢と呼ばれるような、アリシアのこれまでの振る舞いが原因なのだろう。

「まぁ、お前が普段は周りを見下してることなんて、コルヴィス先生はとっくにお見通しだっただろうけどな」

 ルークはそう言いながら、ちらりとアリシアの方を見てぎょっとした。挑発に乗ってくるかと思ったのに、アリシアがいやに嬉しそうな、感慨深げな表情を浮かべていたからだ。少年は不機嫌に「何だよ、妙にニヤニヤして」と令嬢を睨んだ。

「あっ、いや、声高いなーって!」

「……僕が子供じみてると言いたいのか」

「あっ⁉ いやいや、そういう意味じゃないの!」

 またやってしまった、とアリシアは後悔する。嬉しさのあまり、つい口をすべらせてしまった。それというのも、ルークを担当する声優は収録当時は高校一年生であり、『魔奇あな』が彼のデビュー作だった。本人にとっても思い出深い仕事だったようでラジオなどでも時々思い出話を披露してくれるし、本格的な声変わりを終える前の演技が聞ける数少ない作品として新規ファン層を中心に『魔奇あな』の話題が定期的にバズる。

 つまり、キャラクターが自分の目の前に実在するという感激に加え、さらに、今はもう声優本人には出せない音域で話してくれているのだから、その貴重さゆえにアリシアが感動しないわけがなかった。

 だが、そんなアリシアの胸の内などルークには知るよしもない。彼にしてみれば、年下の自分を馬鹿にしているのかと誤解するのも当然だった。

「僕の声が高かろうが低かろうが、関係ないだろう」

「それはそうなんだけど……と、ところでどうして高等部の校舎に?」

 アリシアは話題を変える。ルークのこれまでの態度からして答えてもらえないかと思ったが、彼は素直に事情を明かし始めた。意外と、誰かに聞いてほしい内容だったらしい。加えて、アリシアが自らの記憶をさらってみたところ、どうもアリシアとルークは互いの父親が友人同士の間柄のようだ。どうりで、ルークが遠慮なく話してくるわけである。

「ゲストの案内役さ。研究授業に協力してくださった方がワント出身で、せっかくだからと学院の視察をご希望でね。待ち合わせがこっちの講堂なんだ」

 ワント。何だっけ、どこかで知ったはずの言葉だ、とアリシアは思うが、令嬢としての記憶がその疑問への回答を補完する。瑞夏の国、ワント。獣と、人と、獣人とが伝統的に共生する国だ。

「それで、首席合格の僕がお供するってわけ」

「嬉しそうね」

「そりゃあね。だってカッコイイだろう? 正直、大人達が獣人に偏見を持つ理由が分からないよ。

 ポーレット家のご令嬢にとっては、ワント出身者は有無を言わさず見下す対象だろうけど」

「……あら、聞き捨てならないわね」

 二人の会話は、さながらきょうだい喧嘩のようだ。ルークは四角張らない言葉のキャッチボールを楽しむ節さえ見せていたが、アリシアは妙に癇に障った。身に覚えのないことで責められるのはもうこりごりだという気持ちが強まる。

「わたくしが、いつそのようなことをしたと?」

「……覚えていないのか?」

「全く」

 少年の顔色が明確に変化した。冗談めいて明るかった言葉は、本気で相手を咎める口調となっていく。

「そんな言い草があるか、しらじらしいな! マンジュ卿が穏やかな方だから大事になっていないだけだろう? 獣人相手だと、身体的に劣るとお前はいくらでも非力ぶれるものな。向こうはとかく気を遣う。

 ワントからの短期留学生に獣くさいと暴言を吐いた噂は中等部にまで聞こえていたぞ。金を握らせてもみ消しでもしたんだろうが、世が世なら侮辱罪で国際問題だ!」

「黙りなさい! やめて!」

 責められる言葉をこれ以上聞いていられなくて、アリシアは耳を塞いで叫ぶ。その時、彼女の内側で何かがバチッと弾けるような軽い衝撃が走った。

「な、何?」

 アリシアは何が起こったのかよく分からず、ルークも「今、何か……」と言いかけて不思議そうに周囲を見回した。それからわずかな間があいて──。

「きゃっ」

 思わず声を上げたアリシアのすぐそばで、何者かが駆けてきて風を切る音がした。現れる大きな背中。急停止によって、ふわりと持ち上がる上着の裾。ふさふさとした、豊かなたてがみ。次の瞬間、ルークに襲いかかろうとする何かが地面に叩き付けられて潰れた。カラスだ! 気付いてアリシアは血の気が引く思いだが、直後に鳥の姿は煙となって消えていく。どうやら魔法によって出現した偶像らしい。よくよく見れば、鳥が潰れて絶命した割には地面には血の雫一滴すら滲んでいなかった。

「あ、ありがとうございます、マンジュ卿」

 ルークの声が聞こえて、アリシアはハッと顔を上げた。

 大きな背中。アリシアは、ライゼリア神話の中に出てくる巨躯の王の逸話と、元の世界の実家の大容量冷蔵庫の背丈を同時に思い出した。

 仕立ての良い黒い上着の裾から伸びる獅子の尻尾。服の袖先から、鋭い爪が見えている。あぁ、あの爪でカラスを引き裂きながら殴り落としたのだ。

「いえ。怪我はありませんか?」

 ルークを心配する声の響きは、体格から想像するよりずっと優しい。「そちらの御仁ごじんも」と声の主が振り返る。令嬢の目と獣の瞳が互いの姿を映し合った。

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