「でも『魔奇あな』はゲームでしょう? そんな架空の世界の中にいるなんて」
「架空なんかじゃないよぉ。あなたもこの世界を実在に導いた一人だもん」
「ど、どういうこと?」
「あなたの元いた世界のこと、ライザ様は原世界って呼んでるんだけど……原世界の住民って、言葉や思念の力を舐めすぎなのよねぇ。昔はもうちょっと取り扱いに慎重だったみたいだけど。最近は、原世界内で言葉が瞬時に伝わる術が確立したんでしょ? 簡単に大陸や海も超えるらしいじゃない。影響力がさらに大きくなったくせに無自覚っていうか、鈍感すぎなのっ。
本来、言葉には強大な力があるのよ。言葉一つで嬉しくなったこと、傷付いたこと、感じ入って涙を流したこと、あなたもあるんじゃなぁい?」
「それはあるけど……。でも、ゲームとどういう関係が──」
訝しげなアリシアを、ルーシィは真っ直ぐに臆せず見つめる。
「思念には力が宿る。それを発信する言葉も同じく、力を宿す。
ライゼリアが今ここに在るのは、あなた方の言葉と思念の力のおかげってわけ」
ルーシィがそう言って、アリシアはみるみる顔を輝かせた。
「すっ、すっ、すっごい‼」
アリシアが感動に打ち震えるその勢いは、ルーシィがたじろぐほどだ。令嬢は天の御使いにずいと顔を近付け、胸の丈をぶちまける。
「いいの⁉ ある? そんなことある⁉ 大好きな世界を、ファンの熱意が実体化させたってことだよね⁉ すごすぎない⁉」
「う、うん……」
アリシアの様子にやや気後れするルーシィだが、はっと思い出したように言葉を続けた。
「えっと、そのぉ……いいことばかりじゃないのよ、原世界からの影響って。
多くの思念の力によってライゼリアは形作られたけど、最近は負の言葉の勢いが強すぎるの。特に、誰かを傷付けるために発する、直接顔を見て交わさない言葉。相手を呪うくらいのパワーを持つこともあるわ。
このところものすごく増えて押し寄せてるんだって、ライザ様が言ってた。せっかく作られたこの世界が歪んでしまうくらいに」
「世界が歪む……?」
よく分からない表現に、アリシアは首を傾げた。ルーシィは頷いて「あなたがここへやって来たのもそれが理由の一端なの」と事情を説明する。
「世界は歪み、この世界の住民にも干渉を始めたわ。今はまだ小さいけど、国同士の争いの種火も生まれてる。この国、常春のロアラで一番顕著に干渉されたのは、アリシア・ポーレットね。元々が主人公に辛く当たる性格だったから強く影響されたみたい。彼女にはすごく可哀想なことなんだけど」
──アリシア・ポーレット。主人公に嫌がらせをしてくる意地悪な彼女は、ゲームのファンから悪役令嬢と呼ばれ、主人公を際立たせるための当て馬的存在だ。
「やっぱり私、あのアリシアの中にいるのね⁉ 何でそんなことに⁉」
「彼女は歪みのせいで、悪辣になりすぎたの。魂は流刑に処されたわ」
「るけい……?」
耳馴染みがなさすぎて意味が一瞬理解できず、アリシアは言葉を繰り返した。ルーシィは悲しげな顔でアリシアの手を取る。
「ライザ様を、この世界に干渉する集合的無意識や感情の善の頂点とするなら、アリシアの他害性を強めたのは邪の頂点。
アリシアはライザ様が無視できないほどの悪となり、やむなく彼女の魂は断罪されたのよ。そして、魂の抜け落ちた体の処遇をライザ様が決めようとしたそのタイミングで、あなたの意識がどういうわけだかアリシアの体に同化してしまった」
ルーシィが自分の手を握るのを、アリシアは確かに感じられる。自分はここで生きている。でも、この体に別の世界にいた自分が入り込んだなんて、にわかには信じられない。
「わ、私はどうなるの⁉ 元の世界に帰れるの⁉」
「恐れずに為すべきを為しなさい」
ルーシィが告げた一言は、世界の狭間での女神との邂逅をアリシアに思い起こさせた。ルーシィは繋いでいたアリシアの手を離し、幼い小さな手のひらを自らの胸元へ交差させるように置く。祈りの仕草だ。
「……義を尽くし、愛を為せ。女神ライザの名のもとに」
ルーシィが祈る様子を見て、さっき本を開いてつぶやいたフレーズが自然とアリシアの口から紡がれた。革張りの書籍の、一番最初に書かれていた言葉。今は亡き母からの教えである、貴族に生まれた者としての
アリシアがライザの名を出したことで、ルーシィはにっこりと微笑んだ。
「そう、その指針を忘れないで。
元の世界に帰れるかどうかは、正直ライザ様も分からないの。でも、アリシア、果たすべき役割があるからこそあなたはここにやって来た。命はそこに在ることですでに尊いけれど、それだけで満たされるあなたではないはずよ」
「や、役割って言われても……」
困った様子のアリシアに、ルーシィは「まぁまぁあんまり気負わないで! 私も時々手助けに来れるはずだから。がんばってー!」と軽い口調でエールを送る。
「今のあなたの中には、原世界の記憶と、肉体に残されたアリシアとしての感覚が混在しているはず。いつかきっと、その意味があなたに、多分……分かる日が来るわ、うん、おそらく」
「ちょっと? 後半、どんどん自信なさげになってない⁉」
「ひとまず、チュートリアルはここまで。じゃあねぇ、アリシア」
ルーシィは手を振り、朝の明るい空気の中へ溶けるように消えていった。