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第2話 御使い〈前編〉

 ニナが紅茶を淹れ直しにキッチンへ戻り、部屋は静かになった。はたと気付いて、アリシアは小さくガッツポーズする。

(これってチャンスなんじゃない⁉)

 この部屋を探れば、自分が何者なのか何かヒントがあるかもしれない。さっそく部屋の中を探索する。まずは、たくさんの服やアクセサリーを収納したワードローブだ。

(きらびやかな服もアクセサリーもいっぱいね。相当のお嬢様みたい)

 続いて視線を向けたのは壁だ。全部で四枚の絵がかかっている。

 生まれて間もない赤ちゃんの絵。

 二、三歳くらいの子供を抱いて椅子に腰掛ける女性と傍らに寄り添う男性の絵。

 両親の間に十歳くらいの女の子が行儀よく佇んだ絵。

 建物の門の前で微笑む制服姿の女生徒の絵。

 これらの絵はアリシアの成長記録なのだと、髪色からすぐに分かる。藤色を帯びたプラチナブロンドの艶やかさは、絵の中でも美しい。そこに描かれている大人の女性に、アリシアは目を移した。先ほど部屋を訪ねてきた継母のカミラとは、似ても似つかない柔和な笑顔。

「お母様……」

 小さくつぶやくと、切ない気持ちで胸がいっぱいになった。自分はアリシアではないはずなのに、絵の中の女性の穏やかな声も、頭を撫でて抱きしめてくれた温かさも、優しい笑顔も、次々と思い出せてしまうのだ。何て愛しい記憶の断片なのだろう。鼻の奥が痛くなって、涙が滲んでしまう。

 だが、不思議な感慨にゆっくりふけっている場合ではない。アリシアは、さらに部屋を見回した。次に注目したのは、ひきだしのたくさん付いた机だ。歩み寄って、ひきだしを順に開けてみる。その中の革張りの本が、アリシアの目を引いた。ぼろぼろというほど古びてはいないが、真新しい様子でもない。何度も開かれた形跡のある、小ぶりの手のひらサイズの書籍。アリシアが手に取ると、妙にしっくりと馴染む気がした。

(アリシアという人の、愛読書なのかしら)

 そう思いながら表紙をめくる。最初の一枚は白紙。次のページには、何かの文字列が印刷されている。読めない、知らない字だ──。瞬間的にそう思ったのに、アリシアの脳裏に懐かしい母親の声がよぎった。そうだ、これはお母様が読み聞かせてくださったのだ。

「義を尽くし、愛を為せ。女神ライザの名のもとに」

 本に書かれた、知らないはずの文字をアリシアが読み上げる。かつて、母親がそうしてくれたように。その刹那、唱えた言葉の波は輝く粒子となって宙を舞い、アリシアは「あっ」と声を上げた。どうしてすぐに気付かなかったんだろう。私は知ってる。ライザって、アリシアって……。

「ここ、『魔奇あな』のライゼリアってこと⁉」

「──ここはライゼリア」

 同じタイミングで声が二つ重なって、微妙な空気が流れた。目を点にしたアリシアと、光の粒子が輪郭を形作って目の前に突然現れた、幼い子供の不満そうな顔。

「もうー! わざわざチュートリアルのために来てあげたっていうのに、なぁんで自力で思い出しちゃうかなぁ! 大事な第一声にかぶせてこないでよぉ」

 五、六歳に見える幼子が、明るい栗色の髪を揺らしてアリシアと同じ目線の高さにいる。純白のシンプルな衣装を纏った小さな体。その背後には白とピンクと紫がグラデーションになったような翼が見えていて、羽ばたいている様子はないのに体が宙に浮いていた。

 アリシアはぽかんと口を開けてあっけにとられ、自分の気付きが的外れではないとようやく確信する、

「えっ、えっ⁉ 嘘っ、ルーシィちゃん⁉ メチャクチャ可愛い!」

 ゲーム、『魔法も奇跡も貴女のために』の中では、ヒロインが奇跡の力を発揮する場面がある。その時に現れるのが、天の使いであるルーシィだ。グラフィック上での演出なので特にセリフなどはない。だが、ビジュアルの可愛さと、メインシナリオの最良結末を暗示する存在──いわゆる勝ち確エフェクト、という両方の意味でファンに愛されている。先日のコラボカフェでも、メイン以外でビジュアルが描き下ろされていた数少ないキャラクターの一人だ。

 可愛い、と形容されたのがまんざらでもなかったのか、ルーシィは小さく咳払いをして「ここはライゼリア。魔法と奇跡のある世界。あなたは元いた世界から、ここへやって来たのです」と、用意してきたと思われるセリフを頭から言い直した。アリシアは「でも……!」と信じられない様子でルーシィに問う。

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