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第74話


船長の声に瀕死の身体を引きずり海を見れば、広がる光景に目を見開いた。


「すごい……!」

「綺麗だな……」


感嘆の声が周囲から次々に溢れる。まるで海の中に宝石を撒いたような光景に、サイモンはさっきまでの気持ち悪さがどこかに飛んでいくのを感じた。

(これは……珊瑚の群生地か……?)

真っ赤に染まる珊瑚たち。その一つ一つが宝石のように鮮やかな色を持ち、海の中を揺蕩っている。海の中には世界中でたくさんの珊瑚があるという話だが、全体的に少し色褪せたものが多いという。サイモンも珊瑚は魔法道具や薬を作るときに使うのだが、こんなに鮮やかなものを見たのは、長い人生の中でも初めてだった。


「すごいですね、サイモンさん!」

「ああ、こりゃ驚いた。ほとんど手もつけられていないんじゃないか?」

「そりゃあ当然だろ」


サイモンの言葉に、話を聞いていた船長が告げる。

船長は長いひげをさすりながら、サイモンたちのところへとやってきた。


「この辺りは昔から漁を禁止されているところなんだ。何つっても――ここで漁をしたやつは呪われるっつー話があるからなァ」

「……シマリスの人たちはオカルトが好きなのか?」

「そうじゃねぇが、そういう話はよく集まるぞ」


「なんせ水場の近くだからなァ」と豪快に笑う船長。その言葉にアリアが小さく悲鳴を上げて、身を隠すようにサイモンの身体の向こうへ隠れた。アリアの反応を見て、船長が楽し気に笑い声を上げる。「それくらいにしてやってくれ」とサイモンが苦笑いを零せば、アリアが救世主でも見るような目でサイモンを見上げた。

――幽霊船といい、ゾンビといい。シマリスの港に来てからオカルトチックな話ばかりを耳にしている。おかげでアリアの精神は何度もピンチになっているのだ。少しくらい、助け舟を出さないといつか愛想を尽かされそうだ。


「アリアが水場に近づけなくなったら、船長のせいだな」

「そう言うんじゃねェよ。ただの昔からの言い伝えみてェなもんなんだからよォ」

「そうなのか? でもなぁ……決めるのはアリアだし……」


ちら、とアリアを見る。ハッとしたアリアが「そ、そうですよ!」と答える。マントを握る手が震えているのは、見て見ぬふりをしておこう。

追撃するように「後で旨い魚でも食えりゃ、忘れるかもなぁ」と呟けば、船長の顔が悔しそうに歪んだ。


「兄ちゃん、随分交渉上手になったじゃねェか」

「そうか? ありがとう」

「褒めてねェよ」


ガハハハ、と笑う船長にサイモンは息を吐く。まったく、若者をからかうのも大概にして欲しい。

サイモンと船長のやり取りを聞いていたアリアは、近くにいたグレアに引っ付いて恨みがましそうに船長を見ている。彼がわざと怖がらせるようなことを言ったのを、アリアも察したのだろう。

(船長、嫌われていないといいな)

知ったことじゃないけど。


「それで? その〝呪い〟ってのはどんなやつなんだ?」

「んん? あー、別に珍しい話でもないぞ。この辺りで漁をした船は無事に帰れないって話。まァ、俺も親父から聞いた話でな。詳しくは知らねェんだ」

「そうなのか」


サイモンは船長の言葉に頷く。もしかしたら呪いの話が海の神の入り口に関係するのではと思ったが、どうやらそういうわけじゃないらしい。

再び海の中を見る。海底には赤い珊瑚が一面に広がっており、波に揺られて水面が輝いている。まるで東の国で見た赤い花畑のようだ。まあ、あっちは死者を弔うのに使う花のようだが。


「カイリ。海の神の神殿への入り口はここで合っているのか?」

「せやで~。俺らの船はあの岩にぶつかって凍らされたんや。間違いない」

「そうか」


カイリが指さす先には、大きな岩があった。海底から覗いている岩は、確かにぶつかったらひとたまりもない見た目をしている。

(でかいな)

それに、波風で削られて所々鋭利になっている。下手に触れたりしたら岩肌で怪我をしてまうだろう。


「って言っても、あの辺にはあらへんと思うで。俺、見たことあらへんし」

「? 海の神の神域に入ったんじゃないのか?」

「? せやで? でも、ここに長年おって入り口みたいなんは一回も見たことないで。せやからここが神域なんかと……」


――どういうことだ?

サイモンはカイリの主張に首を傾げる。てっきり海の神の神殿に入ったから怒りを食ったのだとばかり思っていたが、サイモンが見た限り、庇護下ではあるが海の神の神域ではない。

(お気に入りの場所に入られたから? カイリ達は怒りを買ったのだろうか)

……彼女ならやり得るから恐ろしい。でも、そういう理屈が通用しないのが神様というものだ。


「ほな、どうやって見つけるかやけど……入り口の目印とかってないん?」

「目印?」

「せやってこのままむやみやたらに探しても、見つからへんかもしらんやん。目印とかわかってるんかなーって」


カイリの言葉に、サイモンは「ああ」と声を上げる。


「明確な目印はないが、五百年前は亀が案内人をしていた」

「「「亀?」」」


サイモンは頷く。

六百と数十年前。とある町で騙され、スクルードと共に身ぐるみ剝がされた挙句、島流しに遭った時があった。大破した小舟を前にスクルードとこれからどうするかという話をしている中、一人の少女が話しかけてきたのだ。なんでも、『友達がいじめられている』と。


「駆け付けたら、ウミガメを虐めている巨大海ガニとモリゴリがいたんだ」

「「「……はぁ」」」

「信じていないだろう、君たち」


全力で訝し気な顔をする二人。その横では宝箱を背に背負った、狼姿のグレアが呆れた顔をしていた。そんな目で見ないでくれ。

しかし、理解できないのもわかる。実際その光景を見たサイモン達だって一瞬何が起きているのかわからなかったくらいなのだ。とりあえず助けるかと、スクルードと共に巨大海ガニとモリゴリを追い払ったのだ。


「それで、亀に……?」

「ああ」

「出来すぎやない? その話」

「だろうな。そもそも、最初に声をかけてきたのが海の神本人だったんだから」

「「えっ」」


――そう。サイモン達に話しかけてきた少女は、海の神本人だったのだ。

彼女曰く、「漂流してきたからどんな奴か試したかった」らしく、サイモンたちはその罠にまんまと嵌められてしまったのだ。


「というわけで、それ以外の行き方はよく知らないんだ」

「な、なるほど……」

「で、でも、海の神って気難しいんじゃ……」

「ああ。最初は大変だったが、懐いてからはそうでもなかったぞ」


なんてことのないように話すサイモンに、アリアとカイリの頬が引き攣る。「懐くって……仮にも神様なのに……」と呟いているが、本当のことなんだから仕方がない。

(むしろ、帰りの方が……)

いや。それは言わなくても大丈夫だろう。


「ほな、この辺を一周でもする? 風もあらへんし、距離もそないあらへん。どうにかなるやろ」

「なっ、!?」


――何を言い出すんだ、こいつは!

サイモンはバッと勢いよくカイリの方を見る。「ちょ、ちょっと待て!」と声を上げれば、船長の方へと移動しかけていたカイリが足を止める。いや、浮いているから足を止めたというよりは、動きを止めたって感じだが。


「なんやねん? まーさかこの期に及んで船酔いが嫌やとか言い出すんちゃうやろなぁ~?」

「いや、全然。そういうことじゃない。そういうことじゃない、んだが」

「声震えとるでー」


うるさい。こっちの気も知らないで悪魔のような提案をしてきているのはそっちだろう。

サイモンは恨みがましそうに彼を見上げる。カイリは玩具でも見つけたようにニヨニヨとしながら、サイモンの腕を突いた。


「ええ~? そないデリケートだったん~?」

「そのノリやめろ」

「ええやん。俺、幽霊やから酔わへんし」


「まあ、そもそも生きてた頃も酔わんかったけど」と笑うカイリに、サイモンは思い切り眉を寄せた。本当、人のことを揶揄うのが好きな奴だな。

とはいえ、カイリの言葉はサイモンにとっては図星だった。

正直、海面に揺られている今でもかなりギリギリなのに、船酔いに耐えながら海の中を探るなんてできる気がしない。だからと言って、他の方法がそう簡単に思いつくわけでもない。サイモンが唸っていれば、カイリが肩を組んでくる。もちろん触れられないので重さは感じないが、首元がやけに涼しい。


「もうしゃーないんちゃうのぉ? 腹括ろうや~」

「括れるもんなら先に括ってる」

「あっはっはっは! せやったか!」


「すまんすまん」と笑いながら謝るカイリに、サイモンはため息を吐く。相変わらず掴めない性格だ。

(でもまあ……このままってのはよくないしな)

ここに錨を下してから、かなりの時間が経っている。これ以上船長たちを不安にさせるわけにもいかないし、何より海の天気は変わりやすい。遅れを取って無駄足になるのも困る。

もやもやと込み上げてくる苛立ちに、サイモンは細く唸り出す。吐き気も相まってか、思考がしっかりと働かない。頭がパンクしそうだ。


「ああくそ! もういい!」

「はっ!?」

「ちょ、サイモンさん!?」


サイモンは荒々しく立ち上がると、海に向かって仁王立ちになった。何だ何だと集まってくる人々を横目に、赤い海を見つめる。綺麗な珊瑚の群生地にやるにはとても気が引けるが、思いついたのはこれしかない。

(うっ、気持ち悪い……)

ゆらゆらと揺れる船に「うっぷ」とえづきながら、サイモンは静かに剣を引き抜いた。剣を海へと向ける。


「サイモンさん!? 何するつもりなんですか!?」

「海を割る」

「「えっ!?」」


「どういうことですか!?」と叫ぶアリア。説明したいのは山々だが、限界も近い状態でまともな説明をできる気がしない。サイモンは気持ち悪さを飲み込みつつ、剣先に意識を集中させる。

握った剣の銀色の刃が青く染まっていく。刀身がゆっくりと伸びていき、通常時の三倍を優に超えていく。突然姿を現した巨大な剣に周囲がどよめいた。


「な、なんやこれ!?」

「わ、私も初めて見ました……!」

「アリア、カイリ。危ないから下がってろ」


サイモンが声を上げる二人に告げると、二人は素直に距離を取った。

ざわつく周囲を他所に、剣を握り直す。サイモンが大きく息を吸い込むと、周囲に冷気が漂い始めた。パキパキと甲高い音が弾ける。サイモンを中心に氷の粒が舞い、それは徐々に勢いを増していく。


「切り裂け――“カタギーァ・パゴス”!(氷の嵐)」


勢いを置いた氷の粒が一体となって青く輝く刀身の周りに渦を巻く。まるで雹の嵐を見ているかのような光景に、船員の驚きの声が上がった。

雹の嵐は次第に大きくなっていき、サイモンは剣をゆっくりと掲げた。剣を振り下ろすと同時に、海が切り裂かれた。


「「「!!?」」」


サイモンの手元から、まっすぐ一本道が出来上がる。その光景に周囲の人間は息を飲み、信じられない光景に目を見開いた。凍った波が日に照らされ、キラキラと輝く。舞い上がった水が氷の粒になってサイモンたちの頭上から降り注いだ。

キン、と剣が鞘に納められる音が響く。「よし」と呟いて、サイモンは振り返った。


「アリア、グレア! 珊瑚が死ぬ前に入り口を探しに行くぞ」

「ふぇっ!? あ、は、はい!」

「グルル」


凍り付いた道を下りていくサイモン。唖然としていたアリアが弾かれたように駆け出し、グレアもその背中を追いかける。その後ろをハッとしたカイリが遅れて追いかけるが、その光景を見ていた船員たちはとんでもない光景に開いた口が塞がらないでいた。幽霊(カイリ)を見た時も驚いたが、今のは衝撃が強すぎる。


「……すごい奴らですね、船長」

「……ああ」


そんな船長たちの声を後ろに、サイモンたちは足早に海の上を歩きだした。



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