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第73話


――懐かしい。

塩の匂い。穏やかに吹く海風。照りつける太陽。賑やかな声。

何十年、何百年も前から懇願していたその光景。それをまた肌で感じることができるなんて、予想もしていなかった。


「おう。久しぶりの海はどうだ?」

「お。おっさんやん。どないしたん?」

「ちょっと様子を見に来ただけだ。それと、俺の事は船長って呼んでくれていいんだぜ?」


ふさふさの髭を蓄え、笑みを浮かべるおっさん――否、船長と呼ばれている彼は、サイモンが連れて来た男の一人だった。


――カイリが最後に海の神の神域を見たのは、海の上だった。

そのため、サイモンたちを案内するためには船と自分が動ける環境が必須だったのだ。もちろん、カイリの乗っていた幽霊船は動かすことは出来ない。それを知ったサイモンは「なるほど。じゃあちょっと待ってろ」と船を後にしたのだ。カイリとしては、小さな船を一隻持ってくるもんだと思っていたのだが――自分たちよりも一回り大きな船で帰って来た時は、予想外の事に顎が外れるかと思った。

さらにそれが他の海賊の船だと聞いて、カイリはサイモンの顔を見上げてしまった。サイモン曰く「海に詳しい奴がいた方がいいだろ」ということらしい。

(ホンマに何するかわからへんな、あの人は)


「いやァ、やっぱり海はいいなァ! なァ、若造」

「そっすねー」

「俺たちもまさかこんなにも早く海に出ることが出来るとは、アイツにゃ感謝ねェとなァ」

「いやぁ、ほんまですわ」


船長の言葉に、カイリは少し前の事を思い出す。

(まさか依り代を持ち歩けば、動けるとは思わへんかったわ)

船から降りる際、依り代から長く離れられないカイリに、サイモンは何の躊躇いもなく宝箱を取りに向かった。宝箱を担いで出て来たサイモンは「これで動けるんじゃないか?」と言う。彼の言葉通り、その後カイリは無事船から降りることが出来たのだ。

その時の感動と言ったら、初めて船に乗った時と同じくらいの衝撃だったと思う。

(俺じゃあ無機物に触れられへんかったから、気づかんかったなぁ)

ちなみに、宝箱はアリアの安全にもつながるとのことで、サイモンの保護魔法をかけた上、獣化したグレアの背中に運ばれているらしい。グレアはハイイロオオカミ族らしく、五感が鋭いので普通に置いてあるより安心なんだとか。

(結構いろんなとこを旅してきたけど、案外知らへんこともたくさんあるんやなぁ)

そう思うと、自分もまだまだ旅していたかったな、と思ってしまう。もう一生できないことはわかっているのに、馬鹿な願いだ。


「それよりお前さん、よくこの船に乗ろうと思ったなァ」

「? どういうことや?」

「普通、他所の船長の下で海に出るのは嫌だろ」


「サイモンも酷なことをするよなァ」とおっさんは蓄えた髭を撫でながら呟く。

(ああ、そういうことか)


「俺の船はもう何年も前に終わっとんねん。そりゃァ、センパイらを裏切るんは嫌やけど、出来へんもんはしゃーないやろ。それより、誰かについて行く形でもええから、俺らの船旅を終わらせた海の神にビシッと一言くらい言ってやりたいんすわ」

「ハハハハ! いいじゃねェか! その心意気、気に入ったぜ。お前なら幽霊でもうちの船に歓迎するぞ」

「ホンマですか? いやぁ、センパイらに羨ましがられてまうなぁ!」


あははは、と声を上げて笑う。

(ホンマ、嬉しいなぁ)

カイリは遠くを見つめる。静かな視線は、まるでこの世とはちょっとズレた世界を見ているようだ。


「……でもやっぱ、俺はセンパイらと一緒に旅したいんで。アンタには申し訳ないけど、やめとくわ」

「そうか。いやぁー、ハハハ! ますます欲しくなるなァ!」

「あははは、ジョーダンはその辺にしとかんと、周りの目に俺が串刺しにされてまうわ」


豪快に笑うおっさんに、カイリは小さく笑う。カイリの背中には、他の船員からの視線が突き刺さっていた。船長が自ら勧誘している上、それを断っている奴なんて現船員からしたら面白くないだろう。

(ええわ、もう。さっさと話変えたろ)


「そういや兄ちゃん達、どこ行ったん?」

「サイモン達のことか? あいつなら船酔いでそこに倒れてんぞ」

「えっ?」


予想もしていなかった言葉に、カイリは勢いよく振り返る。

おっさんの指した方にはグロッキーになったサイモンが、船の縁に捕まってぐったりとしな垂れていた。その近くでは、アリアと獣化したグレアが心配そうに顔を覗き込んでいる。

(……なんやあれ)

さっきまであんなにかっこ良かったのに、その片鱗も今じゃ一切見えない。

えづくサイモンの姿を見たおっさんが「恰好つかねェなァ」と呟いた。その言葉にカイリも内心同意する。苦手そうな雰囲気なんてなかったのに。


「俺もちょい様子見てきますわー」

「おう。何か必要なものがあったら船員に言ってくれ。大抵のものはあると思うぞ」

「ほんま? おおきに~」


おっさんに手を軽く振って、カイリはサイモンたちの方へと向かう。ふよふよと浮いていくカイリは、幽霊というに相応しい移動の仕方をしていた。

サイモンの近くに寄ればなんともいえない惨状が広がっている。サイモンは情けない顔でぐったりとしているし、背中を摩っているアリアは酔いに当てられたのか、少し顔色が悪くなっている。グレアに至ってはさっきよりも距離をとって二人の様子を窺い見ている。まるで酔っ払いを介護しているようで、カイリはつい笑ってしまいそうになった。


「おーい。兄ちゃーん、大丈夫かー?」

「う……だ、大丈夫……」

「ウンウン。大丈夫じゃない時の反応の仕方やなぁ〜」


グロッキーになっている手を空中で背中を摩るように動かす。触れられるわけじゃないから意味があるのかはわからないが、何もしないよりはマシだろう。

(船苦手なのに、何してんやろこの人……)

世界の異変を起こしている海の神をどうにかしたいという話だったが、そもそもなんでこの人がそんなことをしなければならないのか、カイリは知らない。体調を崩してまでする必要があるのか。それともそれをすることで自分の中の何かを満たそうとしているのか。

(俺にはわからへんな)


「カイリ……」

「なんやぁ、兄さん。喋らんと自分の体調を気にし……」

「あー……ひさしぶりの海は、どうだ?」

「!」


サイモンの言葉に、カイリは驚きに目を見開いた。

(……なんで、あんたがそないなこと気にしてんねん)

海の神にも、街の異変にも関係のないことなのに。

真っ青な顔で無理矢理微笑むサイモンは、まるでこちらを案じているようで、その視線にカイリは居心地が悪くなってしまう。


「……めっちゃ気持ちええで。ありがとな、兄さん」

「はは、そうか……それはよかったな」


にっとぎこちなく笑みを浮かべる彼に、カイリは目を伏せる。……自分は、そんな顔を向けられるような人間ではない。


――アリアに呪いをかけたのは、カイリ本人だ。

自分にそういう力があると気づいたのは最近のこと。カイリの乗っていた船が港に着いて、荷物が出された時に自分の依代である箱が倉庫に投げ込まれた時だ。苛立ちに軽く人を呪ってしまったことがある。自分に人を呪う力があったこと、人の力を可視化できることに初めて気がついたのだ。

しかし、呪いの力はそう大きいものではなく、船にやってきた人間にちょっとした不幸を招くことくらい。転ぶように仕掛けたり、急に階段が崩れ落ちるようにしてみたり。なんか色々怒ってる人たちもいたが、先に不法侵入をしているのはそっちなのだから当然の報いだろう。……気づいたセンパイたちにはものすごく怒られたが、後悔はしていない。


そんなことをしていれば、知らぬ間にカイリたちの船は『幽霊船』なんて言われてたらしい。まあ、こっちとしては不法侵入者がいなくなったことにほっとしていたくらいだけど。だから、サイモンたちが来た時は心底驚いた。

(この人ら、なんちゅーオーラしてんねん……!)

一人一人が今まできた人間よりも一回り、二回りも大きなオーラを放っている。特に先頭を歩く人は、例え天地がひっくり返っても勝てないだろう。白い髪にちょっと年増の顔つきで、眠そうな目をした男のオーラは、常に変幻自在に蠢いている。


(ついに、俺たちを退治しにきたんやろか)

そうとしか思えない。警戒心が込み上げる。幽霊であることを盾にしても、自分が勝てるビジョンが浮かばない。

センパイらもそれに気づいていたのだろう。話せない代わりにサイモンたちが帰るまでカイリの前に立ち、必死に首を振っていた。「絶対にちょっかいを出すなよ!?」という声が聞こえてきそうな状況に、いつもなら悪戯心がくすぐられるところだが、今回ばかりはカイリ自身も動こうとは思えなかった。

どんな非道なことをするのかと息を飲むカイリたち。しかし、予想と反してサイモンたちは何もせず、静かに船を降りていった。遠のいていく後ろ姿に、カイリは何が起きたのか一瞬わからなかったくらいだ。

(……あいつら、何もせんと帰ったか?)

今までの奴らは調査と称して何かしら壊したり、持ち出して行った。特に、港に着いた時に入ってきた男たちは最悪だった。ドアを壊し、物を床に叩きつけ、依代にしていたセンパイらはいなくなってしまった。そのくせ、痕跡を消すように動くのだから、腹が立って仕方がなかった。

だが、彼らは何もしなかった。身勝手にものを持っていくこともしなかった。一人だけいた嬢ちゃんは怯えていたけど、それだけだ。

(この人らなら、この地獄から俺らを救ってくれるかもしれへん)

話せない。触れられない。海に出ることもできない。破壊されることを待っているだけの状況は、心臓が握り潰されるような感覚だった。それを地獄と言わずになんと言えばいいのか。そんな待っているだけの状況から、彼らは救い出してくれるのではないか。……そんな思いに駆られ、カイリは再びサイモンたちが来るのを待ち続けた。まあ、本当に来るとは思ってなかったけど。


アリアに呪いをかけたのは、ただの交渉材料だ。ただ「助けて」と声を上げたところで、気味悪がって助けてくれないと思ったから。

(だけど……余計なことしてしもうたかもなぁ……)

グロッキーなサイモンの顔を見つつ、カイリは自分のやったことを少しばかり悔いていた。そんなことをしなくても、彼らなら助けてくれたかもしれないのに。


「俺は、最低な奴やな……」

「? 何か言ったか、カイリ」

「んーや。なんでもあらへん」


首を傾げるサイモンに、カイリは首を振る。心配そうな顔をしているが、どちらかといえば心配されるのはそっちだ。

「ええから、兄さんは酔い止め薬でも飲みな」と告げる。話をしている最中に、アリアが船員から薬を受け取っているのが横目に見えたのだ。焦るアリアを宥めながらサイモンが酔い止めを飲んでいれば、おっさんの声が響いた。


「おーい、そろそろ目的地につくぞォ〜!」


波の音が大きく響き、緊張感が船の上に広がった。


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