アリアの提案に、サイモンとグレアは目を見開いた。
「い、いやいやいや!」
「なに言ってんだお前っ! さすがにあんな小さなとこ、はいれるわけ……!」
「うーん、でも、頭さえ入ればどうにかなると思います」
「ほら、この辺りを削れば」と壊れた扉の突き出た部分をアリアの指が差す。
入れないだろうと告げたグレアがその主張に言葉を詰まらせた。
「これくらいならたぶん船への負荷もないですし、周りが崩れることもないと思います」
「それは、そうだが……」
(一人で行くということは、一人になるってことだぞ!?)
幽霊船で一人になりたいなんて、怖がりのアリアらしくない。
それに、中がどうなっているかわからないのだ。もしかしたらとんでもない惨状が拡がっているかもしれないし、本当に幽霊がいるかもしれない。何かあった時、サイモンたちは助けに入れないのだ。
(今日だって襲われたばかりなのに……)
駄目だ。やっぱり駄目だ。
「とにかく、アリアには悪いが他の方法を探して――」
「サイモンさん、私は大丈夫です」
「とは言ってもな……」
アリアの声に、サイモンは後頭部を掻く。しかし、向けられる視線の熱量にサイモンは眉を寄せた。
肩を掴んでいたサイモンの手をアリアが握り返す。彼女の大きな瞳に、自分の焦った顔が映っているのが見える。こんな顔をしているのか、自分は。
「大丈夫ですよ、私は強いですから。って、さっき負けちゃった私が言うのもなんですけど。これくらいなら一人でもできます」
「それは……」
「いつまでもみんなにおんぶに抱っこじゃ嫌なんです。私だってみなさんの役に立ちたいので!」
真っすぐ見つめて来るアリア。むんっと意気込むアリアに、サイモンは目を見開いた。まさかアリアがそんなことを考えていたとは。
(彼女を一番侮っていたのは、自分なのかもしれないな)
アリアは小さいし、まだまだ幼い。孤児院に居た時からの印象が強いからか、ずっと守るべき存在としてサイモンは認識してしまっている。けれど、彼女もいろいろと考えているのだろう。
弟子が信じられなくて、何か師だ。
「……わかった。ただし、危ないと思ったらすぐに逃げること。それだけは約束してくれ」
「はい!」
「あ、あと、もし敵がいたら船が崩れても構わないから反撃するんだぞ。攻撃の対義語は迎撃だからな」
「?? はい!」
「いや、攻撃の反対は守りだろ」
五月蠅いぞ、グレア。細かいことは気にするもんじゃない。
サイモンは元気に頷くアリアの頭を撫でると、扉に向き合った。まずはアリアが入れるように、怪我をしないように、この隙間を広げる必要がある。
(風で削るか、火で焼き落とすか)
剣で切り落としてもいいかもしれない。一瞬だったら船ももってくれるだろう、たぶん。
振り返れば、グレアが不安そうな顔で立っていた。
「どうした?」
「いや、俺にやらせてくれ。細かい作業は俺の方が得意だ」
「お、おう」
真剣な顔をして言う彼に、サイモンは場所を譲る。グレアは歪んだ扉をみると、腰を下ろし、自分の鞄の中から道具を取り出し始める。その背中を見つめながら、サイモンはふと、グレアの言葉の理由を理解した。
「もしかして俺、信用されてない?」
「サイモンさん、変なところで大雑把なので……グレアさんに代わってくれてよかったです」
「!?」
アリアの言葉にサイモンは振り返る。なんだそれ、聞き捨てならない。
「ンンッ。あー、俺も魔力で像を作ったり、剣でデカい木彫りくらいできるぞ?」
「うーん……そういうことじゃないんですよね。ていうか両方とも大きいものじゃないですか」
「う゛っ」
アリアの呆れた顔に、サイモンは唸る。それを言われると反撃に出づらい。
それでも何となく腑に落ちなくて、そわそわとグレアの手元を見ていれば、二人から「大人しく座っててください」と言われてしまった。鬱陶しそうな視線と共に投げられた言葉に、サイモンはがっくりと肩を落とし、墨に腰を下ろす。
(くっ……年長者への敬意が足りないぞ、二人とも)
恨みがましそうに二人を見るサイモン。その視線に二人が苦笑いしていることなど、サイモンは気づいていなかった。
「それじゃあ、行ってきますね」
「ああ、気を付けて行くんだぞ」
グレアの作業が終わり、綺麗に開けられた隙間からいよいよ中へと踏み込むことになった。
ハラハラとしているサイモンに苦笑いを浮かべながら、アリアは開けられた隙間を覗き込む。頭は問題なく入りそうだ。アリアは意を決して、隙間に頭を突っ込んだ。グレアが多少隙間を大きくしてくれたおかげで肩もすんなり入る。
ぐっと扉を押せば、足が浮く。そのまま重心を前に寄せれば、中に滑り込むように体がするりと落ちていった。
「きゃっ!」
「大丈夫か! アリア!」
「だ、大丈夫です!」
勢いよく滑り込んだからか、受け身を取るのが少し遅れてしまった。怪我がないかを確かめ、服に付いた埃を払う。
(すごく、湿っぽい)
アリアは室内を見回す。今までの部屋とはちょっと違うそこは、元々物置だったのだろう。隙間から覗いた時よりもより多くの物があるのがわかる。ただ、船が横転してしまったのだろうか。部屋の片隅に乱雑に荷物が積み上がっている。逆さまになっているものも多く、一つ手を付けたら全部雪崩れてきそうだ。
「アリア! 中はどうなってる!?」
「あっ、えっと、倉庫だったみたいで、荷物が多いです! ただ、確認するには時間が掛かりそうで……」
「そうか」
「なにか変なものは?」とサイモンの問いかけが聞こえる。アリアはもう一度周囲を見回して、「特にないです」と答えた。サイモンが小さく息を吐くのが聞こえる。その声に、アリアは肩を落とした。
(せっかくみんなの助けになれると思ったのにな……)
幽霊に怖がった上、周りの人にもたくさん気を使わせてしまった。
(それに、ミツキさんにも……)
部屋に不審者が出たとき、真っ先に庇ってくれた彼女を思い出し、アリアは俯く。突然現れたとはいえ、気配を察知したタイミングは二人同じだったはず。それなのに私は身体が動かなかった。一瞬本当におばけが出たのかと勘違いしたからだ。
怖いものがあるのは仕方ないけど、だからって委縮してしまっていたのは良くない。
(私がもっと強ければ……怖いものなんてなければ、ミツキさんを守れたのかもしれないのに……)
カタン。
「?」
ふと、聞こえた物音にアリアは顔を上げる。サイモンたちが何かをしているのかと思い、声をかけてみたが、何もしている様子はなかった。再び響く、小さな物音。それは確かにアリアの耳に届いた。
(もしかして、本当に……)
アリアは頭を過る想像に、血の気が引いていくのを感じる。だめだ。足が震える。怖い。今すぐにでも逃げ出したい。身が竦みそうになり、咄嗟に自分の服を掴む。二歩、三歩とたたらを踏む。歯が恐怖でカチカチと音を立てる。
(だ、だめ)
委縮しちゃいけない。
――怖い。
また同じことを繰り返したくない。
――逃げたい。
だめだ。ここで負けたら私は――!
「っ、!」
息を飲んで、剣を引き抜く。震える剣先を止めるように両手で構えた。
(く、来るならこい……っ!)
自分はあのサイモンの一番弟子で、剣の腕もそこらの人たちには負けないくらいに強い自負がある。それに、この件はグレアが作ってくれた、自分の特注品だ。例え相手が幽霊でも、負けるわけがない。
大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。剣先の震えは止まらないが、少しだけ緊張が解れたような気がする。
再び周囲を見回し、音の発生源を探る。カタン、と響く音にアリアは目敏く振り返った。
「……たからばこ?」
アリアは小さく呟く。アリアの大きな瞳に映っているのは、一つの宝箱だった。
(綺麗……磨かれた後みたい)
劣化した様子もなく、汚れ一つ見当たらないそれ。じっと見つめていれば、カタリと箱が動いた。
「ヒッ!」
(な、ななななんで箱がっ、う、うごいて……!)
意味が解らない。箱が動くなんて、そんなことあり得るわけがないのに。
(でも、もしかしたらこれがサイモンさんの探してたものだったり……)
もしそうなら、見て見ぬ振りは出来ない。アリアはごくりと生唾を飲み込む。全身に鳥肌が立ち、今にも逃げたいと本能が叫ぶ。アリアはそれを全て捻じ伏せて、静かに歩み寄った。
一歩、二歩……。
「っ、こ、これ以上はむり……っ」
剣が辛うじて届く距離で、アリアはその場にしゃがみ込んだ。怖い。足が震える。これ以上近づくのは自分の心が許せない。
(やっぱり私は何も出来ないのかな……)
浮かぶ涙で視界が歪む。こんな小さな箱を怖がっている自分が情けなくて、アリアは涙目で宝箱を睨みつける。
「もぉおっ、何か出るなら早く出てくださいよぉ……っ」
いっそのこと、一気に物事が起きた方が怖くないとさえ思えて来る。じわじわと忍び寄って来る恐怖に、もう泣きそうだ。
八つ当たりのように剣先で宝箱を小突けば、こつりと音を立てる。――瞬間、宝箱についていた枷が外れた。
「へ」
箱の蓋が開く。瞬く間に広がる光りと聞こえる声に、アリアは目を見開いた。
(うそ――――!?)
「ありがとな! 嬢ちゃん!」
ニッと笑う青年に、アリアは今世紀最大の悲鳴を轟かせた。