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第68話


途端、弾けるシリンダーの頭と小さな破片に、マスターが悲鳴にもならない声を上げた。


「お、おま――っ、!!」


マスターの顔が真っ青になる。つい昨日船長に『割るなよ』と釘を刺されたばかりなのに、不注意でもなく、むしろ意図的に割ったサイモンにマスターは言葉が出なかったのだろう。パクパクと口が開閉するのを目にしながら、サイモンはただ冷静に割ったクスリを見つめる。


シリンダーを逆さにし、小皿に中身を出す。

とろりと流れ出て来るのは、緑色の液体。しかし、その色はシリンダーに入っていた時よりも薄く、まるで野草を絞って作ったお茶のような見た目をしていた。指を差し入れ、匂いを嗅ぎ、液体をぺろりと舐める。サイモンの突飛でもない行動に、マスターの悲鳴が響いたが、聞こえなかったことにしよう。

(やっぱり、中身はただの回復薬だ)

しかも下級の、一番弱い種類のもの。以前は祝福があったこともあり、需要の低い薬。

だが、比較的安価で作るのも簡単なそれは、子供の小遣い稼ぎには丁度いいのだとか。サイモンも一人で旅をしていた時は、時々道端で回復薬を売る少年少女から買ったことが多々ある。怪我をしていなくても、単に疲れを取るためにでも飲めるのがこの薬の利点だ。その時の物とこれは、同じ味がする。

(作ったのは普通の薬師か、それとも子供たちのを買い占めたか……)

街に普及させるには、一人の薬師では難しいだろう。施設ごと買い取った可能性も高い。


「お、おいお前っ、今舐め……っ!」

「? ああ。普通の回復薬だ。飲んだところで毒もないぞ?」

「そ、そんなの信じられるか! 大体、貴重なものを勝手に壊すなんて……! アイツ以上の馬鹿がいるとは思わなかった!」


アイツとは、きっと船長の事なのだろう。

サイモンは何となくそう察し、同時にあまりにも悲壮感溢れるマスターの様子に、少しだけ罪悪感を覚えた。一言相談してからでもよかったのだろうが……言ったところで許可はしてくれなかっただろう。強行したことは申し訳ないとは思うが、後悔はしていない。

寧ろ今の行動のお陰で、重要な情報を手に入れられたのだから褒めて欲しいくらいだ。そう目で訴えれば「褒めるとか絶対あり得ないからな!」と拒否されてしまった。どうして。


(でもこれで確実だ)


――クスリの中身に毒が仕込まれていたわけではなく、容器に洗脳の魔法がかけられていた。


(……クスリを売買している奴らの中に、闇魔法を使うことが出来る奴がいるな)

闇魔法は光と同じで、貴重な存在だ。扱える人間は限られている。トト辺りに聞けば、数人名前が上がるだろう。

(新興宗教団体の仕業ってことも考えられるが……騎士団の行動といい、ヤコブに憑りついた直後のこのタイミングといい、あまりにも出来過ぎているのが気になる)

単に祝福がなくなったことで、情報の規制が緩くなって盗まれた可能性も大いにあるが、それに気づかないほどヤコブはバカではない。となれば考え得るのはただ一つ――。

(それが出来るのは、内部の人間くらいだろうな)

ヤコブが信用していて、ヤコブの行動を把握し、接触が可能な人間――騎士団副団長、ラード。だが、ただの騎士団副団長が思いつく手法だとは思えない。恐らく、彼にも協力者がいるのだろう。

そしてそいつは――魔法省に所属している可能性が高い。


(ともかく、まずはこの容器をトトに預けて、解除方法を聞き出さないと)

クスリに仕掛けがないのなら、ただ洗脳されているだけの可能性が高い。つまり、洗脳を解けさえすれば街の人たちを救うことが出来るだろう。

(もし解除方法を知らなくても、アイツならきっとどうにかしてくれる)

そういうの調べるの好きそうだし。

サイモンはシリンダーを机に置くと、回復薬に漬けた指先で魔法陣を描いた。マスターが引き攣った顔でサイモンを遠巻きに見ていたが、気にしない。


「〝フィシキ・ニキシン〟(届け物)」


サイモンの唱えた声に、魔法陣が光り輝く。広間を照らし、瞬く間に円の中心にあったシリンダーがなくなった。消えた容器にマスターが目を見開く。

(一緒に言伝も送ったし、まあどうにかなるだろう)

どうせどんな文言で送ったとしても、小言と一緒に帰ってくるんだ。あいつはそういう奴である。

サイモンはパンパンと両手を叩くと、回復薬を飲み干した。やはり何の悪意もない、ただの回復薬だ。体が少しだけ軽くなったような気さえする。マスターの頬が引き攣っているのは、見なかったことにしよう。

(さて。トトに物は送ったし、その間にクスリを流通させた犯人探しと……幽霊船の正体でも暴きに行くか)

クスリの仕組みはわかったのだ。大きな一歩を踏み出した時こそ、再び探せば何か別の物も動き出すかもしれない。サイモンの持論の一つだ。


席を立ち、アリアとグレアがいる方へと向かう。二人はサイモンのしていたことの一部始終を見ていたのか、顔が真っ青を通り越して真っ白に染まっていた。


「さ、ささささ、サイモンさ……」

「ぞ、ぞぞぞ、ゾンビ……」

「ならないから安心しろ」


ぺしっとそれぞれの頭を叩いて、サイモンは息を吐く。まさか二人ともそんな反応をするとは思ってもいなかった。

話を聞いていなかったのか、と思う反面、心配してくれるのは素直に嬉しい。

(しっかし、回復薬でこの反応じゃあ、この後幽霊船に行くって知ったらどんな反応するんだろうな)

ちょっと楽しみな気もしてくる。


「さ、サイモンさん」

「何だ?」

「も、ももも、もしゾンビになってもっ、わ、私が絶対に治してあげますから! だから大丈夫ですよ!」

「……本当に話聞いてなかったのか?」


顔を真っ青にするアリアに、サイモンはもう一度クスリの正体について話をした。クスリを飲んだ時の反応からしてグレアも聞いていなかったかもしれないので、一緒に巻き込んで、二人が納得するまで説明を続ける。

何度目かの説明に、やっと状況を理解できたらしいアリアが「じゃあサイモンさんは大丈夫なんですね!」と笑みを浮かべる。ほっとした安堵の微笑みに、こっちが悪いことをしている気分になった。

ぐったりとするサイモンの肩をマスターが叩く。……なんでアンタが寄り添う側なんだ。普通逆だろ。


マスターの提案で昼食を摂ったサイモンたちは、今後の事について話をしていた。


「クスリの正体――洗脳については今、トトに確認を取っている。とはいえ、時間はかかるだろう」

「? さっき容器が消えたのがそれか?」

「ああ」

「サイモンさんってなんでもできるんですね……」

「何でもってわけじゃないぞ」


出来ないことだって多い。

俯くアリアの頭を撫でて、サイモンは話を続ける。


「で、その間の時間なんだが――もう一度幽霊船に向かおうと思ってる」


「「えっ」」


愕然とする二人に、サイモンはにこりと笑みを浮かべた。

再び訪れた幽霊船を前に、サイモンは仁王立つ。後ろでアリアがサイモンの服を掴んで震え、グレアが漂うにおいに眉を寄せる。

(昨日とほとんど変わらないな)

潮の香りが強く鼻を突く。波の音が聞こえ、傾き始めた太陽が水面を幻想的に映している。

サイモンは先日と同じように浮遊魔法をかけると、アリアとグレアと共に船の上に降り立った。幽霊船の中に向かうサイモンに、グレアとアリアが足踏みをする。その様子にため息を吐いた。


「二人とも、無理に来なくてもいいんだぞ?」

「い、いえっ!」

「い、行くって言ってんだろ!

「そうか……」


(なんでこんなに強情なんだ)

首を振る若衆二人に、サイモンは首を傾げる。何か考えがあるのかもしれないが、そうも怯えられているとこの先に進むのもなんだか躊躇ってしまう。

サイモンは後ろを出来るだけ気にしないようにしながら、船内への扉を潜った。

中は特に変わったところはない。相変わらず幽霊船にしては綺麗だし、物も少なく、人がいる気配もない。

(そういえば、この幽霊船にゾンビは来ないんだな)

否、来れなかったのかもしれない。元々険しい岩で足場はあってなかったようなものだし、ここまで来れても昇るのは難しいだろう。

(船の横っ腹に穴でも開いてれば、話は別だろうけどな)

そうなったら大惨事確定なので、出来ればないことを祈ろう。


「さ、サイモンさん、やっぱりなにもないですって……!」

「臭いも変わってねーよ。つーか、ほんと嫌な臭いだな。気持ちわりー……」


二人がそれぞれ顔を顰めながら言う。サイモンも、さすがに昨日の今日で変わるとは思っていない。

だが、クスリのことで思いついたことがある。今回はそれを試してみたいと思ったのだ。


「〝エキティミニシィ〟(鑑定)」


サイモンは鑑定魔法を船全体にかけると、周囲を見回した。

船内にある全ての情報がサイモンの目に映る。サイズ、重さ、材木の種類、使われた年数、用途、作った人物……ありとあらゆるものがサイモンの目には透けて見えるのだ。――だからこそ、わかる。

(大切にされてたんだな)

サイモンは痛みの少ない壁を手で撫で、心の中で呟く。サイモンの目には、この船が多数の人間の愛情で包まれているように見えていたのだ。

そんな船がどうしてこんなことになっているのか、サイモンは疑問で仕方がなかった。

(クスリと関係があるかもと思って来たが……)


「サイモンさん? どうかしました?」

「ああ、いや。何でもない」


アリアの問いに、サイモンは意識を引き戻す。

(そうだ。今はこの幽霊船の正体を探る方が優先だ)

サイモンは首を振って再び周囲に視線を巡らせた。一階には何もなく、下に下りて行く。朽ちた足場に気を付けながら中に入れば、より暗さを増したことにアリアの顔が引き攣る。ミツキがいないから、代わりにグレアの腕が犠牲になっているらしい。

(他の奴を召喚しておいた方が良かったか……?)

サイモンはそう思ったが、未だ応答のない彼等に更なる心労をかけるわけにもいかないと召喚するのをやめた。


サイモンたちはやがて以前来た場所まで来ていた。これ以上の先はなく、アリアとグレアが首を傾げる。やっぱりなんにもなかったじゃないかと言いたげな視線だが、サイモンは注意深く周囲を探っていた。

(この辺りのはず)

鑑定でより明確に引っかかる違和感が、サイモンの第六感を刺激する。まるで誰かに見られているかのような、誘われているかのような感覚に焦燥感にも似た気持ちが背中を這う。目で探しているだけじゃ埒が明かない。


「部屋、開けるぞ」

「えっ」

「大丈夫だから」


サイモンは近くの扉のノブに手をかけると、扉の周りの情報を確認し、扉を開けた。その瞬間、周囲が崩れ去る――なんてことはなく、張り付いた扉が鈍く抵抗しながら開いていく。

中は普通の船員の部屋の様で、二段ベッドが向かい合うように置かれていた。


「何か……思ってたより狭いですね」

「船の部屋なんてそんなもんだろ」

「そうなんですか?」

「一人一部屋なんて用意していたら、船がいくらデカくても足りないだろ」

「あっ、確かに」

「足を伸ばして寝られるだけまだマシな方だ」


横になれない船なんていうのも、たくさんある。サイモンは数百年前に乗った船の惨状を思いながら、ため息を吐いた。

(あの時は最早すし詰めだったな……)

スクルードと二人で旅を始めたばかりの頃。金がないサイモンたちは漁師の手伝いをする代わりに、乗せてもらったことがある。あの時は船酔いなんてしている場合じゃなかったし、ちょっとの身動きで人とぶつかるような劣悪な環境だったから、体調が悪くなっても何が原因なのかわからない状況だった。

(もう二度とあの経験はしたくないな)

サイモンは首を振って、室内を見回す。


近くの棚にはいくつかの本が立てかけられていた。経年劣化でくっ付いてしまっている本もいくつかあったが、まだ生きているものもある。サイモンはその中の一冊を手に取った。異国のものだった。しかし、サイモンには読める文字だった。

(航海術についての本か)

どうやらこの部屋には航海士が居たらしい。サイモンは流し読みをすると、本を戻す。他の本も似たようなものだった。振り返れば、二人は何故か室内を探索していた。ベッドの下を覗きこむアリアが「うーん」と唸る。……なにしてるんだ、こいつらは。


「なにしてるんだ?」

「いえ、サイモンさんが何かを探しているみたいだったので、お手伝い出来たらなと」

「……もう幽霊はいいのか?」

「その話はしないでください! せっかく忘れてたんですから!」


涙目になりながら振り返るアリアに、サイモンは「すまない」と反射的に謝った。再び探索に戻るアリア。……アリアも成長しようとしているのだろう。

(これが子供の成長を見守る親の気持ちか)

サイモンはじんわりと感じる温かさに、小さく頷いた。このまま幽霊を克服できればいいな、と父親のようなことを思いながら、サイモンも室内の探索に戻った。とはいえ、狭い部屋を三人で探索すればすぐに終わってしまう。


「特に何もなさそうですね」

「そうだな。次に行こう」


サイモンたちは部屋を出ると、次の部屋に戻った。それを繰り返すこと、八回。サイモンたちは最後の扉に直面していた。


「ここが最後ですね」

「ああ」

「つっても、壊れてるみてーだけど、大丈夫なのかよ」


歪んでしまっている扉にグレアが呟く。彼の言葉通り、この部屋はフロアで一番ひどい状況になっている場所だった。

壁にはどこかの柱が突き刺さり、扉はひしゃげ、本来の機能を失っている。歪んだ扉の隙間から覗き込めば、辛うじて中を見ることが出来るが、飛び散った木片が散乱しているくらいだ。

(ここは探索班も入れなかったところだって言っていたな)

だが、この先にも何かがあることは鑑定でわかっている。


「くそっ……情報量が多くて表記が被って見える」


目を細めながら、サイモンが呟く。どうにか中に入りたいのだが、ちょっと難しそうだ。


「魔法でこじ開けるか……いやでも、その衝撃で崩れる可能性も否定できないな」

「? 崩れないギリギリで出来ねーのかよ?」

「出来ない事はない……が、万が一を考えると手を出しにくいな」


サイモン一人ならやっているだろう。だが、ここにはアリアとグレアもいる。危ない橋を渡るわけにはいかない。

どうするべきか、と周囲の情報に思考を回していれば、サイモンの背を小さな手が叩いた。振り返れば、アリアがサイモンを見上げている。


「あの、私が入りましょうか?」

「……え?」


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