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第67話

目を覚ましたサイモンたちは、日が昇っているのを確認して、店から出た。シアンはここに残るらしい。

出かけにマスターに「今は宿を借りているらしいが、もしかしたら店主たちもすでに感染しているかもしれない。見た目はこんなだが、うちは何度もゾンビを押し退けてる。移るなら早めにしたほうがいい」と言われ、サイモンたちはその言葉に甘えることにした。扉や壁の補強など、対策をちゃんと自分たちの目で見ていたことも、決め手としては大きいかもしれない。

(そういえば、あの宿はそういうの一切してなかったな)

もしかしたら……もしかするかもしれない。

サイモンたちはあったかもしれない未来に身を震わせると、足早に宿に向かった。


帰った先で会った宿の奥さんは少し憔悴しているものの、特別変わった様子はなかった。

何事もなく預けていた鍵を受け取れば、アリアがほっと胸を撫で下ろしていた。しかし、それも束の間のこと。店主が足を怪我したという話が聞こえ、階段を登っていたサイモンたちは固まる。

話しているのは両方とも女性で、気安い言葉で話しているので、きっと奥さんと知り合いの女性なのだろう。もしくは娘さんかも知れない。奥さんらしき声の人が困ったように店主の様子を話す。店主は結構な大怪我だったらしいが、その時の記憶がないそうだ。「あんな大きな怪我を気づかないなんて……なんだか気味が悪いわ」と呟く彼女に、サイモンたちは血の気が引いていくのを感じる。

(その人、確実にゾンビになってないか……っ!?)

思えばこっこに来た時から、この宿の人たちは疲れ切った顔をしていたように思う。観光客が減って収入がないからだとは言っていたが、もし本当は夜な夜な意識もなく徘徊しているのが原因だったら。

(初日に襲われなかったのが不思議なくらいだな……)

階段を上れなかったからかもしれないが、どちらにせよ彼らの住まいが一階でよかった。


「さ、さささ、サイモンさん、もしかして、今のって……」

「アリア。考えるな」


真っ青な顔で震えるアリアに、サイモンは首を振る。知らなくていいことは、この世にたくさんある。今のもきっとそうだ。

ガクガクと震えるアリアとは違い、グレアは特に顔色を変えず「荷物、盗られてねーといいな」と呟く。「彼らを泥棒みたいに言うな」と叱咤飛ばせば、「本当の事だろ」と可愛くない返答。少しはアリアの爪の垢を煎じて飲ませてやった方がいいのかもしれない。

(まあ、気持ちはわからなくもないが)

サイモンたちは階段を上がりきると、二手に別れてそれぞれの部屋に入った。もちろん、アリアの方にはミツキが付いている。優秀なうさぎは、アリアに何かがあったらきっと助けてくれるだろう。むしろ自分たちよりも彼女の方がアリアに頼りにされているかもしれない。

(それはそれで複雑だな……)


「サイモン、こっちは終わったぞ」

「ん? ああ。こっちも問題ない」


荷物を回収して、ミミックバッグに詰め込む。グレアは鍛治や修補に必要な道具を入れた荷物を背負う。重そうな荷物に「バッグに入れといてやろうか」と告げれば、「無くしそうだからやめろ」と首を振られた。……断るにしてももう少しまともな言い方はなかったのか。

部屋を出て、アリアの部屋に向かう。とはいえ、ただ隣の部屋に移動するだけだ。サイモンはアリアに宛てられた部屋の前に立つとノックをしようとして――何かが勢いよく扉にぶつかる音がした。中からミツキを呼ぶ声がする。アリアの声だ。


「アリア! ミツキ!」


勢いよく扉を開け、広がる部屋の惨状にサイモンたちは足を止める。

ベッドは引き裂かれ、床にはアリアの荷物が散らばっていた。焦げた匂いがするのはアリアが魔法で抵抗したからだろう。足元には扉にぶつけられたであろうミツキがぐったりとした様子で倒れ込んでいた。


「ミツキ! 大丈夫か!」


駆け寄って小さな体を抱き上げる。

小刻みに震える小さな体は、魔力が多分に吸い取られているのを感じる。口元が赤く染まっているが、召喚獣はその身に怪我を負うことはない。恐らく、アリアを守るために敵に噛みついたのだろう。サイモンは顔をあげ、部屋の中心を見る。

中心にはローブを着た人間と首を絞められているアリアが居た。


「アリア!」

「さ……ぃ……」

「!」


苦しそうなアリアの口が動く。彼女の首を掴んでいる人物を睨みつけ、サイモンは目を見開いた。

(白い、ローブ……!)

見覚えのある、真っ白なローブ。背中に描いてあるであろう文様は見ることが出来ないが、そのローブは間違いなくあいつらの物だ。

――新興宗教。邪神を崇める、闇の宗教団体だ。

以前、アリアを襲った時も彼らが原因だった。神に選ばれたとかで色々理屈を捏ねていたが、その理由は未だにわかっていない。また、彼等と騎士団の裏切り者である〝ラード〟は関係があるとサイモンたちは睨んでいる。その片方が来たとなれば――警戒は跳ね上がる。


「手を離せ!」

「グルルル!」


グレアが威嚇に喉を鳴らす。ローブの人間は、体格からして男だろう。見える腕が鍛え上げられたものであることが一目でわかる。

サイモンはミツキを元の世界へ戻してやると、そのまま流れるようにミミックバッグから短剣を取り出し、男の向かって剣を投げた。瞬く速度でアリアとの間を裂くように通ったそれに、男は驚いたのか「ひっ!」と情けない悲鳴を上げたかと思うと、アリアを投げ捨てて窓から飛び出した。瞬間、グレアが男を追う。機動力なら獣人であるグレアの方が上だ。サイモンはアリアへと駆け寄る。


「大丈夫か!?」

「ゲホッ、ゲホッ……! だ、大丈夫、です……」


喉を抑え、咳き込むアリア。酸欠で頭が痛いのだろう。頭を抑えるアリアに、呼吸を促す。涙目になる彼女にハンカチを渡し、落ち着くよう背中を指すっていれば、しばらくして飛び出したグレアが戻ってくる。


「悪ィ。魔法で逃げられた」

「魔法? 転移魔法か?」

「わからねぇ。けど、ヤコブが持ってたペンダントと似たもんをつけてたのは見えたぜ」

「ヤコブと似たもの?」


獣化から人型へ戻りながら言うグレアに、サイモンは眉を寄せる。ヤコブが持っていたのは、赤の魔法道具――〝マジック・ディザベル〟。

魔法使いにとってデバフとなる物を除去できるペンダント。魔力を溜め込むこともでき、魔力の量によっては大地の神とさえ渡り合える魔法道具だ。

(でもあれは、トトや魔法省の管理下で厳重に保管されているはず)

サイモンたちが武器や防具で使う普通の魔法石とは違い、世界に数個しかない貴重な魔法石を使っている魔法道具でもあるため、一般的に流通している数は少ない。それを、男が持っていたという。

(嫌な予感がするな)


「色は?」

「紫っぽい感じだったと思う。遠目でよく見えなかったけど」


――紫色のペンダント。

赤の魔法道具よりは数段劣るが、それでも二級品である魔法石を使っているとなれば、相応の効果があるだろう。

(魔法省の中にも裏切り者がいるのか?)

騎士団の裏切り者は判明している。副団長である彼なら、魔法石の入手も難しくないだろう。だがもし、――裏切り者が彼だけではないとしたら。


「サイモン、どうする?」

「っ、一先ず、此処を離れるぞ」

「はっ!? 追いかけねーのかよ!」

「追いかけるのは後だ。敵の魔力はミツキが取っておいてくれるだろう。それよりも先に、調べたいことができた」


サイモンはいきり立つグレアに口早に告げると、アリアを背負った。驚いたアリアが「大丈夫ですから……っ」声を上げるが、その声は弱弱しい。大人しく背負われていろ、と告げ、サイモンはアリアの剣を拾い上げた。

グレアと共にアリアの荷物を回収し、足早に部屋を後にする。奥さんに鍵を返し、ベッドの修理費と共に宿泊代を渡したサイモンたちは、隠れるようにして店に向かうことにした。こそこそとするサイモンに、グレアが眉を顰める。


「なんで隠れながら行く必要があんだよ? パーッと駆け抜けて行った方がいいんじゃねーのか?」

「……俺とアリアは一度、あのローブを着た集団を見たことがある」

「はあっ!?」

「詳しくは後で話すが、宿泊場所がバレた以上、尾けられている可能性も少なくない」


作戦も何もない今の状況で、あの場所を知られるのはリスキーだ。

サイモンの言いたいことが伝わったのか、グレアはそれ以上何も言わなかった。


港への道を何度も迂回し、たどり着いた店でサイモンは教えてもらったノック方法で扉を叩く。以前、船長はお構いなしに叩いていたが、本当は彼らにだけ伝わる合図があったらしい。それを知った時のサイモンは、呆れてものも言えなかった。船長と言えば、サイモンの視線もお構いなしに気持ちよくいびきをかいていたが。

中から物音がし、扉が開く。顔を出したのはマスターだ。


「やっと来たか。荷物はちゃんと――」

「悪いが、早く入れてくれないか」

「あ? どうした? まだゾンビたちが動く時間じゃないだろ」

「バレると面倒な奴らがこの街にいる」


サイモンの言葉に、マスターは訝し気に顔を顰めた。だが何かを察したのかすぐに扉を開け、サイモンを招き入れてくれる。分厚い扉が閉まり、鍵とチェーンが掛けられた。

サイモンはすぐさま魔法で気配を探知する。周囲にいる魔法を使う人間、魔力を持つ者がいないかを探り……誰もいないことにほっと胸を撫で下ろした。


「急にすまない。助かった」

「いや、それはいいが……嬢ちゃんは大丈夫なのか」

「ああ。疲れて寝ているだけだ」


サイモンは不安そうにするマスターに応えつつ、地下へと向かう。「聞き込みに向かうんじゃなかったのか?」と問いかけて来る彼に、サイモンは「ちょっと気になったことがあってな」と言葉を濁した。

(これは確定じゃない)

だが、もしこれでサイモンの予想が当たっていたのなら――王都はサイモンが思っているよりも危険な状況であるのかもしれない。

意気込むサイモンにマスターとグレアは目を合わせ、首を傾げる。しかし、先を急ぐサイモンの目にはその行動は目に入らなかった。


地下の広間に戻って来たサイモンは、アリアを壁沿いに下ろすと、すぐさまマスターにクスリの保管場所を尋ねた。いよいよ訝し気な顔をする彼に「確かめたいことがあるんだ」と告げれば、悩んだ末に保管場所を教えてもらうことが出来た。

アリアの事はグレアに頼んだし、今ここに人はそう多くはない。昼間のうちに食料の調達や出来ることをしようと思っているのは、サイモンたちだけではないのだ。

ほとんど船員がいない中、サイモンはじっとクスリを見つめる。マスターはサイモンの隣で立ったまま動く気配はない。恐らく、変なことをしないように見張っているのだろう。その必要はないのに。


「……そんなに睨みつけて何がしたいんだ」

「昨日、鑑定魔法に異物は引っかからなかった」

「はあ? カンテイマホウ?」

「内容物を確認する魔法だ。この緑色の液体には何の魔法もかけられてはいなかったし、使われている材料にも問題はなかった」


淡々と話すサイモンに、マスターが首を傾げる。訝し気な視線が更に強くなり、顔が怪訝そうに変わっていく。


「一応聞くが、クスリはやってないよな?」

「やってないな」

「マホウって、どういうことだ? まさかあの魔法使いが実在しているわけじゃあるまいし」


マスターの言葉に、サイモンは顔を上げる。……そうか。てっきり船長に話していたから、そのまま芋づるで彼にも伝わっているものだと思っていた。どうやら船長はああ見えても人の秘密は守る主義らしい。彼が人望を得る理由が更に一つ、わかったような気がする。


「その魔法使いが、俺だ」

「は?」

「ほら」


サイモンは何もない場所から水を起こすと、空中で水を自由自在に泳がせた。


「これは水魔法と風魔法を使った初歩的なもんでな。これくらい滑らかに動かせないと、応用には到底使えないんだ」

「み、水が、浮いて……!? 一体どこから!?」

「空気中には水分が結構あるもんだ」


特に、こんな土蔵の中じゃあ余計に。サイモンはそう告げると、上空に水を投げた。パンっと弾けた小さな水の塊は、水滴となって驚くマスターに降り注ぐ。濡れるようなものじゃないが、夢じゃないと思わせるには十分だろう。


「魔法にはいくつか種類があって、こういったものの中身を見ることが出来る〝鑑定魔法〟が在る。使った人間に寄るが、基本鑑定魔法を使えば、使った薬草の種類や量、混ぜた物なんかを見ることが出来る。――だが、これには何もおかしいものはなかった」

「……つまり、そのクスリ自体は無害だったってことか?」

「ああ。だが、それは中身の話だ」

「!!」


サイモンは鑑定魔法をかけた目で、再びクスリを見つめる。――否、その容器を見つめた。


「……やっぱりそうだ」


中身の妖艶さにすっかり騙されてしまった。魔法がかけられていたのは中身ではなく、容器の方だったのだ。

サイモンの目に、魔法陣が映る。かけられているのは、洗脳と魅了の二種類。――どちらも闇魔法だ。

(しかも、禁忌に近い強さの魔法だろうな)

あまりにも強い魔法は、主に〝かけてもいい強さの基準〟が設けられている。闇魔法は特にその類のものが多く、日常的に扱うにはかなり面倒な属性の物だ。どちらかと言えば光魔法に適性のあるサイモンは、闇魔法の詳細についてはあまり覚えていない。

(魔法が専門のトトであれば、すぐにわかるんだろうが……)

この容器に掛けられている魔法がどれだけの効果を発揮し、どれだけの人を巻き込むのか。サイモンはイマイチ判断が付かない。


「仕方ない。マスター、皿かグラスはあるか? できれば使わない物がいい。あと、ナイフもあれば欲しい」

「あ? ああ」


戸惑いながらも綺麗な小皿を取り出したマスターは、それをサイモンに手渡す。「それで何をするつもりだ?」と問いかけて来る声を無視して、サイモンは皿の上にシリンダーを翳した。そして上部の液体が入っていない箇所にナイフを当てる。カチ、カチ、とナイフがシリンダーに当たる。冷や汗がマスターの頬を伝った。


「お、おい、お前なにして――」


パァンッ!

マスターの言葉も余所に、サイモンはためらいなくナイフを振るった。



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