「う゛お……ォおお゛……!」
「うわああああっ!」
「いやああああああっ!」
後ろから聞こえる唸り声に、シアンとアリアの悲鳴が響く。グレアは声すら出ないのか、引き攣らせた顔で走っている。
(まさかトトの言っていたことが本当だったとは)
ちらりと後ろを振り返る。サイモンたちを追いかけているのは――白目を向き、涎を垂らした無数のゾンビたちだった。
「いやあああああ!!」
「おお。お手本みたいな叫び声だな、アリア」
「そんなこと言ってる場合じゃねーだろオッサン!」
「おい、サイモン! あいつら増えやがったぞッ!」
「ウ゛ァアア゛ア……」
「ハハハ! まさに四面楚歌だな!」
「「笑ってる場合じゃねえーよ!」」
「助けてぇええええ!」
本格的なアリアの叫び声が街に響く。その悲鳴をBGMに、サイモンたちは街を駆け抜けていた。
既に日は落ちており、あちらこちらに街灯が灯っている。教会からの魔力はどうやら途切れていないらしいことに、ひとまず安堵の息を吐いた。
三人の視線が急かすようにサイモンを見る。だが、正直なそんな目で見られても困る。長い人生を生きてきたサイモンでも、ゾンビに追いかけられるのは初めてだ。
(騎士団が来て、騒動は収まったんじゃなかったのか?)
ゾンビたちはサイモンたちを必死に追いかけて来る。髪を振り乱し、汚れた肌も破れた服もそのまま、構わずに全力で追いかけてくるゾンビたちは普通に怖い。
(これが見目麗しい女性たちだったら、素直に喜べるんだけどなぁ)
――さて。そろそろ真面目に考えようか。
「アリア、とりあえずゾンビたちは生きてるからそんなに叫ばなくていい」
「あえっ!? 生きてるんですか!? あんな状態で!?」
「生きてるぞ、あんな状態でも」
目が飛び出しそうなほど見開くアリアに、サイモンは頷く。だからその手から出している火を早めに抑えてあげて欲しい。さすがに一般人を燃やすわけにはいかない。
「オッサン! 大変だ! 目の前階段ッ!」
「行けるかッ!?」
「う、うん!」
「だ、大丈夫です!」
「ああ!」
三人がそれぞれに頷き、階段へ足をかけた。
数段駆け上がれば、遅れてゾンビたちも階段に辿り着く。しかし、階段はゾンビたちにはかなり難しいようで、戸惑っていた。
今のうちだと駆け上がり――先頭を走るサイモンが足を止める。「待て!」と叫ぶサイモンに、三人の足も止まった。
「何してんだよオッサン! 早く行かねーとっ、!」
「行かない方がいい」
「はあ? 何で――」
「来客追加だ」
「「「え゛っ」」」
サイモンの言葉に三人の目が上を見上げる。
――階段を登りきった一番上。そこでは小さな影が蠢き、徐々に大きくなっていくのがわかる。姿を露わしたのは――ゾンビたちの群れ。その数、十を超えている。
(おいおいおい)
もぞもぞと動く彼らは、理性がないだろう。互いを押しのけ、犇めき合っている。……なんだろうか。非常に嫌な予感がする。
「っ、グレア、今すぐアリアたちを抱えて隣の建物に――!」
「「――ヒッ!!」」
「!」
サイモンの言葉が終わる前に、アリアとシアンが声を引き攣らせた。ハッとして顔を上げれば――足を踏み外したゾンビが宙に投げ出されていた。
(落ちて来る……ッ!)
重力に従って落ちて来るゾンビ。そんな状況なのにも関わらず噛みつこうと口を開けるゾンビに、サイモンが反射的にバリアを張った。ゾンビの身体がバリアに弾かれ、打ち上がる。
背後でゴシャッと嫌な音がし、ひくりと頬が引き攣る。恐る恐る振り返れば、落ちたゾンビは下のゾンビたちをクッションに地面に倒れ込んでいた。死んだのか……? と思っていれば、ゾンビは何かを呻いた後、ゆっくりと起き上がる。
(……今のはさすがにひやっとしたぞ)
肝が一気に冷えた。なんて、ぼうっとしている時間はない。
「っ、グレア!」
「あ、ああ!」
グレアはサイモンの言葉の裏を悟ったのか、みるみるの内に獣へと変化した。
アリアを乗せ、サイモンも背に乗せる。階段の昇り方を覚えたゾンビたちがサイモンたちへと忍び寄る。サイモンがシアンに手を伸ばした。
「シアン! 早く乗れ!」
「あ……あ……」
シアンが獣化したグレアを見て、地面にぺたりと座り込んだ。
(まずい――!)
シアンはグレアを獣人だと聞いても驚かなかったから油断していた。恐怖に染まった顔をするシアンは、ガタガタと恐怖に体を揺らしている。もしかしたら獣人が獣化する姿を初めて見たのかもしれない。
(獣人は、基本的に獣化はしないようにしているらしいからな)
本能に意識が乗っ取られるのを防ぐためらしい。元々気性の荒い肉食獣は特にその傾向が強いと、以前獣人の部下だった奴が言っていた。
「シアン! 大丈夫だ、グレアはお前を食ったりしない!」
「っ、わ、わかってる、けど……!」
体が動かない、とシアンの表情が言う。サイモンは舌を打った。早くしないと、ゾンビたちの手がシアンを掴もうと宙を掻いている。
上から落ちるゾンビがシアンの後ろをゴロゴロと転がり落ちて行く。ビクリとシアンも肩を跳ね上げるが、抜けた腰では逃げることも出来ない。
(仕方ない、一度降りて――)
サイモンがそう考えたのと同時に、グレアがシアンとの距離を詰めた。大きな口でシアンの首元を咥える。「えっ」と真っ青な顔をして見上げて来るシアンを余所に、グレアはそのまま跳び上がった。
「うわあああ!」
シアンの叫び声が木霊する。
グレアは近くの家の外壁を足場にすると、軽やかに跳び上がっていく。シアンの帽子が風に攫われ、舞い上がった。サイモンが宙に浮いた帽子をキャッチした。
「いいぞグレア!」
「あああああ!! 死ぬ死ぬ死ぬぅううう!!」
「グルルル……」
「グレア。うるさいのはわかるけど、食うなよ」
「うわあああ! 怖いこと言わないでよぉおおおっ!」
シアンが真っ青な顔で足をばたつかせ、抵抗する。グレアにとっては大した抵抗ではないだろうが、念のため「落ちるぞー」と告げておいた。瞬間、ぴたりと泣き止んだシアンは、自身の短い四肢をきゅっと自分の体に引き寄せる。まるでボールみたいだ。
(こういう時だけは、普通の子供らしいな)
グレアは壁や柱を器用に蹴り、飛び上がっていく。三人も運んでいるのに軽やかな足取りは、さすが獣人である。生まれ持った筋力が違う。
グレアは一番高い建物の中に着地する。棟の中であるそこは丁度階段の折り返し地点になっているようで、ちょっとした空間が広がっていた。荷物がいくつか積み上がっている。周囲にゾンビたちがいないのを確認したサイモンは「いいぞ」とグレアに指示を出した。
グレアが口を開けると、シアンがべしゃっと地面に落とされる。涙目になっている彼を横目に、サイモンも飛び降りる。
「し、死ぬかと思った……」
「はっはっは。流石に怖かったか」
「は、はあ!? ち、ちがっ、! そ、そんなんじゃねーし!」
「ハイハイ」
キッと睨み上げて来るシアンに、サイモンはガシガシと小さな頭を撫でてやる。
真っ赤になったシアンが「ヤメロ! バカ!」とサイモンの腕を払った。しかし、サイモンは笑ってそれを全て避けてやる。ふん。あまり大人を舐めない方がいい。
存分に撫で回したサイモンは手を離すと、ミミックバックからグレアの服を出してやる。
(獣化する度に服が破けるのは困るな)
どうにかしてやらないと。物陰に隠れて着替えるグレアを見送り、サイモンは再び周囲を見回す。
「さて。とりあえずゾンビは撒いたみたいだが、どうしようか」
サイモンの問いに、ぐったりとしたアリアがゆっくりと起き上がる。シアンは情けない姿を晒したのが余程恥ずかしいのか、帽子を深くまで被っている。作戦会議が出来る状況じゃなさそうだ。
(少し休憩を挟んだ方がよさそうだな)
物陰から出て来るグレアに目を向ければ、察したのか階段に腰を掛け、肩をグルグルと回している。サイモンはミミックバッグからお茶のセットを取り出すと、お茶の準備をし始めた。
「そういえば、グレアは何か気づいたことはあるか?」
「あ?」
「いや、急にゾンビに追いかけられただろ」
想定外の出来事にパニックになってしまったが、グレアは獣人だ。
もしかしたら何か気づいたことがあるかもしれない。
「ああ、そういやあの変な臭いがアイツらからしたな」
「変な臭い?」
「幽霊船で嗅いだ臭いと似てる」
「幽霊船でって、あの焦げ臭いって言っていたやつか?」
サイモンの言葉にグレアが頷く。幽霊船に行った時、グレアだけが感じ取ったにおいのことを言っているのだろう。
(もしかしてゾンビと関係があるのか?)
トトの言っていた噂と何か関係があるのかもしれない。
「……なあ、そのにおいってシアンからもするか?」
「お、おいっ、勝手に巻き込むなっ! って嗅ぐなよオイ!」
「いや。しねーな」
「そうか」
「無視すんな!」
ぎゃーぎゃーと叫ぶシアンを余所に、サイモンは頷く。
(なら街特有のにおいではなさそうだな)
サイモンは「わかった。それについては覚えておこう」と告げ、シアンを見る。ビクリと肩を震わせたシアンは、明らかにサイモンが何を言おうとしているのか察しているらしい。合わない視線がそう言っている。
「それじゃあ、そろそろ説明してくれないか? シアン」
「うっ……」
「ここまで来てだんまりはないだろ?」
がっしりと首根っこを掴んで、笑いかける。シアンの頬がピクピクと引き攣る。
「それについては、俺たちから説明してやんよ」
「「「!」」」
(誰だッ!?)
突然聞こえた第三者の声に、サイモンたちは一斉に臨戦態勢を取る。まさかあのゾンビたちが上がって来たのか、それとも別の人間がいたのか。
カツン、カツンと聞こえる足音にサイモンは身構える。さっと逃げ道を確認して、アリアたちを後ろに下がらせた。
(逃げ道はあるが、グレアをもう一度獣化させるのは危険だな)
いつ理性が本能に負けるかもわからない。獣化はグレアと相談して一日一回だけと決めているのだ。いざとなったら三人には階段を駆け上がってもらうしかない。サイモンはいつでも魔法が展開できるよう、身体の中で魔力を練る。
カツン、カツンと足音が近づいてくる。その場に緊張が走った。
――しばらくして見えた人間の姿に、サイモンは驚きに目を見開く。
「よォ、兄ちゃん久々だな」
「その声……船長か!?」
あの日、船に乗せてくれた髭をたっぷり生やした男――船長だった。