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第61話

「……アリア。無理しなくても、宿で待ってていいんだぞ?」

「だ、だだだだ、だいじょっ、だいじょうぶ、ですっ」

「お、おお」


(まったく大丈夫そうじゃないな)

ガクガクと震えているアリアに、サイモンは苦笑いを零した。


翌日。少年と約束した時間に待ち合わせ場所に向かおうとしたサイモンは、グレアと共に震えながら部屋の前に立つアリアを見つけた。顔は真っ青になっており、恐怖に全身が震えている。どうかしたのかと首を傾げるグレアに訳を話せば、「そうだったのか」と呟く。昨日は飯に夢中になっていて、ほとんど話を聞いてなかったのだろう。マイペースすぎる長男だ。


「掴んでていいから」

「あ、ありがとうございます……」

「……本当に大丈夫なのか?」

「俺に聞かれても」


グレアの心配そうな顔に、サイモンは首を振る。正直見ている側からすれば全く大丈夫そうには見えないが、本人が大丈夫だと言っている以上、強くも言えない。

(何かあったら動けるようにしておくくらいか)

サイモンはチラリとアリアを見る。いつもの覇気はなく、痛々しいくらいに震えている彼女は、見ているだけでこちらが不安になってくる。どうしたもんか、と悩んで、グレアを見た。ひょこりと動く黒い耳に、ハッとする。――そうだ。

サイモンは人のいない路地に行先を変更すると、手早く魔力を使い、魔法陣を書いた。


「〝カロンタス・ティ・メギア〟(召喚魔法)」


ぽうっと光る魔法陣。浮き出てくるのは十二の玉。

(今のアリアには、あいつがいいかもしれない)

彼等の中でもかなり人気が高い彼女なら、きっとアリアを癒してくれるだろう。


「――〝ミツキ〟」


膨れ上がる光に、後ろに居たグレアとアリアが声を上げる。魔法陣が徐々に色を帯び、桃色に変化していく。光が収まった場所に立っていたのは、一羽の白兎だった。


「お久しぶりですわ、主さま」

「久しぶりだな、ミツキ」


ぴょんと跳ねる白い兎はサイモンにぺこりと小さな頭を下げると、ヒクヒクと鼻を鳴らす。青い小さな目が周囲を見回し、アリアとグレアを見つけた。再びヒクヒクと鼻が動き、首を傾げる。首に付けた大きな青いリボンが動きに合わせて揺れた。

じっと見つめられている二人は、突然出てきた兎に見られていることにどう反応したらいいのかわからないらしい。困惑した様子で顔を見合わせている。

(そりゃあそうなるか)

突然召喚魔法なんてどうした、と思われてもおかしくない。しかし、この場は彼女でないと駄目だったのだ。

サイモンはしゃがんで白兎――ミツキと視線を合わせると、長い耳に口を寄せた。


「ミツキ。早速君に指令だ。実は――」


サイモンはここまでの経緯を彼女に簡潔に話す。彼女はピクピクと長い耳を揺らすと「承知いたしましたわ」と笑みを浮かべる。

彼女はぴょんぴょんとアリアの元に向かうと、自慢の脚力でアリアに飛びついた。アリアは驚きに声を上げたものの、慌ててミツキをキャッチする。彼女はそこでゴソゴソと体を回すと、良い位置を見つけたのか安心したように身を委ねた。「え、えーっと?」と困惑するアリアに、サイモンはミツキの頭を撫でながら口を開いた。


「アニマルセラピーっていうものがあるって聞いたことがあってな。ミツキなら女の子だし、抱き心地も最高だろ? アリアも少しは安心するかと思って」

「そう、だったんですね」


戸惑い気味に納得するアリアに「どうだ?」と問えば、アリアは彼女をきゅっと抱きしめる。まるで身を寄せ合っているようで、微笑ましい。


「ありがとうございます。ちょっと落ち着きました」

「そうか。よかった」

「よろしくお願いしますわ、アリアさん」

「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」


ぺこりと頭を下げるアリア。ミツキも気に入ったのだろう。彼女の腕に大人しく身を任せている。「それじゃあ行くか」とサイモンは待ち合わせ場所へと再び歩き出した。


待ち合わせ場所は、サイモンと少年が初めて会った場所だった。階段には餌をついばみに来た鳥があちこちを歩いていた。グレアとミツキを見た瞬間飛び去ってしまったが。

サイモンは久しぶりに足を踏み入れた街を見回す。最後に見たのは人のいない、もぬけの殻のような建物ばかりだったが、今は全盛期ほどではないが活気を取り戻している。

(思ったより普通だな)

人も歩いているし、生活もしているようだ。最後が最後だっただけに、普通の景色にホッと安堵する。


「お待たせ、オッサン! ねーちゃんたちも!」


パタパタとやって来た少年に、軽く手を上げる。そろそろオッサン呼びはやめてもらいたいのだが……今回も諦めるしかなさそうだ。サイモンはため息を飲み込みつつ、少年の後ろを着いていく。


「あれから大変だったんだぜー。騎士団が来るまでみんな教会に詰め寄っててよ。腹減りすぎて死ぬ奴とかも出てさ」

「騎士団が来たのか」

「そーそー。つっても、すぐにどっかに行っちまったけど」


頭に腕を回しながら話す少年は当時の事を思い出しているのか、苦い顔をしている。一人で懸命に生きている少年からすれば、当時の事は忘れられない出来事の一つなのだろう。サイモン自身、あの状態の街に彼を一人で残していくことには不安があった。

(ちゃんとあいつらも仕事してるみたいだな)

騎士団の総指揮を握っているヤコブがふらふらしていたし、トトから王都の事で騎士団も大変だと聞いていたから、地方にまで手が回っていないんじゃないかと思っていた。だが、蓋を開けて見れば少しずつではあるが、彼らも対応を行っているらしい。少年は『すぐにいなくなってしまった』と言っていたが、僅かな時間でも騎士団が来たことに街の人たちは安心したのだろう。今の街の様子を見ればよくわかる。

この街の事は昨日の内にアリアとグレアに共有してある。最初は真っ青な顔で聞いていたものの、今では初めて来る大きな街に忙しなく視線を向けている。

(話は……聞いてなさそうだな)

まあいいか。どうせ経過報告と愚痴が入り混じった、単なる世間話だ。問題はない。


「そういえば、幽霊船の事なんだが」


サイモンがそう切り出すと、視界の端でアリアが肩を揺らした。ミツキがぽんぽんと彼女の頭を撫でている。


「なに?」

「いや。知り合いが言っていたのを思い出してな。『幽霊船からゾンビが出て、人を襲ってる』っていう話なんだが」


サイモンは少年を見つめる。アリアの小さな悲鳴が聞こえた気がするが、スルーだ。

彼は振り返ると眉間に思いっきりしわを寄せる。「ゾンビぃ?」と訝し気な声で首を傾げたのは、予想外だった。


「なにそれ? オレ知らない」

「そうなのか?」

「うん。ユーレイ船は怪我人しか出たことねーよ。それもすげー軽いの」


「擦り傷とか、切り傷とか。捻挫と……骨折もあったかな」と話す彼に、サイモンは頬を引き攣らせる。

(それは軽傷の部類なのか?)

基準はよくわからないが、どうやらゾンビと間違われた人間が出てきたことも、実際に幽霊を見たという証言があるわけでもないらしい。

(噂は所詮噂だったということか)

サイモンは頭の中でゾンビのワードにバツを付けると、視線を上げた。

港には、船が一列になって綺麗に並べられている。覚えのある船も多く、サイモンは懐かしさに目を細めた。

(そういえば、あの船長の船はかなり大きくて目立っていたな)

そう思い出したサイモンは視線を巡らせ、船を探す。いっとう大きく、豪華で、目立つ船だ。


「……ないな」


しかし、残念ながら船は見当たらなかった。もしかしたら海に出ているのかもしれない。見つけたらお礼を言いたかったのだが、いないなら仕方ない。サイモンは探すのをやめ、代わりに幽霊船が映っていた景色と同じ場所を探すことにした。

少年曰く、幽霊船があるのは港から少し離れた、海岸線沿いにあるらしい。岩場を乗り越えてやっと着けるそこは、一般人が寄り付かない場所なのだとか。


「オッサン、着いたぞ」


「ほら」と少年が指差す。その先を追えば――確かに。ボロボロになった船が一隻、岩場に乗り上げていた。

(随分とボロいな)

帆は豪快に破け、五本あるマストの細い前二本がへし折れている。壁面も何か所も崩れており、なるほど。確かに幽霊船だ。


「ここからどうするんだ?」

「は? どうもしねーけど?」

「行かないのか?」

「? 行けねーだろ」


何言ってんだ、とばかりの顔をする少年。調査に行ったと聞いていたから、少年も近場まで行ったのだと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。少年曰く、調査に入ったのは港に停泊している男たちで、彼等は自分たちの船で近づいて橋渡しをして調査に赴いたらしい。

「何でこっちに来たんだよ」と問えば「だって船長たち今いないんだもん」と普通に返された。なら今日じゃなくてもよかったんじゃないだろうか。


「でもオッサンならこっちから入れんだろ?」

「……なんでそう思うんだ?」

「だってアンタ魔法使えるじゃん」

「……」


少年の言葉に、サイモンは何も言えなかった。

確かに少年の前では何回か魔法を使ったことがあるが、だからと言って魔法使いだと確信するほどじゃなかったはずだ。「どうしてそう思う?」と問えば、少年はキョトンとした顔で首を傾げる。まるで何言ってんだコイツ、と言わんばかりの視線に、サイモンは言葉に出来ない居心地の悪さを感じる。


「だって昨日変なのやってたじゃん」

「変なのって……」

「それに前にも何もない所で火とか水とか出してたし。フツー気づくでしょ」

「……」


少年の言葉に、今度こそサイモンは黙り込んでしまった。

細心の注意を払っていたつもりだったが、言われてみれば気づく要素はたくさんあったのだろう。まさかこんな小さな少年にまで気づかれるとは、まったく思っていなかったけど。

「……サイモンさん」と声をかけてくれるアリアに、サイモンは目配せをする。自分で蒔いた種だ。自分でどうにかするしかあるまい。


「あー……誰にも言うなよ?」

「別に言わないけど。てかなに、隠してんの?」

「……まあな」


サイモンは少年に隠している理由を話した。こういうのは変に誤魔化すより話してしまった方がいい。魔法使いの扱いについて知った少年はふーんと小さく相槌を打つと、「ならもっと警戒した方がいいよ。オッサン結構駄々洩れだから」と言われた。サイモンにクリティカルが入る。

(く……っ、まさかこんな小さい子供に説教される日が来るなんて……)

しかし、事実自分の行動で魔法使いであることがバレたのだ。彼の言い分は尤もだろう。

サイモンは「わかった」と頷いて、少年の前に立つ。ごつごつとした岩場に手を翳して――「あ」と声を上げた。


「そういやお前の名前ってなんだっけ?」

「は? なにさ、今更」

「いいから」

「? シアンだけど」

「そうか。シアン、改めてよろしくな。――〝オーメン・ガギィ〟」


サイモンの声に、大岩たちが反応する。

ゴゴゴ、と地響きが聞こえ、サイモンたちの足元を揺らす。石はまるで粘土のように潰れると、サイモンたちに道を示した。


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