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第59話

話し合いの末、シマリスの港へはサイモンの魔力を使って飛んでいくことになった。


「遠いんですよね? 大丈夫ですか? その……魔力切れとか」

「行ったことがある場所への移動は、行ったことのない場所に行くよりよっぽど簡単なんだ。魔力も二割程度なら削減できる」

「二割って……あんまり変わんねーな」

「そうでもない。僕たち大魔法使いならいざ知れず、君たちのような底辺の魔法使いにとっては死活問題にもなるからね」

「……なんだろうな。言い方がすげぇ腹立つ」


ぴき、とこめかみを震わせるグレアに「気のせいじゃない?」と笑うトト。教えている内容は合っているし、教え方も上手いのにどうしてこうなるのか。

(まあ、初対面が初対面だったからな……)

バチバチと火花を散らすグレアとトトに、サイモンは肩を落とす。


トトの言う通り、行ったことがある街への移動はそう大変じゃあない。サイモンの魔力であれば、一割程度で行けるだろう。しかし、それはサイモンひとりの話で、行くのはアリアとグレアを含め、三人だ。不安定さを技術でカバー出来るようになったとはいえ、移動魔法はミスったが最後、死に直結する。正直不安でしかないのだ。

そこで、魔力の不安定さをトトにカバーしてもらうことになったのだ。


「まさか初心者を保護する用のサポート魔法を、あのサイモンさんが付けられるなんて! すげーです!」

「何も褒められてる気がしないからな?」


サイモンは重くため息を吐くと、さっさと地面に魔法陣を書いていく。本来なら唱えて『はい、到着』とやりたいところだが、念には念を入れてということだ。

サイモンは魔法陣を描き終わると、未だに騒いでいるトト達を呼んだ。準備は既に済んでいる。


「それじゃあ、行くよ」

「おう」

「サイモンさん、お元気で……!」

「おー。お前らもな」

「ちょっと。なんで泣いてるのさ、ヤコブ」

「だっでぇ~」


うう、と泣き出すヤコブに、トトが鬱陶しそうに眉を寄せる。その様子が数百年前に城を出た時と重なって、サイモンは懐かしい気分になった。


「またな。ヤコブ、トト」

「はいっす!」

「まあ。生きてたらまた会うこともあるんじゃない?」

「お前は本当に素直じゃないな」


はは、と軽く笑い、魔法を発動させる。トトのサポート魔法が入り、安定する魔力に安心してサイモンは魔法を唱えた。


「〝ティエム・フォー・アラース瞬間移動〟」


――途端、目の前が真っ白になる。

次に目を開けた時には、見渡す限りの大海原が広がっていた。




「わぁ……! すごいです!」

「海って本当に青かったんだな……」


高い丘から見渡す大海原に、アリアとグレアが感嘆の声を上げる。

キラキラと目を輝かせる二人に、サイモンは気をよくしつつ二人に問いかけた。


「二人共、海を見るのは初めてか?」

「はい!」

「お、おう」

「それじゃあ、もうちょっと近寄って触ってみるか」


サイモンはそういうと、二人に触れる。途端、足元が浮かび、サイモンはそのまま宙へと飛び出した。


「さ、ささささ、サイモンさん! 落ちてます! サイモンさん!!」

「ははは! 大丈夫だって!」

「いや大丈夫じゃねーだろ!」


バサバサと風が吹き荒れ、髪や服を攫っていく。


「ちゃんと捕まってるんだぞ、二人とも」

「ひぇっ!?」

「お、おい! 嘘だろ!?」

「「うわああああ!!」」


ビュン、と勢いよく落下していくサイモンたち。アリアとグレアの悲鳴が高い青空に響く。風を切り、サイモンたちは砂浜へと落ちていく。見えてくる岩場にサイモンは風の簡易魔法を唱えた。

ぶわりと風の玉がサイモンたちの下に広がる。風の玉がサイモンたちを受け止め、ゆっくりと地上へ降り立つ。柔くなった風と足元の砂場の感触に恐る恐る二人が目を開ける。目の前に広がる青に、二人の目が輝いた。


「わあ……!」

「おお……!」


「近くで見ると余計に迫力ありますね!」というアリアに、グレアが小さく頷く。爛々と目を輝かせる二人に、サイモンは微笑ましくなりながらも懐かしさを感じていた。

まだ旅を始めて間もない頃、自分とスクルードも初めて見る光景に似たような反応をしていた気がするからだ。

(凄いよな、海って)

キラキラと反射する水面を見つつ、サイモンは思う。全てを飲み込みそうなほど広い海原は、見ているだけで爽快感すら感じる。何の対策もなく入ったら確実に溺れるだろうな、と思いつつ、アリアたちを見る。二人は既に海の虜のようで。


「ちょうどいい。少しの間休憩にしよう」


サイモンの言葉に、二人の顔がぱあっと輝く。フクロウの森付近ではあまり休息という休息も取れていなかったし、一日くらいならそう変わりはしないだろう。

(それに、臨時収入も入ったことだし)

ヤコブの一件で、サイモンは治療費としてヤコブに金を請求していた。人のことを騙して作戦に加担させたのだ。それくらいは当然だろう。最初はとんでもないことに巻き込まれた腹いせもあり、有り金の八割を請求したのだが、「そんなんじゃ生きていけないっすよぉお!」と泣き疲れた為、六割程度となった。いい役職についておきながら金が無いのは、アイツの浪費癖が原因だが本人は未だ直す気はないらしい。


とりあえず一番近い所に宿を取ろうということになり、柔らかい砂浜の上を三人揃って歩く。ざっと足を踏み出す度沈み込む感覚に、二人はだいぶ苦戦していた。特にグレアは、元々山の上に住む種族であることもあってか、非常に歩きにくそうだ。やっと慣れた地面に足を付けた頃には、ぜーはーと荒い息を繰り返していた。

当初の計画通り、一番近くの宿に部屋を取ったサイモンたちは海へと出ようとして宿の奥さんに呼び止められた。


「あんた達、海に行くのかい?」

「ああ、そうだが」

「なら、こっから好きなもん着て行きな」


そう言って奥さんが出したのは、水着の山だった。「どうせ売れ残って邪魔なんだから」と告げる彼女は、少し顔色が悪い。

(経済状況がよくないのだろうか)

まあ、それはサイモンたちには関係ないので、有難く水着をもらって行くことにした。多少の足しになればと金銭を置いていけば、笑みを浮かべ「気を付けて行ってきな」と送り出された。いい人たちなのだろう。


海へと出たサイモンは、渋い緑色の海水パンツに白いパーカーを羽織っている。流石にパンツ一丁では寒いだろうと判断してのことだ。外に出てそれが正解だったと心底納得した。

獣人用の海水パンツも置いてあったようで、グレアは深い灰色の海水パンツを履いている。上には黒いパーカーを羽織っていた。本当はサイモンも黒が良かったのだが、白黒と一着ずつしかなく、グレアが黒を希望したので自動的に白になったのだ。日焼けはしなさそうだが……年齢的にこの見た目は厳しいような気もする。

(それにしても、さすが獣人だな。体つきが違う)

筋肉がつきにくいサイモンとしては、非常に羨ましい。鍛え上げられた筋肉を惜しげもなく晒すグレアに、サイモンは内心悔しさに歯を噛み締めた。ちなみに腹筋を触っていいかと聞いたら、すごい顔をされた。セクハラじゃないぞ。

そして一人、別室で着替えていたアリアはオレンジのワンピースタイプの水着を身にまとっていた。短いフリルのスカートは、アリアによく似合っている。やはり水着だけでは寒いのか、白いレースの上着を羽織っている。ちゃっかり可愛らしいサンダルまで履いているのは、ツッコんだ方がいいだろうか。そして隣で真っ赤になっているグレアはどうすればいい。


「すみませんっ、お待たせしました!」

「気にするな。よく似合ってるぞ」

「あ、ありがとうございます……っ」


ぼっと顔を赤らめるアリアに、サイモンは「足元、気をつけろよ」と告げると、海の方へと歩き出す。時折アリアを気遣うグレアに微笑ましい気持ちになりながら、近づく波の音に耳を澄ませた。

宿の近く、徒歩一分程度の距離に海水浴場はあるらしい。元々港町で観光客が多いからか、そういう管理はちゃんとされているそうだ。サイモンたちが来た方面とは少しズレた位置にあるそこは、数年前かなり賑わっていたのを覚えている。

(あの時は歩くのも大変なくらいだったが)

今はその状況が嘘だったんじゃないかと思うほど静かだ。観光客もぽつぽつとしかおらず、すれ違う人間もそう多くない。

(やっぱりトトの言っていた噂話のせいか?)


『幽霊船からゾンビが出て、人を襲ってるって話』


サイモンの頭に、トトの言葉が反芻する。今のところゾンビらしき人間には会っていない。それどころか、人に会うことが稀になっている。サイモンとしては二人とはぐれる可能性が低くなるので有難いが、周辺の店は溜まったものじゃないだろう。

(もしかしたらあの店も大変な思いをしているかもな)

ふと、港近くにあった酒屋を思い出す。細身の男がマスターをしている店は記憶に新しい。あの時の船長が居るから大丈夫だろうとは思うが、とはいえ金勘定の事になれば話は変わってくる。

後で時間が出来たら顔を出そう、と考えていれば、見えて来る海水浴場。サイモンはアリアとグレアに振り返った。


「泳いできていいぞ」

「本当ですか!?」


アリアの言葉にこくりと頷く。瞬間、二人は駆けだした。

(若いなぁ)

そんな二人に、サイモンはぼんやりとそう思う。おじさんとしては水と戯れるよりも、砂浜に腰を駆け、静かな時間を感じていたい。サイモンは近くにある日陰に腰を下ろすと、二人を見守ることにした。最初は恐る恐る海に手を付けていた二人だが、大丈夫だと気づいたのか海の中へと入っていく。その姿に「あんまり遠くに行くなよー!」と声を上げると、アリアが大きく腕を振る。グレアも振り返っていたので聞こえてはいるのだろう。ふぅ、とサイモンは空を見上げ、静かに目を閉じた。

青い空。高い位置にある白い雲。心地よく吹く風がいい演出をしている。


「サイモンさーん!」


上機嫌に腕を大きく振るアリア。その手に軽く手を振り返しながら、サイモンは久しぶりに見る無邪気な二人に、複雑な心境になる。

(本当はもっと遊ばせてやりたいんだが)

アリアと旅に出てから何かと巻き込まれている。グレアが入ってからも、多少平穏な日々はあったものの、その反動か大きなトラブルに巻き込まれてしまった。遺跡では別行動になってしまったし、気が付けばヤコブやトト達の方に意識が持っていかれてしまっていた。きっとその度にアリアだけではなく、グレアにも負担を強いてしまっているはずだ。

(もっと簡単に解決すればいいんだが……)

今回も、それは難しいかもしれない。サイモンはため息を吐く。サイモンたちの目的は、海の神の鎮静化なのだから。


「……まあ、細かいことはあとで考えるか」


今は休憩中だ。いろいろと思考を巡らせるのもいいが、この状況を楽しむのも悪くないはず。

サイモンは大きく手を広げて寝転がると、吹き流れる風に目を閉じる。嗚呼……穏やかな時間が老体に沁みる。鼻孔を擽る潮の匂いが非現実的な演出を醸し出していて、中々に良い。ふと大きく息を吸い込んで、目を開ける。不意に感じる気配に、サイモンはのっそりと起き上がり、振り返った。

瞬間、視界の端で何かがきらりと光る。

(なんだ、あれ?)

じっと目を凝らして、ハッとする。あれは、もしかして――。

サイモンは弾かれたように起き上がり、その勢いのまま光の元へと走り出した。


「こら! 何してる!」

「うわぁっ!」


隠れ蓑になっていた草木がガサリと揺れ、犯人が大きくバランスを崩す。どしんと尻餅をついた少年の手元に、サイモンは視線を向けた。――予想通り。光に反射しているのは、魔法道具の一つ――〝スキュラ〟だった。

(やっぱりか……!)

ガラス越しに見た光景を、切り取り現像化することができる魔法道具だ。戦争の名残で、一時期野党が散見された際に、小さな証拠も足掛かりになるだろうと、サイモンとトトが一緒になって開発した物だった。中にあるフィルムを必要な手順で書き出せば、紙に映すことも出来る優れものだ。

つまり、形に残して、更に見ることができる代物。それはどうやら印刷業などを営む人間にとっては喉から手が出るほど欲しいもののようで。〝そういう系統〟の仕事をする人間はこぞってスキュラを買い求めるのだ。そっちの方が各々の売り上げもいいらしい。難点があるとすれば、数が少ないので見つけづらく、更にとんでもなく金がかかることくらいだろうか。

そんなものが純粋な気持ちで海に向けられているとは思えない。スキュラは高額だ。一般人が買おうとすれば五年分の給料が一瞬で飛ぶだろう。だからか、スキュラを持っている人間は借金をしている場合が多く、返済するために〝してはいけないこと〟に手を染める人間も少なくない。サイモンはスキュラを手に取る。「あっ!」と犯人の高い声が聞こえた。


「何を撮った? 盗撮は犯罪だぞ。衛兵を呼ばれたいのか?」

「は、はあ!? 知らねーよ!」

「知らないってことはないだろう。スキュラを購入する際に説明は受けているはずだ」


スキュラのフィルムを取り出そうとすれば、「やめろよ!」と声が響く。伸ばされる手を避け、本当に衛兵を呼んでやろうかと犯人を見て――サイモンは「あ」と声を上げた。同時に犯人の口も「あ」と開く。


「オッサン! 生きてたのかよ!」

「久しぶりに会っての第一声がそれか」


ズレ落ちたベレー帽を直し、サイモンを見上げる少年。

以前街で途方にくれていたサイモンを港まで連れて行ってくれた、新聞売りの少年だった。


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