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第58話

「……」

「サイモンさん、大丈夫ですか?」

「あ、ああ。悪い。大丈夫だ」


アリアの心配そうな声に、サイモンはハッとして表情を取り繕う。しかし、頭の中を占めるのは昨日の出来事だった。

『まさか身内に居るとは思わなかったよね』

そういうトトは、苦い顔をしていた。

話を聞けば、ラードは騎士団でありながらトトとも面識があったらしい。それは彼が魔法について貪欲だったから。知識を問われ、よく教えていたそうだ。

(まさかその人物が、裏切るなんて思わないよな)

その後、ヤコブにも聞いたが彼もラードとは仲が良かったらしい。トトやヤコブだけではなく、人懐っこくて明るい彼はいろいろな人に気にかけてもらっていたという。

(俺がいなくなった後に入った新人……か)

ヤコブは話を聞いた瞬間、ドバーと涙を流し、布団の上で何度も土下座してきた。サイモンが居なくなった後、騎士団を任されていたのだ。彼が責任を感じるのも無理はない。


「それにしても、海の神様ですか。何というか……話のスケールが大きすぎて、実感がないっていうか……」


うーん、と悩むアリアに、サイモンは苦く笑う。確かに彼女の言う通りだ。正直サイモンもいろいろなことが同時に起きて頭がこんがらがってしまいそうになっている。

(グレアは情報量の多さに目を回しているくらいだしな)

サイモンは頭から煙を出すグレアを見て、ふっと笑みを浮かべた。


――数刻前、サイモンたちの部屋を訪れたのは、このフクロウ族の長であり、神託を賜ると噂の神子だった。

透き通るような白い肌に大きな瞳、銀糸の髪は相変わらず綺麗で、バルーン状のワンピースの両側には人間の腕が生えていた。最初は翼じゃなかったか? と疑問に思っていれば、「これ、変えられる」と神子直々に実演で教えられた。

彼女はストンとサイモンたちの前に座ると、大きな目で座るように訴えてきた。同じように座れば、神子の雰囲気が一変。大きな黒い瞳は黄色に変わり、グルグルと渦を巻く。アリアが悲鳴を上げたのも束の間、彼女の口から大地の神の声が聞こえた。


『海の神が嘆いている。お主たちに助けてもらいたい』

「助ける……?」

『海の神は今、西の海におる。検討を祈る』


すっと消えて行く大地の神の気配。慌てて声をかけるが、その時にはもう神子自身の意識と変わってしまっていた。

唖然とするサイモンたちに、神子は「昨夜、大地の神から神託を承った。だからここにきた」と告げると、颯爽とどこかへと行ってしまった。きっとトトのところにでも行っているのだろう。昨日も今日も、神子はトトにべったりくっ付いているようだし。

(トトが懐かれるなんて、珍しいこともあるもんだな)

トトも受け入れているようだし、それが余計に珍しい。サイモンは今度話を聞いてやろうと思いつつも、大地の神から告げられたことについて頭を抱えた。

(海の神が嘆いていることは、遺跡でも言っていた。それがスクルードを気に入っている天の神に関係があることも聞いている。王都の状況は……トトとヤコブに聞いて多少進歩した、か。他には……ああ、そうだ。新興宗教と、そこに居るであろう騎士団の一人、ラードの存在と目的もまだわかっていない)

新興宗教は新しい神が何とかって言ってるし、ヤコブ曰く教会は一般人が押し寄せる事態になっているらしいし……そもそもこの状況で国政は回っているのか? 騎士団は何をしている? いや、そもそも他の英雄たちはどこに……。


「さ、サイモンさんっ、頭から煙が出てますっ!」

「だ、だいじょうぶ……」

「大丈夫じゃないですよ!?」


フラッと頭が揺れる。考えることが多すぎて、サイモン自身も頭がパンクしてしまいそうだ。

アリアが慌てて水を持ってきてくれる。それを有難く飲んで、大きく息を吐いた。

(――優先順位を付けよう)

まず、大地の神からの願いである海の神を救うことは最優先事項だ。……神からのお願いを後回しにすると大変なことになるのは、考えなくてもわかる。ラードの方はヤコブ達が調べるだろうし、そもそも彼等の後輩なのだから任せてもいいだろう。ついでに新興宗教についても話が聞ければ、なお良し。

(問題は王都の様子だが……)

此処から王都までまだまだ距離がある。西の海まで行っていたらかかる時間は倍以上だろう。

(せめて移動時間が短縮できれば……)


「そうか。このままトトに飛ばしてもらえば――」

「バカ言わないでくれる?」

「い゛っ!」


バコン、と頭に走る衝撃に視界がガクンと揺れる。突然なんだ、と顔を上げればトトが不機嫌そうな顔で立っていた。真っ黒な顔は隈が二重、三重にも重なっており、大きな目を更に大きく見せている。隣にはさっき出て行った神子が立っており、こちらをじっと見つめていた。

威圧感のある二人の目にひくりと頬を引き攣らせる。


「と、トト、お前、何日寝てない……?」

「さあ。知らない。そんなことより、僕は移動魔法は使えないよ」

「えっ」


使わない、ではなく、〝使えない〟ときた。

サイモンはぐっと眉を寄せると、トトを見る。


「何故だ? お前なら三人を移動させることくらい出来るだろ。俺は今魔力が安定しきっていないし、人を飛ばすのはあまり得意じゃない。その点、お前なら――」

「……って言ってるの」

「? なんだよ、ハッキリ言わないと」

「誰かさんのせいで魔力がほぼ空だって言ってるの!」


ダンッとサイモンの座っていた椅子に足が乗せられる。その勢いにひゅっと息を飲んだ。

(あ、あぶな……!)

避けるのがもう少し遅かったら、とてつもない痛みに悶えているところだった。最悪……いや。それ以上は考えないでおこう。

隈のお陰で迫力が増しているトトは、「チッ!」と極悪な舌打ちをする。寝不足が祟って機嫌も最高潮に悪いらしい。タイミングとしては最悪だったのだろう。


「僕だってサイモンたちが遺跡の調査をしてくれたらお礼に王都まで飛ばしてあげようかなって考えてたさ! でもなんでか魔力は空! 誰かさんが余計な大技をぶち込んだせいで! 誰かさんの! せいで!」

「わ、悪かった。で、でもアレは仕方ない、だろ? それにほら、お陰で早く片付いたわけだしさっ」

「だからってコントロールできないくせに最上級魔法を使うなんて、ただの〝バカ〟だと思うけど?!」


トトの指摘に、サイモンは何も言えなかった。図星だったからだ。


「大体僕の盾を何だと思ってるのさ! お構いなしにバンバン割って! しかも最後の最後で調整ミスって最大威力にするとか、バカなの!? こっちは阿鼻叫喚の中、どんだけ……!」

「わ、悪かった。本当に。だから蹴るのはもう――」

「はあ!? それが謝ってる態度なわけッ!?


ガン、ガンとトトの足が椅子を何度も蹴る。どうやら予想以上にかなりご立腹らしい。これは寝不足じゃなくても相当腹に据えかねていたのだろう。

(ま、まずい。どうにかして早く寝かせないと!)

自分の命が終わる。これで性別が変わるなんて、冗談じゃない。

どうにか宥めようとしていれば、ふと神子がトトの肩に触れた。瞬間、蹴っていたトトの足が止まり、カクンと小さな頭が落ちる。


「え」

「フクロウ族の睡眠療法試した」

「あ、ああ」

「寝かせてくる」


神子はそういうとトトを担ごうとした。しかし、身長はあまり変わらないとはいえ、女の子の細腕では抱えきれなかったらしい。慌ててアリアが手を伸ばしたが、神子はそれを弾いた。ムッとした顔をする彼女に、サイモンはここ最近の彼女の行動の意味を突如理解してしまった。

(なるほど)

それじゃあ、とサイモンが手を貸せば、神子はすんなりとトトを渡す。女の子に寝かせられた上、サイモンに運ばれたなんて知ったら、トトはどんな顔をするだろうか。サイモンは起きた後、騒ぎ出すであろう旧友の事を想像しながら、神子に案内されるがままトトをヤコブのいる部屋へと運んだ。


目を覚ましたトトは、思った以上に荒れることはなかった。その代わり、ヤコブがいることに「うげっ」とした顔をしていたが、サイモンとしてはこちらに被害がなかっただけ断然マシである。


「なんで僕がこんな奴と……」

「ええ~!? なんでそんなこと言うんですか、トトさん!」

「……」

「ちょっと!? 無視しないでください!」


ぎゃんっと吠えるヤコブに、トトは無視を決め込んだ。アリアの作ったご飯を食べた二人は、思った以上に元気らしい。それならば、とサイモンは今の状況を二人に相談することにした。

海の神の状況。スクルードとの関係。王都のこと。新興宗教のこと。……裏切り者のこと。


「遺跡の調査はそういうことだったんだ」

「ああ。天の神から聞いたスクルードが命じたものなんだろう」

「じゃあ、海の神は最優先事項だね。なら僕は――」

「ラードの事は俺たちに任せてください! 新興宗教についても情報があればサイモンさんに届けますね!」


遮って聞こえたヤコブの言葉に、トトがぎょっとする。


「ちょっと。俺たちってまさか……」

「? 俺とトトさんです!」

「ちょっと! 勝手に決めないでくれる!?」


(また始まった)

ギャーギャーと騒ぎだすトトとヤコブ。相変わらず水と油というかなんというか。片や騎士団のトップで、片や魔法省のトップ。性格から職業まで真逆の二人は相容れないらしい。

(そんなんで上手く協力できるのか?)

そういえばヤコブが偽ってた時も、トトは心底面倒そうな顔をしていた。トトからすればヤコブの考えは理解できないのだろう。喧嘩するほど仲がいいというが、この二人もそうなのだろうか。


「はあ。まあでも、僕が動けるのは当分先だろうけどね。分析は未だ続いているし、何より誰かさん達のせいで魔力がほとんど空だからね」

「う゛っ」


人の傷を抉ることに余念がない奴だ。

サイモンとヤコブは静かに視線を逸らす。ヤコブも今回に関してはかなり迷惑をかけたと思っているようだ。発端として、その意識は間違いではないだろう。


「僕の魔力が完全に回復するまで、二十日はかかる。ここには神殿もないし、〝祝福〟が無いから魔力供給が簡単に出来ないしね」

「二十日か……遠いな」

「でもそれは完全回復まで。動けるようになるまでは五日もあればいけるよ。途中、教会に寄ればいいことだし」

「そうか。それならまあ……」

「でも、それでもサイモンたちを飛ばすのは難しいと思う」


トトの言葉に、サイモンはがっくりと肩を落とす。

(そうだよな。そう上手く話が回るわけがないよな)

とはいえ、五日以上待つのは、大地の神の命から外れてしまわないか心配だ。さっき神子が置いていってくれた地図を手元に、サイモンは唸る。

(西の海ってことは……結構遠いな。足で歩いても一か月以上かかる)

馬車を乗り継ぐにしても限度があるだろうし、広い大地の上では船は使えない。


「ん? 西の海?」

「どうした、ヤコブ」

「ああ、いえ。西の海って確かシマリスの港があるところじゃなかったかなと思いまして」


そういうヤコブに、サイモンは地図上に目を落とす。本当だ。確かに西の海沿いに大きなシマリスの港がある。

(海の上ばかり見てて気づかなかったな)

シマリスの港といえば、アリアと一緒に旅をする前に寄った場所だ。〝祝福〟が切れた時にいた場所でもある。その時にお世話になった新聞売りの少年は元気だろうか。


「え~、懐かしいなぁ~!」

「ヤコブは行ったことがあるのか?」

「行ったことあるも何も、俺の故郷っすよ、そこ!」

「えっ」


にこにこと笑みを浮かべるヤコブに、サイモンがぎょっとする。「そ、そうなのか?」と問えば、満面の笑みで頷かれた。知らなかった。


「シマリスっていえば、最近妙な噂が立ってるところじゃなかったっけ?」

「妙な噂?」

「うん。『幽霊船からゾンビが出て、人を襲ってる』って話」


そういうトトの目は茶化すようなものではなく、真剣そのものだった。



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