「なッ――!」
パリンッと甲高い音を立て、水晶が割れる。水晶越しに見ていた景色が見えなくなり、一瞬にして靄に変わってしまった。
「ちょっとぉ。何してるのよぉ」
白いローブに隠された顔を、黒い服を着た女が覗き込む。ベールの薄い壁越しに、底冷えした赤い瞳が見える。血のように赤く染まった瞳。情熱の色とは真逆に、向けられる視線は氷のように冷たい。ローブの男の心臓を凍り付かせるには十分だった。
ローブの男の手が震える。恐怖に染まった顔に、女は不満げに顔を歪ませた。
「あ、あ……」
「本当に手に入るんでしょうねぇ?」
「っ、だ、大丈夫だ! て、手は打ってある! 今度こそ、ちゃんと……っ!」
「ふぅん。あっそぉ。まあ、なんだっていいわ。――次。失敗したらどうなるか、わかるわよね?」
女の言葉に、男は崩れ落ちる。割れた水晶の欠片が足元に零れ落ち、女のヒールに踏みつぶされた。じゃり、と嫌な音が響き、男の緊張が跳ね上がる。ドッドッドと嫌な心音が耳を劈く。傘の先端が男の顎を持ち上げた。喉に押し当てられる先端は、今にも喉を貫いて男の息の根に風穴を開けそうだ。
(こ、殺される……)
「――約束は守ってもらうわよ、ラード」
「いやぁ~! 乗っ取られそうになってたのは気づいてたんですけど、俺じゃあ魔力量が足らなくて何も出来なくて! トトを追いかけて来たら、まさかサイモンさんまでいるとは! ラッキーって感じで!」
「お前、口調戻ってるぞ」
「いいんです! あれは俺の中にいる奴に〝サイモンさんたちはため口使っても大丈夫な奴だぞ~〟って油断させるためにやってたんで!」
「サイモンさんもトトさんも、すぐに気づいてくれてよかったっす!」と笑うヤコブ。
情けない姿から突然口調も雰囲気も変わり、好青年になった彼の様子に、アリアとグレアがあんぐりを口を開けているが、本人は気づいていないのか、それとも気づいた上で楽しんでいるのか。
(まあ、後者だろうな)
コイツもなんだかんだとイイ性格をしている。最初タメ口で来られた時はまた誰かに付けられているんだと思っていたが、まさか寄生されていたとは。
(騎士団のルールを知らなかったらぶっ飛ばしてただろうな)
急にため口になる上、厄介事ばかり引き寄せて来て、後処理は全部こちらに丸投げ。作戦じゃなかったら二、三発は殴っているところだ。
「でもまさかあんな大技仕掛けられるなんて……俺、そんなに悪いことしました?」
「いや。何となくむかついて」
「ひどいっすッ!!」
わーん、と泣き出すヤコブ。その様子にホッとしているアリアたちを見て、サイモンは複雑な心境になる。それでいいのか、とヤコブに問いかけたい気もするが、まあいいかと思う部分もあるわけで。
雷がヤコブを貫いた後、サイモンはすぐにヤコブの様子を見に向かった。荒療治である自覚はあったので、もしまだ生きていれば治癒魔法をかけてやるつもりだったのだ。
サイモンの予想通り、ヤコブは生きていて、寄生虫は死んでいた。背中にあった寄生虫の根元は雷で焼けており、痛々しい傷と引き換えにヤコブは正気を取り戻すことが出来たのだ。
(それにしても相変わらず奇想天外というか、発想がえげつないな)
寄生虫を引き剥がすなんて、教会にでも行けば一発だっただろうに。
「教会は今、信者たちが押しかけてて入れないんすよ。スクルードさんのお陰で〝祝福の蓄え〟はあるとは思いますけど、騎士団の人間が国民のためのモンを使っちゃったらダメでしょ?」
「まあ、それはそうだが……って、お前もしかして城に戻らなかったのって」
「だって、情報やるのは癪じゃないですか」
にかっと笑うヤコブに、サイモンは頭を抱えた。
(そうか。そういうことだったのか)
一度目の旅行は、何かを調査するため。トトが遺跡の調査をしているのと同じように、きっとスクルードに言われてきたのだろう。そこでヤコブは乗っ取りの魔法をかけられた。そのことに、本人は気づいていたのだろう。その後、ヤコブの身に何が起きたのか、詳しくは知らないが彼はそれを好機と捉えた。魔法をかけられたことに気付かないふりをして、城に戻って入れないとわかるなり、トトを探しに出たのだろう。
(相手に情報を与えず、相手の情報を探ることが出来るのは、スクルードと俺を抜けば、トトくらいだ)
一度城に戻ったのは相手を油断させるため。もし中に入れたとしてもヤコブは何らかの手を考えていたに違いない。相変わらず変なところで知恵が回るというか……きっとそういうところを見て、スクルードも彼を使ったのだろう。
「ん? てことはもしかしてお前が持ってた魔法道具って……」
「ああ! これはスクルードさんが持って行っていいってくれたんですよ! コクホウ? にもなるからなくすなって言われましたけど!」
「あの馬鹿……!」
仲間だからと言って国宝に値するものを簡単に貸す奴があるか!? いや、ない! 断じてない!
(俺たちの事になると無条件に信じる癖、やめろって言ってんのに……!)
もし本当にヤコブが乗っ取られていたらどうするつもりだったのか。……いや、笑って「さすがだな!」と面白がるだろうな。スクルードとはそういう奴だ。
サイモンは大きくため息を吐くと、「とりあえず、それは後でトトに返しておけよ」とヤコブに告げる。すると予想以上にいい返事が返され、それが余計にサイモンの頭痛をひどくさせた。
「それにしてもお前、危ない橋渡り過ぎだろ」
「すみません。でも、サイモンさん達なら助けてくれると思って!」
「トトだったら焼き殺されてたかもな」
「否定できないっす! でもサイモンさんが居たんで結果オーライじゃないっすか?」
「お前が言うことじゃない」
「ぎゃんッ!」
ボコッとヤコブの頭を軽く殴る。生死を彷徨ったとは思えないほどの元気の良さに、やはり同僚にはネジがぶっ飛んだ奴しかいないことを改めてわからされた気がした。
「そういえばトトさんは今何してるんですか?」
「ん? ああ。お前を操っていた奴の解析をしている」
「げっ。マジですか。アレすげぇ燃えてた気がするんすけど、解析とか……」
「残念ながらアイツは本気だ」
うげー、と舌を出すヤコブに、今回ばかりはサイモンも同感する。あんな小指の爪もない灰の欠片をかき集めて、更に魔力を辿るなんて地道な作業、誰に頼まれてもやりたくない。
(あれ、とんでもなく神経削られるんだよな……)
次の日、まともに目を開けて過ごせなくなる。それくらい、慣れていない人間には地獄のような作業だ。
数時間前に会った旧友の姿を思い出し、サイモンは何とも言えない顔をする。「サイモンさんすげー顔してる! ヤバ!」とからかうヤコブを無理矢理寝かせて、アリアとグレアに見張りを頼むと、家を出た。
外では相変わらずトトとフクロウ族とワシ族の数人が地べたを這いつくばっている。「灰の欠片を余すことなく集めたい」というトトに、みんな付き合わされているのだろう。目が血走っていて、怖い。
その中心の人物と言えば、真っ黒な隈を大きな目の下に携えながら、木株と向き合っている。木株の上には魔法陣を書いた紙と、瓶に詰められた灰が置かれていた。……不気味な笑い声が聞こえるのは気のせいだろう。隣で座り込んでトトの手元を覗き込んでいる少女にも、触れない方がいいだろうか。
「トト」
「なに、サイモン」
「……お前、ちゃんと寝てるのか?」
「うるさいな。今いい所だから邪魔しないで」
(コイツ……人の心配を何だと……)
正しく一刀両断。サイモンの心配も余所に、トトは作業を続けている。怒りたい気持ちはあるが、こういう時のトトにちょっかいを掛けるとろくなことにならないことは経験済みなので放置するしかない。……以前はそれでえらい目に遭ったしな。
サイモンは仕方なく周囲を見つめる。空を飛ぶ種族であるフクロウ族とワシ族が地べたに這いつくばっているなんて、どんな皮肉だ、と眉を寄せていれば、「おい」と声を掛けられた。
「なんだ? やっと魔力探知が終わったのか?」
「そんなものとっくに終わってるよ」
「そうなのか」
流石というべきか。サイモンは驚いた。それと同時に、彼が今していることは何なのかと疑問が浮かぶ。しかし、その疑問の答えはすぐにトト本人の口から聞くことが出来た。
「今は仕掛けた奴の魔力の分析……は終わって、それを手伝った奴らの人数と魔力量の把握、得意な魔法の種類とかを分析してる。これが厄介でね。まあ君たちには到底出来ない芸当だろうけど?」
「一言多いんだよ、お前は」
確かにトトの言う通りだが、専門家と一般人を一緒にしないで欲しい。
「それで、本題は?」
「そう。それ。仕掛けた奴の解析は終わってるんだ。紙にまとめたから確認して」
「紙って……お前のそれは魔法で作ったマジックペーパーだろ。魔力吸い取られるから勘弁してほしいんだが」
サイモンは顔を顰めると、トトから緑の宝石を手渡される。それを決められた回数で叩けば、紙へと変化した。
――マジックペーパー。
紙の書類をもったいないと思ったトトが、〝暇つぶしで〟開発したものだ。暇つぶしで作られたものだからか、魔力の配分に関しては甘い点が多く、実用化にまでは至っていない。しかしそれは世間に、という意味で、城ではよく使われているものだ。
魔力を持つ人間なら誰でも開けるということで、魔法使いは重宝している。それもそうだろう。魔力があれば思い浮かべるだけで文字が書き上げられて行き、より早く書類を作成できる。魔法で好きな形にして届けた後は、受け取った人間が開いて中を確認すると紙は消滅する。開くのは宛てられた本人しか出来ないし、証拠もなくなるので内緒話をするにはうってつけだ。もちろん、残すことも出来るが、その場合は受け取った人間が固定の魔法をかけることで対応が可能らしい。
(その分、受取人の魔力を書いた分と、紙と文字の再生分で大量に持っていくんだけどな)
「いいでしょ、別に。それに、僕の作ったのは僕だけの魔力で補ってるから、サイモンの魔力はいらない」
「へぇ。そりゃあ便利になったな」
「ま。僕しかやり方知らないけどね」
「おい」
トトの言葉につい突っ込めば、「いいからさっさと確認して」と言われる。渋々マジックペーパーへと目を落としたサイモンは、驚きに目を見開いた。
【分析結果:主犯 ラード・シュタンズ。男。二十八歳。得意魔法:風、闇。職業――――】
「……トト。これって」
「うん。間違いないよ」
【職業:スクルード王国騎士団 第五部隊 副団長】