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第55話

サイモンが壁を駆け上がる。その速度に追いつこうと大地の鞭を駆け上がるが、背中を捉えるだけで精一杯だった。

(くそっ! 速すぎるだろっ!)

そもそも壁を何の補助も無しに駆け上がれる理由がわからない。ヤコブは盛大に舌を打ちながら、必死に足を動かす。サイモンが規格外なのは知っていたが、だからといって何かが出来るわけではないことも知っている。その間にあるのは、圧倒的な実力の差だ。


『ええい! 早く地上に行くのを止めろ!』

「うるっせぇなぁ……! 言われなくても向かってんだろーがッ」


ガンガンと頭に響く声に、顔を思い切り顰める。勝手に身体を乗っ取ってるくせに、文句はこっちに言ってくるのだから馬鹿馬鹿しい。

(つーか、そんな筋肉の使い方、俺したことねーんだけど)

何が自分に植え付けられているのか。ヤコブは何となく想像しながらも、勝手に動く足で前に進んでいく。胸元に付けられた赤い魔法石――マジック・ディザベルから魔力を吸い取り、魔法を重ねるが、サイモンに届く前にいなされてしまう。

流石だ、と思う反面、自分の力が通用していないことに少しだけ腹が立ってくる。

(まあ、動かしてんの俺じゃねーけどッ!)

でも悔しいものは悔しい。一回くらい派手に当たってくれればいいのに、サイモンは全くその気配をさせない。


『殺せ! あの男を一刻も早く! 殺せ!』

「っ、叫ぶなよ。頭割れんだろーが」


ズキズキと痛む頭に、容赦なく声が響く。悪意と敵意に塗れた声は、ヤコブにとって懐かしさすら感じるそれ。

地上へ出ようとするサイモンを、中にいる奴は止めたいのだろう。しかし全く通用しないことに、苛立っている。それがヤコブにとってはとても滑稽に思えた。

――自分の中に異物が入っていることは、早い段階から気づいていた。しかし、癒すための魔法を使えないヤコブは自分一人で処置できるはずもなく、仕方なくトトを探してここまで来たのだ。サイモンがいたのは本当に偶然で、さらに言えば、まさかこのタイミングで異物が発芽するとは思ってもいなかったのだ。完全に予想外の出来事だったが、慌てていないのは相手がサイモンだからだろう。


「〝ティー・ホース土壁〟!」


身体が勝手に魔力を使う。巨大な土の壁がサイモンの行く手を阻み――しかし、サイモンはそれを軽々と越えていく。自身がぶつかる前に解除をし、再び足止めの魔法を唱えるが、それも簡単に避けられてしまった。

(もう完全に遊んでんじゃん)

サイモンの身軽さに、ふはっと吹き出してしまう。今までで一番馬鹿みたいな戦い方をしている自覚が、ヤコブにはあった。戦い方は記憶から引っ張り出しているらしいが、それも大昔の話。もし今の自分が本気で闘っていたら、きっともっと上手くやっているに違いない。

壁を蹴り、宙を舞うサイモン。捕らえようと大地の鞭をしならせるが、寧ろ足場にされてしまった。跳び上がったサイモンが反対側の壁を伝うのを見て、身体がぐっと溜めに入る。


「〝ディアペーノ貫け〟!」


遥か下から土の杭がすごい勢いでサイモンを襲う。尖った先端が頬を掠め、痛みに顔を顰めた。

(依り代ならもうちょっと大切に扱ってくんねーかなあ!?)

そう文句を言ったところで、中にいる奴らには全く伝わらないのだろう。サイモンは振り返ると、僅かに行動を止めた。逡巡する暇があることに、心底驚く。……流石に今のは舐めすぎじゃないだろうか。

案の定サイモンは杭を避けきれず、そのまま上空へと貫かれてしまう。


「ぐっ、!」

『いいぞ下僕! 畳みかけろ!』


ヤコブの中にいる異物が、上機嫌に話し出す。さっきまでの苛立ちは一体どこへ消えたのか。苦し気に呻いたサイモンの表情を見て楽しそうな声を上げる中のヤツに、ヤコブはただただ上空を見上げていた。

(あーあ)

やってしまったな。あれじゃあ、命も何もないぞ。

ヤコブの身体が魔法を展開する。自分の足元がぐらりと揺れ、そのまま地上へと伸びていく。見えて来る光に、ヤコブは目を細めた。





トトは神子をじっと見つめ、言葉を待っていた。

〝神〟の中で一体何が起きているのか。それがもしかしたらスクルードの身に起きたことと、何か関係があるんじゃないか。そう思わせてならないのだ。


「……どうして、そう思う?」

「どうしても何も、この状況を見ればわかることだと思うけど」

「そう」


神子はそう言うと、再び黙り込んでしまった。

(ほんっと、何考えてるかわかんないんだけど)

能面のような顔で俯く彼女。正直そのまま動かないでいれば、ただの置物にしか見えないだろう。その様子にトトは大きく息を吐いた。聞いても無駄だったかもしれない。

そもそも神子が自分たちに協力する理由はないのだ。何故か着いて来たのは彼女自身だけど、ただ暇だったから来ただけかもしれないし、何か目的があって来たのかもしれない。その真意はわからないが、それを考えている時間は今はない。

トトは「もういいよ」と告げると、改めてサイモンたちが吸い込まれたという地面を見た。ほとんど残っていない魔力を辿るのは至難の業だが、やるしかない。

(まあ、サイモンが死んでるとは思わないけど)

そう、しゃがみ込んだ時だった。


「「!」」

「うぉッ?!」


ゴゴゴ、と地響きが大きく足元を揺らし、それはどんどんと大きくなっていく。

(地震!?)

いや、違う。これは――――!


ゴウッ!


「ッ、二人とも伏せてッ!」


トトが声を張り上げる。しゃがみ込む神子を飛び越え、唖然としているセグロの頭を抑え付けた。「ンガッ!?」と歪な悲鳴を上げるセグロを足場に、トトは魔力で作った盾を張る。瞬間的なものだったが、三人を守るには十分な大きさだろう。

ガキィン、と耳を劈く轟音が響き、盾から伝わる衝撃にトトは眉を寄せる。

(あっぶなっ)


「何すんだッ!?」

「岩が飛んできただよ。僕が助けなければ君、今頃頭が吹っ飛んでただろうね」

「はあッ!? なんでそんなもの――」


セグロの声が止まる。それもそうだろう。

さっきまでなかったはずのタワーのような円柱が、森の奥に生えているのだから。

(あの馬鹿っ)

漂う魔力にトトは内心吐き捨てる。魔力からして魔法を使った人物はわかっている。そして、打ち上げられた人物が誰かも。


「な、なんだありゃァ……!? あんなもん、さっきまでなかっただろ?!」

「腰抜かしてる場合じゃないよ! それより早く! みんなのところに戻るよ!」

「え、あ、お、おうっ」


トトは盾を引っ込めると、セグロの上から飛び降りた。セグロは慌てて立ち上がると、茫然としている神子を抱える。流石先頭に慣れているワシ族なだけある。突然の非常事態なのに的確な動きをするところは、褒めてやるべきところだろう。羽を羽ばたかせようとする彼の腕を掴んで、魔法の膜で自分たちを覆う。本当は無駄な魔力は消費したくないのだけれど、今はそうも言っていられない。


「お、おいっ」

「暴れないで。落ちるよ。――〝ティエム・フォー・アラース瞬間移動〟」


トトが唱えると同時に、三人はその場から忽然と姿を消した。

瞬きをするほんの一瞬で切り替わる景色。そこはフクロウ族の家がある木の根元だった。一瞬の出来事に驚くセグロの背中を叩いて、叫ぶ。


「早く家の中に入って! みんなにも、死にたくなかったら絶対に外に出ないように伝えておいてよねッ!」

「お、おう!」


セグロは神子を抱き留めると、早々に木の上へと飛び上がった。これで他の人たちへの説明は問題はないだろう。好奇心に負けて出てきたら、そいつはただの馬鹿だ。ふと、フクロウ族が耳を貸すかどうか不安になったが、神子が一緒に居れば多少は信じてくれるに違いない。

トトは振り返り、頭上を見上げる。円柱の先にいる人物を見つめ、大きくため息を吐いた。


「遅かれ早かれ、こうなるとは思っていたけど……」


もうちょっと時と場所を考えて欲しかったと思うのは、贅沢だろうか。否、操られていたのが自分だったらきっと出来ただろう。もう一度大きくため息を吐いて、トトは元凶の姿を思い出す。

ヤコブの中に変なものが紛れていることは、出会った時からわかっていた。いつ、どこでそんなものを入れてきたのかは知らないけど、こういうことは昔からよくあることだったから特に気にしていなかった。それがまさか、大地の神の遺跡に入ってしまったのは誤算だったけど。

(やっぱりスクルードと何か関係があるんデショ)

とりあえずこの状況をどうにかして、そしたらあの馬鹿達に話を聞こう。神子を問い詰めるよりもそっちの方が早そうだし。


「サイモン! 何やってんのさ! 喧嘩するなら近所迷惑にならないようにやってっていつも言ってるデショ!」

「いつつ……お前なぁ。瀕死になっている奴に言うセリフか、それ」

「はあ? わざと食らったくせに、何被害者ぶってるワケ?」

「バレてたか」


ははは、と笑みを浮かべる彼。いたたた、と体を起こすサイモンの胴体には大きな風穴が空いていた。

(うわ。痛そっ)

真っ赤に染まるサイモンに、トトは眉を寄せる。既に本人が治癒魔法をかけているのだろう。細胞がうねうねと動いているのは何度見ても気持ちが悪い。

ドゴンッと追いかけるように地響きが聞こえる。さっきよりも幾分か小さい音だったが、飛んでくる石の量はさっきの非じゃない。もう少しまともな登場をしてくれないものかと思う反面、相手がヤコブだということを思い出してトトは言うのを諦めた。何度言っても大技しか使わない馬鹿には、言うだけ無駄だとわかっている。


ヤコブが姿を現し、サイモンに斬りかかる。サイモンは回復に時間が掛かっているのか、逃げる一方だ。しかし、やはりというか、その逃げ方に無駄はない。

(でも、たしかにサイモンの言った通り、ちょっと回復が遅い気がする)

コントロールが上手くいかないと言っていたサイモン。最初は言い訳だと思っていたが、回復に波があるのが見える。……言っていることは本当だったらしい。

それに代わり、ヤコブは荒っぽい攻撃を何度も繰り返している。粗が目立つ攻撃は、ヤコブらしくない。

(侵食が進んでる。あのままじゃ、半日も持たないだろうね)

上空で闘う二人を観察していれば、ふとヤコブの放つ攻撃の欠片が降り注いでくる。チッと舌を打ってトトは頭上に盾を展開した。弾けた破片が森の中へと落ちていく。


「ナイスだ、トト!」

「ちょっと! やるならもっと遠くでやってくんない!?」

「悪い! 今そこまでの余裕がない!」


(絶対嘘だ! 顔がにやけてるし!)

ガルルル、と唸るように喉を鳴らし、サイモンを睨みつける。しかし、サイモンはどこか上機嫌に笑ったまま「みんなを頼むぞ!」と声を張り上げた。


「ちょっ、勝手に何言ってんのさ!」

「トトなら出来るだろ? おっと。危ないな」


サイモンの頬をヤコブの放つ岩の弾が霞める。ギロ、と向けられるヤコブ視線。

(やばい)

そう思った時には、もう遅かった。こちらに向くヤコブの身体。地面から引き剥がされた岩が彼の周囲を囲うように宙を舞い、円を描く。その光景にトトは「サイッアク!」と叫んだ。笑っているサイモンは後で一発殴ろうと思う。


「〝アスピバ・ネロウ水盾〟!」

「〝ヴ・ラストス打て〟!」


上空に杖を向け、十五の盾を展開する。渦巻く水の盾は上空を覆い、同時に薄い膜の結界を張った。こういう時はやり過ぎくらいが丁度いい。どうせ一回で終わるわけがないのだ。

息を吐く間もなくヤコブの攻撃が盾を襲う。一個、二個と破壊されていく盾。そしてトトの予想通り、襲い来る追撃に五個の盾が消滅した。盾の弾ける音に、家の中にいるフクロウ族とワシ族たちの悲鳴が響く。緊張感が周囲を取り巻くが、トトはさほど焦ってはいなかった。ブーストが掛かっているとはいえ、ヤコブとトトの魔法では、どちらが上かなんてわかり切っているからだ。


「僕に魔法で勝とうなんて、夢物語もいいところだよ」


残った五つの盾が、トトの頭上でぐるぐると回っている。見せつけるように動かせば、ヤコブの悔しそうな顔が見えた。彼らしくない表情に、「うっわ」と声を上げてしまう。

(気持ちわるー)

うへぇ、と舌を出せば、「そんな顔すんなよ」とサイモンの声が聞こえる。


「見てる暇があるならさっさとどうにかしてよ」

「ハイハイ」


トトの言葉に、サイモンが仕方なさそうに返事をする。その顔を見て、トトは眉を寄せる。

そもそも、トトがヤコブの事に気付いていながら何もしていなかったのは、純粋に面倒臭かったからだ。魔法は楽しいし、魔力操作だって簡単に出来る。ただ、それをするまでが面倒なのだ。相手がヤコブなら余計に。

(どうせ僕を探しに来てたんだろうし)

高度な魔力操作を使って、尚且つ異物を追い出すことが出来る人間と言えば、僕かサイモン、それとスクルードくらいだ。アイツだって馬鹿じゃない。一番場所が割れているのが僕だったから、ここまで来たんだろう。サイモンは偶然出会っただけ。

(だからサイモンに押し付けようと思ってたのに)

まさかこんな形で巻き込まれるとは思わなかった。

既に風穴が塞がり、元気になっているサイモンの姿を見る。ビュンビュンと宙を飛んで、とても元気そうだ。この先は見てるだけで大丈夫そうだし、高みの見物でもしているとしよう。そう思って振り返れば、そこにいた小さな影にぎょっとする。

(いつの間に!?)


「トト」

「み、神子っ!? 外には出て来るなって言っただろ!」

「神が、憂いている」

「はあ?」


じっと上空を見つめ、告げる神子。その顔は相変わらずの能面で、何を考えているのかさっぱりわからない。


「嗚呼もう! 面倒な話は後にして!」

「トト」

「今度は何!?」

「アレ」


神子の言葉に、トトは顔を上げる。そこにいた存在に、トトは再び心臓が飛び出る思いをした。

(あれは――大地の神、ウーレス!?)

なんでここに!?

大地の神、ウーレス。天の神と水の神と並ぶ三大神の一人。他の二神よりも人間が好きで生き物を愛している彼女だが、人前に姿を現すことはしない。そんな彼女が地上に現れ、サイモンとヤコブを見ている。しかもなぜか笑顔だ。


「楽しそう」

「……そう、だな」

「でも、苦しそう」


トトは神子の言葉の意味に、すぐに気が付いた。大地の神から、ヤコブの中にいる異物と同じ魔力がするのだ。

(ヤコブと同じように取りつかれたか、それとも……)

考え込むトト。もしこのまま大地の神が乗っ取られたら、更に面倒なことになる。〝祝福〟がなくなった今、神の世界はどうなっているのかはわからないのだ。

――〝祝福〟は、スクルードの膨大な魔力量と、天の神の力が大きく作用しているのだから。


ふと、トトはヤコブの背中に見えるものに気が付いた。

昨日会った時はなかった〝それ〟。好奇心に駆られて視界に魔力を施し、視力を底上げしたトトは「うげっ」と声を上げた。

(あれって……)

トトの視線を感じたヤコブが振り返る。視界一杯に見えた彼の顔は、忌々し気にこちらを見て、岩の杭を投げて来る。パリンッと盾が割れ、パラパラと落ちていく。どうやらこれは、相手にとって見られたくなかったものだったらしい。


「サイアク」


何がって、重要なものを自分が目にしてしまったことが。戦っているサイモンが気づいていないとは思わないが……一応報告しておいた方がいいだろう。

トトは視界の魔力を解除すると、杖を空中で回す。神子が興味深そうに見ているが、知ったことじゃない。


「〝タフィリー・ミコペスティリー伝書鳩〟」


杖の先から白い鳥が出現する。トトは魔力を滲ませた声で彼に『ヤコブの背中』と告げると、彼は元気よく羽ばたいていく。魔力で作った伝書鳩だが、ヤコブには見つからないような仕掛けがかけられている。万一見つかったとしても、トトの魔力で作られたものを壊すほどの力が、ヤコブ自身にはないので無理だろう。


「僕はもうこれ以上関わらないからな」


そう言ってトトは苦い顔で二人を見上げる。

しかしその決意は数分後、あろうことかサイモンによって打ち砕かれることを、トトはまだ知らなかった。


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