「ちょっと……! 多すぎませんかっ!?」
「話す暇があるならさっさと走れ!」
「後ろ! 来るぞ!」と響くグレアの声に、アリアは振り返る。ウッドロッドの四肢がうねり、アリアたちに向かって振り下ろされる。ドゴッと激しい音を立てて、地面が割れた。あまりの勢いの良さに、つい身震いしてしまう。
(当たったら最悪。骨の一本二本、覚悟しないといけなさそう……!)
そんなもので済めばいいけど、と付け足しながら、アリアは必死に足を動かしていた。
地上を目指したアリアたちが突き当たったのは、大きな一枚の扉だった。何か文字が書かれていたが、アリアたちの知らない文字だった。どこか他国のものなのか、それとも昔の文字なのかはわからないが、解読は難しいということで、そのまま扉を開けて入ってしまったのだ。
扉が閉まり、中に広がるのはまるで闘技場のような場所。天井が高く、上には観客席のような場所が設けられていた。しかし、誰もいる様子はない。代わりに感じた気配があったのは、アリアたちの向かいにある似たような扉の向こう。警戒心を引き上げ、睨みつけていれば扉が開く。出てきたのは――大量のモンスターたちで。
「逃げるぞ!」
「っ、はい!」
アリアたちは急いで踵を返したのだった。
(だからって簡単に逃げられるわけがないって知ってたけど!)
案の定、入って来たばかりの扉は開かず、アリアたちは闘技場の中をグルグルと駆け回りながら、魔物たちを少しずつ排除していく羽目になった。
小回りの利く小さなモンスターをアリアが担当し、力の強そうな中型のモンスターをグレアが担当する。会ったばかりの二人だというのに、強制的にコンビネーションを要求されているこの状況に、アリアもグレアも気持ちを張りつめていた。
「クソッ! 小さいのが邪魔で進めねえっ!」
「私が行きます!」
グレアの声に、アリアは身を低くすると、小型のモンスターたちへ突撃していく。襲い掛かってくるマッドマウスたちを切り捨て、注意を引き付ける。何か所か噛まれてしまったものの、すぐに引き剥がせたので大事には至らなかった。
(怪我はしちゃだめ。でも多少の無茶はしないとだめ)
かなり詰んでいるような気もするが、最初に比べればどんどんモンスターの数が減ってきているのがわかる。このままあと少し頑張れば、きっと殲滅することが出来るだろう。
(あと少し……もう少し――!)
「おい馬鹿ッ! こっち来るなッ!」
「ぁ、ッ、――!!」
ガンッ。
身体に衝撃が走る。息が詰まり、「かは……っ!」と乾いた息が喉を震わせた。
(やってしまった……!)
思考した一瞬の隙を突かれた。揺れる視界で見えたのは、無感情な顔をしたゴーレムの姿。振るわれた拳から察するに、引き付けることに必死になりすぎてゴーレムの射程内に入ってしまったのだろう。咄嗟に身構えたとはいえ、パンチをもろに受けてしまった。
「つ……ッ、!」
宙を飛んだ体が、地面を統べる。衝撃に息を飲み、ゲホゲホと吐き出した。
(はやく)
――早く、立たなければ。
まだ引き付けたマッドマウスが数匹残っていたはずだ。彼もどうにかしてくれるとは思うが、引き付け役がいるのといないのではまるっきり違う。どうにか動かないと、と痛む体を引き摺り起こそうとすれば、差し込む影。顔を上げ、目を見開く。さっきとは別のゴーレムがアリアに向けて腕を振り上げていたのだ。
(しまっ――!)
「ッ、この馬鹿! 早く立て!」
「っ……!」
振り上げられたゴーレムの拳が、グレアの鉤爪に受け止められる。ギリギリと競り合う度、小さな火花が跳寝ているが、それよりも注目するべき場所があった。
「グレアさん……それ……」
「話は後だ」
「いいから早く立て」と言われ、アリアは痛む体に鞭を打って起き上がる。よろめいた足を叱咤して、剣を取った。出来る限り素早くその場を離れる。マッドマウスたちが再び追いかけて来るが、数は六体とさっきの半分以下だ。
(やれる!)
アリアは剣を握り直し、振るう。一体、二体、三体。次々に葬るマッドマウスたち。最後の一匹を仕留め、息を吐いた。――終わった。周囲を見回す。倒れたモンスターばかりで、生きている者はいない。剣を一度振るい、収める。大きく息を吐いたアリアは、グレアに駆け寄る。
「グレアさん!」
「っ!」
ビクッと肩を跳ね上げるグレア。恐る恐る振り返る彼は、今まで以上に眉間にしわが寄っていた。
(なんで不機嫌……?)
アリアは困惑しつつも、ハッとして手を掲げる。グレアが首を傾げるのをみて「ハイタッチです」と告げれば、ぎょっとしたような顔をされた。
「早くしてください」
「は、おま」
「いいから!」
ほら、と手を出せば、おずおずと上げられる手。ペチ、と小さく重ねられた手に、アリアは「やりましたね!」と笑みを浮かべた。アリアの胸中を満たしていたのは、達成感だった。
(サイモンさんがいなくても、生き残れた)
それがどれだけ嬉しいことか。アリアはにやける口元を隠すように、汗を拭うふりをする。ふと、グレアが浮かない顔でこっちを見ていることに気が付いた。
「どうしたんですか?」
「……いや」
「言わないとわからないですよ」
誤魔化そうとするグレアを、アリアが一刀両断する。
さらに眉間のシワを深くする彼は、言葉に詰まったようにぐぬぬと呻いていた。いつか眉間のシワが取れなくなりそう、なんて思っていれば、視線がそらされる。顔を背ける彼に首を傾げれば、か細い声が聞こえた。
「……怖くねーのか」
「え?」
「怖くねーのかって聞いてんだ」
グレアの言葉に、アリアはきょとんとする。
(……怖い?)
「何がですか?」
「何って、見てわかるだろ!」
「はあ。まあ確かに腕は毛深くなっていますし、爪も長くて……これ鉤爪いらないんじゃないですか? あ、牙も出てますね」
「は、え、?」
「違いました? あ。もしかして、身長も大きくなってます?」
「すごいですよね」と口にするアリアに、グレアは目を何度も瞬かせた。何か言いたげに開かれる口が、戸惑ったようにパクパクと開閉する。言いたいことはわかるが、アリアからすればその心配はあまり必要のないものだった。
(だって、怖くないの知ってますから)
「グレアさん。助けてくれてありがとうございました」
「っ」
彼の手を取る。毛深くなり、大きくなった手。鋭くなった爪にはモンスターの血や土が付着していた。けれど、それが怖いとは全く思えない。グレアの困惑が徐々に空気に解けていくのを感じて、アリアはにこりと笑みを浮かべた。警戒していた彼の耳が下がり、天を突いていた尾が徐々に力を失っていく。
「……サイモンが、『二人無事に』って言ってたからな。置いていくわけにはいかねーだろ」
「はい。ありがとうございます」
「……うっせ」
ふいっとそっぽ向くグレア。素っ気ない態度だが、その尾が左右に触れているのを見て、アリアは(この人、意外とわかりやすいかも)と思い直していた。
握った手をブンブンと上下に振っていれば、「お、おいっ」と困惑した声が聞こえる。慌てた顔は眉間にしわを寄せているだけよりも全然印象がいい。サイモンが彼をからかう理由がわかる、と頷いていれば、手が振り払われた。毛深かった手はいつの間にか元に戻っており、長い爪も引っ込んでいる。
「っ、クソッ! さっさと行くぞ!」
「はい!」
アリアは満面の笑みで頷くと、彼の背中を追いかけた。
――時は少し遡る。
「ちょっと! まだ着かないの!?」
「だァーーー! うるせーな! もうすぐだから大人しく飛んでろ!」
苛立ちに声を荒げるトトに、セグロも同じように声を荒げる。
サイモンたちが攫われたと聞き、フクロウ族の元から飛び立ったトト達は空中を駆け抜けていた。空中を風魔法と重力魔法を併用して飛んでいるトトは、苛立ちに杖の先がブレてしまっている。間違えて魔法を解除することはないだろうが、苛立ちに身を任せて森を焦土にしてしまうほどの炎が出てしまうかもしれない。
「何さ! 僕より遅いクセに偉そうにしないでくれない!? キミの速度に合わせてんのこっちなんだからさあ!」
「だああああ! めんどくせーなお前!」
「はああっ!?」
「うるさい」
売り言葉に買い言葉。投げ合う怒号の中にピシャリと冷淡な声が響く。声の主はセグロの背中に乗った〝神子〟だった。
(自分で飛べないくせに、何言ってんだか)
トトは顔をぐっと顰めると、舌打ちを隠しもせず打つ。セグロがそんなトトを子供でも見るような目で見ていたが、どうでもいい。
〝神子〟。神のお告げを聞くことの出来る、特別な存在。
フクロウ族にとって、崇めるべき存在で、他の種族からは標的にされかねない存在。そんな彼女がなぜ同行を申し出たのか、トトは未だわからないままでいる。
(大体、他の人たちも止めればいいのに、全然そんなことする気配なかったし)
あの時は時間もないし、考えるのも面倒で連れて来ることに合意してしまったが、そもそもとして神子である者を部外者の人間に任せるという方がおかしいのだ。本来なら住人総出で止めたっておかしくない。
(よくわかんないけど、変な奴なのは確か)
ちらりと神子を見れば、「悪い」と謝るセグロの背中を「いい子じゃのぉ」と撫でている。その声は先ほどの冷淡なものではなく、少しだけ慈愛に満ちた声をしており……トトは余計に、気に食わなかった。
「トトも――」
「トト〝先生〟な。お前に呼び捨てにされる義理はない」
「おい! そんな言い方ないだろ!」
「ふんっ」
ギャーギャーと煩いセグロの言葉を無視して、トトは速度を速める。場所さえ知っていれば自分一人で行けるのに、場所がわからないからわざわざ一緒に行ってることを忘れないで欲しい。
(どーせ案内もまともに出来ないんだろうけど!)
「あークソっ! また早くなりやがって!」と声を上げるセグロに、トトは振り返らないまま、二人がついてこれるギリギリの速度で空を飛ぶ。サイモンやヤコブならこの二倍は早く飛べるのに、本当、魔法が使えない奴らは面倒臭い。
しばらくしてトトを先行に飛んで行った三人は、セグロの案内でワシ族の集落に降り立った。息も絶え絶えなセグロに場所を問えば、「向こう……っ、あのっ、広場んとこ……!」と指をさして教えてくれた。
トトは急いでそこに向かう。近づけば、微かだが魔力の反応を感じた。しゃがみ込んで、地面に触れる。そこには穴なんて無く、何も知らない人間が見ればセグロたちが『嘘を言っている』と騒ぎ立てる事だろう。――だが、トトは魔法省のトップ。この世の中で一番魔法を知り尽くし、愛してきた。
(……あった)
触れた地面から、僅かに魔力を感じる。見ただけでは流れまではわからなかったが、触れればすぐにわかる。
「使われたのは〝転送魔法〟か……。魔法陣は三世紀前のものかな。扱いづらくてあんまり使われてなかったけど、うまく使ってる……結構いい腕してるじゃん」
「「?」」
セグロと神子が首を傾げている。見事なシンクロで同じ行動をする二人を余所に、トトはじっと魔力を探っていく。魔法陣の形から、どこへ転送するためのものか、どれくらいの人数を想定して作られたものなのか。全てがわかるのだ。
(人数は四人……元々仕掛けてたってよりは、即興で作ったって感じ。そこまで時間は経っていないはずだけど……結構薄くなってるのが気になるな)
使い主は腕がいいのだろうが、かなり弱っているのだろう。魔力に覇気がない。それなのに意志がしっかりとあるのだから、サイモンたちは狙って攫われたのだろう。それか、セグロが呼びに来るのが結構遅くて、予想している以上に時間が経っているか。
(ま、それはなさそうだけど)
ゆっくりと地面から手を離し、トトは顔を上げる。振り返れば、既に息を整え終わったセグロと、不思議そうな目でこちらを見つめる神子が立っていた。
「ねえ」
「あ? んだよ」
「そっちじゃなくて、アンタの方」
トトは神子を見る。
神子は首を傾げたまま、瞬きをしているだけだった。
「もしかしてなんだけどさ。――大地の神様に何かあった?」
「!」
トト言葉に、神子が息を飲む。その反応に、トトは自分が予想していたことが当たっていることを察した。
神子との距離を詰める。後退る足に杖を一振りすれば、光の輪が神子の片足を拘束した。ふらつき、尻もちを付く。神子に詰め寄ったトトが、見下すように彼女を見た。
「話してくれる? ――神たちに、何があったのか」
きっと、それがサイモンたちを攫った理由に直結する。少なくとも、トトはそう信じていた。