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第54話

「〝オーメン・ガギィ大地よ〟!」

「ッ、!」


ヤコブの手が地面を叩く。瞬間、地面から一斉に生える岩の棘。ヤコブの手元から徐々に大きさと鋭さを増し、サイモンへと襲い掛かるそれを、サイモンは背後に飛び退くことで凌ぐ。しかし、止まることなく、あまつさえ追いかけて来る棘にサイモンは舌を打ち、走り出した。

(追尾式か。考えたな)

時折先回りしてくる棘を避けつつ、サイモンは周囲を伺う。大地の神、ウーレスはヤコブとサイモンを交互に見ると『この場はお主に任せるとしよう』と笑みを浮かべた。楽しんでるな、この神様。


「〝シー・ティプス・トゥ圧し潰せ〟!」

「!」


サイモンの頭上に大きな影が出来る。どこから出したのか、メキメキと周囲の瓦礫を巻き込んで出来上がるのは、サイモンを軽く圧し潰してしまえるほどの巨大な岩が数十個。

(相変わらず大技好きだな)

こんな狭い所でやったら視界も見えづらくなるというのに。

勢いよく下げられるヤコブの手に伴って落ちて来る岩。それらを、サイモンは軽々飛び退いて避ける。数が多い。砕くより避けることに専念した方がいいだろう。次々に落ちて来る岩をぴょんぴょんと飛んで跳ねて走って避けていれば、『おお』と感嘆の声と拍手の音が聞こえた。大地の神がサイモンの曲芸に拍手をしている。

(見世物じゃないんだが)

そう言ったところで、『暇なのだから許せ』と言われるのがオチだろうと簡単に予測出来てしまう。楽しそうに見守るウーレスの視線を受けながら、サイモンは岩の上に跳び上がる。


「チッ!」

「舌打ちは行儀悪いぞ、ヤコブ」


自分の事は棚に上げ、ヤコブに笑みを見せるサイモン。当たらないことに焦っているのだろう。顔色があまり良くない。サイモンは落ちて来る最後の岩を避け、ふう、と一息ついた。

(技の癖はヤコブのままだな。やりやすい)

昔からそうだ。ヤコブはちまちま細かい魔法を使うよりも、大型の魔法をドーンと勢いよく使うのが好きなのだ。理由を聞けば「え? だってかっこいいじゃん!」と恥ずかしげもなく言っていたので、サイモンもつい笑ってしまったのを覚えている。しかしこの状況でもし、思考も操られているのであれば、さっきのように大技を連発してくることはないだろう。悪手とわかっていてやる馬鹿はそうはいない。

(体の主導権が無いのか?)

もしそうなら、ヤコブは理解していたのかもしれない。自分が操られていることに。


「〝ヴェラコス岩雪崩れ〟!」


足元の岩が一気に崩れ、サイモンがバランスを崩す。瞬間、足元から生える石の杭に、サイモンは脇腹を掠めた。


「ッ、!」


痛みに眉を寄せる。咄嗟に身を捩ったから軽傷で済んだが、サイモンじゃなければ最悪串刺しにされていただろう。アリアたちがいなくてよかった、ともう一度心底思った。

サイモンは剣を両手で持つと、自身を掠めた杭を足場に飛び出した。うねり、刺し貫こうとやって来る杭を叩き斬る。杭と剣がぶつかると、バチッと緑色の火花が散った。火花が折れた杭の破片に触れ、軽く爆発を繰り返す。


『おお。面白い剣じゃな。どれ、我にも見せておくれ』

「今それどころじゃないのわかります?」

『なんじゃ。ケチじゃのぉ』


プンプンと口を膨らませるウーレスに、サイモンは頬が引き攣るのを感じる。ケチも何も、どうして戦っている相手から武器を取り上げようとするのか。魔法が使えない状況で武器を手放すような真似をしたら、流石に命取りになると、見ていればわかるだろうに。

サイモンは相変わらず魔法を使うことが出来ない。魔力妨害魔法が壁一面に張り巡らされているからだ。大地の神であるウーレスもそれを解く気配はない。それどころか、サイモンがどう動くかを楽しみにしている節さえある。

(遊ばれているな)

まあ、相手は神だし、仕方ないのかもしれないが。

対して、ヤコブは何故か魔法を使えている。その理由は、恐らく彼の胸元で光っている〝アレ〟だろう。


赤の魔法道具、デバフ除去のペンダント――〝マジック・ディザベル〟

大地の神の攻略として、数百年前にトトと魔法道具を作る専門家が一緒になって開発した、〝魔法使いへのデバフを全て取り除くことが出来る〟魔法道具だ。魔力を溜め込める高級な赤い魔法石を使用しているので、もし売りでもしたら一生遊んで暮らせるほどの大金が入るだろう。

(つっても、確かアレは使った後トトのところで厳重に保管されていたはず)

元々、魔力妨害魔法は悪い魔法使いたちから国や大切なものを守るためのもの。それを無効化してしまうこの魔法道具は、争いの種になりかねないと俺たちは考えた。その結果、魔法省の中にある魔法道具科で、トトの監視の下、厳重に保管されることになった。使うことも出来なくないが、その際はサイモンたちが考えた項目を全てクリアする必要性がある。

(トトは盗まれたとは言っていなかった)

となれば、ヤコブが何かの任務で使って、そのまま返していないことになる。トトが言及しなかったのは、〝祝福〟の騒ぎでそれどころじゃなかったと考えるのが正しいだろうか。

(それか、トトが追い出された後に盗まれたか……)


「〝マスティー・ゴ大地の鞭〟!」

「おっと」


着地したサイモンの足元に蔓延る瓦礫が、唸る。間から出てきた大地の根っこが鞭のようにしなり、サイモンを襲う。咄嗟に剣でいなすが、太い鞭相手では腕が限界を向かえる方が早いだろう。逃げ惑うサイモン。しかし、鞭は頭上を切り裂き、サイモンの上から降り注ぎ、更には足元を絡めとろうと動き出す。数十本以上の鞭を同時に操っているヤコブの手腕に、拍手でも送りたくなってくる。

(そんなことしてる場合じゃないが……!)

左足を絡めとられ、すぐさま切り落とす。危ない。危うく四肢を捥がれるところだった。左足の脹脛の骨にひびが入ったような気がするが、構っている暇はない。横薙ぎに振るわれる鞭を咄嗟にしゃがんで回避すると、頭上から落ちて来る岩に剣を突き立てた。バラバラになって落ちて来る破片が緑の火花に触れ、小さく爆ぜる。


「埒が明かないな」

「……」


相変わらず無言で見下げて来るヤコブに、サイモンは眉を寄せる。操られているくせに、一丁前に心配そうに見て来る目。その視線が、サイモンは気に入らなかった。

襲い来る大地の鞭。剣を振り、サイモンはそれらを一太刀で切り落とした。ヤコブの目が僅かに見開かれる。


「安心しろ。――お前に負けるほど、怠けちゃいない」

「!」

「だからお前も、本気でかかって来い」


サイモンが挑発するように手を前に差し出し、招く。ヤコブの口元が弧を描いた。

数百年ぶりのやり取りはお互いの熱を上げ、空気を震わせ、そして――――。


「……負けても、知らねーっすよ、副団長」

「俺がお前に負けたこと、一度でもあったか?」


二人を〝あの頃〟へと引き戻した。




――数百年前。王城。

まだ、スクルード国が世界の平穏を保つために奔走している頃の話だ。


「ヤコブ。お前また大振りで隙作りやがったな」

「あいでっ! ひでーよ、サイモン!」

「サイモン副団長、だろうが」


王城の修練場で喚くヤコブとサイモンを、騎士団の人間はよく目にしていた。

荒い言葉遣いを窘める為、木剣でヤコブの頭を軽く叩くサイモンに口を尖らせるヤコブ。その姿は王城では〝兄弟〟と噂され、生暖かい視線が注がれていた。


「あとお前、いい加減敬語使えるようになっておけ。じゃないと、いつまで経ってもスクルードの護衛に着いていけないぞ」

「ハイハイ。わるぅございましたよ、サイモン副団長サン!」

「クソガキ」

「いてーって!」


ガンっと痛々しい拳骨がヤコブの頭に落ちる。サイモンの拳は騎士団の中でも相当に痛いことを、この場にいる全員が知っている。それでも懲りずに拳骨を浴びるのは、ヤコブくらいのものだ。

(ちぇ。サイモンだってスクルードのこと、呼び捨てしてるくせに)

指摘すればきっとまた拳骨が降り注いでくる。サイモンは「愛情だろ」と言っているが、こんなに痛い愛情があって堪るか、とヤコブは常々思っている。


スクルードを中心に、自分たちで国を興してから数年。スクルードを団長、サイモンを副団長に据えた騎士団は、年々その勢力を強めていった。

最初は他国の仲裁や内乱の粛清に走り回る毎日に疲弊していたが、最近では仲間内で手合わせに暮れている。平和そのものだ。それほどまでに平和な日々を送れるようになったことは、国民としては有難いが、騎士としては少しだけ物足りない。

(でも、それが一番いいんだろうなぁ)

少し退屈な日々は、仲間を失う恐怖も、敵と相対する恐怖もいらない。それがどれだけ幸福なことか、幼い頃から戦場に立っていたヤコブはよく知っている。


ヤコブの育った国では、男児は五歳を過ぎた頃から〝国の物〟として扱われることが普通だった。子供が戦場に立つということは、結構な利益に繋がるらしい。本来無害な子供が武器を持って佇んでいる姿を見て、問答無用で斬れる大人は、そう多くはないのだ。

哀れみ。同情。嫌悪。悲哀。罪悪感。エトセトラ。

それらの感情は敵の足を止め、一瞬の隙を作ることに非常に効果的だった。

自分は道具。国の為に、盾になるのが仕事。そう教わって来たヤコブは、毎日が戦で、戦場で、誰かしら大切な仲間を失う日々。感情はとっくに麻痺し、渡される粗悪な武器をどうにか使いこなすことだけを考える。そんな時間を何年も過ごして、気が付けば初めて一般兵として大人たちと一緒に戦場に立っていた。

自分に同情してくれる優しい目は、もうここにはない。悪意と敵意と、悲壮感が満ち溢れる戦場で、ヤコブは足が震えて動けなくなっていた。――そんなところにやってきたのが、スクルードとサイモンだった。


「ねえ。これ、何の戦争?」

「へ……?」


戦場を前にあっけらかんとした顔で聞いて来たスクルードに、ヤコブは面食らった。しかし、今日初めて浴びる優しい目に、ヤコブは必死で震える声で「……わからない」と首を振った。そっか、と呟いて、何かを話す二人。その格好はどう見ても自分たちの国の人間の物ではなくて、ヤコブは他国の人間に情報を渡してしまった恐怖に、顔を真っ青にした。

(殺される)

その恐怖は、ずっとヤコブを縛り付けていたものだった。お国のため。仲間のため。……そんなんじゃない。自分が戦う理由は、そんな大層な物じゃない。ただただ、死にたくなっただけだ。戦場に放置されていく〝ゴミ〟になりたくなかっただけだ。

カタカタと震えるヤコブ。その肩を叩いたのは、スクルードの後ろにいたサイモンだった。


「よく頑張ったな」

「ぁ……」


その言葉は十数年間、ヤコブがずっと求め続けてきた言葉だった。

どさりと地面に崩れ落ちるヤコブ。慌てて「大丈夫か!?」なんて聞いてくる二人の顔が、涙で滲んで上手く見えない。吸い込んだ息が、初めて温かいと感じた。

泣きじゃくるヤコブに、二人はおろおろとしている。その様が結構面白くて、つい笑ってしまった。長い間動かさなかった頬の筋肉は強張っていて、表情はただ歪に歪んでしまうだけだったけど、二人が安心したのを見てそれでもいいかと思えた。


「それじゃあ、行こうか」


スクルードが言い、サイモンが頷く。唖然とするヤコブにサイモン告げる。「殺さなくていい。お前は死なないように生き残れ」と。その言葉に、ヤコブは強く頷いた。

二人の背中を見送ったヤコブは、さっきとは違い軽い足で立ち上がると、近くの岩場に隠れた。お国の命令なんぞ、知ったことではない。頭の中に残っているのは、サイモンの言葉だけ。それ以外はどうでもよかった。


「生き残る。そして――」


こんな国なんて捨てて、あの人たちと一緒に行きたい。

その思いは、ヤコブの中で強く燃え上がる。今まで感じたことのない、自分の意志。それがこんなにも強いものだとは、ヤコブ自身も思わなかったが。


ヤコブが二人を見送って数時間後。二人の人間が戦を止めたと報告が入った。その方法は下っ端であるヤコブにはわからなかったけれど、その時を境に、ヤコブは二度と戦場に立つことはなかった。

解放されたヤコブが二人を見つけたのは、それから数年後。二人を追いかけて旅商人の手伝いをしていたヤコブは、見慣れた二人と一緒に居る小生意気な黒髪の子供の姿に人生最大の衝撃を受けたのだが、それはまた別の話だ。


「なぁ、サイモン副団長」

「なんだ?」

「俺、強くなれてる?」


ヤコブの問いに、唖然とするサイモン。見開かれた目に、ヤコブは込み上げてくる羞恥を感じ、「なんでもない」とそっぽを向いた。しかし、すぐに頭に乗って来た掌に、ヤコブは「うわっ」と悲鳴を上げる羽目になった。


「強いよ、お前は」

「っ」

「だから早く敬語も使えるようになってくれないと、困る」

「う゛っ」


痛いところを突かれ、唸る。昔は飽きるほど使っていた敬語。悪いもんじゃないとはわかっているが、兵士の時を思い出してしまい、あまり進んで使おうとは思えないのだが。

(……こいつらのためなら)

やってやってもいいかと、そう思う自分は、きっとあの時とは別人になれている。それがひどく嬉しくて、にやけてしまう。


「何笑ってんだ? キモイぞ」

「ひでぇ!」


もう痛むこともない表情筋を存分に動かして、サイモンに噛み付く。その日の手合わせは、そこそこいい線行ったと思う。次は絶対に勝ってやる、なんて意気込んで……だからこそ。信じたくなかった。


「あ。ヤコブ。俺、騎士団やめるから」

「……は?」


その言葉に、ヤコブはすべてが置き去りにされたような気がした。

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