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第53話

『よく辿り着いたな、人類を導きし者たちよ』


扉を開けた先。

周囲を威圧するほどのオーラとサイモンを優に超える巨体に、サイモンはその場に傅いた。


「お久しぶりです。大地の神――ウーレス様」

『うむ。相変わらずそつがない所作だ。我はお主を歓迎しよう』

「有難きお言葉、感謝いたします」


大地の神――ウーレス。

生きとし生ける物を愛し、人々が崇める神の存在に一番近いとされている神。そして――この遺跡の持ち主であり、サイモンたちをここに呼んだであろう張本人だった。


サイモンは突如現れた扉を開けた。どうして突然現れたのかはわからないが、誘い込まれていることはわかっていた。その誘いに乗ったのは、単純に悪意を感じ取れなかったからである。

結果、目的の場所でもあったこの遺跡の家主――ウーレスの元に招かれたというわけだ。


『面を上げよ』と重圧な声が響き、サイモンが顔を上げる。部屋は広く、重厚な造りになっている。果てしない天井を仰ぎ見るように顔を上げ、サイモンと同じくらいの大きさの瞳と目が合う。

(でっかいな)

サイモンはぎょろりと見つめて来る緑色の瞳に、ついそう思ってしまった。


天井を仰ぎ見ても見えないほどの巨体は、どうやってこの神殿に入って来たのか聞きたくなってしまうほどに大きい。部屋の中心に座しているのは、決して崩れることのない玉座。その上に座っているのは、――一人の女性だった。

肌は小麦よりも大地の色に近く、被る帽子は青地に黄色の飾りを描いている。胸元には同系色のネックレスをいくつも掛けており、服装は白一色。太腿あたりまでの布地は、彼女の身体のラインを綺麗に象っている。美しい黒髪は、彼女の存在をぐっと引き立たせていた。……正直、このまま外に出たら露出狂だと騒がられるんじゃないかと思ってしまう。

彼女の顔を見れば、威厳のあった顔が僅かに綻ぶ。人間が好きな彼女の笑顔は屈託ない。


『久々じゃのぉ、サイモン。何百年ぶりじゃ?』

「そうですね。ざっと五百年はお会いしていないかと」

『もうそんなに経つのか。時間というのは早いものじゃのぉ。どうじゃ、もっとこっち寄れ』

「いえ。これ以上は」

『むぅ。お主は相変わらずお堅いようじゃのぅ』


むすっと唇を尖らせた彼女に、サイモンは苦笑いを浮かべる。

(だってこれ以上近づいたら顔が見えなくなるだろ)

そんなことを言うのは不敬に当たるので、サイモンは笑顔で誤魔化すことにした。彼女は人間が好きであるがゆえに、時々距離感がおかしくなるのだ。こっちの事も考えて欲しい。主に視野の限界を。


「ところで、ここに私たちを呼びつけたのはウーレス様で間違いないでしょうか?」

『うん? ああ、そうじゃったそうじゃった』


ポン、と手を打ち、頷くウーレス。完全に忘れていたのだろう。呼びつけておいてひどいものだ。

彼女は『よっこいしょ』と足を下ろすと、サイモンをじっと見つめる。サイモンも彼女をじっと見つめた。

(なんだ……?)

ふわりと彼女の背後で動く黒い影のようなものに、眉を寄せる。気のせいかと思いかけたところで、ウーレスが『見えたようじゃの』と笑みを浮かべる。しまった。

(今のは図っていたのか)

――自身の〝力〟を。


『ふむ。お主の力が衰えていないようで我は安心したぞ』

「……それは、どうも」

『そっけないのぉ』


『良いではないか』と笑う彼女に、サイモンは苦い顔を浮かべる。満足げなウーレスを見て、冷や汗が出る。……こういう時、マトモな話がきた経験は今のところ一度もない。

それどころか、サイモンにとってはあまり良くない話ばかりをされて来た。そのせいか、つい身構えてしまう。

(大地の神相手じゃなかったら首飛んでるだろうな……)

とはいえ、やはり嫌な予感は消えることはなく。にこにこと笑みを浮かべる彼女にため息を吐く。どうやらサイモンから話を切り出してくるのを待っているらしい。ここまで来たら腹を括らなければいけないのかもしれない。


「何かありましたか? 例えば、面倒な〝客〟が来たとか。土地の管理が上手くいかないとか」

『ふむ。前者だといったら?』

「帰らせてください」

『そう言うな、サイモンよ』


前言撤回。腹なんて括らない方がいい。

ニヤニヤと笑みを浮かべるウーレスに、サイモンはブンブンと首を振る。神の頼みなんて面倒事以外に何があるというのか。

(というか、俺には関係ないことだろ!)

確かに大地の神であるウーレスから力を分け与えられているが、それは皆にしていることで、スクルードのように愛されて受けているものではない。そんな大多数の一人でしかない自分に、神様の悩みなんて聞けるわけがない。

(つーか、絶対に聞きたくない!)

数百年前、天の神の頼みを聞いた際、とんでもない目に遭ったのを今でも覚えている。あの時の二の舞なんて絶対に嫌だ。


「帰らせてください」

『ふむ。あの小童にも関係があると言ってもか?』

「小童……?」

『なんといったか。あの気難しくて人間嫌いで有名な天の神に唯一寵愛を受けた子供……ああそうだ。スクルードと言ったか?』

「!?」


ウーレスの言葉に、サイモンは目を見開いた。

(なぜ、彼女がスクルードの事を知っている……!?)

否、同じ神である彼らが情報を共有しないわけがない。スクルードが人間の王だとすれば、彼等はその上を行く存在なのだ。知っていても不思議ではない。瞬間、サイモンの脳裏にトトとの話が蘇る。

『僕にも……ううん。僕らにも、今のあの人の状況はわからないんだ。みーんな追い出されちゃった』

そう言う彼は、どこか寂しそうで、悔しそうで……サイモンは何も言えなかった。だが、その話を聞いてからずっと気になっていたことがある。

(誰よりも強く、誰よりも寂しがりなアイツが、みんなを追い出した理由があるとするなら)

――それはもしかしたら、神たちと関係があるのかもしれない。


「っ、アイツの事を知っているのですか」

『多少はな』

「教えてください」


サイモンの言葉に、ウーレスは笑みを浮かべる。待っていました、と言わんばかりの顔だった。


『良いぞ。ただし、条件がある』

「条件?」

『――我らの領域を侵す者たちを、排除しろ』

「っ、!」


ゴォッと冷たい風が駆け抜ける。

さっきまで温かさすら感じていた空気が一気に冷やされ、サイモンたちの肌を突き刺す。緑色の瞳が殺意と怒りに塗れ、柔らかい声が威圧を帯びる。ビリビリとサイモンの肌を刺激し、息を飲んだ。

(これが、神の怒り……か)

アリアたちがいなくてよかったとすら思った。もしこの空気に触れていたら、きっと正気を保っていられなかっただろう。そう考えれば、自分たちを分断した理由も察しがいく。

サイモンの心臓がドクドクと嫌な音を立てる中、ウーレスは言葉を続けた。


『先日。我ら、神の領域を侵す愚か者が現れた。最初は迷い込んだだけかと思って放置していたんだが、奴の悪意は本物だった。主に天の神の領域が荒らされ、我らとの通信も遮断された。お主たちの世界で起きた大事も、恐らくこれが原因だろう』

「俺たちの世界で起きた、大事……」


(もしかして、〝祝福〟がなくなったことか?)

サイモンはハッとする。ウーレスは否定しないまま、語り続ける。


『かの者は領域を荒らすだけ荒らし、颯爽とどこかへ消えよった。もう少しで捕らえられたのに、逃げ足の速い虫じゃ。天罰の一つや二つ、下してやろうと思っていたのに』

「それ、下された瞬間に死にますよね?」

『は? 当り前じゃろう。神の領域を侵すというのは、万死に値する行為じゃぞ。人間とて、それを知らぬとは言わせまい』


ウーレスは怒り心頭、と言わんばかりにサイモンを睨みつけている。その視線に殺意はないものの、頬が引き攣ってしまう。……サイモン以外が受けていたらきっと気絶どころじゃあ済まないだろう。『間違っても手は出すなよ』と言われ、サイモンは咄嗟に「出しませんよ!」と声を荒げる。そのつもりは一切ないことを伝えれば、『それならいいんじゃが』と彼女は息を吐く。


『お陰で我も体調が優れんでな。つい遺跡内に魔力妨害魔法を張ってしまうくらいには、苛立っておる』

「ああ……あれって体調不良が原因だったんですね」


(てっきり侵入者を防ぐためのものかと)

心の中で呟けば、ウーレスは『それもあるぞ』と告げて来る。出来れば心を読むのはやめていただきたい。


「それで、俺にその侵入者を捕らえて欲しいということですよね?」

『ああ、そうじゃ。この件に関しては我だけではなく、水の神も苛立っておってな。このまま放置していたらこの星を滅ぼすやもしれん』

「わかりました。出来るだけ早く見つけて排除します」


ウーレスの言葉に、サイモンは全力で頷く。『我の時と随分と態度が違うではないか?』と眉を下げるウーレスに「気のせいですよ」と誤魔化し、さっきまで引いていたはずの冷や汗が一気に噴き出すのを感じる。サイモンは内心、ひどく焦っていた。

(水の神はマズイ。非常にマズイ)

この星に一体どれだけの水があるのか。それが一思いに人間を襲ったら、確実に人類は滅ぶだろう。考えるだけで驚異的である。それに――。

(ワシ族の問題は、水の神が関わっているのかもしれない)

水場での不審死。引き込まれるように何人も命を落としているという事件は、きっと水の神が怒りを抑えきれていないからだろう。

天の神と水の神は親友同士だと聞いている。大地の神である彼女も同じ立ち位置だとサイモンは思っているが、本人曰く『あやつらは特別だ。我は謂わば保護者だな』という感じらしい。神の保護者とは、これ如何に、と首を傾げたくなるが、それは置いておくとして。

そんなに仲の良い相手が顔も知らない誰かに侵されたのだとしたら、神でなくとも怒るだろう。むしろすぐにでも世界が荒れていても可笑しくはない。

(……いや、ちょっと待て。もしかしてあの嵐って……)

……まさか、な。


「ウーレス様。その侵入者というのはどのような者だったのでしょうか。魔力妨害を仕掛けたということは、魔法を使う者だったということですよね?」

『ああそうじゃ。あやつら、変な魔法をジャンジャン使いよる。新しい魔法は我にはわからんのじゃ』


(神様が魔法の流行を気にしている……)

不貞腐れるウーレスの姿がまるで「最近の流行はよぉわからん!」と怒っている老人のように見えて、サイモンは苦い気持ちになる。それを言ったらきっとウーレスの怒りを買うことになるだろう。言わない方がいい。


「そいつらがどこから入ったかというのは、ご存知なのですか?」

『無論。あの小童だ』

「は?」


サイモンは制止した。一瞬、言われた言葉を頭が拒んだくらいには、衝撃的な言葉だった。

(侵入者を入れたのが、スクルード……?)

そんなはずはない。だってあいつはそういうことをする奴じゃない。……いや。もう数百年一緒に居なかった自分が知ったように言えることではないのかもしれないが。

(絶対に違う)

ちらりと隣に視線を向ける。ヤコブなら何か知っているのではと思っての事だったが、彼は視線を下げたまま何も言わない。不自然なほど大人しい彼に首を傾げていれば、ゆらりと黒いものが彼の身体から溢れ出る。――先ほどウーレスに見えたものと、同じものだった。


「おい、ヤコブ!」

『ほう。おもしろい。まさかこんなにも早く捕らえられるとはな』

「ウーレス様、何を――!」

『そやつじゃ。――我らの領域に入り込んできた、命知らずは』


ウーレスはそう言うと、目を光らせた。

指先が動く。サイモンが反応する前に、地面から湧き出た岩の壁がヤコブを囲った。ガンガンと派手な音を立てて、岩の壁に捕らわれたヤコブ。しかし、それを砕いたのはヤコブの魔力だった。

ピシリと岩にひびが入り、砕け散る。中から顔を出したヤコブの表情は一切動いておらず、まるで別人のような顔でサイモンたちを見定めていた。

(何が、起きている……?)

混乱するサイモンに、ヤコブの手が上空に掲げられる。ハッとした時にはもう遅く、巨大な石の塊が宙に浮いていた。


「〝ヴ・ラストス撃て〟」


ヤコブの静かな声に、岩が震える。ビュンッと風を切り、巨大な岩の塊がサイモンを襲う。

(おいおい、正気か!?)


「魔力使えないんじゃなかったのか!?」

「……」

「オイコラ。無視すんな!」


何も言わないヤコブに、サイモンは大きく舌を打つと、ミミックバックを取り出した。魔力は使えなくとも、魔法道具は正常に機能するのは幸いだった。

中から大剣を取り出し、サイモンは思いっきり振り被った。


「ッ、!」


岩と大剣がぶつかり、ゴウッと強風がサイモンの頬を切り裂く。弾けた小さな岩の破片が頬や腕を掠るが、サイモンは気にせず大剣を握り直した。

(こ、んの……ッ!)

全力で踏ん張り、大剣を振り抜く。バキッと嫌な音がし、岩が半分に割れる。サイモンの大剣が勝ったのだ。

真っ二つになった岩が頭上を掠め、サイモンの足元に突き刺さる。重い音が響き、地面を揺らす。砂埃が舞い、サイモンが振るった剣が砂埃を切った。

息を整え、顔を上げる。ヤコブと目が合い、サイモンはハッと鼻を鳴らした。


「一丁前に操られやがって。この大馬鹿野郎」

「……」


無言のヤコブに、サイモンは眉を寄せる。意識はまだあるみたいだが、それも時間の問題かもしれない。サイモンはミミックバックに大剣を収める。代わりに取り出したのは、緑色の刀身に、黄色の稲妻が走っている剣――雷神。世界に数ある剣の中でも上位に君臨する〝宝剣〟と呼ばれる剣の一つだった。

(ああ、そうだ)

丁度いい。


「久々に、手合わせをしようか。ヤコブ」


――元スクルード国騎士団副隊長、サイモンが直々に受けてやるよ。

サイモンの言葉に、ヤコブの口元が小さく弧を描いた。


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