「これで終わりだな」
「くっ……」
ベッドの上で悔しそうな顔をするセグロに、サイモンは仁王立ちしたまま満足げに頷いた。その後ろではなんで勝ったのか分からないと首を傾げるヤコブがいる。純粋に勝ったことに喜べばいいのに、変なところで真面目なやつだ。
(そういえば、トトが最近の世界事情について聞き回ってたな)
ちょうどいいから代わりに聞いといてやるか。
「それはそうと、セグロ。ここ最近で変わったことはないか?」
「変わったこと?」
「具体的に言えば、〝祝福〟が無くなってからだな」
サイモンが口にすると、セグロの顔が訝しげに歪んだ。突然何を言い出すんだ、と言いたげな視線に「まあまあ」と濁して返事を待つ。
セグロは少し考えるように視線を斜め上に上げると、「そりゃァ、ないことも無いが」と話し始めた。
「この少し先に川があるのは知ってっか?」
「ああ。昨日そこで宿を取ろうと思ったらフクロウ族に会ったぞ」
「フクロウ族か。まあ、そうだろうな。ここには俺たちの方が後に来てっから」
セグロはそう言うと、下っ端が持ってきた水を口にする。豪快に飲み干した彼はぷはっと息を吸うと面倒くさそうな顔で自分の膝に頬杖を付く。荒々しい仕草は昔から変わらない。それどころか、体が大きくなった事で荒々しさが増しているように見える。
「最近そこの水嵩が増え続けててなァ。前までは水底一センチくらいだったんだけど、今じゃ俺のふくらはぎの中間まで来る。まだ〝祝福〟が無くなってから経った三ヶ月だぞ? それと、〝祝福〟がなくなった影響か知らねェけど、年寄りだった奴らが急に弱り出してな。ここ数日は死人も出てる。フクロウ族も似たようなもんじゃねーかな」
「それは寿命でか?」
「さあ。俺ァほとんど〝祝福〟がある時代にしか生きたことねぇから、寿命で死ぬ奴らがどんな死に方をするのか、知らねェんだよ」
セグロの言い分は最もだと思った。
──〝祝福〟が出来てから、六百年。今生きている生物の何割が、『誰かの死に触れる』という体験をしているのだろうか。
サイモンはもちろん経験しているが、それは戦での戦死や旅道中での死だ。しかし頻繁に戦争を繰り返していたこの国も、スクルードが王になってからは周辺国とは持ちつ持たれつの関係になっている。スクルードの力を受ける以上、いい関係は築いておきたいと思うのが普通だろう。もちろんどちらも相容れない国もあるが、そういう国とは不可侵条約を結んでいると聞く。結果、今ではほとんどの国が傘下に下り、戦も無くなった。〝祝福〟のお陰で病で死ぬ人も減り、怪我もたちまち治ってしまう。それこそ『死ぬほど運が悪くなければ』、死ななくなっていた。
(そう考えると、俺自身も大往生を遂げた人を見たことはほとんどないんだな)
寂しいような、それでいて当然かと思う自分もいる。これではセグロのことを言えないなと、笑みを零す。しかし、彼の言い分はそれだけではなかった。
「でも、おかしい」
「〝おかしい〟? 何がだ?」
「死に方だ。みんな同じ水辺で死んでやがる、しかも、全身水に濡れて手には丸っこい小石を持ってやがる」
「それ、普通に事故で溺死したんじゃないのか?」
「そんなわけ無いだろ!」
ガタンっと大きな音を立ててセグロが立ち上がる。顔には怒りを携えており、サイモンはしまったと思った。
「俺たちはワシ族だ! 体はデケェけど、飛べる! それに、ハクトウじいさんだって、まだまだピンピンしてたんだ! そりゃァ多少濡れることはあるだろうけど、ヘマして川に落ちるような真似はしねぇよ!」
「そうか。そのハクトウじいさんってのは……」
「っ、俺がよく遊んでもらってたジイさんだ。元気が取り柄で、豪快に笑うジイさんでな。『若ぇモンにはまだまだ負けねぇ』っていつも言ってやがった」
「そうか」
「なのに……」
ゆっくりと腰を下ろすセグロに、サイモンは「悪かった」と小さく呟いた。落ち込むセグロを慰めた方がいいのかとも考えたが、残念ながらそんな器用な言葉はサイモンには思いつかなかった。
「だから俺ァ寿命じゃないと思ってる」
「誰かがやったと? 誰がやるんだ、そんなこと」
「……わかんねェよ」
ぐったりと項垂れるセグロ。その様子は結構参っている様子で、サイモンは内心同情してしまう。昨日、ワシ族が賑やかだったのは、みんなここ数日の鬱憤が溜まっていたからだろうか。
(水辺での変死か)
トトならなにか知っているかもしれない。帰ったらトトに聞いてみるか、とサイモンはセグロの部屋を後にした。ヤコブがおずおずと背中を追ってきている。来るなら来るでさっさと来てもらった方が楽なのだが。
セグロの家を出れば、外で待機していたアリアとグレアが振り返る。子供たちの相手をしていたのだろう。二人の周りを飛び跳ねる子ワシ族達は、帰ろうとする二人を引き止めるのに躍起になる。アリアは相変わらずだが、まさかグレアまで子供に好かれるとは。
(ワシ族の子供は警戒心が薄いのか?)
オオカミ族といえば、ワシ族にとっては警戒せねばならない相手だ。空と陸で戦う場面は違うだろうが、空から落ちれば待っているのは陸だ。身を守らねば死ぬのはワシ族の方だろう。
(そういうの、イマドキの子供は考えないのか?)
三百年前までは他種族と関わる際の注意とか、結構回ってたんだけどな。それとも考える方が年寄りなのだろうか。
なんて考えていれば、ヤコブがちょんちょんとサイモンの脇腹を突っついてきた。顔を向ければ、口元に手を当ててヒソヒソ話をするように声をかけてくる。
「なあ、サイモン。あんなこと聞いてどうするんだ?」
「どうって……トトが気にしてたから、ついでに言ってやろうと思っただけだ」
「トトが? なんで?」
「……お前にはなかったんだな」
調査の話、と口にしようとして、やめておく。騒がられたら面倒だ。サイモンはふいっと視線を逸らした。しかし、気づいたヤコブが「ちょっと! ねぇってば! 何の話だよ!?」と騒ぎ出して、その思惑は意味の無いものとなった。腹が立つので無視していれば、ヤコブは落ち込み、若者二人に慰められていた。ずーんと闇を背負った大人を励ます若者という構図は、そこそこ痛々しい。
はぁ、とため息を吐いて、サイモンは振り返った。このままでは二人の教育に悪い、と声をかけようとして──はっと顔を上げるヤコブに驚く。
突然顔を上げた彼はキョロキョロと周囲を見回すと、慌てた顔でサイモンを見た。
「なあ。なんか変な音しねー?」
ヤコブの言葉にサイモンが耳を澄ませた、その時だった。バックリと足元が開き、サイモンたち四人の足元に暗闇が広がる。瞬間、サイモンたちの身体が重力に沿って地の底へと落ちていく。
「なっ!?」
「えっ!?」
「うわっ!?」
「っ!?」
驚いた時には、もう遅い。勢いよく落下する体に、サイモンは咄嗟に魔法を発動させようと試みた。しかし、魔法は発動されることなく、宙で描いた魔法陣が目の前で崩壊する。
(嘘だろ!?)
サイモンは落ちる中、ふと人影を感じて顔を上げる。既に小さくなった穴の向こう側には、小さくなったセグロが見えた。一瞬彼が犯人かと疑念が過ったが、そもそもセグロは魔法を使うことが出来ない。つまり、セグロには出来ない芸当なのだ。
サイモンはコンマ数秒でそのことを導き出すと、大きく息を吸いこんだ。
「セグロ! フクロウ族のところに行って、トトに知らせて来てくれ! 緊急事態と言えばアイツも来るはずだ!」
頼んだぞ、と告げた言葉と同時に、焦ったように穴が収束を始める。全てを飲み込んだ暗闇の中で、サイモンたちは数秒後、意識を刈り取られた。
『トト。君には王都の巨大図書にも負けない知識がある。それはきっと君の武器となり、君を守る味方ともなるだろう。裏を返せば、君はそれだけで世界を滅ぼす力を持っている。だから――僕の愛した世界を、よろしく頼むよ』
「スク――――ッ!」
がばっと勢いよく起き上がる。周囲を見れば、ここ数日よく見る布団が目に入り、大きく息を吐く。
(……久しぶりに見るんじゃない?)
前髪を掻き上げれば、若干湿っている額。悪夢ではないと思っているものの、やはり夢で飛び起きるのだからよくない夢の類なのかもしれないと、トトは一人呟く。
懐かしい夢を見た気がした。スクルードと初めて出会った時に言われた言葉だった。
その時のトトは、今考えれば自分でも馬鹿だったと思うほど、ずる賢く不器用で、それでいて頭でっかちなクソガキだった。頭の良さを悪戯にしか使わず、人のためなんかくそくらえと毎日のように言っていたし、思っていた。人の嫌がる顔を見たくて、何度も悪戯をしかけて、その度に人に嫌われて、「そう言って逃げる弱虫たち」なんて言って周りを見下していた。……うん、よく考えなくてもクズだったな。トトは思う。
そんなトトの悪戯を受けても笑っていたのは、スクルードとその友人、サイモンだった。彼等はどんな悪戯にも怒らなかった。いや、違うな。悪戯に関してスクルードは感心したように声を上げていたけど、サイモンは口うるさかった記憶がある。でも、その言葉は批判するようなものではなく、「危ないだろ」と叱ってくるようだった。スクルードに至っては一緒に悪戯を考えることもあったくらいだ。
つまりは二人とも変人だったということで。
そんな変人に、トトは偶然にも救われてしまっただけのことなのだ。知識の使い方、周りとの距離の取り方、人の気持ちを考える大切さ、割り切るべき場所と選択――。その他にもたくさんのことを教わった。
「……今でも覚えているなんて、本当僕ってば有能すぎじゃない?」
ははは、と笑みを零しながら、身だしなみを整える。髪を整え、シャツを着替えてローブを着る。いつも通りの動きを体は覚えており、頭の中では違うことが回っていた。
(あの時、僕は確かに救われたんだ)
仲間というよりは、友人に近かった彼ら。そのうちの一人は悠々と旅をしていて、もう一人は今王城で独りきり。
(ほんと、何考えてるんだか)
最後に見たスクルードの顔を思い出しながら、ぼやく。
昔はただ一緒に旅をする仲間で、悪戯友達で。けれど、いつしか神の座で孤独となってしまった友人。人には王と呼ばれ、または神と呼ばれる。彼が最後に本当の意味で笑ったのを見たのは、いつだったか。思い出すことも難しいくらいには長い年月、自分は彼の〝部下〟だった。それを選んだ記憶はないし、必要に駆られたからやっていただけではあるが、スクルードの本心がどうだったのかは、トトにはわからない。
「……サイモンのバカ」
一昨日、サイモンが畳んだであろう布団を見て、小さく吐き捨てる。昨日帰ってこなかったけれど、彼は一体どこで何をやっているのか。昔から変なところで自由奔放なサイモンに、何度スクルードが「仕方ないな」と笑みを浮かべていたことか。数百年前、サイモンが奴隷狩りに捕まったと聞いて救出劇をやろうとした画策していたスクルードの顔を思い出す。心底楽しそうだったのか、少し悔しかった。もちろん、実行される前にサイモンが自力で脱出したという報告があって計画は未遂に終わってしまったけれど。
そんな彼を見てきたからこそ、トトはサイモンが許せなかった。
彼が唯一人間でいられたのは、サイモンの前だけだったから。そのことを事実として見ているのはトトだけではない。二人を知っている人たちはみんなそう認識していた。だから、サイモンが旅に出ると聞いて驚いたのは自分たちの方だった。このまま二人がニコイチで頑張っていくものだと思っていたから、余計に。
(……サイモンがいれば、変わったのかもしれないのに)
「起きろフクロウ族共ッ!!」
「!?」
不意に劈く怒号に、トトは強引に現実へと戻された。
聞き覚えのない声だ。いや、大昔に聞いた覚えがあるような気がするが、わからない。しかし今はそれはさほど重要じゃない。
(敵襲!?)
そういえば、この辺りには最近ワシ族が巣を作ったとフクロウ族が――正確には〝神子〟と呼ばれるフクロウの少女が言っていた。もしそうなら大変なことになるかもしれない。
フクロウ族とワシ族の相性が悪いことは有名だ。トトは慌てて家から出ようとした。お世話になっている以上、何かあった時ここの人たちを守る義務が自分にはある。一応これでも王であるスクルードに認められた世界一の魔法師なのだ。目の前で戦が起きるのをただ見ているわけにもいかない。そうトトが意気込んだ時だった。
「ここにトトってやつはいるか!? 至急伝えたいことがある!」
「!?」
(僕!?)
トトは驚きに足が止まってしまった。まだ家の中からは出ていない。それどころか、自分を探していると知ってトトは表に出たくなくなっていた。トトはこの世で一番、〝悪目立ちする〟ことが嫌いなのだ。
(なんで僕の事を探してるんだ……!?)
誰から聞いたのか。そんなの考えなくてもわかる。十中八九、サイモン、もしくはあの馬鹿(ヤコブ)のどちらかが原因だろう。勝手に人の名前をばらすなんて、どんな教育を受けてきたんだか。
悶々とするトト。その間もワシ族の声は途切れず、寝惚け眼で家から出て来るフクロウ族、一人一人に聞き回っている。家から出てこない奴には玄関から顔を覗かせ、声をかけている周到っぷりだ。この家に来るのも時間の問題だろう。それに、どこか焦っているのがわかる。
出て行った方が悪目立ちしないような気がしてきたトトだが、この状況で出ていくのは、非常に勇気がいる。
ふと、視線を感じて振り返った。いつの間にか起きたらしい〝神子〟が、じとっとした目でこちらを見ている。彼女の視線は「早く行って黙らせて来い」と語っている。いくら世界一の魔法師と言われるトトでも、宿を借りている以上、逆らえまい。
「トトは僕だけど、何か用?」
トトは精いっぱいの虚勢と一緒に、今度こそ外に出た。飛んできたであろうワシ族たちの視線が突き刺さる。それに気づかないふりをしながら、トトは「みんな寝てるんだから、静かにしてくれる?」と言葉を連ねた。正直今すぐにでもここを立ち去りたいが、後ろから突き刺さる視線がそうさせてくれない。
ワシ族の長らしき男がトトの前に下りて来る。品定めでもするのかと思いきや、ガシリと掴まれた肩にトトはぎょっとする。
「緊急事態だ! サイモンたちが攫われた!」
「はあっ!?」
トトは腹の底から声を上げた。それくらい予想の斜め上からの出来事だった。
「ちょっと! それどういうこと!?」
「そ、それが俺にもよくわかんねェんだけど」
「何でわかんないのさ!」
「そ、そんなこと言われても」
「あーもう! つっかえない!」
男――名前がわからないのでデカ鳥としておこう。みんなよりも一回り大きい男にぴったりだと思う。トトはイライラしながら、とりあえず現地に向かおうと自身の足元に杖を向けた。トトが浮遊魔法を使うのに詠唱は必要ない。サイモンとか他のみんなはかっこいいからと口にすることも多いらしいが、トトは無詠唱の方がカッコイイと思っている。急に浮き出したトトに、見ていた者たちは全員あんぐりと口を開けていた。もちろん、デカ鳥も同じような顔でトトを見ている。
「キミはすぐに僕を連れてって! 他の人たちは被害が拡大しないようにここで待機! 喧嘩したら森ごとぶっ飛ばすから!」
トトはそう指示を飛ばすと、「早く案内して!」とデカ鳥に声を荒げる。詳しいことは向かいながらでも話しできると告げれば、彼は「あ、ああ!」と大きく頷いた。そんなことにも気が付かないなんて、これだから一般人は。
背中を向けるデカ鳥に足を踏ん張った瞬間、ぐっと足を引っ張られ視界が傾く。行き場を失った力の反動で体がぐるりと前に一回転した。間抜けにもぶら下がる形になったトトは目を吊り上げた。
「ちょっと! 危ないデショ! なにして――」
「ウチも行く」
「はあ!?」
「一緒に行く」
トトの足を掴んでいたのは、〝神子〟だった。
本来なら連れて行くべきではないが、トトはそれを伝えるのが非常に面倒だと思った。そもそもこっちは急いでいるのだ。そこを引き留めた奴が悪いと思うのは、当然だろう。
(それに)
トトは一昨日の事を思いだす。
『……大地の神は嘆き、水の神は怒り狂っている』
彼女の〝予言〟が本物かどうか、確かめるチャンスかもしれない。
「連れてってくれるまで、ずっとこのまま」
「ああもうっ! わかったから離して!」
トトがそう叫ぶと、神子はあっさりとトトを離す。相も変わらず真顔のままの神子に、トトは息を吐く。……もう少し違う引き止め方があっただろうに、と思ったがそれを言うのも面倒だと言うのをやめた。トトはデカ鳥に彼女を背中に乗せてもらうよう頼むと、今度こそ飛び立った。空は憎たらしいほど明るく快晴で、まるであの時の様で。トトは少しだけ、目を細めた。