「で。あんなところでなにしてたんだ。ヤコブ」
「うう……」
「泣いてないで早く言ってくんない?」
ぐすん、と鼻を鳴らすヤコブ。その周りをサイモンと、サイモンに呼ばれたトト、ヤコブを引き摺っていた二人の男が取り囲んでいた。男たちはどうやら警備兵らしい。「変な奴が森をうろちょろしていた」ということで引っ張ってきたのだとか。通りすがるフクロウ族の人たちがなんだなんだと覗いてきているのを、彼等が追い返している。
(ったく。相変わらずだな、こいつも)
泣きわめくヤコブを、サイモンとトトが見下げる。トトに至っては最早蔑んでおり、汚いものを見るかのような視線をヤコブへ向けている。正直ヤコブが可哀想な気もしなくもないが、同情する気はない。寝ようとしていたところを呼び戻されたのだから、その怒りは最もだろう。
「大体、キミ。城の警備はどうしてるわけ? 新人の教育は? 経費の書類が上がってないって参謀が嘆いていたけど、まさかやってないってことはないよね?」
「うわあああ! それ以上俺を追い詰めないでくれぇえ!」
「追い詰めるも何も、完全に自業自得デショ」
(容赦ないなぁ)
ヤコブに詰め寄るトトに、サイモンは苦笑いを浮かべる。詰め寄り方が本気だ。サイモンは多少ヤコブに同情しつつも、口は出さなかった。王城を後にしたサイモンはその件に関しては完全に部外者なのだ。
ヤコブはサイモンと同じ騎士団の一人だ。今は騎士団をまとめる役割をしていたはずだ。とはいえ、昔から書類仕事が苦手な上、サボり癖もある彼にまともな対応が望めるかと言えば、まあ難しいだろうな。
「まあまあ。それで。なんでここにいるんだ?」
「うう……サイモンの兄貴ぃ……っ!」
「くっつくな汚い」
「ヒドいッ?!」
サイモンは縋り付いてくるヤコブを引き剥がした。鼻水と涙でぐちゃぐちゃの顔を押し付けられても困る。
ヤコブは嗚咽を零しながら、サイモンにもらったハンカチで涙を拭いている。そのまま勢いよく鼻をかんだのを見て、サイモンは虚無の気持ちになった。
(なんでモテてたんだ、コイツ……)
黙っていれば女性人気上位に食い込むであろうその顔を、惜しげもなく歪ませるヤコブ。さらにその所作によって幻滅した女性のなんと多いことか。サイモンとしては人の美醜などどうでもいいが、女性陣からやたらとそういう手の話を聞かされていたのを思い出して、現在、大変不快である。
やっぱり顔か、とサイモンが荒み始めているのを察知してか、ヤコブが涙ながらに話し始めた。……しゅんとするな。なまじ顔がイイから腹も立たない。
「お、俺っ、実はちょっと前に旅行に行ってたんだけど、そしたら城に入れなくなってて。でもよくあることだし、今回もそうかなーって。」
「……既にツッコミどころしかないんだが」
「?」
「続けていいぞ」
(入れないのがよくあるって……)
サボり癖のあるヤコブの事だ。きっとサボったり、やらかしたりした時にでも追い出されていたのだろう。この様子じゃあ、ほとんど効果はなさそうだったけど。
トトを見れば、こくりと頷いている。やはり、サイモンの予想は正しかったらしい。
ヤコブの話によれば、概要はこうだ。
城を追い出されたと思ったヤコブは、ほとぼりが冷めるまで旅に出ることにしたらしい。本人としてはプチ旅行のつもりだったみたいだが。「お土産買ってけば許してくれっかなーって思って」とはヤコブの談である。
それからヤコブは見事迷子になったものの、まあいずれ着くだろうと楽観的な気持ちで歩いていた。しかし、先に食料が尽きてしまい、近くの集落で大切そうにされていた果実を食ったらその集落で使う大切な供物で、それはもうひどい目に遭ったと。捕らえられたヤコブは代わりの供物を用意することを約束し、一時開放してもらった。そしてこの集落の近くで代わりになりそうなものを探していたら、警備兵たちに捕まった、と。
「自業自得だな」
「自業自得だね」
「そんなこと言わないでぇええ!!」
抱き着いてくるヤコブを避ければ、油断していたトトにしがみついた。「ゲッ」と嫌そうな顔をして離れるように暴れるトトを横目に、サイモンは頭の中で話を整理する。
(その果物っていうのが何だかわからないが)
もしその〝儀式〟をすると言っている民族がサイモンの予想通りであれば、結構な確率で面倒事に巻き込まれる気がする。「ひっでーよなぁ。ちょーっと家探ししたくらいで怒りやがってよー」と騒いでいるヤコブに、サイモンはため息を吐く。そもそも、どうして大切にされていそうな果物をわざわざ食べたのか。森なのだからそこら辺に木の実でもなんでも転がっているだろうに。
騒ぐヤコブにどんどんフクロウ族の野次馬が集まってくる。サイモンは仕方なくヤコブの後ろに立つと、手刀を落とした。恐ろしく早い手刀である。
サイモンは警備兵に頭を下げると、ヤコブを引き取ることにした。本当は置いていきたかったし、何なら牢にぶち込んでもらっても全然構わなかったのだが、さすがによそ様に面倒事を押し付けるわけにはいかない。それに、一応可愛い後輩であったわけだし。
「サイモンって昔からなんだかんだ貧乏くじ引くよね」
「そう思うなら変わってくれ」
「全力でお断りするよ」
サイモンは行き場のない虚無感に、視線を遠ざけた。
「……キミがいれば、スクルードはあんな風にならなかったのかもしれないのに」
無意識なのだろう。呟いたトトの言葉に、サイモンは何も言わなかった。――言えなかった。
「神子様」
丑三つ時が過ぎようとする頃。二人の男が暗闇に向かって頭を垂れていた。
暗闇の中には月明かりと同じ色のランタンが灯り、ほんのりとその人物を照らしている。
白い肌。零れそうなほど大きな赤い瞳。細い足は鳥類独特のもので、バルーンの形をした服は空気を含んでより大きく膨らんでいる。男たちがいるところよりも一段高い位置で座るのは、未だ幼さが残る少女だった。
「なんだ」
「先ほど捕らえた侵入者ですが、どうやらトト様のお知り合いだったようです。今はサイモンと同じ部屋におり、トト様監視の元、引きずられて行きました」
「そうか。下がってよい」
「はっ」
男たちは更に深く礼をすると、少女を目に入れぬよう視線を下げたまま夜の森へと旅立っていく。きっと彼等は再び自分たちに与えられた範囲の警備に戻るのだろう。少女は彼等を見送り、誰もいなくなった部屋でほうっと息を吐いた。
「……つまらん」
神子、と呼ばれた少女は、毅然とした態度を崩し、台の上で大の字に寝転がった。暇だ。毎日暇で暇で、仕方がない。
少女が〝神子〟と呼ばれ始めてから、どれくらいが経ったことか。
物心つく前は不思議なこともあるものだと思っていたが、その声が自分以外に聞こえないのだと知った時には、もう遅かったと思う。忽ち大人たちに〝神子〟として祭り上げられ、気が付けばこの有様だ。神のお告げを聞く者として腫物のような扱いを受け、神の嫁だとしてフクロウ族の男たちと目を合わせるのを禁じられている。いつも面布をつけさせられ、外に出る時は必ずお付きの者に報告をしなければいけない。
もちろん、巫女本人としてはそんな面倒なことをするのは嫌なので、勝手に抜け出しては森の中をペットのフクロウたちと一緒に飛び回ったり、駆けまわったりしている。そんな時に出会ったのが、トトとサイモンだった。
(面白そうな相が出ていたから連れて来てしまったがのぉ)
〝神子〟としてではなく、一人の少女としていた時に使っていた別部屋。そこを最近リニューアルしたばかりで良かったと思った。……まさかそこにフクロウ族の誰かではなく、人間が住み付くとは全く考えもしなかったけど。
お陰で彼等には自分が〝神子〟であることは未だバレていない。バレたところで彼等が縋るような人間ではないことはわかっているが、それでも見る目が変わるというのは怖いものだった。
キィ――ン……。
耳鳴りがする。またか、と神子は身体を起こし、その大きな目を閉じた。
神託が下りるこの瞬間。神子はただの少女から〝神子〟へと変わる。
「……大地の神は嘆き、水の神は怒り狂っている」
〝神子〟に神託を授けている神が何なのか、少女は知らない。気にならないわけではないが、それを知ることは下界に生きるただの生物としての範疇を超えている。故に、聞けない。神託は続く。
神々の怒りや嘆きを治め――天の神を蝕む虫を、一刻も早く蹴散らせ、と。
「……なるほどね」
暗闇で身を顰める影が笑う。
神子はそれに気づかず、神託を授かった後、電池が切れたように意識を手放した。