「僕なんかに背中を取られるなんて、随分鈍ったんじゃないか?」
「君こそ、気配を隠すのが下手になったんじゃないか? バレバレだったぞ」
鼻で笑うトトに、サイモンは煽るような言葉をわざわざ選んで口にする。しかし、下ろされない杖に逼迫した雰囲気は変わらない。
にやりと挑発的な笑みを浮かべるトトは、一歩距離を詰めると片眼鏡を指先で押し上げた。
「その割に反応は遅かったように思うけど? もしかして歳だったりする?」
「んなわけあるか。あまりにも小さな気配だったから、気にも留めてなかっただけだ」
「誰が小さいって?」
「君以外にいるのか?」
バチバチと弾ける火花。しかし、その下にある黒いやり取りは、見ている側の者たちの肝を冷やす。常であれば冷静であろうとするサイモンも、今回ばかりはそうはいかなかった。
(よりによってコイツか)
冷や汗が流れる。もし今の彼がサイモンが知っているままの彼であるなら、彼の機嫌を損ねた瞬間、自分の命は決まる。魔法の早打ちで彼に勝てる人間は恐らくこの世にはいないだろう。
王都在住、魔法の全てを管理する魔法省の長。それが、彼――トトだった。
一瞬でも隙を見せたら終わる。
そんな緊張感が漂う中、サイモンはこの状況をどう回避するか迷っていた。以前、機嫌が悪いといってとある町を焼け野原にしたのは、紛れもなくこの男である。つまり、機嫌を損ねたら何をされるか分かったものではない。
「何やってんだ、サイモン! そんなガキさっさと――」
「あ?」
「ばっ、!」
(マズイ!)
サイモンは咄嗟にグレアを見た。動かないサイモンに耐え切れなかったのだろう。グレアの一言に、トトの標的がサイモンからグレアへと向かったのを感じる。トトの杖がグレアに向けられる。――そこからは一瞬だった。
ドッと放たれた風圧がグレアの身体を襲う。ハッとした時にはグレアの身体は家の壁を突き抜け、宙を舞っていた。咄嗟に手を翳すサイモン。
(クソッ!)
しかし、無詠唱ではトトの威力に勝てず、衝撃を止めることは出来なかった。辛うじて向かいの大木にぶつかる寸前に、彼の背面に出した結界で彼を受け止めることが出来たが、グレアの安否まではわからない。橋の上に崩れ落ちるグレアを横目に、サイモンはトトを見た。追撃しようとした杖の先を掴んで、床に叩きつける。
――その間、僅か二秒の出来事だった。
「っ、グレアさん!」
遅れて反応したアリアが駆け出す。何が何だかわからない、と言わんばかりの表情だったが、きっと彼女なら大丈夫だろう。
グレアを迎えに行くのは彼女に任せて、サイモンはトトを睨みつけた。トトもサイモンを睨みつけている。サイモンの首にはトトの指先が、トトの首にはサイモンの指先が向けられている。どちらもいつでも魔法が放てる体制だった。
「馬鹿みたいな短気は変わらないみたいだな」
「キミこそ。過保護すぎデショ」
再び散る火花。しかし、それはすぐに第三者の威圧的な空気に飲み込まれた。
ガリ、と何か鋭いものが床を引っ掻く音がする。振り返れば、鳥類独特の足が床をガリガリと引っ掻いていた。その様子に、血の上っていた頭が徐々に冷静さを取り戻していく。顔を上げ、目にした少女の顔に、サイモンはひくりと頬を引きつらせた。
(怒ってる、よな……?)
大きな目を半分隠し、じっとりとした視線でサイモンたちを見下げている。その目は完全に狩る者の目だった。
「ここ。ウチの家。暴れるなら出てって」
「「……スミマセンデシタ」」
サイモンたちはお互いに手を下ろすと、そのまま床に向けて頭を下げた。他人の家で争いごとななんて、御法度もいいところである。
グレアを救出に向かったサイモンは、衝撃波で動けなくなっているグレアに回復魔法をかける。その最中、サイモンは「生きていたかったら、アイツの前で〝ガキ〟と〝子供〟、〝小さい〟は禁句だ」と教える。ついでに、初対面であの良い方はNGだということも。
知らなかったとはいえ、乱雑な言葉を使ったグレアにはその点でも反省してもらわなければいけない。彼は申し訳なさそうに耳を垂れ、頷く。ぎこちない動きではあったが、理解してくれればサイモンとしてはそれで構わない。短気なのはなにもトトだけの話じゃなかったらしい。
グレアはサイモンの回復魔法で傷は癒えているものの、未だ衝撃が残っているらしい。担ぎ上げ、家の中に戻るとサイモンはグレアを壁に凭れさせた。本当は寝ていて欲しいが彼が拒否したので仕方がない。グレアはトトを見るとボワッと毛を逆立てた。明らかな拒絶反応につい笑いそうになったが、我慢する。トト本人は特に気にしていないようで、何時も釣れているペットの黒猫とじゃれていた。
「何でコイツがまだここにいんだよッ」
「仕方ないだろ。元々先に来ていたのはトトらしいし。それに、さっきのは君の口の悪さが招いたことだ。自業自得だな」
「う゛っ」
言葉に詰まるグレア。しかし、睨みつける目は完全に敵対視しており、気づいたトトも煽るように舌を出す。トトの場合、元々がそういう性格なのもあるので、改善はしないだろう。サイモンは相容れない二人の存在にため息を吐いた。
とはいえ、トト自身にも一応自制の念はあったようで。衝撃の残りで済んでいるだけなら随分と良心的だ。「本気だったら四肢が吹っ飛んでるぞ」と告げれば、グレアは顔を真っ青にしていた。「普通人に向けて魔法ぶっ放すかよ」と言う彼の言い分はもっともだが、それが通じるような人間ではないことは、サイモンが良く知っている。
家主を余所に、柔らかそうなクッションでくつろいでいるトト。話は聞こえているはずなのに全く興味を示すどころか、謝罪をする様子すらないのは最早彼らしいとさえ言える。
黒猫と戯れていたトトは、顔を上げるとサイモンを見る。
「それで。キミたちは何でここに来たのさ? まさか僕のストーカーだったりする? 気持ち悪いんだけど」
「俺たちは王都に向かう途中、偶然この家の家主に会って宿を貸してもらうことになっただけだ。君には微塵も興味がないから、安心してくれ」
「減らず口だなぁ」
「どっちが」
憎まれ口を叩くトトに、サイモンは呆れながらも言葉を返す。
本来なら無視してもいいのだが、これ以上面倒になるのは困る。サイモンは大きくため息を吐き、トトを見た。
彼の風体は数百年前から変わらない。お気に入りだという紺色のローブに、白いシャツとハーフパンツ。少年と言っても過言ではない出で立ちだ。さらに言えば低い身長と、飾り気もなく短く切られた黒髪が更に幼さを増している。一般人と違うところといえば、月のような金色の瞳と、ローブの背面に同じ金色の糸で月の刺繡がされているところだろうか。ちなみに彼の来ているローブには特殊な繊維が使われており、それを独自の魔力を使って織ったものなので、とんでもない高級品である。
(売ったらどれくらいになるんだ? 城建てられるんじゃねーか?)
「サイモン。今キミ、すごい失礼なことを思ったデショ」
「いや? 気のせいだろ」
サイモンはさらりと流すと、少女に出された茶を啜る。独特なすっきりとした味わいと爽やかな若葉の香りがサイモンの鼻を突き抜ける。美味いな。
ズズズ、と茶を啜っていれば、ふとアリアが落ち着かない様子でいるのに気が付く。どうかしたのかと視線で問いかければ、彼女は背筋を伸ばすと「あの」と声を上げた。
「トトさんは、サイモンさんとどんな関係なんですか?」
「僕に聞いてる?」
「え、は、はい」
「えぇ~?」
顔を顰め、体を折り込んで嫌そうな顔をするトト。「どうしようかなぁ」と悩んでいるが、その口元は緩み、声はからかっている。
(コイツ……)
アリアたちを下に見ているのがわかる。一度コテンパンにやってしまった方がいいんじゃないかと思うが、それをすると確実にこの森がなくなってしまう。サイモンは息を吐き出すことで怒りを抑えることにした。
トトはごろごろと床を転がると、アリアの隣に座る。動きが完全に猫に見えるのは、突っ込んでいいのだろうか。
「まあいいよ。キミは礼儀正しそうだし、魔法も使えるみたいだからね。特別に教えてあげる」
「えっ。いいんですか?」
「もちろん。僕は同僚には優しいからね~」
いひひ、と独特な笑みを浮かべるトト。珍しく上機嫌な彼にサイモンは視線で『余計なことは言うなよ』と訴える。もちろんトトがそれに気づかないわけもなく、にやりと笑みを浮かべている。……正直信用には全く値しないのだが、この状況では信用する他ないだろう。サイモンは大人しく茶を飲むだけにしていた。隣ではグレアが眉を寄せて毛を逆立てているものの、耳はトトとアリアがいる方へ傾いている。
「僕とサイモンは簡単に言えば昔の同僚でね。っていっても、サイモンがいたのはただの騎士団で、僕がいたのはこの国でも最高峰! 魔法の全てを管理するために作られた、魔法省のトップさ! こぉーんな脳みそ筋肉野郎の騎士団とは、価値も重要性も全く違うんだけどねぇ~」
「おい。指差すな」
折るぞ、と視線だけで告げれば、「おーこわいこわい~」なんて全く怖そうには思えない声でからかう声が聞こえる。これだからこいつに説明を任せるのは嫌なのだ。「誰のお陰で魔法の研究が出来てたと思ってるんだ」と凄めば、「その魔法を使って魔物を倒してるそっちが言う?」と凄み返される。どっちの主張も正しい以上、これ以上は水掛け論であることはわかっているが、やはりこいつのこういった態度は気に入らない。
(まあ、こいつの実力を認めているからこそ、だが)
魔法を使えばスクルードと互角に戦えるであろうこの少年を、サイモンはずっと〝もったいない〟と思い続けてきた。しかし、それがトトにとっては迷惑だったようで、いつの日にかこうして売り言葉に買い言葉をかける間柄になってしまったわけなのだが。
「そういうお前は何しに来たんだ?」
「はあ? キミには関係ないでしょ~?」
「じゃあいい」
「ちょっと!」
身を引くサイモンに対して、トトが声を上げる。その顔は「聞くならちゃんと聞いてよ!」と言いたげで、サイモンはやっぱり嫌いじゃないんだよな、と内心呟いた。
嫌いじゃない。だからこそ、腹が立つ。その繰り返しだ。
結局話は進まないまま、時間は深夜を大きく回ってしまった。うつらうつらするアリアと既に寝てしまったグレアに、サイモンは話し合うのをやめて、借りた毛布を掛ける。少女は大事なお勤めがあるということで、数刻前に家を出ている。
(俺もそろそろ寝るか)
サイモンはグレアの隣に腰かけると、毛布を引っ張る。しかし、その先をトトの手が踏んづけた。
「なんなんだ、お前は」
「まだ眠くないでしょ」
「はあ?」
「いいから来て」
サイモンはトトの鋭い視線に何か言い返そうとして――しかし、何も言わなかった。
(……気まぐれだな、本当)
さっきまでのからかう雰囲気とは一変。真面目な顔で告げる彼に、サイモンは静かに腰を上げた。……一瞬見えた、泣きそうな顔に心が動かされたわけでは、断じてない。