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第43話

(随分奥まで来たな)

少女に誘われ、森の奥に来たサイモンは心底暗視の魔法をかけていてよかったと思った。

少女と共に夜の森を駆ける、なんて響きは何ともロマンティックではあるが、その反面、夜の森というのは恐ろしい。急に出て来る枝や足元の石など、避けなければいけない障害物がたくさんあるのだ。しかも少女は慣れているのかぴょんぴょん跳ねていくが、サイモンはそうはいかない。何度転びそうになったことか。その度小さな魔法を駆使してきたが、そろそろ面倒になってくる。森を一掃した方が早いのではないか、と思ったが、そんなことをすればどうなるかなんて、考えなくてもわかる。

さらに言えば、少女は確かに白い肌をしているが、残念ながら月明かりのない中ではあまり見えない。時々空が開け、邪魔な枝がなくなり明かりが差し込んだとしても、見えるのは生首だけ。つまり、生首が浮遊しているというホラー現象が起きるのだ。正直心臓に悪い。たまたま見てしまったアリアがとんでもない悲鳴を上げ、気絶してしまったくらいだ。


十分ほど森を駆け抜けたサイモンたちは、少し開けた場所に出た。雲がなくなり、月明かりが差し込む。木々が夜風に揺れる音がし、サイモンは暗視を解いて顔を上げた。


「おお……」

「すっげーな」


木々を渡るように作られた家々。その間は大木を渡り歩くように橋がかけられており、歩行での移動も可能にしている。灯りはほんのりとした微灯が数か所のみ付けられており、むしろ月明かりの方がしっかりと足元を照らしてくれている。

家は木製で、一階建てのみ。横の大小はあれど、どれも立派な家だった。


「さ、サイモンさん」

「幽霊の住処じゃないみたいだな。良かった良かった」

「……」


ガンと背中が蹴られた。痛い。

サイモンはすっと手を離される感覚に、意識を戻す。少女は両腕を羽ばたかせると、一番大きく、高い家の前に降り立った。手を振ってくるように促しているが、上空二十メートルは軽く超えている。ジャンプで届くはずもない。


「手ぇ振ってやがる」

「そうだな」

「どうやって行くんだよ、あんなとこ」


はあ、とため息を吐くグレア。キョロキョロと周囲を見回した彼は「梯子なんてねーんだけど」と呟いた。さすがオオカミ族。今回も夜目が利いている。

サイモンはじっと少女を見る。飛べないのをわかっていてやっているのか、それとも単に飛べない種族に出会ったのが初めてなのか。

(前者だったら確実に試されているな)

自分たちの住処に来ているのだからここまで来れて当然、と言われているのではないかとサイモンは勘繰ってしまう。……まあ、首を傾げているところを見るに、完全に後者なのだろうが。


「グレア。ちょっとこっち来い」

「あ?」


眉を寄せる彼を手招く。近寄って来た彼の肩に手を当て、サイモンは呟いた。


「〝アーネ・モス風よ〟」

「うわっ?! お、おい!」

「アリアを離すなよ。――〝フィービ・スペアーノ跳び上がれ〟」


サイモンの言葉に呼応するように風が足元に溜まり、ブォンっと風が勢いよくサイモンたちを押し上げる。命綱なしの逆バンジージャンプみたいなものだ。

グレアが雄叫びのような悲鳴を上げているが、サイモンは気にせず少女のいる家の前に着地すると、残った風でグレアを優しく着地させてやった。抱えていたアリアを手放さなかっただけ上等である。

サイモンはグレアを労いつつ、少女に視線を向けた。驚いたような、感動したような視線を向けて来る彼女は、やはり悪気があったようには見えない。


「すごい。ニンゲン、飛べる。知らなかった」

「えっ。あ、いや」

「すごい。みんなに報告しなきゃ」


わくわくと効果音が付きそうなほど表情を輝かせる少女に、サイモンは「うっ」と唸った。……この状況で『人間は飛べないぞ』とは非常に言いにくい。予想もしていなかった出来事に、サイモンはどう訂正しようか悩んでいれば、「こっち」と再び手を引かれる。訂正するタイミングを逃したのは明白だった。

(悪い。人間のみんな)

彼女の中ではニンゲンは飛べるものだと認識されてしまったらしい。今後フクロウ族に出会うであろう人たちに心の内で合掌をすると、サイモンは再び少女を追いかけることにした。


少女が向かったのは、家の反対側にある小さな家。玄関であろう穴の前には扉は無く、掛けられているのは扉の上半分を隠す暖簾のみだ。他の家もそうだったような気がするので、恐らくフクロウ族の間ではそういった家が主流なのだろう。

中に入れば、少女の手によってランタンが付けられる。見えた部屋は広く、見慣れないものがあちこちに置かれていた。毛の長い絨毯が足元に敷かれており、不思議な感覚になる。


「すっげ」

「わあ……」

「座って。好きなところ」

「ああ。ありがとう」


サイモンは一度家を出ていく少女の背中を見送った。

感嘆に声を上げる若者二人を横目に、サイモンは部屋の中を見回す。質素だが、使われている家具は上等なものが多く、生活感のある空間に不思議と温かさを感じる。置物らしきものや、大小関係なく置かれた木箱が多いのが目立つが、その中でも目立つのが壁際を占拠する棚だった。

棚の高さは総じて低く、サイモンの腰辺りまでしかない。だからだろう。天井までが広く見え圧迫感がないように感じる。しかし、棚の中には一分の隙もなくぎっしりと本が詰まっていた。

(すごい量だな)

サイモンは興味深そうに本棚に近づく。背表紙を眺めていれば、懐かしい本が見えて来る。昔読んだなぁ、と思っていれば、棚の一か所を占拠しているものに気が付いた。


「げっ」


まるで嫌な物を見つけたかのような反応をするサイモン。ばっちいものでも触るかのような手つきで棚から取り出したのは、一冊の分厚い参考書だった。

タイトルは『魔法道具についての考察 参拾五』というもので、著者には『トト』という文字が書かれている。

(魔法道具なんて、レア中のレアだろ)

こんな物好きの本を、番数を見るあたり三十五冊も出す人間をサイモンは一人しか知らない。棚を見れば、サイモンの手に取った巻から更に十五巻進んでおり、最終は五十二巻で終わっている。妙に装丁の凝った本は、作者の強すぎる拘りが垣間見えるようで、心底嫌だった。


「アイツ、こんなに出してたのか。壱拾弐までしか読んだことなかったぞ」

「そうか。ならぜひ全部読んでくれないか?」

「「「!」」」


背後から聞こえた神経質そうな声に、サイモンは口元が引き攣るのを感じた。まさか、と後ろを見れば、そこにいたのは想像通りの男で。

(最悪だ)

視界の端でアリアとグレアがすぐに臨戦態勢を取る。有能な弟子の素早い判断と行動力に涙の一つでも流したいが、攻撃するのはやめた方がいい。確実に二人の首が吹っ飛ぶ未来しかないのを、サイモンは知っている。

アリアたちに制止の合図を出せば、二人は止まる。サイモンはやはり素晴らしい判断をする二人に内心拍手を送りつつ、目の前の男を見下げた。


「久しぶり。サイモン」

「……ああ。久しぶりだな、トト」


にっこりと笑みを浮かべ、サイモンに杖を突き付ける片眼鏡の少年――トトに、サイモンは内心大きくため息を吐いた。


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