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第42話


目の前に立ちはだかる大きな壁。――否、フクロウ。

サイモンの背丈の二倍はあるであろうその生き物は、正直生き物と称していいのかわからないくらいに大きかった。もはや岩か、崖と言われた方がしっくりくる。

(また変なのに巻き込まれる予感がするんだが)

そう思ったところで逃げ場がない。目の前に現れた岩のようなフクロウは、いつの間にかサイモンたちを囲むように四方に現れ、自分たちを表情のない顔で見下ろしている。クルクルと聞こえるのは鳴き声なのか、それとも自分たちを威嚇しているのかすらわからない。


「参った」

「参りましたね」

「やべーな」


今のところ攻撃の意志が見えないのが幸いである。とはいえ、巨大なフクロウから見下ろされるというのは、何とも圧迫感があってよろしくない。

(どうやって抜け出すか)

まず抜け出しても問題はないのだろうか。動いた瞬間攻撃を仕掛けて来る、なんてこともないとは言えない。かといってこのままというのは精神的に良くない気もする。


「なあ、サイモン」

「どうした?」

「アレ」


グレアがフクロウの上を指す。動いたところで反応を示さないフクロウに安堵しながら、サイモンは顔を上げた。

(……見えないな)

オオカミ族であるグレアは見えているのだろうが、自分は単なる人間だ。さすがに月明かりすらほとんど届かないこの状況では、何かあったとしても視界にとらえるのは難しいだろう。……そう考えると暗闇で顔だけがちゃんと見えているフクロウって、結構怖いな。ホラーが苦手なアリアなら泣き叫んでいそうだ。

(ああ、そうだ。アリア)

最初のフクロウと対面した時はいつもと変わらない様子だったが、四匹に増えた今はどうだろうか。

サイモンが隣を見る。いない。何となくそんな気はしていた。さらに下に視線を向ければ、ガクガクと震えるアリアがいた。頭を抱え、「あばばばば」と言葉にならない言葉を口にしているところを見るに、どうやら駄目だったらしい。


「大丈夫か、アリア」

「かっ、顔がっ、う、ういっ」

「駄目そうだな」


アリアにも見えるか聞きたかったが……この様子ではそれを聞くだけで罰ゲームみたいなもだろう。

サイモンは少しでも恐怖が和らげばと、アリアの頭を撫でた。ビクッと震えたアリアがサイモンの手を取る。可愛らしいことをするものだと思ったのも束の間。ギリギリと骨が痛むほどの強さにサイモンは手を差し出したことを全力で後悔した。

サイモンは仕方ないと顔を上げる。グレアの言う正体は未だ見えない。


「〝ニフィテル暗視〟」


ギリギリと掴まれる手から意識を外し、サイモンは自身の瞳に暗視の魔法をかけた。途端、見えたものにぎょっとする。

(……これは)

アリアが見えていなくてよかったと、心底思った。


フクロウの上にちょこんと乗っているのは、一人の少女だった。それはまだいい。問題はその少女の顔だった。

じいっと真っすぐ見つめて来る少女。その視線の強さはさることながら、顔の半分を占めるほど大きくまん丸い瞳は、瞬きを一瞬たりともする様子がない。それどころか能面のように表情が無く、ただ真顔でこちらを見つめている。そして何より、真っ白な肌が月明かりに照らされると下のフクロウたちのように浮いているように見えてしまう。これは幽霊だと思っても可笑しくはないだろう。

じっと見つめて来るフクロウの少女は、サイモンに認識されたことを肌で感じ取ったのだろう。ぐるりと首を九十度曲げると、一度だけゆっくりと瞬きをした。


「餌?」

「食べないでくれ」


サイモンはすっと両手を上げた。

アリアは急に聞こえた声に悲鳴を上げ、サイモンの足元に蹲る。サイモンの両足に顔を突っ込んでいる様は、まるでペンギンの親子のようだと、様子を見ていたグレアは思った。

サイモンは両手を上げたまま、少女を見る。少女はぐるりと首を戻すと、両手を動かし始めた。翼となった手が、空を切る。数回羽ばたかせたかと思えば、音もなく飛び出した。そのままサイモンの一番近くにある木の枝に止まると、枝を足場にぐるりと後転する。

少女の顔がサイモンの顔の至近距離でピタッと止まった。


「ニンゲン?」

「!?」

「ヒッ!」


少女の首がぐるりと一周する。しかし、次の瞬間には反対側に少女の首がぐるりと回転した。

(びっ……くりした)

びっくりした。本当に。心臓が飛び出るかと思った。サイモンはバクバクと煩い心臓を落ち着かせるように、服の上から胸元を撫でる。

彼女の様子を伺うに、恐らく少女は〝フクロウ族〟なのだろう。細い足はどう見ても鳥類独特のもので、鋭い爪が枝を掴んでいる。彼女の来ているバルーン状のスカートは、なぜか重力に逆らって落ちる様子はない。茶に金が混じった髪は下へ落ちているのに、不思議だ。

(とはいえ、話せるのは有難い)

岩のようなフクロウたちは意思疎通ができるか不安だったが、その点、少女は問題なさそうだ。


「なあ」

「なに」

「この近くに村か町はあるか?」


サイモンの問いに、少女は揺らしていた体を止める。首を横に振った。


「ない」

「じゃあ、集落はあるか?」

「ある。二つ」

「二つ?」

「うん」


彼女は再び身体を左右に揺らし始める。どこかわくわくしているように見えるのは、気のせいだろうか。


「どんなところなんだ?」

「うちの集落と、ワシ族がいるところ」

「フクロウ族とワシ族か?」

「うん」


再び頷く少女。その言葉に、サイモンはいち早く面倒くささを感じ取っていた。

(フクロウ族とワシ族か……)

考え込むサイモンに、アリアとグレアが首を傾げる。サイモンはそれに気づかないまま、思考を巡らせていた。


――フクロウ族とワシ族。この二族は互いに相性がすこぶる悪く、よく縄張り争いをしているらしい。それはサイモンが生まれるずっと前からだというのだから、その因縁の深さは相当なものだろう。

(そういえば、昔にもフクロウ族とワシ族の仲裁をしたことがあったな)

そうだ。居酒屋で出会ったフクロウ族とワシ族の喧嘩に、スクルードと共に巻き込まれたのだ。最終的にはスクルードが収めたことで事なきを得たが、その時いろいろ因縁を付けられたのを覚えている。しかも両方とも若い連中の頭だったこともあり、あの時は散々だった。


「仲の悪い二族がそんなに近くに住んでいるのか?」

「ちがう」

「違う?」

「向こうが来ただけ」

「ああ」


口を尖らせる少女。その言い分にサイモンは大方状況を理解した。

フクロウ族はともかく、ワシ族は半移民族だ。常に移動しているわけではないが、寒くなったり食べるものがなくなったりすると場所を移すらしい。レムたちのようにそこに住み着くわけでもないので、移民族というにはちょっと違う。かといって、遊牧民のように家畜を飼っているわけでもない。簡単に言えば、空の海賊みたいなものだろう。奪い合いをするかはその集落によって違うらしいが、基本的に食べ物がある場所に行っているので、そう変わりはないだろう。


「ところで、君はどうしてここに?」

「さんぽ」

「散歩か」


大した理由でないことに安堵する反面、反応に困る。

まさか彼女の散歩途中に、自分たちが偶然居合わせたとは思わなかった。

(このままフクロウ族のところに案内してもらうか?)

いや、フクロウ族は特に縄張り意識が強いと聞いている。そんなところに行って何かあったら困るのはこっちだ。


「あなたたちは、旅人?」

「あ、ああ」

「宿、いる?」

「あれば嬉しいが……」


サイモンの言葉に、少女はぱあっと表情を華やがせた。表情は全くもって変わっていないが、喜んでいるのは何となく伝わってくる。

少女はくるりと一回転すると、地上に降り立った。アリアが突然視界に入って来た足に「ひい!」と悲鳴を上げているが、少女は気にした素振りすらない。

サイモンの手を取って、引っ張る。足元にいるアリアを踏まないようにとたたらを踏むサイモンに、少女は「来て」と呟いた。


「お、おいっ」

「宿。案内してあげる」


少女はそう言うと、嬉しそうに笑みを浮かべた。その表情はどこかで出会った孤児院の少女ととても似通っていた。

サイモンはグレアにアリアを抱えてくるように告げ、引っ張られるがまま少女と共に森を駆け抜けた。


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