目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第40話

ワアワアと響く、近くの住人たちの声。逃げ惑う人々を見下ろしつつ、サイモンは周囲を見渡した。

(燃えているのは武器庫か)

サイモンが立っているのは、ジョゼフの家の左隣にある家の屋根、その先端だった。もう夜で視界も悪いというのに、そこから火元はよく見える。サイモンにとってはとても見慣れた、正直もう見たくもない建物が、ごうごうと燃えている。扉にはあの頑丈な鍵が付けられたままで、炎の中でも中の物を守り続けている。随分強固な鍵だな、と思っていれば、「あの鍵、親父が作ったやつだ」と呟くグレアに納得する。そりゃあ、上級魔法遣いが十人以上集まらないと燃えないだろう。

(目的は物取りか?)

夜も開けぬうちにジョゼフにぶん投げられた、武器庫。あの中には在庫の更に在庫が収められていると聞いている。悪戯の線も消えないが、火の燃え具合からして、家を狙った放火ではないらしい。つまり、狙いは住人の命ではないことは確かだろう。

(まあ、家も半分炎に包まれているが)

さすがに家まで全て鉄を使っているわけではないらしい。燃える家の屋根がパキパキと音を立てて地面に落ちていく。下に人がいれば、ひとたまりもないだろう。サイモンは全員の足に加速のバフを掛けた。驚く二人にバフの説明をしつつ、サイモンは暗闇に目を走らせる。――いた。


「アリア、君は周囲の人の非難を。不審な人物を見かけたら足止めしつつ、俺に連絡を」

「は、はい!」

「グレア、君はジョゼフたちの安否を確認しに行ってやれ」

「あ、ああ」

「よし、行くぞ!」


サイモンの声に、同時に駆けだす。

アリアは周囲の非難案内へ。グレアは未だ燃えていない家の中へ。そしてサイモンは数キロメートル先で木に登り、優雅に観戦している影を捉える。

(逃がさない)

サイモンは手のひらを口元に添えると、その上にふうっと息を吐いた。息は長く伸び、サイモンの身長の倍にまで伸びると、その先端を三つに分ける。先端は尖り、どこからかぴちゃりと水音が響いた。水の三叉槍がサイモンの手にしかと握られる。


「〝デュラコス龍神ゼアオズドリィ〟」


――ブォンッ!

大きく振りかぶったサイモンによって、三叉槍が空を切る。一直線に影へと向かった三叉槍は見事黒い影を打ち抜いた。

ぐらりと揺れる影。その影を宙に浮かびながら見ていたサイモンは、振り出す雨に空を見上げた。ごうごうと燃え盛っていた炎が少しずつ弱まっていく。完全に鎮火するまでにはまだ時間が掛かるが、雨はもっと強くなっていくのをサイモンは知っている。

その予想通り、どんどん激しくなる雨粒に、炎はすぐに鎮火を始める。サイモンは内心洪水になりませんようにと願いつつ、今頃地面で伸びているであろう放火犯をふん縛りに向かった。




「げほっ、げほっ、!」


グレアは喉が焼ける感覚に、何度も咳をする。

(もうここまで火が……!)

崩れて来る瓦礫を腕で払いのけ、舌を打つ。こういうとき、無駄に広い家は面倒だ。さっさと回り切って、残っている奴がいないか確かめなければ。グレアは逸る気持ちを抑えつつ、慎重に進んでいく。足場が突然崩れ落ち、グレアは間一髪で避ける。バクバクと煩い心臓に、首を振って家族が眠っていたであろう寝室へと向かった。


「クソッ……!」


一歩。また一歩と、踏み出す度に脳裏を過る記憶。もう何十年も昔の、遠い日の記憶。

こうして燃える家の中を歩いていると、思い出す。


――まだグレアが幼かった頃。オオカミ族を目的とした〝獣人狩り〟に出くわした。

周囲には悲鳴が響き、燃え盛る家の中を、グレアは必死に走っていた。裸足で駆ける廊下は熱く、耐えがたい痛みに耐えながらも、背後から襲ってくる〝強者〟から必死に逃げ惑う。父も母も、既に殺されてしまった。幼い弟も、家の瓦礫の下に埋もれてしまい、残るのは自分一人だけ。

友人も先生も、仲の良かった近所の人も。みんなどうなったかはわからない。ただグレアのように必死に逃げているのだと信じるしかなかった。しかし、まだまだ子供で獣化も出来ないグレアにとって、グレアたちを襲った〝強者〟は恐ろしく強かった。

グレアは捕まり、気づいた時には競売にかけられていた。その時グレアは自分がオオカミ族の中でも珍しい〝ハイイロオオカミ〟であることを知った。

自分を買ったのが誰なのかはわからない。とても高価な値段が付いたのか、売人が嫌に上機嫌だったことは覚えている。――それからは無我夢中で、記憶がない。

気が付けば、全身ボロボロの状態でジョゼフ夫妻に拾われていたのだ。


「くっ……!」


降りかかる火の粉を何度も払う。全身が火傷でぴりぴりと痛みを訴えて来る。息をするのも苦しい。だが、足は止まらない。寝室まで、あと少しだった。

(母さんっ……! キャシー……!)


「っ、親父……!」


優しい家族に招かれた時を、今でもよく覚えている。もう二度と味わえないと思っていた温かいご飯も、柔らかい布団も、次の日「おはよう」と言ってくれる声も。全部覚えている。自分が遠くに行ってしまった息子の代わりだったことは知っている。それでもよかった。

(俺は、俺は……っ、!)

寝室が見えて来る。幸い、この辺りはまだ火が回ったばかりらしい。

今ならみんな無事に逃げられる。その確信を胸に、グレアは扉へ手を伸ばした。――しかし、それは襲い掛かる熱風に阻まれた。


「ッ、!」

「もう。わたしくしの邪魔をするのは、やめてくださいまし?」


聞き覚えのない声に顔を上げる。真っ黒な影が炎に揺れ、僅かに姿を見せていた。


「誰だ!」

「あらぁ。人に名前を尋ねる時は、自分から名乗るのが礼儀でしてよ?」


ふふふ、と笑う影。グレアは彼女の姿を見ると、全身の毛を逆立てた。

(この女は、マズイ)

ニイ、と笑みを浮かべる女。彼女は上から下まで真っ黒の様相をしており、家の中だというのに日傘を差している。顔にはヴェールを掛けており、見えるのは赤い紅を差した口元だけ。初めて見る人種に、全身がゾワゾワする。野生の本能が目の前の女を警戒しろと騒ぎ立て、威嚇するように唸り声が喉を揺らす。女はグレアを見ると、くすりと笑みを零した。


「逃げたネズミちゃんたちをお迎えに来たのだけれど、もうみなさん古巣にお帰りになられてしまったようで。でも――まさか十年前に逃げ出した〝ワンちゃん〟が見つかるとは、思ってもいませんでしたわぁ」

「なっ、!?」

「ふふふ。大収穫ですわね」


クスクスと肩を揺らす女。その姿に、グレアは怒りが脳を揺らすのを感じた。

(こいつが……!)

十年前、自分を捉えていたところのボスなのか。それとも、家族を焼き払った仇なのか。グルグルと回る思考。剝き出しになった牙が、ふーふーと声を荒げる。全身が痛い。全身の筋肉が引き千切られていく感覚に、涙が出そうになる。ふと、似たような感覚を十年前にも味わったことがあるような気がしたが、それを思い出している余裕はない。


「そういえば、ここの御屋敷ってみなさん有名な鍛冶師なのですよねぇ? ちょうどいいから持って行っちゃおうかしら」

「あ゛?」

「やだぁ、怖い顔しないでくださいましっ。冗談ですわよ、ジョーダン」


にやりと笑みを浮かべる女に、グレアはギリリと歯を食いしばった。怒りに思考が飲まれそうになる中、どこからともなく雨粒の音が聞こえてくる。それはぽつぽつとしたものから、次第にザーザーと勢いを増していく。

女は外を見上げると「あら、思ったより早かったわぁ」と残念そうに呟いた。


「雨に濡れたくないですし、お暇いたしますわね」

「待て!」

「それでは――」


そう女が頭を下げると、徐々にその姿を消していく。

――刹那、グレアの顔の横すれすれを何かが剛速球で通り抜けた。勢いよく床に突き刺さり、砂埃が舞う。げほごほと咳をすれば、僅かに晴れた砂埃の中からビイイン、と強く振動する三叉槍が見えた。

(何だこれ)


「チッ。逃したか」

「え?」

「悪い。グレア。怪我無かったか?」


聞き覚えのある声に振り返れば、目に映ったのは宙を浮かぶサイモンの姿だった。

彼は何事もなかったかのような顔でグレアの隣に立つと、指を一つ鳴らす。すると、三叉槍がガタガタと動き、床から抜けると自動的にサイモンの手に戻って行った。まるで生き物のように動くそれに驚いているのも束の間。サイモンの後ろにはぐたりとした黒服の男が浮いており、気絶しているのか白目を向いている。

(もう、何が何だかわからねぇ)

情報量が多くて処理しきれない。グレアは三叉槍を振って消すサイモンに、がっくりと肩を落とす。コイツ、やっぱり強いじゃねえか。折角作った剣も使わず戦っていたサイモンに本当に剣は必要だったのか、なんて野暮なことを考えてしまう。まあ、その駄賃として鉱石をいくらかもらえたのだから、気にしないでおくことにしよう。


「そうだ。ジョゼフたち、全員家の外に避難してたぞ」

「……そうかよ」

「よかったな」


そう言って笑うサイモンに、グレアは何か言うのも面倒になってしまった。いろいろと非常事態で脳が混乱していたのもある。サイモンが頭を撫でてこようとするのを払い落として、グレアは全身を引き摺るようにして外に出た。もうこのまま泥のように眠ってしまいたい。そう思うほど、グレアは疲れ切っていた。

――だが、外に待っていたのは、怒り心頭のジョゼフだった。


「この、馬鹿が!」

「痛ッ、!」


ガツン、と拳骨が落ちる。痛む全身にびりびりと衝撃が走り、涙目になった。

(こんの、クソジジイ……!)

急に殴るなんてどんな教育だ。ズキズキと痛む腕でぎこちなく痛む頭を撫でようとすれば、大きな手が乗せられる。は、と出た声が夜の風に攫われる。乗せられたのがジョゼフの手だと気づいたのは、それからたっぷり数十秒開けてからだった。


「ったく、お前は。安否を確認するのに真っ先に燃えてる家に入る奴があるか!」

「……いや、知らねーし」

「知らねーしじゃねえ! それに、獣化は身体にかなり負担がかかるからやめろと、あれほど言ってただろうが!」

「……敵がいたんだから仕方ねーだろ」

「お前には武器があるだろ!」

「!」


ジョゼフの声に、グレアは弾かれたように顔を上げる。この時初めて、グレアは自分の家族の顔をしっかり見た気がした。

涙を浮かべる母に抱きしめられた義妹。泣きながら「グレア兄さま」と手を伸ばしている。ゆっくりと差し出した毛深い手が、幼い小さな手に包まれた。温かい。

グレアはゆっくりとジョゼフの顔を見る。頑固親父の顔は泣き顔とは程遠い顔だったが、その目には自分への多大な心配が溢れていた。


「お前には自慢の武器がある。ちゃんと、使ってやれ」

「……おう」


撫でられる頭に、視線を落とす。温かい体温が今までで一番、心地よかった。

――自分はとっくに彼等の家族なのだと、グレアは漸くこの時気づいたのだ。



コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?