「ありがとうございます! このご恩は一生忘れません……!」
そう言って頭を下げるのは、自分と同じ獣人族。頭に付いた大きな巻貝のような角も、ふわふわの髪も、自分とはまるで別で――グレアは柄にもなく気分が高揚した。さっきまで馬車の中ではしゃいでた子供たちも、親に泣き付いている奴もいれば、怒られている奴もいる。見れば見るほど多種多様な人たちが存在している。自分なりに世界を知っていると思っていたが、どうやらそれは間違いだったらしい。
(……すごいな)
今まで怖がられたり、奇異の目で見られることが多かった自分は、彼等の一切淀みのない瞳に戸惑った。それどころか、関係のない自分にまで頭を下げ、礼を言ってくる様子に恐怖すら感じる。ここまで人を疑うことなく見れる人種がいるのかと、自分の目を疑ったくらいだ。
(知らないことばっかりだ)
三角形に尖る家の形も、その前に掛けられた意味不明な布も、彼等の特徴的な服装も。全部、知らない事ばかりだ。
「グレア。そろそろ行くぞ」
「っ、ああ」
サイモンの声に、俺は踵を返す。この光景をまだ見ていたいと思う反面、何かが自分の中で変わっていく気がする。変わることは、怖いことだ。自然と足早になってしまった俺は、馬車の前で足を止める。振り返れば、手を振る村人たちの姿があって、グレアは咄嗟に視線を逸らした。心臓の奥が温かく、どこか懐かしい気持ちにさせる。
(懐かしい……?)
グレアは自ら感じたことに疑問を持った。どこかで感じたことのある温かみを思い出そうとして、思い出せない事に苛立つ。苛立つと、毛が逆立って不快感が体を走る。グレアは息を吐き、考えるのをやめた。
目の前では、サイモンの弟子だという子供が馬車に乗り込んでいた。次いでサイモンが乗り込む。帰りは自分一人が外の護衛なのか、と歩き出せば、腕をサイモンに取られた。
「君もこっちに乗るといい」
そう言ったサイモンの腕は恐ろしく強く、引き剥がせなかった。
渋々乗り込めば、あまりの狭さに体を折り曲げる羽目になった。窮屈そうにしていれば、それを見たサイモンが吹き出し、「寝転がって良いぞ」と言ってくる。
(馬鹿にしているのか)
グレアはぐっと眉を寄せると、前のめりになっていた姿勢を正す。上に掛かっている布が耳を押し付けているが、気にしないよう努めた。何事もないと言わんばかりの姿勢で座っていれば、それを見たサイモンが肩を揺らす。……後で一度、本気で引っ掻いてやろうか。そう思ったが、やめる。サイモンに勝てない事など、とっくにわかっていた。歯向かうだけ無駄だということも。
走り出す馬車の中、沈黙が落ちる。
俺は居心地の悪さに、周囲へと視線を巡らせていた。こうなることも当然と言えば当然だ。所詮、昨日今日出会った人間だ。話す話題なんてありはしない。こういうとき、互いの事を知っている者が間を取り持つのが普通なのだが、上機嫌に外を見ているサイモンにそれを望んでもいいものか。不安になってくる。
(断ればよかった)
来るときもそうだった。やたらと話しかけてくるサイモンに、グレアは何度も答える羽目になったのだ。例えば好きな食事や、嫌いなもの、今一番欲しいものなど。他にも以前会ったことのあるオオカミ族の話をしていたが、あまりの鬱陶しさに流し聞いていた。こっちは一日中誰とも話さない日がある生活を送っていたのに、突然マシンガントークを浴びせられ、あまつさえ『一緒に話そう』だなんて、無慈悲にもほどがある。
(どうせ、こいつも俺の話なんか聞いちゃくれねェんだろ)
親父と一緒で。きっとサイモンも〝オオカミ族である俺〟に興味があるだけ。そんなことで付き纏われては、正直鬱陶しくて仕方がない。
『見た目はもちろん、刃の部分の処理も素晴らしい。重さも適度で、何より魔力伝導率がいい。正直喉から手が出るほど欲しいものだ』
『すごい剣だ』
サイモンの声が頭の中を反芻する。世辞かと思っていたが、それは本人に否定された。
(すごい剣、か)
そんなものが作れているなら、きっともっとジョゼフに必要とされているだろう。彼の本当の家族のように。
「あ、あの」
「!」
「その……大丈夫ですか?」
アリアの声にグレアが肩を揺らす。見上げて来る真っすぐな視線に、グレアはたじろいだ。
(ち、近い)
じっと見上げてくる視線にグレアはさっと視線を逸らす。考えていたことが考えていたことだけに、真っすぐな視線が突き刺さって居た堪れなくなる。自分の気持ちが見透かされてしまうんじゃないかと揺れる恐怖が込み上げてくる。そんなグレアに気付いてか、サイモンがアリアに声をかけた。
「アリア。その距離はびっくりするからやめてあげなさい」
「えっ、あ、すみません!」
「ぁ、いや……」
ガバッと頭を下げるアリア。小さな頭が馬車の床に付かんばかりに下げられ、グレアは慌てて首を振る。確かに驚きはしたが、それだけだ。思い悩むようなことではない。むしろ心配してくれたことに関しては、有難いと思うべきなのだろう。
獣人族は顔や行動に示さなくとも、尾や耳で無意識に感情を示してしまうことがあるらしい。自分では気づかなかったが、さっきもそうだったのかもしれない。
(気を付けねェと)
尾をぎゅっと自身の足に絡め、動きを制御する。耳は天幕の布にくっついているし、大丈夫だろう。ふと感じる視線に目を向ける。サイモンがこちらを見つめ、ウンウンと頷いている。……なんだか嫌な予感がするのは、自分だけだろうか。
「そうだな。よし、決めた。グレア、俺たちの剣を作ってくれ」
「は?」
「えっ!?」
自分の声だけではなく、アリアの声まで馬車の中に響く。驚く俺たちもよそに、サイモンは「君なら出来るだろう?」と笑っている。そう言う問題ではない。バンバンと背中を叩かれ、正したばかりの身体が揺れる。こめかみが引き攣る。優男の見た目に反して、どこか乱雑だ。
(こいつッ……!)
真面目に一度、ぶん殴ってやろうか。
ふつふつと湧き出て来る殺気を押し殺していれば、サイモンが馬車から体を乗り出し、御者に声をかける。どうやら今日はここで休憩することにしたらしい。馬車を下りながら「何が食いたい?」と聞いてくるサイモンに、グレアとアリアは同時にため息を吐いた。この男に会ってから、振り回されっぱなしだ。
「なんでもいい」と適当に答えたグレアに、苦笑いをするアリア。サイモンは「そうか?」と首を傾げ、颯爽と森に入っていき、すぐさま獲物を手に戻って来た。その獲物が凶暴なハリオオジカだったことに驚いたのは、グレアだけだった。
パチパチと焚火の炎が舞い上がる。竈で見飽きているのに、火があるだけで少し気分が落ち着く気がした。
「それで。君に作って欲しい剣なんだが」
「まだ作るとは言ってない」
「こんな感じのを考えている。いけるか?」
「話を聞け、クソジジイ」
サイモンの言葉に、グレアは再三「作るとは言っていない」と繰り返す。何がどうしてそんな話になったのか。グレアの態度に諦める様子もなく、それどころか図面まで用意して話始めるサイモンはあまりにも自然で、こっちの気が抜けてしまいそうになる。気が抜けすぎて、途中で「わかった」なんて言わないよう、気を張るしかない。
(くそッ、めんどくせェ)
内心毒づいて、グレアは渡される紙を手に取った。本当は目を通す気はなかったが、どうせ逃げられないのだ。こんな男の話でも、多少の暇つぶしにはなるだろう。注文書と書かれた紙面を見たグレアは、詳しい内容を読み飛ばし、すぐに図面の書かれた紙へと視線を移した。意外としっかりと書かれている図面に感心する反面、グレアは荒唐無稽な内容に、鼻を鳴らした。
「冗談だろ」
「冗談じゃないぞ」
グレアの言葉に間髪入れずにサイモンが答える。彼を見れば、クソ真面目な目がグレアを見つめ返していた。しかし、手元に書かれた図面にはいくら何でも実現するには不可能な内容がいくつも織り込まれていた。
グレアはさすがに騙されねぇぞ、と鼻を鳴らす。パシッと紙を叩いて、サイモンに向かって紙を投げつけた。見ていたアリアがぎょっとして、おろおろしていた。
「ふざけんな。魔力の伝導率を高めるためだか何だか知らねぇが、魔法石を使うなんて頭湧いてるんじゃねェか?」
「残念ながら湧いてないな。それに、魔法石ならあるぞ」
「ハッ。嘘つくんじゃねーよ。魔法石っていやぁ、一生かけても見つかるかわかんねェ代物だろ。見つかったとしても、それを買うだけの金がおんぼろの服を着てるお前たちにあるとは到底思えねェけどな」
「そうか? ああ、あったあった。ほら魔法石」
「……」
「嘘じゃないだろ?」
すっと差し出される赤い石に、グレアは黙り込む。視線の先にあるものは、間違いなく魔法石だ。しかも一個や二個だけじゃない。サイモンの手の上をゴロゴロと転がっている魔法石。小さいものも合せれば、軽く二十は超えているのではないだろうか。
(ど、どうしてこんなに……!)
全て売ったらこの国で一番の城を立てられるかもしれない。それほど高額な物であるはずの魔法石を、何故、この男が、こんなに手にしているのか。
「随分前に土産としてもらってな。あんまり使い道もないもんで、必要な人に配り歩いてたくらいなんだ。これでも半分に減ったんだぞ」
「へっ……!?」
「その代わり、いろいろしてもらったが」
さらりと言ってのけるサイモンに、グレアは内心気絶しそうになる。どんな対価が在ろうと、魔法石を誰かにあげるなんて、どうかしている。平民であればその粒一つで三か月は余裕で暮らせるだろう。それくらいの事は、グレアでも知っている。
(冗談じゃねえ……!)
先ほどとは違う意味で怒りが湧いてくる。グレアは思い切り立ち上がると、サイモンの胸倉を掴んだ。魔法石が地面に散らばる。「やめてください!」とアリアが声を張り上げたが、聞く気はなかった。
サイモンを睨みつけ、ギリギリと歯を食いしばる。嫌な音が耳を刺激するが、そんなのどうでもいい。
「テメェ……他にも持ってんのか」
「まあ……一応いろいろとな? 伊達に長生きはしてないさ」
「そうか。なら――持ってる鉱石、全部見せろ」
グレアは好奇心に勝てなかった。ブンブンと振られる尾が、その証拠である。
絞り出すようにして告げたグレアにアリアが止まり、サイモンが笑う。堪えきれなかった笑いが肩を震わせていた。
「いいぞ。ただし、帰ったら君の工房を見せてくれ。それが条件だ」
サイモンの条件に、グレアはすぐさま頷いた。