「アリア。ちょっといいか?」
コンコン、と聞こえるノック音に、アリアが振り返る。そこにいたサイモンの姿に、アリアはぱあっと顔を華やがせた。しかし、すぐに後ろにいる人影に気付いて視線を上げる。近寄ろうとしたアリアの足が止まった。
(お、オオカミ族……!)
大きい。高い。びっくりした。
「ど、どうしたんですか? サイモンさん」
「ああ。ちょっとレムたちの様子を聞きたくてな。あ、こっちはグレアだ。オオカミ族で体がデカいが、まあ、いい奴だと思うぞ。たぶん」
「たぶん?!」
サイモンの声に、アリアは再びオオカミ男――もとい、グレアを見る。アリアの目線は普通にしているとグレアの胃あたりになるので、どうしても見上げないといけない。首を逸らし、真っすぐ見上げて来るアリアに、グレアは気まずそうな顔をしている。落ち着かないのか、きょろりと視線を彷徨わせる彼にアリアははっとして、部屋の中へと案内することにした。
「ど、どうぞ」
「……」
戸惑いつつもお茶を出すアリアに、グレアは眉を寄せつつも茶を手にする。飲んで何も言わないところを見るに、味は問題なかったのだろう。とはいえ、無言なのが気になる。そわそわするアリアに、サイモンは出された茶を飲むと「それで、そっちはどうだ?」と再び問いかけてきた。
「あっ、はい。レムさんたちのことですよね!」
はっとして、アリアは話し出す。
レムや他の被害者たちと過ごしているアリアは、毎朝のようにサイモンに被害者たちの状況を報告していた。熱を出していた子供たちの体調や、今後の事の話し合いなど。子供たちはここ数日は持て余した体力でこのインパの街を駆け回っており、それをサイモンに話せば「元気な奴らだな」と笑っていた。女性たちの方も、最初は怯えていた様子だが、精神も安定しており、最近ではよく村の家族についての話が上がっている。
「みなさん、やはり村に帰りたいようです」
「そうか」
頷き、茶を飲むサイモンにアリアは視線を下げる。自分たちはすぐにでも王都へ向かいたいのに、足止めを食っている現状がどうしても気になってしまうのだ。サイモン曰く、剣の代金の代わりに鍛冶屋の手伝いをしているらしいが、どうしてか自分にはその手伝いをさせてくれない。それどころか、被害者たちの様子を見ているようにと、別の場所に押し込まれてしまう始末。
(私だって、サイモンさんの力になりたいのに……)
しゅんと肩を落として、アリアはサイモンを見る。サイモンは何かを企んでいるのか、いつもより機嫌が良さそうだ。……アリアの気のせいかもしれないが。
「それじゃあ、近々村に戻るための日程を立てるか。護衛は俺とグレア、それとアリアもだ」
「えっ」
「一緒に来てくれるか?」
差し出される手に、アリアは目を見開いた。頬を抓ってみる。痛い。現実だ。
(サイモンさんが、私を頼ってくれた……!)
「はい! もちろんです!」
アリアはサイモンの手を取ると、満面の笑みで返した。
隣にいるグレアが、終始居心地の悪い顔をしていることにも気が付かないまま。
それからはトントン拍子で話が進んだ。
村に帰ることが出来るとわかった子供たちが手伝ってくれたおかげか、準備も滞りなく進み、サイモンたちと話し合った翌日の昼前には出発できるようになっていた。
(さすが移民族。手慣れてる)
荷物の括り方やまとめ方なんかはアリアより子供たちのほうがよっぽど詳しく、手早い。アリアがやったことと言えば、レムと一緒に旅の途中の食料の買い出しくらいのものだ。
(情けない……)
そう肩を落とすアリアを、レムは優しい顔で励ましてくれた。
大人数の食料を買い込むのに、アリアもレムも慣れている。お陰でそちらも滞りなく進み、気が付けば借りていた家の掃除まで片付いてしまっていた。残っているとすれば馬車への荷積みくらいで、それは翌日にやろうという話になった。そして翌日の朝、手伝いに来たサイモンたちのお陰で荷積みも早く終わり、予定よりも三時間も早く出発できたのだ。
サイモンたちは文字通り護衛の為、外を歩いている。同じ護衛として自分も外を歩こうとしたが、サイモンに「外は俺とグレアだけで大丈夫だから。アリアは中で何かあったら、知らせてくれ」と言われ、やんわりと拒否されてしまったのだ。
「も~、拗ねたらダメですよぉ、アリアさーん」
「拗ねてないです」
「ええ~? そうは見えませんけどぉ~」
ツンツンと頬を突っついてくるレムに、アリアは眉を寄せる。「やめてください」と手を押し退ければ、「あーん、ひどーい」と口にし、笑う。ここ数日、彼女と過ごしていてわかったが、彼女は結構強かな性格をしているらしい。こちらの質問をのらりくらりと躱したかと思えば、「冗談だよーぅ」なんて茶化すような口調で言ってくる。どこから遊びでどこまでが本気なのか非常にわかりづらくて、アリアは度々困ってしまう。孤児院にもビーバーの町にもいなかったタイプだ。
アリアは他愛もない話をするレムや女性たちを見つめる。いろいろあったが、何とか全員生きて帰れることにホっと胸を撫で下ろす。
「そろそろ休憩にするか」
サイモンの声に馬車が止まり、アリアたちは新鮮な空気を吸うため、外に出た。
休憩をして、また馬車に乗り、サイモンに促されて睡眠をとり――気が付けば村のすぐ近くまで来ていた。アリアは当時、疲れ切って寝てしまっていたこともあり、ちゃんと村を見るのは初めてだった。
「わあ……!」
「むらだー! むらがみえてきたー!」
「おーい! おーい!」
はしゃぐ子供たちを慌てて窘める女性たち。しかし、彼女たちの表情も今まで以上に明るく、涙を浮かべている者もいた。
(やっと帰れるんだもんね)
嬉しくて当然だと思う反面、たった一人、浮かない顔をしている女性に目を向ける。パサンの妻、メリーノさんだ。ここにいる子供たちは、メリーノさんを取り戻そうとした夫、パサンに売られたも同然だ。気を負ってしまうのも無理はない。
(何か、私にできること……)
アリアはキョロキョロと周囲を見回す。手元には子供たちと遊んだ時に見つけた綺麗な石くらいしかない。
(よし)
アリアは自分の胸元の紐をほどくと、それを懸命に石に結び付けた。大層な物は出来ないけれど、多少彼女の不安を和らげることが出来れば、それで十分だ。アリアは出来上がったネックレスを手に、メリーノの元へと向かう。
「メリーノさん、これを」
「これは……」
「お守りです」
「急拵えですけど」と付け加える。高いものでなくて申し訳ないと思うが、アリアとしてもちゃんとしたものを買えるほどの金銭を持っていなかったので、許して欲しい。メリーノはアリアからネックレスを受け取ると、「ありがとうございます」と微笑んだ。さっきよりも少し明るくなった顔に、アリアはホッとする。
村に着いたのは、それから三十分程してからだった。
馬車を降りた子供たちが、見物に集まった村の人たちの中に消えていく。安堵に涙する村の人たち。女性たちも、迎えてくれる夫に駆け寄り安堵に涙を流している。そんな感動的な光景の中、メリーノだけが族長の元に恭しい態度で歩み寄っていた。何かを話しているようだが、アリアの距離ではうまく聞き取れない。深く、深く頭を下げたメリーノに、周囲の人たちは眉を下げた。同情の目だった。
(メリーノさんは……どうなっちゃうんだろう)
自分が原因だったとはいえ、家族がしてしまったことだ。何か罰が与えられるのかもしれない。族長に連れ立って歩いていくメリーノ。その首元にはアリアが渡したばかりのネックレスがかけられていた。
無意識に足を出すアリア。しかし、その足を止めたのは、サイモンの声だった。
「アリア」
「! は、はい」
「荷物。宿の人が預かっててくれたみたいだぞ」
グイ、とサイモンから差し出されるバッグ。確かにそれは、アリアが持っていたバッグだった。「あ、ありがとうございます!」と頭を下げ、受け取る。頭を通し、紐を肩にかける。中を見ればなくなったものは何もなかった。
ふと振り返れば、同時に振り返っていたメリーノと目が合う。彼女はにこりと笑うと、ネックレスを指先でとった。彼女の口元が動く。――『ありがとう。元気でね』と。
アリアはそれに頷くことしかできなかった。きっと自分はこれ以上踏み込んではいけないのだと、何となく理解してしまったから。
「大丈夫だ」
「! サイモンさん」
「彼女の事は、彼女たちが守ってくれるだろう」
サイモンの言葉に、アリアはハッとする。そうだ。何も攫われていたのはメリーノだけではない。
アリアはレムたちに視線を向ける。満面の笑みでサムズアップをする彼女たちは、今まで出会ったどんな女性たちよりも頼もしそうだった。アリアは深く頭を下げると、サイモンたちと一緒に村を出た。
馬車に乗り込むアリア。次いでサイモンが乗り込み、最後にサイモンに引きずられる形でグレアが乗り込んでくる。窮屈そうに体を折り曲げて座る彼を見て、アリアはハッとした。
(わ、忘れてた……!)
大きな体に、大きな耳。視界に入っていれば忘れる事なんてないだろうに、アリアは彼の存在をすっかり忘れてしまっていたのだ。バッとサイモンを見れば、「どうかしたか?」なんて首を傾げられる。伝わって欲しいけど、伝わらない。そのことに悔しさを噛み締めつつ、アリアは二人に向き合った。大きく深呼吸をする。サイモンが連れてきたとはいえ、未知の存在に立ち向かうのは、勇気がいるのだ。
けれど、彼がどうして一緒に来たのか。サイモンは何を考えているのか。アリアには聞く権利がある。