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第36話

人間は総じて弱いもんだと思ってた。


爪を立てれば、いとも容易く引き裂ける皮膚。

牙を見せれば、悲鳴をあげて許しを乞う口。

足も遅く、跳躍力もない。魔力も少なく、コントロールもまるで三歳児が遊んでできる程度だ。いくら知識があるとはいえ、道具もない人間なんて恐怖に値しない。

──圧倒的弱者。それが“人間”という種族だと、グレアは思っていた。今、この時までは。



「オイ! 離せって! オイ!」

「ハイハイ。大人しく着いてこような」


ズルズルと引っ張られる足。腕が見えない何かで引っ張られている。魔法なのはわかっているのに、どうやっても視認ができない。全力で踏ん張っても微塵も止まる気配のない自身の体を引っ張っているのは、見知らぬ細身の男一人だ。グレアもオオカミ族にしては細身であると自覚はしているが、それでも目の前の男よりは重いはずだ。

(つーか、なんでこんなことになってんだ……ッ!?)

自分はただ、いつものように兄弟子達が使っていた鉱石の欠片を集めて、練習をしようと離れにある小さな工房に向かおうと思っていただけだ。そりゃあ道中でぼうっと立っている不審者がいたから「邪魔だ」と声をかけたし、あまりにもゆったりと動くもんだからついつい舌打ちをしてしまったが、それだけだ。

(そしたら居なくなったはずの奴が急に目の前に現れやがるし、腕は縛られるし、引き摺られてるし! つーかどうなってんだよ、コレ! 解けねぇじゃねーか!)

拘束されたことに気づいて、直ぐに引きちぎってやろうと思った。だが、ビクともしない縄に為す術がないまま外まで出てしまった。くそ、と吐き捨てて振り返れば、持っていた木箱が宙に浮いて後を追いかけてきている。もうなにがなんだかわからない。


「ッ、お前! こんなことしてタダで済むと思ってんのか!?」

「ん? むしろなにかあるのか?」

「テメェ……ッ!」


あっけらかんとする男に、苛立ちが掻き立てられる。手に力を込めれば、収めていた爪が姿を現す。両腕を拘束されているとはいえ、爪を振れない訳では無い。大怪我をさせると騒動になってしまうから、脅すだけにしよう。変な術を使うとはいえ、どうせただの人間だ。脅せば無様なほど真っ青な顔で許しを乞うに違いない。

グレアは大きく腕を振り被って、人間の男の頭を目掛けて爪を立てる素振りをする。貫く直前で止めてやろう。そう画策して──振り返った男の視線に、腕が止まる。予定よりも随分と遠いところで止まった自身の腕に、グレアは込み上げる混乱と恐怖に苛まれていた。


「危ないだろ。しまったほうがいいぞ、その爪」


にこりと笑う男に、ぞわりと背が逆立つ。笑顔なのに、目が笑っていない。

(な、なんだ、これ)

振りかぶった腕が震える。本能が逆らうなと告げている。

グレアはゆっくりと腕を下ろす。男の目から感じる威圧がふっと消え、細く、小さく、息を吐いた。

(……死ぬかと思った)

今になってバクバクと跳ねる心音が聞こえてくる。こいつには逆らわない方がいいと、全身が警告する。

グレアはそれから、大人しく目の前の人間の男について行くことにした。




サイモンが足を止めたのは、武器庫の近くにあった小屋だった。武器庫の整理をしている時にその存在に気がついたのだ。

(ここなら邪魔は入らないだろ)

小屋はボロく、人が住むにはちょっとすきま風が多そうだが、多少話をするくらいなら問題ないだろう。振り返れば、視線を下げ、気まずそうな顔をしているオオカミ男がいる。


「君、名前は?」

「……グレアだ」

「グレアか。いい名前だな」


サイモンはウンウンと頷きながら、オオカミ男──グレアを見る。

(思ったよりサラッと教えてくれたなぁ)

もう少し手間取るかと思ったが、好都合だ。

サイモンはグレアの腕を拘束していた縄を解くと、浮かせて持ってきた箱を足元に下ろす。キョトンとするグレアを横目に、箱の中をガサゴソと漁る。出てきたのは予想通り、鉱石の欠片と手ぬぐい、それから研石が一つ。他にも小物がいくつか出てきたが、サイモンにはそれが何に使う道具なのかわからなかった。近くにあった石の上に鉱石を一つずつ並べていくサイモンは、ふとグレアを見上げた。ビクリと肩を震わせた彼は、怯えたように耳を垂れさせていた。


「……悪かった」

「ん? 何の話だ?」

「えっ」

「ああ、舌打ちをした話か」


「確かにアレは良くなかったな」と告げるサイモンに、グレアは何とも言えない表情をしていた。何がしたいんだと言わんばかりの視線に、サイモンは何を応えるでもなく、無言で箱の中身を取り出していた。傍から見れば恐ろしい光景だろう。怒っていると思われても当然だ。――だが、サイモンが言いたいことはそれとはまったく違うことだった。

(やっぱりな)

サイモンは並べ終わった道具を見つめ、自分の予想が正しかったことを確信する。グレアを見上げ、サイモンは告げた。


「それより、グレア。君――鍛冶師だろう?」

「ッ、!」

「そして、これを作ったのも、君だ」


サイモンは懐から小さな剣を取り出すと、引き抜いて見せた。ギラリと光る小刀。普通の刃物よりも鋭く、どこか危うさを感じさせる雰囲気を持っているが、そんなイメージとは違い、実際の刃は驚くほどしなやかで折れそうに無い。繊細な心と、強靭な思いがないと作れない代物だ。そして同時に、世にも珍しく魔力伝導率の高い剣であった。


「ど、どうしてそれを……! ちゃんと隠してあったはずだろッ!?」

「在庫の武器をしまうところにあったぞ。手入れをしている時に偶然見つけてな。隠すように置いてあったが、こんないいもの、見逃すわけがない」


サイモンはそういうと、刃を月明かりに翳した。青白く輝きを見せる短剣。淀みなく、綺麗に反射するそれは見ていてうっとりしてしまいそうになるほど、美しかった。そこにサイモンの魔力を流せば、一体どんな色に変化するのか。今すぐ試したい気持ちを抑え、サイモンは剣をしまった。素晴らしい剣だ。だが、同時に一つ気になることがあった。それは、『何故他の人達と別の時間、違う場所で打とうとしていたのか』ということだ。

他にも獣人の弟子はいたので、獣人だからと言って怖がられるなんてことはないだろう。しかも、グレアは見たところ、魔力が一般的なハイイロオオカミ族よりも少ないらしい。余計に疎遠になる理由がわからない。


「こんなにいい腕の職人を、ジョゼフ(アイツ)が逃すはずがないしなぁ」


サイモンが小さく呟いた。

途端、ダンッと強い打撃音が響く。音の発生源はグレアだった。


「……さい」

「ん?」

「うるせェっつってんだよッ!!」


びりびりと大声が肌を突き刺す。サイモンは咄嗟に耳を塞いでしまった。

グレアを見れば、彼は怒り心頭といった様子でこちらを睨みつけている。顔が真っ赤に染まり、本来隠されている牙が向き出した。

(しまった。本気で怒らせてしまった)

一体何が気に障ったのかはわからないが、謝っておいた方がいいだろう。サイモンは両手を上げた。グレアの片眉がピクリと動く。


「悪い。怒らせるつもりはなかったんだ。ただ、どうして他の弟子たちと違って、君だけこんな夜中にやっているのか、純粋に気になっただけなんだ」


実際には他にも気になったことは山のようにあるが、危害を与えるつもりはないということがわかればいい。

グレアは黙ったまま、未だサイモンを睨みつけている。嘘だとわかればすぐにでも噛み千切るぞと言わんばかりの視線に、サイモンは内心苦笑いを浮かべる。

(そんなに信用ないか)

はは、と乾いた笑いを零せば、睨みつけて来る視線が強くなった。おお、怖い。


「そんなに疑うなって。俺たちも自分の武器を作ってくれる鍛冶師を探しているんだ。いろいろあって武器庫を掃除していたんだが……そこでこの剣を見つけたんだ」


サイモンは懐から短剣を取り出す。素早い動きにグレアは目で追うことも出来なかった。

唖然とするグレアに、サイモンは短剣を軽く振るう。いい音を立てて空を切る剣に、やはり良いものだと頷いた。


「見た目はもちろん、刃の部分の処理も素晴らしい。重さも適度で、何より魔力伝導率がいい。普通、魔力を伝達するにも多少ラグが生じるんだが、君の作るものにはそれがない。正直喉から手が出るほど欲しいものだ」

「……そんなに、すごいのか。俺が作ったのは」

「ああ、すごい剣だ」


サイモンは真っすぐグレアを見て、頷く。そこにお世辞は一切含まれていない。

グレアは赤くなる顔を隠すように俯いた。耳がピクリと動き、天を突いている。さっきまで威嚇するように膨らんでいた尾は、喜びを表すように左右にブンブン振られており、喜んでいるのが見て取れる。

(わっかりやすいなぁ)

獣人族はその身体的特徴に感情が出やすいことで有名だ。サイモンは照れているグレアを見て、内心微笑ましさを感じていた。

――よし。


「グレア、俺たちと一緒に来てくれ」

「は?」


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