「いやぁ……思ったより大惨事だな」
目の前に広がる光景に、ついつい呟いてしまう。
隣に立つのは、例の黒金獅子。出会った当初は飢餓に苦しんでいたものの、撫でてやってからはそれはもう大人しかった。腹が減って元気がないのかと思っていたが、檻から出てきた彼を見て違うのだとサイモンは理解した。
(待っていたのか)
こうなることを。
サイモンの前に立ち、頭を下げる黒金獅子。その行為が主に捧げる最上級の誓いであることを、サイモンは知っていた。だから、他の者たちを先に逃がし、彼のみを連れてきたのだが。
「お前、派手にやったなぁ」
「グルルル」
まさか天井を突き抜けて、強引に地上まで上がってくるなんて思ってもいなかった。サイモンは崩れてきた瓦礫の破片を頭から払い落としながら、すり寄ってくる黒金獅子に苦い顔を向けている。
こんなことならアリアたちを先に行かせず一緒に乗せてもらって来ればよかった、とも思ったが、周囲を見てすぐに思い直す。
(あの爆音に彼女たちも子供たちも、耐えられないだろうな)
大の大人の男ですら足元で伸びているんだから、当然かもしれないが。
「グオオオオ!」
「ッ、!」
突如、耳を劈く咆哮が聞こえる。咄嗟に耳を簡易結界で守り、振り返ればそこには隣に居る黒金獅子よりも、二回りほど大きな黒金獅子が立っていた。しかも、向けられる目は赤く染まり、ひどく怒っているのがわかる。
(マズいな)
まさか隣に居た黒金獅子が、子供だったとは。大人の迫力は伊達じゃない。そういえば、大昔戦ったのももっと大きかったなと今更ながらに思い出した。いやだって、それよりも魔王の小ささに目を奪われて大変だったんだから仕方がないじゃないか。
鬣の形からすると雌だろうか。最悪、この子の母親なのだろう。子供が連れ去られたことで怒り狂ってここまで来てしまったと考えれば、筋が通る。そもそも、黒金獅子は強いが、人間の前に姿を現すことはあまりない。特に雌は輪をかけて目撃例が少ないのだ。そんな存在がここにいて、更には暴れていると考えれば……まあ、察しはつくだろう。あちこちに倒れている売人たちは、完全に自業自得なわけだ。
周囲を見れば、彼女が存分に暴れた後のか、舞台のような場所が見るも無残な姿になっている。あ、足元のカーテン、高そうですね。
「グルルル……!」
「え。マジか。ちょっと待ってくれ」
ロックオンされた視線に、サイモンは冷や汗を流す。……もしかして、理性を失っていないか。
歯をむき出しにサイモンを見る黒金獅子(母)。その威圧感に、サイモンの隣に居る黒金獅子(子)が、身を伏せて委縮している。「きゅぅ」と鼻を鳴らして、耳はぺたりと畳まれ、今にも泣きそうだ。ちょっと可哀そうになって来た。
(これ、もしかしなくても、止めるの俺か)
理性を失った獣を相手にする時ほど面倒なものはない。しかも助けた子供が隣に居て、その母親と対決なんて、どんな修羅場だ。お前も怯えてないで助けてくれ、と黒金獅子(子)を見るが、完全に震えて伏せてしまっている。ダメだ、これは。
「はあ……」
地上に出たら施設ぶっ壊して、さっさととんずらしてアリアたちと合流しようと思っていたのに。サイモンは大きくため息を吐く。
頭の中で、試合開始のゴングが鳴り響いた気がした。
「グオオオォオオ!!」
「ッ!」
振り上げられる大きな手。叩きつけられる前に避ければ、階段がいとも容易く崩れ落ちた。飛んでくる瓦礫を避けつつ、サイモンはどうにか反撃出来る隙を伺っていた。
――〝黒金獅子が史上最強で最凶の魔物〟と言われているのには、理由がある。
もちろん魔王との繋がりもあるが、何より厄介なのが『魔法がほとんど通じないこと』だ。耐久性が高く、半端な魔法ではびくともしない。さらに魔力の塊を持つ魔物としての存在もあるため、魔力を吸い取ってしまう性質を持っているのだ。とはいえ、全部が効かないわけではない。サイモンの魔力の半分も出せばきっと丸焼きにすることは出来るだろうが、子供がいる前で母親を焼くなんて鬼畜な所業、サイモンには出来ない。
(魔力のコントロールも未だ解決していないしな)
ともなれば、魔法以外での攻撃を仕掛ける必要がある。
襲い来る咆哮を、耳だけにしかけた結界で防ぎつつ、飛ばされる火の玉を避ける。流石、最凶の魔物だ。五十以上の火の玉を軽く出して見せる。
(避けるこっちだって楽じゃないんだがな)
とりあえずそれらを全て飛んだり躱したりと避けきり、サイモンは息を吐く。しかし、続いて降りかかる落雷にサイモンは咄嗟に結界を張った。
「ッ、!」
魔力調整が甘い。思ったよりも薄く展開してしまった結界が割れ、サイモンは咄嗟にテレポートを併用し飛び退いた。瞬間、さっきまでいたところに雷が落ちる。もし当たっていたら丸焦げになっていただろう。まだ晩餐には並びたくない。
さっきも檻の鉄格子を軽く外すだけのつもりが、勢いよく飛びすぎてしまったし。まあ、同時に行った魔法契約は上手くいったのだけれど、それもやりすぎたかなと今になって思っている。せめてアリアたちだけでも、自由に動けるようにしておくべきだったかもしれない。
そんなことを考えつつも、サイモンは黒金獅子(母)の攻撃をひょいひょいと避けている。当たるどころか、掠る気配すら感じない状況に、いい加減黒金獅子(母)が涙目になってくる。赤く染まっていた目が黒く戻りかけていることに、サイモン以外が気づいていた。
(やっぱり逃げてばかりだと飽きるな)
特大の火の玉を水の魔法で消化し、続いて襲い来る突進を軽く宙返りで避ける。尾が追撃してくるが、とりあえずリボン結びにして可愛くしておいた。くるくると自分の尾を確かめようと回る黒金獅子(母)に、サイモンは一つ息を吐く。
「グゥウウ……」
「そろそろだな」
サイモンは小さく呟く。元々少し冷静さを欠いてしまっただけで、彼女は何も悪いことはしていないのだ。悪いのは子供を攫った売人たちだ。だから、サイモンは彼女を存分に暴れさせることにした。そうすれば多少は気も落ち着くだろうと思っての事だったが、上手い具合に施設を破壊してくれたのは有難いと思っている。そう仕向けたのはサイモン自身ではあるが、それをわざわざいうほど、サイモンも子供じゃない。
周囲には唖然とする売人たちがいる。全滅させたい気持ちは無きにしも非ずだが、彼女に殺しをさせる気はない。もちろん、サイモンが来るまでに誰か死んでいたら申し訳ないが、とはいえ、それも自業自得だ。自分でしでかしたことは自分で責任を負うのが、立派な大人というもの。
サイモンは自分の尾を確かめられず、苛立つ黒金獅子(母)に向かい合う。魔力の調整はイマイチだが、場所の調整は一級品だ。
「悪いな」
サイモンは駆けだした。苛立っている黒金獅子(母)の太い腕がサイモンの頭上を掠める。髪の毛数本が宙を舞ったが、本人は頭を下げたまま全力で走り抜けていた。上体を折りたたんだまま全力疾走をするなんて、常人では考えられないだろう。サイモンというバケモノだからこそ、出来る芸当である。
サイモンは黒金獅子(母)の下に滑り込むと、赤いカーテンを掴んだ。手触りからして、やはり上等な代物だ。だが、爪で引き裂かれているわ、土埃と血で汚れているわで、もう修復は不可能だろう。
(なら、有効活用させてもらうしかないだろ!)
赤いカーテンを掴んだまま、サイモンは黒金獅子(母)の足元をテレポートを駆使しつつ、ぐるりと回る。右後ろ足から、左後ろ足、左前足まで来れば、誰もが予想できるだろう。足場の悪さに踏ん張る黒金獅子(母)。しかし、カーテンを避け切るよりも、サイモンが右前足に辿り着く方が早かった。
「〝
サイモンの身体を赤いオーラが包む。それは一回、二回、三回と大きくなっていき、五回目の拡大に周囲の熱が上がる。立っているだけで汗をかくような熱気に、会場が包まれる。黒金獅子(母)が身構えるのと同時に、サイモンは足を大きく前後に開いた。カーテンを腕に巻き付ける。綱引きでもするかのような格好に、瀕死の売人たちが目を見開く。何をするんだと言わんばかりの視線を受けながら、サイモンは足を踏ん張った。
「せー……のッ!!」
ぐっと引っ張ったカーテンが黒金獅子(母)の足を絡めとる。ぎゅっと一つに纏まった四足に、彼女の巨体が大きく横転した。
ドスーン……と、今日一番の地響きが周囲を揺らす。重い音が周囲に広がり、砂埃が舞う。瓦礫が増えたこともあってか、舞う砂埃の量が恐ろしく多い。
ゲホゲホと咳き込みながら晴れるのを待っていれば、徐々に見えて来る。
そこには赤いカーテンに足を絡めとられた黒金獅子(母)に寄り添う、黒金獅子(子)がいた。