「作戦を練るぞ」
声を潜めて言うサイモンに、顔を突き合わせた皆が頷く。
サイモンの問いに、全員が「逃げたい」「村に帰りたい」と言ったのは、サイモンにとっても予想通りであった。しかし、サイモンとしては少し物足りなかった。
サイモンの目的は『施設の破壊』。
奴隷の売買は、どの国でも随分前から違法として扱われている。スクルードが世界を統一した時にそうしたのだから、当然だ。
だが、こうして隠れながらも存在している施設もある。目が眩んだ奴らは、何を言っても聞かないのはわかり切っている。ならば破壊するしかないだろう。
(それに、俺たちがどうして捕まったのか……捕まえる必要があったのか、わからないままだしな)
アリアがサイモンが飛ばしてしまった花の餌食になってしまったのはわかっているが、そもそもあの二人がサイモンたちの前に姿を現した理由はよくわかっていない。旅人だから狙われたのかもしれないが、それにしても都合がよすぎる。
(そもそも、幻華を村の方向に飛ばすような操作はしていないはずだが)
それも自分の魔法のコントロールが上手くいっていないせいなのか。それとも。
「サイモンさん?」
「あ、ああ。悪い」
アリアの声に、サイモンはハッとする。とにかく、今は作戦を練り、共有することが優先だ。
ちらりと盗み見た見張りは、無防備にもコクリコクリと船を漕いでいる。サイモンはそれを横目に、指を三つ立てた。
「ここからの脱出に肝心な要素は三つ。一つは檻の破壊。もう一つは連中の足止め。これは主に戦闘になるだろうな。そしてもう一つが一番肝心なこと。――退路の確保だ」
「はい、師匠!」
「どうした、アリア」
「何で檻の破壊なんですか? 鍵を使えばいいんじゃ」
「その鍵がないから破壊なんだろ」
「あっ、そっか」とアリアの声が聞こえる。納得した彼女の様子に頷き、サイモンは女性たちを見る。全員難しい顔をしているが、質問はなさそうだ。
続けるぞ、と口にして、サイモンは二本の指を立てた。
「檻の破壊と戦闘は俺がやろう」
「それなら私も!」
「アリアは彼女たちの護衛だ」
はい、と手と声を上げるアリアに、サイモンは間髪入れずに答えた。しゅんとするアリアには申し訳ないが、サイモンとしてはこれは譲れない判断だった。
(彼女を危険な目に合せるわけにはいかないからな)
まあ、ここの連中の強さを考えれば、一人で十分だと判断したこともあるが。サイモンはチラリと目の前にいる女性と子供たちを見る。パッと見、動けそうな人間はいるが、戦闘慣れしている奴は一人もいない。誰かが残られても足手まといになるだろう。それならさっさと安全な場所に確実に非難してもらった方が、こっちとしても助かる。そう言いたいのがアリアには伝わったのだろう。むうっと唇を尖らせ、「……わかりました」と頷いた。渋々な様子に眉を下げる。
サイモンは視線を戻すと、指を一つ立てた。
「問題は、退路の確保だ」
これは一番深刻な問題かもしれない。
何より難点なのが、サイモンがここがどこなのかを理解が出来ていないのだ。もちろん、転移魔法はあるがそれは行きたい場所と距離が明白になっている時にのみ使える。つまり、それがわかっていないとどこに飛ばされるのかわからないのだ。コントロールが曖昧な今は尚のことだ。
(索敵を使う余裕があればいいが、せめて落ち着くまでどこかで身を隠すのが妥当なところだな)
この周辺に詳しい人間がいれば有難いが、彼女たちは村から連れてこられた者たちばかり。正直、案内役としても望めそうにない。
(くそっ、俺がもっと早く気を付けていれば)
港町にいた時は情報を仕入れるのにいっぱいいっぱいだったから、そこまで頭が回らなかった。あれもこれもと並行して物事を処理するのは、サイモンはあまり得意ではないのだ。
「あのー、一ついいでしょうかー?」
「なんだ?」
すっと手を上げ名乗り出たのは、パサンの妻にずっと寄り添っている髪の長い女性だった。この中では一番大人しそうな見た目をしている。眉と目の尻は下がり、おっとりとした顔付きだ。サイモンの第一印象としては、『眠そう』。口調もゆっくりと間延びしたようなもので、独特な女性である。
自身を〝レム〟と名乗った彼女は、「あのですねぇ、提案がございましてー」と続ける。
「実はぁ、私の姉が商売をやっているんですけどー、知り合いがいましてですねぇ。その方がいるのが、恐らくこの街だと思うんですぅ」
「街?」
「はぁい」
レム曰く、ここは街の中でも管理が行き届かない端の方にある施設だそうで、以前商売の手伝いをしに来た時に見かけたことがあるのだとか。サイモンは半分ほど幻覚に視野が覆われていたから気づいていなかったが、意識もちゃんとしていた彼女たちはここが街であることを確信していたそうだ。アリアを見れば彼女も頷いている。……なるほど。幻覚を楽しみすぎるとそういう弊害もあるのか。
「……わかった。それで、提案というのは」
「えーっと、提案というのはぁ、逃げ込む先をー、その知り合いの店にしてはいかがかなぁーっと」
「それは……迷惑になるんじゃないか?」
「あー、そこは大丈夫だと思いますー」
「どうしてそう言い切れる? 単に知り合いなだけなんだろ?」
「えーっとぉ……なんて言ったらいいんでしょー?」
いや。聞かれても困るが。
首を傾げるレムに、サイモンはつい口に出そうになった言葉を飲み込む。危ない。せっかくゆっくりとした口調に耐え、話を聞いていたのに、無駄にしてしまうところだった。
彼女は「うーん」と口元に指を当てて、唸り出した。言葉を探しているのだろうか。ああでもない、こうでもないと首を傾げては首を大きく上下左右に動かしている。その様子を見ていた周囲の女性たちが、ハラハラとしだした。
何をしているんだ、とサイモンが疑問に思いながら様子を伺っていれば、不意にレムの頭がかくりと揺れた。パサンの妻が慌てて倒れそうになる彼女を抱き留める。
(攻撃か!?)
立ち上がり、檻の方へと振り返る。見張りが起きて何かしてきたのかと思ったが、そこには誰もいなかった。警戒態勢を取るサイモンに、パサンの妻の声が響く。
「だ、大丈夫です。寝てるだけなので」
「……は?」
(寝ている、だけ……?)
え、この非常時にか? というか今、会話している途中だっただろう。寝る要素がどこにあった?
サイモンの頭の中に疑問符が飛び交う。いや、待て。確かに眠そうだとは思っていたが、……いやでも、普通会話の途中で寝るか? 一瞬それだけ眠かったのだろうと思ったが、何となくそうではないような気がする。何より、周りの女性たちが呆れたように頭を押さえ、慣れた様子で膝枕をしているのがその証拠だ。
(日常茶飯なのか?)
困惑するサイモンを他所に、女性たちを囲んでいた子供たちがレムの顔を覗き込んで、きゃっきゃっと燥いでいる。「眠っちゃったね」「うん、ねちゃった」と言って、小さな声でクスクスと笑う姿に、サイモンは拍子抜けしてしまう。
(うそだろ)
未だ追いついていないサイモンに、件の男勝りな女性が声を声を押し殺して笑う。
「悪いね。この子、考えるのが苦手でさ。考え込むとすぐにこうやって寝ちゃうんだよ」
「そ、うなのか」
「まあ、すぐに起きるけどね」
彼女の言葉に首を傾げていれば、「ハッ!」と声が上がる。子供たちが口々に「おきた」と笑った。
振り返れば、レムが慌てた様子で目を擦っている。どちらかといえば口元に垂れた涎を拭いた方がいい気がするが、子供たちが指摘するだろうとサイモンは放っておくことにした。
キョロキョロと周囲を見回す彼女は、サイモンを見ると再び声を上げ、謝罪と共に体制を戻す。「寝ちゃってすみません~」と笑顔で謝罪するレムは、たはははと笑みを零しながら自分の後頭部を撫でた。随分とマイペースな彼女に、サイモンはどう声をかけるべきか悩んでしまった。
「……女性はわからんな」
「大丈夫です。私も女ですけど、この状況はよくわかりません」
サイモンの小さな声を拾ったアリアが、同じように小さな声で返す。そうか。同じ女性でもわからないのか。じゃあ無理だな。
「えーっとぉ……ごめんなさい。何の話でしたっけー?」
へらりと笑みを浮かべる彼女に、サイモンはどっと押し寄せる疲れを感じる。苛立ちにも似ているが、どちらかといえば呆れが近いだろう。何も言わないサイモンに起こっているのだと勘違いした彼女は、慌てて弁解をし始めた。サイモンは「怒ってないから続きを」と促した。そこでやっと脳が覚醒したのか、記憶を思い出した彼女は知り合いの店について話し始めた。
彼女曰く、知り合いと言っても、相手は村を出た義理の兄なのだとか。姉さんと業務提携を結んでおり、片方は村で、片方はこの街で商売をしているのだとか。二人とも仕事優先で、家も別々。結婚しているというには物理的な距離もあるが、仲は悪くないとのこと。
「お義兄ちゃんはこわいんですよぉ」
「怒るとか?」
「いえ、顔が」
顔が。
サイモンは彼女の言葉を反芻した。なるほど。確かに普通の人間じゃあ寄り付かないだろう。寧ろ商売が上手くいっているのかが気になってしまう。しかし、サイモンの心配は不要だったらしい。彼女の義兄の仕事は武器屋の商人だそうだ。しかも各地の領主や他国、また要請があれば遠い王都にまで武器を下ろしているほど有名な店で、働く職人たちも逞しい人ばかり。もしそこに奴らが乗り込んできたりしたら、全世界が黙っていないのは確実だろう。いろいろな意味で怖い人だ。
「店の名前は?」
「えーっとぉ、〝Sheep Weapons Shop〟(羊の武器屋さん)ですー」
(ああ、知っている)
サイモンも良く知っている。王都にいた頃、そこに武器を頼むように言ったのはむしろサイモン自身だった。特に、折れにくく刃こぼれしにくい剣と柔らかくしなり、且つ重さも丁度いい槍は重宝していた。
まさかこんなところでまた出会うとは。サイモンは意外な繋がりに内心笑みを浮かべながら、「そうか」と頷いた。
「わかった。そこに頼ることにしよう」
「わぁーい。お義兄ちゃんにあえるー」
隠す素振りもなく両手を上げ、歓喜に声を上げるレムに子供たちも女性たちも笑顔になって声をかける。「よかったねぇ」と頭を撫でられている様は、大人だというのに子供よりも子供らしい。
(なるほど。憎めないわけだ)
彼女たちの意外な絆に笑みを浮かべつつ、サイモンは納得する。どれだけ破天荒でも、常識としてはあり得ないと言われようとも、愛される人間はいる。彼女はそういうタイプなのだろう。
「よし。それじゃあ作戦を詰めていくぞ」
サイモンの声に、全員が頷く。
見張りの交代時間まで、体感であと三十分程度。それまでに話を詰めておかなければ。
サイモンは懐かしい感覚に無意識に口角が上がっていた。