サイモンの問いに、ひそひそと話をしていた声が静かになる。
サイモンは『別嬪であること』以外に、パサンの妻についての情報を持ち合わせていなかったのだ。致し方ない処置といえよう。
子供も女性も、驚いたように目を見開いていた。そして、大きな目は瞬きを数回すると、揃って疑わし気に細められる。こんなにもあからさまに疑われれば、逆に面白くなってくる。アリアは話が見えないのか、焦った様子でサイモンと彼女たちを見比べている。何も知らないが故の挙動だったが、その様子に彼女たちは『敵はサイモンだけ』だと認識したらしい。これはまた、都合がいい。
(どうしてその名前を知っているんだ、とでも言いたげだな)
しかし、揃ってわかりやすい反応をしてくれたおかげで、サイモンは目的の人物を見つけることが出来た。
疑いに目を細める者たちの中、サイモンの目が捕らえたのは、悲しそうに目を伏せる一人の女性。女性たちの中でも一番小柄で、大きな巻き角を持っている彼女は、確かに美人と言って差し支えないだろう。サイモンの視線に気づいたのか、女性たちがパサンの妻(仮)を庇うように前に出て来る。その表情には静かな怒りが見えた。
一番体格の良い女性が一番前に出る。体格がいいとは言っても、それはこの五人の中だけだ。ドーパー村の女性は小さい人が多いようで、サイモンと比べると一回りも二回りも小さい。
「何? アンタもあいつの手先?」
「いや。どっちかと言えば、むしろ捕まえた方だな」
「捕まえた?」
「ああ」
サイモンは村で起きたことを説明する。
偶然立ち寄った村で起きた、ちょっとした事件。その一部始終を包み隠さず話したサイモンは、俯き顔を覆うパサンの妻(仮)を見る。子供たちが声をかけているが、女性は顔を上げない。他の女性たちもなんと声を掛けたらいいのか、わからないのだろう。
サイモンはじっくりと彼女たちの言葉を待つことにした。ここで急かしたところで、彼女たちには逆効果だろう。サイモンとしても出来る限り穏便に済ませたい。サイモンが返事を待っていれば、パサンの妻(仮)がその場で深く頭を下げる。地面に額が付きそうなほど深い謝罪に、見ていた全員が驚いた。
「ちょっとアンタ、何してるのっ!?」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「そんなことしなくていいからっ」
周囲の女性たちの声を他所に、何度も「ごめんなさい」と続ける彼女。その痛ましい姿に、サイモンは少しだけバツが悪くなる。罪悪感に駆られて、つい彼女たちの枷を外してしまったくらいだ。ぎょっとして声を上げようとする彼女たちに、口元で指を立てる仕草をする。息を飲む彼女たちに、サイモンは小さく頷いた。涙を流していたパサンの妻(仮)は、外れた枷を見つめ、嗚咽を堪えるように蹲った。
(……随分と追い詰められていたんだんな)
まあ、それもそうか。自分のせいで彼女たちや子供たちが連れ去られ、こんなところに入れられているなんて考えもしていなかったはずだ。……まあ、連れてこられた子供たちから話を聞いて、予想はついていたかもしれないが。
(こっそり伝えるべきだったか?)
いや、それが出来るような状況ではなかっただろう。そもそも、内緒話を出来るほど近くに寄ることも出来そうになかったわけだし。どちらにせよ、彼女がパサンの妻であることは確定のようだ。存外早く見つけられて、サイモンは一つ目の目標クリアにほっと息を吐いた。――瞬間、ぶすっと頬を膨らませたアリアが顔を覗かせた。
「うおっ!?」
「サイモンさんにとって、私はそんなに信用できないんですね」
「……は? 何を言って――」
「じゃあなんで教えてくれなかったんですか」
アリアの問い賭けに、サイモンは瞬きを繰り返す。想像の斜め上から降って来た問いに、すぐに返せる答えをサイモンは持ち合わせていなかった。
(別に……アリアが頼りないから話さなかったわけじゃないんだが)
ただ、不確定な情報を渡すのは良くないと考え、言わなかっただけの話だ。仲間外れにしたわけでも、アリアを信じていなかったわけでもない。サイモンはそれをどうにか伝えようと頭を巡らせる。アリアは頬を膨らませたままだ。
「ついさっきまで、このことに関しては不確定要素ばかりだったんだ。話をしたところで混乱させてしまうだろう?」
「それは、そうかもしれないですけど……」
「アリアに心配かけたくなかっただけなんだ。秘密にしていたかったわけじゃない」
そう口にし、アリアの赤毛を優しく撫でる。頬を赤く染めたアリアがふいっとそっぽを向いた。「……それならそうと言ってください」と呟く言葉に「悪かった」と告げる。アリアの怒りは収まったらしい。
ホッと胸を撫で下ろすサイモンが顔を上げると同時に、ばちりと女性たちと目が合った。一秒、二秒と時間が経ち、アリアも不思議そうに顔を上げる。女性たちは顔を見合わせた後、「二人って」と口を開いた。
「付き合ってるの?」
「ちっ、違います!」
真っ赤な顔で否定するアリアの勢いに、サイモンは少しだけ傷ついた。
「こほん。あー、話を進めるぞ」
一通り騒いだ女性陣を見つめ、数分。落ち着いてきた雰囲気に一つ咳をしたサイモンは話を戻した。アリアは彼女たちに気に入られたらしく、三人のお姉さま方に抱きしめられて顔を真っ赤にしている。目を回す彼女に助け船を出してやりたいが、サイモンにはそれだけの話術はない。つまり。
(すまん。アリア。頑張れ)
というわけで、サイモンは内々でエールを送ると、話を進めることにした。
「俺があなた方に聞きたいのは、三つ。ここに来た経緯と、売れた人間の数。そして――この先どうしたいか」
サイモンの言葉に、空気が変わる。子供たちもそれを感じ取ったのか、遊んでいた手を止め、一人、また一人と寄ってくる。まだまだ小さいが、わかっているのだろう。子供は大人が思っている以上に賢い存在だ。
「……私から話すわ」
そう言ったのは、一番前に出ていた勝気な女性だった。
「私は絨毯を売って、帰ろうとしたところを襲われたの」
彼女の言い分はこうだ。
商品を十分に売った帰り、森の中で馬車が盗賊に襲われたと。よくある話だが、一緒に乗っていた御者も仲間だったことから、怒りを爆発させるタイミングを伺っているという。……その時の表情は、正直歴戦の戦士であるサイモンさえも少し引いてしまうような勢いだった。
他の女性たちも似たようなものだという。問題は子供たちだった。
子供たちがここに来た経緯は、おおよそサイモンの予想通りだった。
パサンの妻が攫われ、その肩代わりに子供たちを攫っていたという。子供たちは揃って『パサンのお兄ちゃんとお話しした後、記憶がない』と言っており、彼が例の〝幻華〟を使用していることは明らかとなった。その事実に泣き崩れるパサンの妻に、周りの同情が集まる。彼女は悪くないというのに、とんだとばっちりだ。
(それにしても、被害者は九人か)
多いな。
二人や三人であれば未だ減刑の余地があったかもしれないが、九人ともなれば難しいだろう。二桁に乗る前に止めることが出来ただけ、良しとするべきか。
なんだか頭が痛くなってきて、サイモンは片手で軽く頭を押さえる。アリアが心配そうな顔をしていることに気が付いて、大丈夫だと手をひらりと揺らした。
サイモンはパサンの涙に、多少なりとも思うところがあった。だからこそこうしてここまで来たわけだが……聞けば聞くほど、彼の為にしていることが本当にあっているのか気になってくる。いや、乗りかかった船というか、ちょっとした責任感も主な理由ではあるのだが。
悶々とするサイモンは、思考を回しつつ「とりあえず、後で全員怪我がないか診せてくれないか」と問いかけた。パッと見る限り問題はなさそうだが、念のためだ。逃げる時になって足を引っ張られても困るという気持ちもある。
次に、売られた人間の有無に関してだが、幸いこの檻の中で売られた人間は未だいないという。サイモンは再び頭を抱えた。
「ちょっと待ってくれ」
「? どうしたんですか、サイモンさん」
「俺はパサンから『妻が既に売られてしまった』と聞いている。その金額を超えるほどの手伝いをすれば、妻を返してもらえるとも」
「えっ」
「だから、ここにいるということは引き渡しの保留にされているだけだと思っていたんだが……」
ちらりとパサンの妻を見る。彼女はあんぐりと口を開け、瞬きをしていた。
「わ、私はまだ一度も商品として出されてはいませんが」
「……なんだって?」
その場で話を聞いていた全員が絶句する。おかしい。話が噛み合わない。
(パサンは、嘘を吐いていたのか?)
――否。そうとは限らない。が、どこかですれ違っているのは事実だ。そうでないとここで話が合わないことが起きるはずがない。サイモンはパサンとのやり取りを思い出す。
スタンを受け、泣きながらに心情を告げる彼は、見ているだけで痛々しかった。だが、蓋を開けてみれば値段が付いていないどころか、商品にすらなっていないときた。あの時の彼が演技だったというのなら騙されたこっちが悪いが……希望としては、その可能性は低く見積もりたいと思う。でなければ、自分はただ踊らされただけのお人好しじゃないか。
(パサンが騙されていたって線も棄てられないな)
それとも、パサンも人攫いの一員だったか。
サイモンはどんどんとややこしくなっていく現状に、大きくため息を吐く。……これは、ちょっと。なあ。
纏まらない思考に、サイモンは己の膝を軽く叩く。
「とにかく、俺たちはこの施設を脱出しようと思っているが、君たちはどうしたい?」
このまま奴隷となって働くか、村に戻るか。
サイモンの問いに顔を合わせ、皆ほぼ同じタイミングで応えた。