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第24話

「ううう……ひどいです、サイモンさん……」

「ごめんごめん」

「嫌いになりました」

「そう言わないでくれ」


悪かったから、と告げれば、口を尖らせたアリアが顔を上げる。大きな目が潤み、憎たらしげにサイモンを睨み上げる。そんな顔をしなくたっていいだろう。


「暇つぶしにはちょうど良かったと思ったんだがなぁ」

「……」

「本当に悪かったよ」


睨みつける視線が強くなり、サイモンを射抜く。あまりにも本気で睨んでくるから、サイモンは本気で謝罪をした。

(あの程度で怖がるとは思わなかったな)

アリアも随分と成長したと思っていたが、そういう面ではまだまだ子供である。まさか幽霊話が嫌いだったとは。サイモンは今後アリアに振る話題のリストに、NGとして『怖い話』を追加する。そんなサイモンを見ていたアリアは、「……次は無いですからね」と呟くと浮かんでいた涙を拭った。……泣かせたことは本気で申し訳ないと思っている。


なにか他に気晴らしになるような話は無いかと考えていれば、ヒヒーン、と馬の嘶きが聞こえ、馬車が止まった。ガクンと体が揺れる。随分荒っぽい停車だな。馬が可哀想じゃないか。

荷台に掛けられていたカーテンが開かれる。顔を出したのは、あの時アリアを担いでいた男だった。顔を合わせたときは暗くて分からなかったが、明るいところで見ると目元に濃い隈が住み着いているのが見える。さらに言えば幸が薄そうな顔付きだ。


「おい。さっさと降りろ」


幸薄男に言われるがまま荷台から降り、サイモンは周囲を見回す。

(……どこだ、ここ)

サイモンは見覚えのない景色に目を瞬かせる。それもそうだろう。サイモンの目には左は砂漠、右には寂れた街が見えるのだから。


サイモンは一瞬わけがわからなくなったが、次いで降りてきたアリアの反応を見て何となく察する。恐らく、自分の左目はいつの間にか幻覚に脅かされていたのだろう。辺り一面が砂だらけで、所々に緑色の玉のような植物がある。確か、西の方にこんな場所があったなと思い出す。違うと分かっていても、神経はそれを正しいと感じているのか、左半身だけが少し暑い気がする。反面、右が少し寒いのでなんだか気持ち悪い。

捕らわれたままの手を伸ばせば、突如目の前に出現したモンスターに腕が丸ごと齧られた。


「あ」


やらかした。いや、幻覚だからいいのか?

ガジガジと齧るのは、三匹の羽ラビット。ブーンと音を立てて羽を羽ばたかせ、長い耳で獲物を感じ取るモンスターだ。小さい見た目に反して肉食で、飢餓になると目が赤くなることで有名であるが、見た目の愛らしさから騙されることが多いらしい。開けた口はそれはもう恐ろしいものだが。

ガジガジと噛まれ、脳が食われていると錯覚する。尋常じゃない痛みが走り、冷や汗が流れた。キラリと光る赤い瞳がサイモンを捕らえた。このままでは腕ごと持っていかれてしまう。足に無意識に力が入る。が、直ぐにこれは幻覚であることを思い出して、足から力を抜いた。幻覚であるとわかれば痛みも一気に和らぎ、片側に籠っていた熱が無くなる。残ったのは飢餓状態の羽ラビットだけだ。

(可愛いな)

幻覚だとわかれば、まるで戯れているだけのように思えてくる。


そもそもモンスターが出ているのに周りが騒がないのがおかしい。

右目に集中すれば、そちらはまだ現実を映しており、サイモンの手は近くの壁に触れていた。思ったよりも汚い壁に眉を寄せ、手のひらを服で雑に拭う。さっと解毒魔法をかけ、まともな視界で振り返った。

いきなり振り返ったのが悪かったのか、声をかけようとしたアリアととぶつかってしまう。慌てて謝罪をすれば、同じように謝罪が返ってきた。そんな二人に幸薄男は「早くしろ」と声を上げた。ハァ、とため息を吐く様はどこかしっくり来ていて、サイモンは捕まっている側でありながら少しだけ彼が哀れに思えてしまった。


二人は拘束具に取り付けられた縄で引っ張られながら、暗い路地裏を歩く。サイモンの前をアリアが歩き、その前をガタイのいい大男が歩いている。サイモンの後ろには例の幸薄男だ。気だるそうに煙草に火をつけたその男は、白い煙を吸い込むとため息と共に吐き出していた。

右に曲がって左に曲がって、道端に転がったゴミを避けて。

歩きながらサイモンは以前孤児院の子供、アラシとラットに案内され、裏路地を全力で駆け抜けたことを思い出した。あの時はかなり慌てていたから気にしていなかったが、案外汚いものだ。出来れば歩きたくない。アリアも似たようなことを思っているのか、踏み出す足はいつもよりも慎重だ。


サイモン達が連れてこられたのは──早い話、競売が行われている場所の裏方だった。

(相変わらず陰気臭いな)

サイモンは似たような所に連れてこられたことが何回かあるので、その程度の感想しか出てこないが、アリアは目を見開いてカタカタと震えている。アリアの手がサイモンの袖を引っ張る。


「さ、サイモンさん、ここって」

「ああ。まあ、商品の在庫置き場みたいなものだろうな。言い方を変えれば……倉庫か?」

「しょ、商品……」


アリアの口元がひくりと引き攣る。さすがに彼女も想像がついたのだろう。人攫いの話くらいはしておいた方が良かったか、と今更すぎることを思いつつ、サイモンは中を見渡す。

大きな檻の上に小さな檻が縦に積み重ねられている。中には動物もモンスターも雑多に入れられており、一匹だけで入っているものもあれば、複数入れられているものもある。中で共食いが起きても、気にしないのだろう。

室内はまるで怨念でも住み着いてるんじゃないかと思うほど、空気が澱んでいる。〝商品〟が多い分、清掃が行き届いていないのだろう。食事も満足に提供されていないのが目に見えてわかる。今まで見た中でも中の下くらいには酷い環境だ。とはいえ、何にしろ相変わらず虫酸の走る光景である。


「早く進め」


幸薄男の言葉に、サイモンたちの紐が引っ張られた。

中に入ればじめっとした空気がサイモンたちの肌を撫でた。気持ち悪い。換気くらいしっかりして欲しいものだと思っていれば、アリアがサイモンを見上げていた。どうかしたのかと首を傾げれば、「……なんでもないです」とそっぽを向かれてしまった。また何かしてしまったのだろうか。思い当たる節はないのだが。

アリアの視線の意味を思考していれば、ふと多数の檻の中で、ひときわ大きな牢が目に入る。身長が比較的高いサイモンが縦に二人並んだとしても、きっと一番上には届かないだろう。幅はそれよりも広く、檻自体も周囲のオンボロの物とは違って真新しい。


「グルルル……」


(獅子か)

唸り声を聞き、サイモンは当たりをつける。アリアの袖を掴む手が更に強くなった。

歩みを進めれば、檻の中が見えてくる。先頭を歩く大男が檻の隙間から見えたであろう瞬間──それは檻に向かって飛びかかってきた。


「グォオオオ!」

「うぉおおっ!?」

「ひっ、!」


前を歩いていた大男が声を上げ、アリアがサイモンに身を寄せる。前者の二人の反応を見つつ、サイモンは目の前に広がる口を見つめ、「おお」と簡単の息を吐いていた。

さすが、かつては魔王の手下として名を馳せたモンスターだ。迫力が違う。

檻の中には、サイモンの予想通り獅子のような動物が入っていた。しかし、通常の獅子よりも大きく、背も数倍高い。牙は鋭く、小さいものでサイモンの身長ほどがある。血走った目はサイモンを餌として認識しているのだろう。強い気迫と強者の余裕が同時に感じ取れる。黄金の毛並みに黒い角を付けている様は、間違いない。史上最強で最凶の魔物、──黒金獅子だ。

伝承では、地獄より魔王を運んでくる役目を担っているというが、真偽は定かではない。

(むしろどうやって捕まえたのか気になるな)

戦士が十人以上が集まったところで、黒金獅子相手では簡単に一掃されてしまうだろう。罠でも張ったのか、それとも何か薬でも使ったのか。どちらにせよ、凶暴な彼をこのまま放置していれば、何が起きるかわかったもんじゃない。最悪、商品を買いに来た人間も餌として食われるだろう。


「おい! さっさと眠らせろ!」

「は、はい!」


剥き出しの牙で檻を破ろうとする獅子を、男たちが宥めようと躍起になる。しかし、飢餓状態である獅子には逆効果だったようで。

人間という餌がちろちろと視界をうろつくのは、思った以上にストレスを感じるのだろう。大きな手を檻の中から無理矢理出そうとしている。その度ガシャン、ガシャンと派手な音が聞こえ、吠える声が空気を揺らす。鼓膜が破られぬよう耳を抑え、咆哮の振動に耐えていたサイモンも、流石にこれは看過できない。

(やってやる義理はないんだがな)

本当なら男たちが餌になるのを待っていてもいいのだが、そう言うわけにもいかなさそうだ。

暴れる獅子に周囲の小動物も騒ぎ出す。恐怖が近くにあるというのは、本能的に恐ろしいものだろう。どこかの檻から人間の悲鳴が聞こえる。鳴き声を聞くに、子供が多くいるらしい。

さっきまで腰を抜かしていた大男が声のする方向に向けて声を荒げる。自分だって怖がっているくせに、何を強がっているのか。サイモンはつい口にしかけた言葉を飲み込む。面倒事は出来る限り起こしたくない。


男たちが薬だなんだと騒がしくなる。そんな彼等を他所に、サイモンは黒金獅子を見つめた。アリアが不思議そうに声をかけて来るが、視線を逸らすことはなかった。獅子も視線に気づいたのか、サイモンを見る。獲物がこっちを見たとでも思ったのが癪に障ったのだろう。黒金獅子の大きく開いた口が、檻越しにサイモンに狙いを定めた。ガンッと牙が檻に当たる。大男の情けない悲鳴が聞こえた。

大きな口がサイモンの五メートル先で荒く息をする。ぼたりと唾液が牙を伝って床に落ちる。溢れる唾液の量に、彼がどれだけ飢餓状態であるのかを察した。

(可哀想だが、生憎食われてやる気はないんだよな)

サイモンは小さく息を吐くと、再び黒金獅子を見る。鋭さを含んだ目が、黒金獅子を強く睨みつけた。


「――下がれ」

「ウ、ウゥウ……」


サイモンの言葉に、周囲の空気が二度ほど下がった。誰かが息を飲む声がする。――サイモンにとって獅子を鎮めるのに、魔法も薬も必要はなかった。

視線を外さない黒金獅子の荒かった息が徐々に収まっていく。向けられていた牙が彼の大きな口の中に収められた。獅子の牙が檻から離れる。一歩、二歩と後ろに退く。そのまま地面に伏せた黒金獅子に、誰かの感嘆の声が聞こえた。


「よし。いい子だ」


サイモンが檻に近づき、手を伸ばす。伏せた黒金獅子が鼻先を擦り付けた。「うそでしょ……」と驚く声を零すアリアに、サイモンは「どうした?」といつもの調子で問いかけた。唖然とするアリア。その後ろで幸薄男もあんぐりと口を開けて驚いている。ぽろっと口元から吸っていた煙草が落ちるのを見て、サイモンは内心したり顔を向けた。ずっといいように扱われていたから、一発ぎゃふんと言わせられてすっきりした。

「何があったんだ」「どうして急に」とどよめく男たちの声を縫って、サイモンはアリアと共に隣の檻へと向かった。一緒にいたアリアも、何が起きたのかわかっておらず、サイモンを見ては、どう声をかければいいのか迷っていた。サイモンもそれを知りつつ、しかし何も言わなかった。


「なあ、俺たちの入る檻はここでいいのか?」

「は、え」

「商品なんだろ?」


サイモンは自分の腕を掲げる。さっきの騒動で白い花弁はいくつか落ちてしまったようだが、サイモンは特別気にしないまま彼らを見る。そもそも檻に入ったら焼く予定だったし、花弁は触れても害はないから問題はないだろう。匂いが弱くなって嬉しいくらいだった。

半分禿げてしまった花を手と一緒に揺らすサイモンに、唖然としていた幸薄男はハッとすると「あ、ああ」と頷いた。サイモンは自分が示した檻の中を見る。――そこには、泣き顔のまま驚きに固まっている子供たちと、子供を守るように抱きしめている女性たちがいた。頭にはそれぞれ、特徴的な渦巻きの角を持っており、サイモンは確信する。


(ビンゴだ)

どうやら天はサイモンに味方しているらしい。

サイモンは開けられる檻の扉を潜りながら、にやりと笑みを深めた。


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