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第22話

「ママ!」

「あぁ、よかった! 無事だったのね……!」


抱き合う親子。キツく抱きしめる母親は、子供を探していたのだろう。靴は泥で汚れ、顔は涙に濡れていた。汗で張り付いた髪が重力に伴ってハラリと落ちていく。そんな母親に、子供は嬉しそうに抱き着く。

(よかったな)

幸せそうな親子を、サイモンと村人たちが囲んでいる。母親から告げられる礼に軽く手を上げて応えたサイモンは、子供の頭を撫でた。子供は強い幻覚作用で意識が飛んでいたものの、村に入るのと同時に目を覚ました。その場で触診と視診を行い、幻覚作用が残っていないかを確認すれば、毒はちゃんと抜けきっていた。恐らく触れていた時間が短かったのが功を奏したのだろう。中毒にはならなさそうで安心した。


(さて。こっちはこれで良さそうだな)

大手を振る子供に手を振り替えし、サイモンは親子の元から離れた。人込みから飛び出せば、族長のテントが視界に入る。

この先で、一体何が起きているのか。サイモンはそれを知る権利がない。



――サイモンと共に村に戻ったパサンは、子供がいなくなったと騒ぐ村人たちの元に自ら向かった。

彼は話があると族長に告げると、何かを察した村人たちにその場で拘束された。パサンは抵抗しなかった。それが村人たちの想像を確かなものにした。

鎧を着た者たちが前に出て、パサンを縛る紐を村人たちから受け取る。彼等を中心に、力に自身の在りそうな、体格のいい男たちがパサンを連れ立って族長のテントに向かっていった。中に入る直前、彼はサイモンを振り返る。その顔は今までで一番晴れた顔をしていた。


その顔を見て、サイモンは胸の内に燻る感情に気付くが、余所者であるサイモンにはどうしようもなかった。

(……花を探しに行くか)

サイモンは振り切るように踵を返す。あれを誰かに取られてしまっては、危ない。サイモンはもう一度森に向かおうとして、「あ」と口を開いた。

手元を見下げる。やはり、ない。


「もしかして俺、アリアの飯置いてきた……?」


サイモンはどっと冷や汗が吹き出るのを感じる。慌てて自分の行動を思い出すが、やはり草むらに隠れた後から手にしていた記憶がない。恐らく草むらでしゃがみ込んで隠れている時に、無意識に手放してしまったのだろう。

(まずい。非常にマズイ)

あんなところに置いておいたら、十中八九野生動物や魔物に取られてしまうだろう。村を一周してまで手に入れた貴重な食料だというのに。夜も更けた今では新しく買いに行くことも出来まい。自分はなんてことをしてしまったのか。

とりあえず一度見に行ってみよう、と意気込んで、サイモンは出来る限り急いで森の中へと向かった。既にサイモンの中で花を回収するミッションは、食料の〝ついで〟になっていた。



結果だけで言えば、アリアへの土産は無事だった。動物に荒らされた様子もなく、虫が入った様子もない。さっきドンパチをやったおかげで、動物や魔物たちも警戒して近寄って来なかったのだろう。不幸中の幸いである。サイモンは一人安堵しつつ、ついでとなっていた花を探すことにした。念のため探索魔法を使ってみたが、やはり花の在処はわからなかった。


探索魔法は、主に人や魔物が持っている魔力に反応する。魔法が使える、使えない関係なしに、生きとし生けるもの、ほぼすべての個体が微量の魔力を持っているのだ。探索魔法はそれを感知し、場所を特定する。その精度に個人差はあれど、仕組みは似たようなものだ。しかし、一度生命を絶たれてしまえば、時間の経過で魔力は薄くなってしまう。毒を持っている魔物とてそれは同じ。

つまり、風で飛ばしてしまったが故に、魔力のないたった一輪の毒花をこの壮大な森の中で探さなければいけない羽目になっている。


「こんなはずじゃなかったのに……」


やはりコントロールが落ちている。魔法使いとしては上位に入ることは間違いないが、今までのように無意識に高度で繊細な魔法を放つことは難しいだろう。

(これも〝祝福〟の力か?)

いやしかし。〝祝福〟はあくまでも生命維持のためのもの。魔力には関係しないはずだが――――。


「……わからん」


サイモンは小さく呟いた。しかし、わからないものは仕方がない。今のところ、不安定なコントロールも気を付けていれば問題はない。それ以外は困っていることもないし、考えるのはもう少し後でも大丈夫だろう。

サイモンは思考を放棄すると、再び探索魔法を展開した。花の魔力がわからないのなら、飛ばした自分の魔力を追えばいい。壮大な森から数か所程度までには絞れるだろう。


「〝ヴェーレスト〟(探し出せ)」


ブオン、と広がる魔法陣。数百キロメートルまで広がった魔法陣で感じ取れるのは、数体の魔物の気配と自分の魔力の残骸のみ。

(向こうの方か)

サイモンは風の流れたであろう方角に向かうと、片っ端から木の上を捜索することにした。


枝を両手でつかみ、勢いをつけて木と木を飛び移るという、肉体労働をしていたサイモンは、五つ目の木に白い花が引っ掛かっているのを見つけた。間違いない。サイモンが吹き飛ばしたものだ。

サイモンは花に手を伸ばし、花の茎を掴む。素手で触るとこの時点で幻覚を見てしまうので大変危険だが、布を介していれば問題はない。元々籠手を付けているサイモンは、特に幻覚を見ることなく花を回収することに成功。もちろんこれが生きているサイザビリアであったらこうはいかないが。

サイモンは腰に付けていたポシェットの蓋を開ける。花の茎を近づけ、唱えた。


「〝イン・スペート〟(吸い込め)」


ポシェットがガタガタと震える。瞬間、サイザビリアが吸い込まれた。

吸い込み終わったポシェットの蓋を閉め、表面を撫でる。満足したように大人しくなったポシェットは、まるで生きているかのようだ。

(相変わらず、便利だが悪趣味なもんだな)

サイモンはポシェットの制作者の顔を思い出し、苦く笑う。好奇心旺盛なかつての仲間の一人が作ったものだが、数百年使っていても悪趣味な物だと思う。まあ、大変便利で助かっているのは事実だが。


サイモンの持つポシェットは、所謂〝魔物道具〟と言われるものだ。

魔物を研究する者たちが、魔物の性質を借りて作った道具を、そう呼ぶ。ちなみにこのポシェットは〝ミミックバッグ〟と言い、宝箱の形をしたモンスター、ミミックの特性を生かしたものだ。第一製作者が魔物大好きな変人だったこともあり、サイモンの持っているミミックバックはよりミミックに寄せられている。例えば、先ほどのように生きているように見える動きをしたり、嫌いなものを勝手に吐き出すときもある。とはいえ、大きなものでも吸い込んでくれるから、持ち運びをするには便利だ。勝手に中に入れた食材を消費するのはいただけないが。



サイモンは土産を持ったことを確認し、木から降りると今夜への宿泊場所へと戻った。今日はかなり動き回って疲れた。早く寝たいと欠伸をするサイモン。

夜分遅くに申し訳ないと思いつつも、宿を仕切る女性に声をかけ、奥へと向かう。出来る限り音を立てないように暖簾を上げ――同時にパリンと響く音。


「!」


アリアに張っていた結界が破られた。

サイモンはハッとして顔を上げる。そこにいたのはアリアではなく、一人の女が立っていた。その後ろではアリアを担ぐ男が一人。軽装な身なりで、こちらに背を向けている。

サイモンの体温が急激に冷えていく。自分が怒っているのだと、サイモンは他人事のように理解した。


「あら。随分と早く帰ってきちゃったのね」

「誰だ」

「人に名前を聞くときは自分から言うのが筋ってもんじゃないかしらぁ?」


ふふふ、と笑う女は扇で自身の口元を隠す。

(お貴族様か)

サイモンは目を細める。女はサイモンをじっと見つめると、はあ、とため息を吐いた。まるで言うことを聞かないペットに呆れたかのような雰囲気に、サイモン自身も苛立ちを覚える。

女が足を引き、サイモンと向き合う。黒いドレスがふわりと広がり、被ったつばの広い帽子が揺れる。女は夜なのに日傘を差していた。帽子から垂れる黒いレースで、顔ははっきりとは見えないが、赤い片目がサイモンを面倒そうに見ているのがわかる。

サイモンは腰にしていた剣を引き抜くと、彼女らに向けた。


「その子を返してもらおう」

「あら、まるで騎士様のようね。かっこいいわぁ」

「二度は言わん」

「ふふふっ。そんなに邪険にしないでくださいな」


先ほどとは打って変わってにこやかに笑みを浮かべる女に、サイモンは警戒レベルを引き上げた。一見、戦闘経験がないと思われそうな見た目をしているが、女の動きには隙が無い上、魔力が人より少しばかり高い。もしかしたら魔法を使う訓練を受けているのかもしれない。

サイモンは後ろにいる男にも視線を向ける。背中に斧を背負っているのを見るに、男は恐らく近接を得意としているのだろう。斧を振り回すには細い見た目だが、鍛えられていないわけではない。サイモンよりも身長も体格もいいが、魔力は低い。この男から魔法での先制攻撃はないだろう。

(警戒すべきは女の方か)


サイモンは再び女に視線を戻し、睨みつける。女はサイモンの考えていることが分かったのか、くすくすと笑うと日傘を手の内で回す。

(一体何を)

そう思った時だった。

広がる傘の先端から黒い矢が飛び出した。鋭い闇の針は、迷いなくサイモンを目指して空を切り裂く。サイモンは咄嗟に後ろへ飛び退き、一発。次いでその場で高く跳び上がり、二発。宙で横向きに一回転し、更に二発を避ける。着地する途中で剣を振り、三発分の高い金属音を周囲に響かせ、サイモンは地上に降り立った。

一連の動きで合計八発の闇の針を回避したサイモンは、先ほどよりも二人と距離を取っている。

(まさかあれが攻撃のモーションだったとは)

自分もいろいろあって疲れているのだろうか。どうにも油断してしまっている。サイモンは二人にバレないよう大きく深呼吸をし、気合を入れ直した。


「あら。まさか全部避けられちゃうなんてねぇ」

「ちょっと、お嬢。早くしてくださいよ」

「ええ~、良いじゃない少しくらい。最近暇だったんだもの」


女は自身の頬に手を当て、こてりと首を傾げながら告げる。後ろの男は、呆れたように息を吐いた。

(お嬢、ってことは、アイツは執事かもしくは護衛か?)

お貴族様がなぜこんな場所で、見ず知らずの自分たちに関わってくるのかはわからないが、ちゃんとした上下関係があるのであれば簡単だ。

狙うはやはり、女。彼女がいなくなれば、男も余裕をなくし突っかかってくるだろう。案外あっさりと降参するかもしれない。上の人間を潰すと下が崩壊するのは、どこの組織でも同じである。貴族なら尚のこと、その思いは強くなるだろう。


サイモンは男に担がれたアリアを見る。縛られているアリアは未だ眠ったまま、起きる気配はない。こんなに騒いでも起きないのだから、きっと彼等に何かされたのだろう。

(睡眠薬か、それとも……)

そう考えていたサイモンの思考が、止まる。目の前で揺れるそれに、サイモンは強く唇を噛み締めた。


「ふふっ。気づいちゃったかしらぁ?」


女は上機嫌に笑う。ケラケラと響く声が鬱陶しい。だが、サイモンはアリアの手元から目を離すことが出来なかった。

白い大輪の花――幻華だ。さっきまで見ていた花と同じものがアリアの手に握られている。サイモンはずっとこの花の匂いを嗅いでいたから、気づけなかったのだろう。アリアは今、幻覚を見ている。

意図的か、それとも偶然か。近くに幻華の群生地はなかったはずだが。


「今どれくらい経ったかしらねぇ」

「さあな。三十分くらいは立ってるんじゃねーか? 結界を壊したのも、こいつを呼ぶだめだろ」

「そうねぇ」


二人の会話を耳に、サイモンは眉を寄せる。

(俺を呼ぶために結界を壊したって言ったか、今)

サイモンは冷たいものが背中に這うのを感じる。――まさか。否、そんなはずがないと言い切れないのが、今の自分の状態だ。サイモンは自分の手のひらを見る。嫌なことが頭を過った。

(結界の強度調整が甘かったのか……?)

いや。結界はちゃんと張っていたはずだ。それにサイモンの結界は最弱でも、外から人が簡単に入れるような構造にはなっていない。そう。外からは。

(もしかして――!)

サイモンは担がれているアリアを見た。確かに、アリア自身が自分でテントを抜け出したのであれば、サイモンの結界には響かない。寝ていたアリアが起きて、慌てて外に出たら花が置いてあった。好奇心旺盛なアリアなら、迷わず手に取るだろう。


してやられた。

全てを悟ったサイモンに、女は愉快気に笑うと男に寄りそうように立ち、アリアの顔を撫でた。


「この花の効果は、貴方も知っているでしょう? 早くしないと中毒になって、もう元には戻れなくなっちゃうかもねぇ」

「っ……何が望みだ」


女の口元がにぃっと引き上がり、笑みを深める。まるでおとぎ話に出て来る魔女の様だ。


苦しそうに眉間にしわを寄せているアリアは、恐らく幻覚を見てるのだろう。甘い幻覚であればいいが、様子を見る限りそうではなさそうだ。このままではアリアの身体より先に、精神が崩壊してしまう。

くそ、と吐き捨てる。一体どこからこんな作戦を実行していたのか。そもそもこいつらは誰なのか。サイモンはその全てを知らない。



「貴方が大人しく私たちに着いて来てくれるのであれば、この子を縛ってる紐を解いてあげてもいいわぁ。ただし、この花は代わりに貴方に持っていてもらうことになるけれど」

「……わかった。条件を飲む」

「ふふっ、交渉成立ね」


女の声に、サイモンは剣を収める。


サイモンは女に言われるがまま両手を差し出す。すると、どこからともなく黒く服の者たちがサイモンの手から籠手を外し、目にもとまらぬ速さで拘束した。彼等は女の手下なのだろうか。動きがやたらとわちゃわちゃしていて薄気味が悪い。

黒い者たちはサイモンの持っていた剣やポシェット、懐に隠していた小刀を全て回収すると、どこかへと去って行く。そのうちの一人が女に手袋を渡し、女はアリアの手元にあった幻華を抜き取った。

上機嫌な笑みのまま、サイモンに近づく女。彼女はサイモンの耳に口元を寄せると、茎の先端をサイモンの手元の縄に差し込んだ。


「もう貴方は、私のものよ」


耳元で囁かれる声と共に差し込まれる花。ドクンと心音が跳ね上がり、サイモンは意識を手放した。


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