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第21話

どさりと崩れ落ちる男。その姿を見下げていたサイモンは、ゆっくりと村の住人である男の方へ視線を向ける。子供を抱えたまま倒れる姿は、一見庇っているようにも見える。彼の持つ角は、村人とは違い黒く尖ったものだった。

(一応、一番弱い電流の弾を打ち込んだつもりだが)

果たして息はあるのだろうか。サイモンは草を踏みしめ、二人の方へと向かう。


「おい、アンタ」

「ひぃっ、!」


(お。生きてる)

よかった、と胸を撫で下ろし、サイモンは息を吐く。これで殺してしまっていたら、罪人を突き出したと手族長に何を言われるか分かったものではない。異民族の風習は複雑で、他人が手を下すことを良しとしない種族の方が多い。というのも、昔捌かれた異民族の一人が王都の研究者たちの間で、研究対象にされたことが外部に漏れたことがあった。その時の怒りは王都側の予想を遥かに超えており、戦争の火種となった。スクルードが国を治めるようになってからは完全廃止されたものの、数百年の時を経た今でも根強く残っている。王都側も、異民族を殺すことを禁忌としており、和解をしている。

その掟をここでサイモンが破ってしまったら、悪夢は再び訪れることになるだろう。とはいえ、野放しにして逃げられても困る。……まあ、その心配はこの状況を見る限りなさそうだったけれど。


サイモンは男の腕の中で意識を失っている子供をみる。穏やかな顔をしている。口元に手を当ててみれば、か細い息がサイモンの手に掛かった。どうやら寝ているだけのようだ。よかった。

ふと、男の腕が緩められる。顔を見れば、「お願いします」と小さな声で告げられた。サイモンは数秒思考すると、彼から子供を受け取る。体の小さい男の子だった。年齢は五つか六つくらいだろう。孤児院にいる、ラットに近いだろうか。


「この子は?」

「むらの、こです……」

「知り合いか?」

「も、ちろん」


電流が未だに効いているのか、声を震わせながら頷く男にサイモンは名前を尋ねた。男の名前はパサンというらしい。

不安げな顔で地面に這いつくばるパサンは、俯いたまま恐る恐る口を開く。


「僕は……どうなるんですかね……」

「さあな。とりあえず君は族長に訳を話して突き出す予定だ。異民族を勝手に処罰するのはご法度だからな」

「ははは、族長、かぁ……。うちの、風習じゃあ、裏切り者は死刑……ですね」

「……そうか」


自虐するような声で告げるパサンに、サイモンはただ頷く。しかし、彼は子供を誑かした張本人だ。

ここで慰めの言葉をかけたところで、彼のやった事への償いにはならない。子供を助けたり、話の内容からして弱みでも握られていたのかもしれない。それでも、彼は罪人なのだ。

痺れる身体を必死に動かしたパサンは、そのままごろりと寝転がる。白い服が土で汚れようが、構わないらしい。ぐったりとした様子で息をする彼は、サイモンを見て苦く笑った。パサンはまさに好青年という印象を持つ顔をしていた。歳は二十代くらいだろうか。整っているかと言われれば、そうでもなく。しかし少し優しい顔つきで、根が良さそうなのが滲み出ている。一見してみれば、犯罪なんかに手を染めるようには見えない。

サイモンは念のため子供に回復魔法をかけると、寝転がったままのパサンを見る。


「動けるか?」

「すみません……もう少し」

「そうか」


それならば仕方がない。サイモンはパサンの隣に座ると、片手で子供に回復魔法を掛けながら空を見た。

(そういえば、あの花どこいったんだ?)

人の手に渡らないようどこかの木の上に引っ掛けたはずなのだが、どこに引っ掛かったのだろうか。こんなことならもう少しちゃんと管理しておくんだった。

(後で見つけに行かないとな)

ふうと息を吐いて、空を向く。沈んだ陽の代わりに大きな月が顔を出している。シンと静まる周辺に、サイモンは目を閉じた。今日はかなり働いたな。流石に疲れた。

ぐったりとしているサイモンに、パサンは「すみません」と苦く笑う。サイモンはその姿を見て、ふと疑問に思った。


――違和感は最初からあった。

子供が騒がないようにと幻覚作用のある花を持たせていたものの、目隠しや手足を縛っていた様子は無い。あくまでも自分が寄り添い、子供のペースに合わせてきたのだろう。ここに来るまでに見かけた足跡がそれを示している。サイモンが子供から花を取り上げた時も、そのまま風で受け止めようと思っていたがこの男が飛び出して来たことで必要は無くなった。

身を呈して守った、といってもいいような行動。その後も逃げることもせず、子供を守るような言動をしていたこの男は悪漢にしては優しすぎるのだ。なにか理由があるのだろうと察するには十分だった。……だからといって、やってはいけないことをしたのは、曲げようもない事実なのだが。


「君は、どうしてこんなことをしたんだ?」

「え?」

「俺には、君が人攫いの手伝いをするようには見えなかったからな。気になったんだ」


サイモンは、自分の感じたことを包み隠さず口にした。その言葉にパサンは少し驚いたように目を見開くと、しばしサイモンを見つめた。その目をサイモンは特に思うこともなく、見つめ返す。サイモンとしては、自分の思ったことが合っているか否かが気になるだけなのだ。それ以外はそこそこどうでもいい。初対面の犯罪者の事情など、知ったところでサイモンにはどうしようもないのだから。

パサンは視線を空に戻すと、星の輝く夜空を見上げた。彼の目にサイモンがどう映ったのかはわからない。だが、彼は話す気になったようだ。


「……僕の妻は、村一番の別嬪さんだったんです」


パサンの声が言葉を紡ぐ。彼は顔の上に腕を乗せると、大きく深呼吸をした。まるで感情を呼吸で押し殺そうとしているかのようだった。


「妻はっ、気立ても良く子供好きで、いつも笑顔でっ……知ってます? あの村で唯一、家族向けのレストランがあるんですよ。あそこ、妻の店なんです。……そんな妻がっ、一週間前、行方不明になりました」


嗚咽交じりの言葉に、サイモンは静かに耳を傾けていた。……彼自身、語ったところで減刑などないことは理解しているのだろう。しかし、彼の目元から溢れ、耳に向かって流れる涙は不思議とサイモンの心に語りかけてくる。

ぐすりとパサンの鼻を啜る音が聞こえた。

静かに声を押し殺して泣くパサンに、サイモンは彼の顔から目を逸らした。誰しも、弱っているところを見られたくは無いだろう。サイモンのちょっとした気遣いだった。パサンは嗚咽を零しながら、語る。


――犯行が起きたのは、パサンの妻が店で使う山菜を摂りに行った帰りだったらしい。妻の採ったと思われる物が森の入り口に散らばっており、足元には争った靴の跡が残っていたそうだ。村の人たちは「人攫いの仕業だ」と口を揃えて言っていたという。異民族――特に、獣族の価値は王都の人間の数十倍。最低でも家が建てられるほどの金額にはなるだろう。女子供であれば、なおさら高くつく。そういう側面もあり、王都の人間と異民族たちはずっと争っていたのだ。しかし、それも五百年前にスクルードから禁止命令が下されなくなったはず。とはいえ、素直にやめるような人間ばかりなら苦労はしない。中々手放そうとしない奴らに、スクルードは武力を持って鎮圧を図った。


言葉で言ってもわからないなら、力で示すしかない。

スクルードは王城の騎士団を各地に派遣すると、人攫いの組織を次々と壊滅に追いやった。圧倒的な力と統率力で瞬く間に奴隷となった者たちは解放され、商人たちは罪に応じて裁かれた。

(鎮圧には俺も参加していたし、隠れた組織も潰したと思っていたが……)

どうやらまだまだ隠れてやり過ごしていた連中がいたらしい。サイモンは内心舌を打つ。〝祝福〟で死ぬことはないとはいえ、生きるのに金がかからないわけではない。今まで隠れていたとしても、不思議じゃない。寧ろ、駆逐したと思って放置していた自分たちにも責任の一端はあるだろう。

サイモンが一人心の火を燃やしている中、パサンは涙を乱雑に拭うと今度は気丈な目で空を見上げた。先ほどの悲しそうな表情が一変、怒りの表情に変わった。


「僕はすぐに妻を連れ戻そうとしました。けど、みんなは妻を『諦めろ』って……僕は、僕の妻の人生は! 金で買えるような商品じゃないのに!」


パサンは声を荒げた。怒りに満ちた声だった。

サイモンは何も声をかけることが出来なかった。彼の怒りはもっともだ。しかし、村人の言うこともわかる。

(難しい話だな)

もし村が総出で向かったとして、勝ち目はあるのだろうか。村の人間全員が捕まり、奴隷にされる可能性だってある。村のためを考えるのであれば、騒ぎ立てないのが正解だ。だが、取り残された者たちの心情は浮かばれないだろう。こんな小さな村では、怒りで反旗を翻す者がいてもおかしくない。

(子供たちがいなくなっている今、あそこは大丈夫なんだろうか)

暴動が起きるようには見えなかったが、何人か活力に掛ける者たちは見えた。――もし、この男がそういった者たちを集めてやろうとすれば、或いは。


「そんな時、ローブを着た女が来て言ったんです。自分たちに協力したら妻を買い戻してくれる、と」

「買い直す?」

「ええ。その人が言うには、既に妻には値段が付いてしまっているようです。なので、買い戻すにはその値段と同等の働きをするしかないと」


彼の言葉に、サイモンは合点がいった。

つまり、彼は自分の妻を取り戻すために子供たちを犠牲にしたのだ。してはいけないとわかりつつも、妻の無事を願わずにはいられない。小さな村だから全員顔見知りの子供ではあるだろうが、それでも妻の存在に比べればどっちが重要かなんてわかり切っている。誰だって大切な人を失いたくはない。そこに蜘蛛の糸のような細い糸でも、希望があるのなら縋ってしまいたくもなるだろう。

(愛するが故、か)

……サイモン自身、そこまで人を愛したことがないからか、パサンの気持ちを理解することは出来なかった。だが、生き物としての行動としては理解が出来る。


「……君も、大変だったんだな」

「ははは……そう言ってくれる人がいるだけで、……僕は随分救われます」

「そうかい」


サイモンは出来るだけ無関心に答えた。パサンからすれば、同情されるのは心外だろう。本来であれば、自分の為に他に犠牲になる人間がいるなんておかしいと糾弾されてもおかしくはない。だが、人は存外無力な生き物だ。自分だけではどうしようもないことの方が、世の中多いことはサイモンが一番わかっている。今回だって、サイモンが通りかかったからパサンはこれ以上の罪を重ねなくても良くなったが、もし通りかかっていなかったら、彼はどうなっていたかわからない。パサンを救う人間は、この村にはいなかったのだから。

(皮肉なもんだな)

誰かを救おうとする人間が、誰からも救われない。そんな世界が大小問わずこの世界には広がっている。だからこそ、彼が独りで悩んだ時間くらいは労われてもいいと思った。


パサンは大きく息を吸い込むと、上半身を起こした。痛みは残るものの痺れは取れたのか、さっきよりも滑らかな動きになっている。サイモンも腰を上げた。


「お待たせしました。そろそろ、行きましょうか」


ぎこちなく笑うパサン。その表情は、まるで自分の行く末を知っているかのようで。

サイモンは何もできない事への悔しさを抱えながら、子供を抱き上げた。


――願わくば、族長が彼の気持ちに寄り添える人間でありますように。

(……柄にもないな)



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