テントの中は外よりも少し涼しかった。
ゆったりと歩く女性に続いて、サイモンたちは中に置かれたカウンターへと案内される。足元には独特な模様の敷物が敷かれ、その下は草一つ生えていない乾いた地面が見える。恐らく敷物をするのに邪魔な草を抜いたのだろう。草は日光が無ければ育たない。根っこをしっかり取ってしまえば、新しく生えることはそうない。
上を見上げれば、太い骨組みが複雑な構造でテントを支えている。これなら多少強風が吹いたところで、テントが倒れる心配もないだろう。布は雨を弾くようなものを使っているのだろうか。
女性は振り返ると、穏やかな笑みを浮かべた。
「ようこそぉ。〝ドーパー村〟へ。旅の方ですかぁ?」
「ああ。出来れば一泊していきたいんだが、空いてるか?」
「もちろんですよ~」
ゆったりとした口調で、女性はにこやかに微笑む。
見た目だけでいえば、歳は三十代くらいだろうか。くるくると丸まっている白い髪は恐らく遺伝なのだろう。その上にぽつんと乗せられた巻貝のような角は、今にも埋もれそうだ。村人たちのほとんどが同じような髪質であることから、彼等の特徴はその髪と角にあるのだろう。時折見かける黒い髪は、他の血が混ざった結果なのかもしれない。
上下共に白く、ゆったりとした服装。脹脛まで伸びたオレンジ色の前掛けを腰から下に巻いている姿は、村人たちと変わらない。前掛けの模様を見るに、テントに垂れていた暖簾と同じ模様が刺繍されているのだろう。
「この宿ではおひとり様ずつご案内しているんです~。こちらからの出口から出てもらって、空いているテントをご自由にご利用くださいね~。決まりましたら、こちらの板をテントの出入口付近に置いておいてください~」
「わかりました」
「それと鍵はないので、各々貴重品なんかにはご注意くださいね~」
緩やかな声で諸注意を話した女性は、最後にわからないことがないかとサイモンたちに問いかけた。サイモンもアリアも首を横に振る。女性から差し出される板を受け取り、二人は案内された方の出口からテントを後にした。
目の前に合ったのは、五つにも満たないテントの列。大きさや女性の言葉からして、このテントは一人用なのだろう。男性であるサイモンにとっては少し窮屈そうだが、アリアには十分な広さだろう。中を覗き見れば、一つ一つに敷物がされている。布団はなく、用意されているのは寝袋で、頭の上には小さなランプが置いてある。
流石に数日ここにいるとなると不便にもなるだろうが、泊まるのは一日だけなので問題はないだろう。
「サイモンさんはどこにするんですか?」
「え?」
「べ、別に近くがいいとか、そんなんじゃないですから!」
真っ赤に染まった顔で言うアリアに、サイモンは瞬きをする。そんなこと微塵も考えていなかったが、言われれば意識してしまうのは当然だろう。
(近くがいいのか)
サイモンはアリアの気持ちを察すると、覗き込んでいたテントの隣に向かった。アリアが「えっ」と驚いた顔をしているが、別に遠くにするわけじゃないから安心して欲しい。
サイモンは「この辺りにするかな」とテントに触れる。どうせなら端っこをアリアに使ってもらうのが一番だろう。サイモンは中を見る。さっき覗き込んだ時と同じものが配置されている意外に、何も入っていないのを確認する。使っても問題はなさそうだ。
「それじゃあ、私はこっちにします!」
「別に好きなところでいいんだぞ?」
「いいんです、ここで!」
そう言い切るアリアは、先ほどサイモンが覗いたテントに自分の荷物を入れていた。あっさりと決めてしまったアリアに、サイモンは気を使っているのかと思ったが、首を振る。
(確かに、知らない土地で一人で寝るのは怖いか)
それが年頃の女の子で、更に初めての旅であれば余計だろう。サイモンには慣れ切ってしまった感覚だが、アリアはまだまだ経験していない事ばかり。心細くなるのも頷ける。
一瞬、アリアに『一緒に寝るか』と提案しようとして、やめる。サイモンの身体では、このテントは結構ギリギリのサイズ感だ。横になったら確実にぎゅうぎゅうになるだろう。子供とはいえ、そこに人一人を入れる余裕なんかあるわけがない。
「アリア」
「はい?」
「何かあったらすぐに呼ぶんだぞ」
「え、は、はい」
こくりと頷いたアリアを見て、サイモンは満足げに頷き、四つん這いでテントの中へと入った。
我ながら父親のようなことを言ってしまった。アリアも鍛えているのだから多少は問題ないと思うが、やはり心配だ。
サイモンは少し考えると、音を立てないようにそっとテントから這い出る。世の中の父親は、みんなこんな気持ちなのだろうか。サイモンはそう呟きながら、アリアのテントに軽く結界を張る。アリアでも察知できないようにしつつ、バレないように再びテントの中に戻った。
四つん這いになって、敷物の上を歩く。サイモンは枕元にあったライトを一番高い骨組みに引っ掛ける。見やすくなった視界で奥に自分の荷物を置くと、必要になりそうなものを取り出していった。
大きな荷物は魔法の収納ケースに入れているので、手に持っている荷物は少ないが、その分貴重品が多い。今それらを盗まれたら旅を続けることが出来なくなってしまうだろう。サイモンはポケットに必要なものを詰め込みつつ、そう思う。
巾着からお金を少し取り出し、残りを魔法の収納ケースに突っ込んだ。残されたのは衣類と何かに使えそうな縄や石、水筒だけだ。羽ネズミなんかの素材も放置して大丈夫かと思ったが、換金所で売れば結構な金になる。つまり、大事な資金源だ。盗まれないように細心の注意を払わなければいけない。
一文無しからの旅はつらいな、とサイモンは内心で苦笑いを零した。数百年も旅をしていれば一度や二度、無一文になることはあるが、その度に大変な思いをしてきた。今回はまだマシな方である。
(よし、まずは飯だな)
準備を終えたサイモンがテントから這い出て来る。女の子といえば風呂だが、この村に風呂屋になりそうなところは見当たらなかった。村人たちはきっと近くの川で水浴びをしているのだろう。夜に入ったら寒そうだが、昼に入るなら丁度良さそうな気温である。しかし真昼間にアリアにそれをさせるのは、正直忍びない。反面、食事ならばどうにかなるだろう。初っ端から山を越えたり、モンスターを倒したりと忙しかったアリアを、存分に労いたい。
素材の換金場所は残念ながらここにはなさそうだが、ビーバーの町で多少の金銭はもらっている。流石に旅に出るのに一文無しじゃあ困るだろうと、シスターが教会に掛け合ってくれたのだ。村の復興に尽くしたとして、その報酬をサイモンがもらった形になっている。最初話を持ち掛けられた時は、非常に有難いと拝んだくらいだ。彼女たちは間違いなく自分たちの〝女神〟だ。
とにもかくにも、まずは情報を仕入れなければ。そのための賃金として食事代を出すだけ。決して無駄遣いなんかじゃあ、ない。
サイモンはそう自分に言い聞かせると、アリアのテントに視線を向ける。薄い結界の張られたテントの出入り口には、先ほど受付でもらった板が立てかけられていた。赤い色が塗ってあるそれは、入居者がいることを報せるための物なのだろう。サイモンも、先ほど板を出入口に置いたばかりである。
「アリア、この後情報を仕入れながら飯でも――――!」
柔らかい布をノックしようとして――サイモンは息を飲む。
(今――!)
視線、が。
サイモンはそう言いかけて、声が止まる。
振り返った先には、誰もいなかったのだ。あるのはテントとどこまでも広がる草原。そして――さっきまではなかったはずの、入居者を報せる、板。
「……いつの間に」
気を抜いていたとはいえ、まさか知らない間に誰かがくるとは思ってもいなかった。サイモンはじっとその板を睨みつける。何の根拠もない直感だが、何となくこのままではいけないような気がする。サイモンはアリアのテントに張った結界を、更に強めた。
嫌な予感がする。