「なーんて意気込んだばっかりなのに、なんでこんなことになってるんですか……」
「君が不用意に〝アレ〟に触れたからだろう。アリア」
「それはそうなんですけど……」
ガタガタ。ガタガタ。
揺れる箱の中でアリアとサイモンは二人、顔を見合わせる。二人は逃げられないよう両手足を拘束されおり、視線の先では馬車の揺れに合せて白い花がユラユラと揺れていた。舞う甘い匂いに、サイモンは思いっきり顔を顰めた。
――事の発端は三日前に戻る。
ビーバーの町を出たサイモンたちは、西に向かって森の中を歩いていた。
「そこ、坂になっているから気を付けろよ」
「はいっ」
足場の悪い山道をアリアを気遣いながら歩いていく。歩きやすい靴ではあるものの、流石に小石が多い坂道を歩くとなると、一苦労だ。サイモンはアリアが転ばないか、疲れていないか気を付けながら歩いていく。小さな山を越え、少しの休憩を取り、今度は向こう側に下がっていく。緩やかな斜面とはいえ、やはり悪路には変わりない。
(こんなことなら別の道を探しても良かったな)
一応、索敵能力を使ってモンスターのあまりいない方へと向かって来たのだが、逆にそれが仇になってしまったらしい。こんな歩きづらい所ではモンスターたちも住みにくいのだろう。時折出る一角羊や羽ネズミを倒しつつ、サイモンたちは山を下った。
麓の川辺で休憩を取り、サイモンは空を見上げる。
「そろそろ夕方だな」
出来れば近くに村や町があればいいんだが、と周囲を見る。悪路とはいえ、さっきまでの山道も整えられている以上、人の通りがあるところなのだろうが……如何せん魔法の調子が悪く、上手くいかない。それもこれも、スクルード王の〝祝福〟がなくなってからだ。
(〝祝福〟の効果に、魔力増強でもあったのか?)
それならもっと魔法が使える人間がいてもいいはずだが……どうやらそうではなさそうだ。
「サイモンさん」
「ん?」
クイクイと引っ張られる袖。振り返れば、川に足を浸していたアリアが遠くを見つめていた。細く小さな手が空を指す。
「あれって煙ですよね? もしかして人がいるのかも」
「……本当だ」
アリアの言う通り、彼女の指し示す方に一本の筋が天へ向かって伸びていた。煙は風に揺られ、ユラユラと左右に揺れている。焚火にしては太い煙に、もしかしたら集落があるのかもしれないとサイモンは思う。ちらりと横目でアリアを見る。
(……少しでも安全なところで寝た方がいいだろうな)
そうと決まれば、目指さないわけにはいかない。十分な休息を取った二人は、立ち上がる煙の方に向かって足を進めた。途中、分かれ道になっている参道を右に曲がり、川沿いに向かって歩いていく。緩やかになっていく足元に少しの余裕を見せながら、サイモンたちは煙の元に辿り着いた。
小さな山のようなテントがいくつも立ち並び、その間を闊歩する人々がいる。恐らく数百人ほどしかいない小さな集落なのだろう。サイモンは周囲を警戒し、アリアは初めて見る光景に目を輝かせていた。
二人に門番らしき男が声をかける。
「旅の人たちかい?」
「ああ。入っても大丈夫か?」
「もちろんだとも」
門番は満面の笑みで頷くと、サイモンたちを中へ招き入れた。
中は生活環境が整っており、思ったよりも奥行きがある。まるで小さな村のようだ。駆け回る子供たちや笑い合う親子を横目に、サイモンはアリアを見る。キラキラと目を輝かせていた彼女は、白い柔らかそうな頬を紅潮させ、興味津々と言わんばかりに周囲を見渡している。足元がおろそかになっているから、いつ転ぶかひやひやしてしまう。
「すごい……! すごいです! サイモンさん! こんなところ初めて見ました!」
「そうか。それは良かった。でも、あんまりはしゃぎすぎるなよ。転ぶぞ」
「はっ、はしゃいでなんかいません!」
顔を真っ赤にして怒るアリア。キャンキャンと吠えるその姿は、まるで子犬の様だ。サイモンはアリアを宥めるように頭を撫でながら、足を進めていく。
村人たちは総じて白い服を着て、同じような前掛けをしている。男女子供、関係ない衣装は、彼等の絆をより意識させるための物だろう。実際、他所から来た自分たちは大変浮いているようで、彼等からの突き刺さるような熱い視線がサイモンたちに向けられている。
(見世物じゃないぞ)
そう言いたかったが、飲み込んだ。お邪魔しているのはこっちなのだから、珍しがられるのも致し方ない。
「どこに行くんですか?」
「とりあえず、宿があれば宿に。なかったらこの村の長に面会して、どこか空き家でもいいから貸してもらえないか交渉する」
「なるほど」
アリアは両手を組むと、うむうむと頷く。科学者や研究者がやりそうな反応だ。子供がやっても可愛いだけだが。
サイモンは近くにいた村人に声を掛ける。宿の場所を聞けば、快く応えてくれた。お礼を言って、慣れたように進んでいくサイモン。その後ろを、アリアが伺いながらひょこひょこと追いかける。一見、親子のようにも見える二人の姿を村の人たちは微笑ましそうに見つめていたが、本人たちは気づいていない。
「それにしても、すごいですよね」
「そうか?」
「ビーバーの町とは雰囲気とか、建物とか、全然違うじゃないですか。それに、頭にくるくるした貝殻みたいなの付けてますし。まるで別の世界に来たみたいですもん」
「ああ。そうか。アリアは異民族を知らないのか」
「イミンゾク?」
首を傾げるアリアに、サイモンは頷く。
――異民族。
自分たちとは違う場所で生まれ、違う文化を持つ者たちのことだ。この村のように身体的特徴が、都の生まれの人間から違うことも少なくない。
彼等の文化は独特で、大変貴重だ。王都でも大人気で、よくそれを模した商品や衣類なんかが販売されている。六百年以上前では戦争をしていた相手ではあるが、今では良き貿易相手として重宝されているのだ。
しかし、新しい物好きで比較的オープンな王都の人間とは違い、彼等は基本的に保守的で、自分たちの中に他の者が足を踏み入れることをひどく嫌う。昔よりはその傾向も小さくなったが、勝手に入って怒られることもあるので、先ほどのように門番に問いかけるのがいい。ダメならダメだとはっきり答えてくれるのが、門番である彼等の仕事なのだ。
サイモンはアリアにそう説明すると、テントを見るように促した。連なっているテントには一軒一軒、同じ模様の暖簾がテントの出入り口にかけられている。あれはこの村の象徴のようなもので、汚すとそれはもうこっぴどく怒られるから気を付けた方がい。
(そういえば、あの時も似たような衣装を着ていたな)
大昔、似たような異民族を見たことがある。あの時は族長の娘が結婚するからと言って、朝から晩まで宴に参加されられた。それはもう嬉しかったのだろう。初めて会った人間を巻き込むほどに。
結局断ることも出来ず、朝まで飲み明かし、族長の家でスクルードたちと雑魚寝をした記憶がある。翌日は体調不良で何人が犠牲になったか。ピンピンとしている異民族の人たちを見て、心底不思議に思ったのを今でも覚えている。
懐かしい、とサイモンは笑いながら、村の人たちを見た。同じ衣装、同じ模様の飾りは、彼等を〝異民族である〟と告げているようにも見える。
「へぇ……! ココの人たちもそうなんですか?」
「恐らくな。初めて見かける民族だから、詳しくはまだわからない」
「えっ」
「どうした?」
キョトンとして足を止めるアリアに、サイモンは振り返る。アリアは驚いた目で瞬きを繰り返した。
「サイモンさんでも知らないことがあるんですね」
「俺をなんだと思ってる」
(ただの旅人だぞ)
数百年、当てもなく旅をしていただけの、言わば放浪者だ。そりゃあ時々面白そうなことに首を突っ込んでみたり、魔法の勉強をして新しい魔法を作ってみたり、いろいろしていたが、この世界は広い。まだまだ知らないことはたくさんあるのだ。
なぜか上機嫌に笑いながら駆け寄ってくるアリアを横目に、サイモンはため息を吐いた。よくわからないが、楽しいなら何よりだ。
(それにしても……なんだか変だな)
サイモンは村の中を見渡し、漠然と感じていたことを心の中で呟く。テントのような簡易的な家が並び立ち、笑顔の親子たちが歩いている村は、一見特に不思議な様子はない。しかし、異様に男が多いのが目につく。
普通であれば働きに出ているような年頃の男たちが、開け放たれたテントの中や外で編み物のようなことをしている。慣れていないのか、手元が覚束ず、難しそうな顔をしている者たちが多い。苛立ちが頂点に達したのだろう。頭を抱え、発狂する男に、アリアがびくりと肩を跳ねさせた。きょろきょろと周囲を警戒する姿は、まさに小動物である。
(あれがここの村の仕事なのか?)
もしそうなら、もう少しまともなものを作った方がいいと思う。例えば彼等が座っている敷物とか。あれはかなり高く売れそうだ。手触りを確かめたくなる。それに、テントに掛けられた暖簾も細かな細工がしてあって、技術が高いのが一目でわかる。
異民族といえば、主に自分たちの育った場所で培った文化を利用した品を作り、近場の町や村に行って販売することが多い。珍しい物や新しい物に、人の目は眩みやすいのだ。少し値が張ろうが、買っていく物好きが結構いるのだ。特に、城のお偉いさんや貴族なんかは金が余っているのか、よくそういった品を買っているのを見る。サイモンも昔同僚たちに連れられてそういう店に行ったことがあるが、家具に興味がないサイモンは何も買わなかった。それどころか、店で暴れていたお偉いさんを宥めていた記憶しかない。
(いちゃもん付けてたのは聞いていてわかってはいたが、彼等も商売だからなぁ)
多少吹っ掛けることは、ああいう商売ではよくある。もちろん客もバカではないので、明らかな粗悪品や高値の物を買うことはほとんどないのだろうが、どこでどうやって騙されるかはわからない。事実、サイモンの知り合いも数人引っ掛かりそうになったことがある。
しかし、今作っているものではサイモンが見る限り、売れそうな商品は一つもない。
(もしかして売りもんじゃないのかもな)
自分たちで使うようなものであれば、きっとそこまでしっかりとは作らなくていいのだろう。ボロボロ過ぎて、何を作っているのかイマイチわからないが。
「ありましたよ、サイモンさん!」
アリアの声に、サイモンは思考と足を止める。
顔を上げれば〝宿〟と書かれた札がテントの正面上に掛かっていた。アリアの言う通り、ここが宿なのだろう。
ノックをする扉がないので、サイモンは仕方なく垂れている布を上げる。布を捲り上げた腕の下から、アリアがひょっこりを顔を覗かせていた。中を伺い見ていれば、出迎えたのは一人の女性。
「あらぁ、お客さん?」
「ああ、はい」
「ごめんなさいねぇ、遅れちゃって。どうぞ、上がっていってー」
女性はゆったりとした口調で、にこやかな笑顔を浮かべる。毒気を抜かれるほどの緩い雰囲気に、サイモンもアリアも面食らってしまう。サイモンたちは言われるがまま、テントの中へと入って行った。