汚れた食器をまとめていれば、食休みをしていた少年がゆっくりと起き上がった。
満たされた表情を浮かべる少年は、腹を擦りながら「んじゃ、次はオレの番だな」と口にした。
「オッサン、今なんでこうなっているのか知りたいんだろ? 飯も食っちまったし、仕方ないから教えてやるよ」
ふふん、とふんぞり返りそうな笑みを浮かべる少年に、サイモンは「おお」と軽く返事をする。なんでそんなに偉そうなんだ、とか、元々そういう約束じゃなかったのか、などと思ったが、敢えて言わないでおこう。臍を曲げて、話してくれなくなっても困る。
サイモンは荷物を魔法で自分の部屋へテレポートさせると、少年に向き合った。一応これでも情報提供者だ。礼儀は払ってしかるべきだろう。少年はこほんと一つ咳をすると、話し始めた。
「〝祝福〟のことはオッサンも知ってんだろ?」
「ああ。もちろん」
――〝祝福〟。〝スクルード王の祝い〟とも言われている恩恵の事だ。
人間の寿命を際限ないものへと変える、神としての力。
生まれた人間は総じてその祝福を受けるため、乳児の頃に教会に行く。そしてスクルード王の石像に向かって名前を告げ、祝福を祈る。そうするとその人間は永遠に近い寿命を手に入れられると言われている。もちろん、祝福を受けていれば、病気やケガも、石像に祈れば治る。――つまり、人が永遠の命を手にしたと同義である。そして五百年以上経った今も、ずっと人々を生かし続けている。
「その〝祝福〟が、三日前突然なくなったんだよ」
「は?」
少年の言葉に、サイモンは心底驚いた。
(なくなった?)
そんなことがあるのか。五百年だぞ。五百年、ずっと続いていたものが、今更無くなる?
「あ! 信じてねーだろ、そのカオ!」
「あ、いや。そんなことは……」
「本当のことだかんな! 街の人みんなそう言ってるし、ウワサじゃあ王都が閉鎖されたって話もあるんだからな!」
「王都が!?」
サイモンの驚きように、味を占めたのか、彼はふんっと鼻を鳴らして「そーだよ!」と叫んだ。腕を組み、自信満々に言ってのける彼の言葉に、きっと嘘はないのだろう。嘘を吐いたところで少年にメリットはない。
しかし――信じられるか? そんな話。
この世界を統一したスクルード王が住まう国――スクルード王国。その王都が閉鎖されたとなれば、尋常じゃないほどの騒ぎになる。
(スクルード王の身に、何かあったのか?)
いや、そんな話は聞いていない。何かあれば、〝アイツら〟からも連絡が来るだろうし、それがないということは、きっと本人は無事なのだろう。外部からの妨害の線も考えたが、あそこの結界はとてつもなく分厚く、十三の結界で守られている。一つ一つが強力で、別々の効果を持っている結界を、誰かが突破したとは考えにくい。現に、サイモンの張った結界はびくともしていない。
「おかげで世界は大パニックさ。商売にならねーからって、外からきた商人は出てっちまうし、きた商人もすぐにいなくなっちまう。やってらんねーよ」
ハーア、と大きくため息を吐く少年。その表情は心底呆れた色をしている。それがサイモンには疑問に映った。
「……君は、随分平気そうなんだな」
「そりゃあそうだろ。オレ〝祝福〟受けてねーし」
「は?」
「親いねーもん」
そう言った少年は袖を捲り上げる。確かに、肩の位置にあるはずの紋様がない。
(本当だ)
〝祝福〟を受けた証として、人々は左肩に紋様が刻まれる。太古の昔にあったとされる伝説の花――〝桜〟を象ったものらしいが、サイモンはその点はあまり詳しくはない。〝祝福〟を受けない人間は人口の一割程度と言われているが、出会うことの方が珍しい。
それもそうだろう。親が居なくとも、本人の希望があれば歳がいくつであろうと教会で儀式を受けることが出来る。もちろん、タダだ。儀式で金をとることはスクルード本人が禁止している。
「君は〝祝福〟を欲しいとは思わないのか?」
「んー、特に。オレ、今生きるのが精いっぱいだし、これが何百年も続くとか逆に地獄じゃん? それに、正直死ぬとかどーでもいーかなって」
「そうか」
「怒った?」
「なんで?」
問い掛けてきた少年に、問い返す。僅かに俯いた顔を覗き込めば、気まずそうに目を逸らされる。
「いや、これ聞くと大抵の大人は怒るからさ。罰当たりなこというもんじゃないーって」
「ああ、そういうことか。まあ、でも。確かに普通ならそうかもな」
少年の言葉に、サイモンは頷いた。少年のしていることは、その気があろうがなかろうが、神を冒涜するのと同義だ。神から無償であげると言われているものを、個人の都合で突き返しているのだから、そう言われても当然だ。――しかし。
「俺は、君の好きにすればいいと思う。別に、神を信仰しなくたって生きていけるからな。それに、君の人生なんだから、選ぶ権利は君自身にある」
「!」
サイモンは少年の胸元を指した。
思うまま、気持ちのままに生きて行っていいのだと、この小さな少年に少しでも伝わればいい。少年はさっきまで煩いくらいに回っていた口をきゅっと引き結んで、小さく俯いた。耳が赤くなっている事には、触れないでおこう。
(それにしても)
「王都が閉鎖か……気になるな」
「なんだよ。オッサン、外の人間なのか? 商人ってわけじゃなさそうだけど、旅でもしてんの?」
「ああ。まあ、そうなるかな」
少年の問いにサイモンが頷く。すると、彼は勢いよく起き上がり、サイモンに向かい合った。
「んじゃ、陸路はやめといたほうがいいぜ。今、すげえ荒れてるみたいで、やけになったヤツらが馬車を襲ったって話を何回も聞いてるからさ」
「へぇ。そうなのか」
「出るなら今は海がおすすめだな。漁師のオッサンたちはみんな、長生きとかあんま興味ねー人ばっかだし」
「自分の人生より魚! って感じだから」と言って笑う彼に、サイモンは流石にそれは言い過ぎなんじゃないか、と言いかけてやめた。会って数分の人間に対してこれだけ遠慮のない彼の事だ。どうせ本人たちにも直接言っているのだろう。それよりも、少年の助言はサイモンにとって大変ありがたいものだった。
(有象無象に負ける気はないけど、やっぱ面倒事は出来るだけ避けたいからな)
まさかここまで有益な話を聞くことが出来るとは思わなかった。サイモンは満足げに笑うと、少年の頭を撫でた。
「そうか。その情報は助かる。ありがとう」
「べ、別にあんたの為に言ったわけじゃねーし! ただ、飯の分考えたら、これくらい言わねーと割に合わねーだろっ」
「それでも助かったのは本当だ。感謝してるぞ」
「っ~!」
カアアッと顔を真っ赤に染める少年。恥じらいに払われた手は、たいして痛くなかった。ビーバーの町の孤児院の子達とは違い、変なところで素直な少年はきっとたくさんの人に愛されているのだろう。ひねくれながらも真っすぐに育っているのがいい証拠だ。いいことである。
サイモンはそう頷くと、自身の腿を叩いておもむろに立ち上がった。少年の驚いた目がサイモンを見る。どうしたんだ、と問いかけそうな表情に、サイモンは笑みを向けた。
「よし、それじゃあ俺を港まで連れてってくれ!」
そう言ったサイモンに、少年は瞬きを数回すると「任せろ!」と胸を叩いた。頼もしい案内役の誕生である。