「ひ、ひいいい!」
「な、何が起きてるんだ……!?」
唖然とするウィルは、丸焦げになったローブの奴らが倒れていくのを見る。何かの見間違いか、自分の都合のいい幻覚かとも思ったが、目を擦っても現実は変わらなかった。
話をしていた男が地面を這いつくばる。燃える仲間たちと距離を取り、怯えた視線を向けていた。
(これは、魔法……なのか?)
しかし、彼等に自分の魔法はほとんど効かなかった。中級魔法だ。それを弾き、更に自分を弄ぶだけの力を持っていた彼等を、瞬殺。
「……人間技じゃあ、ない」
トン、と膝が地面に着く。倒れる者たちはピクリともしない。息絶えているかなんて、確認したくもなかった。ふと見上げた木を見て、ウィルは更に驚愕する。
(そんなことが、あり得るのか)
通常、これだけの広範囲に術を展開するとなると、コントロールが曖昧になる。そのため、周囲の者を否応なしに巻き込んでしまうのがほとんどだ。しかし、それをこの雷を放った者はしっかりと区別し、恐ろしいほどのコントロールで操っている。現に自分たちは無傷だし、木々は燃えていない。これだけの人数を焼くことの出来る火力、木々や葉を避けられるほどの繊細なコントロール……こんなの、百年経ったって出来るかわからない。もし出来る人間がいるとしたら、それこそスクルード王その人か、その側近くらいだろう。いや、もう神が下した天罰だと言われても不思議じゃない。それほどまでに、巨大で恐ろしい力だった。
(だれが、こんな――)
ウィルは愕然とする。そんな力の持ち主が、この町にいたのか。いや、もしかしたら丁度近くを通りがかっただけなのかもしれない。
会いたい。会ってみたい。会って、話を聞きたい。
高まる感情に、息が荒くなる。だが、聞こえた声に盛り上がっていた気持ちは呆気なく叩き落された。
「ふう。間一髪だったみたいだな。ウィル」
「さ、サイモン!?」
聞き覚えのある声に、ウィルが振り返る。
そこには宙に浮き、平然とした顔で話しかけて来る一人の男。数日前から孤児院にちょっかいを掛けてきている、サイモンだった。
突然のサイモンの出現に、ローブの男が突然悲鳴を上げる。サイモンはウィルたちとローブの男の間に降り立つ。
「っ、何しに来た!」
「何って、君たちを助けに来たんだ」
「アラシたちが君たちを助けてくれって俺の宿まで来たんだよ」という彼に、ウィルは驚愕に目を見開いた。
(助けに来た?)
何を馬鹿なことを、と言いかけた言葉が喉につっかえる。もし、彼の言っていることが本当なら、さっきの魔法はサイモンが放ったことになる。まるで神からの救済だと思ったあの魔法を、この男が放ったと。
(そんな馬鹿な)
だってあいつはいつもへらへらしてて、怒るところなんて見たことがない。丘の近くで鍛錬をしているようだが、それも何の変哲もない、基礎鍛錬ばかり。あんな魔法が使えるはずがない。――なら、本当の術者は? 人を助けたのに、その様子を見に来ないのはおかしいんじゃないか? それとも、本当にこいつが放ったというのか?
「それで。――何の用でこの子たちに近づいたか、教えてくれるか?」
「ひぃいいっ!」
くるりと振り返ったサイモンが、男に問いかける。男は情けない悲鳴を上げると、逃げようと踵を返した。サイモンがすかさず手を翳す。
「〝
「ギ、ッ!」
「!」
サイモンが呪文を唱えると、男の身体を複数の白い輪が囲む。走り出そうとしていた男が驚いたのも束の間。白い輪はぎゅっと男を絞り上げるように捕らえた。
(なんだ、あの魔法)
ウィルは瞬きをした。あんな魔法、見たことがない。上級か、それとも独自の魔法なのか。魔法の出所も気になるが、それよりもあんなに強かった男があっさりと捕まったことに驚いている。ああいう、人に害を与える魔法は、一瞬でも術者より魔力が上回れば魔力が弱くとも振りほどくことが出来るはずだ。……もしかして振りほどけないのか? あんなに連続して魔法を使っていた、あの男が? あのへらへらした男の魔法を? うそだろう、そんなの。
ウィルが状況を飲み込めず呟くのと同時に、サイモンが男の前まで歩いていく。しゃがみ込み、男の顔を覗き込んだ。
「もう一度聞く。彼等が何かしたか?」
「ッ、煩い! 貴様になんぞ関係ない!」
「そうか」
「ぐああッ!」
男を捕縛していた輪が強くなったのだろう。ミシミシと嫌な音を立て、男が悲鳴を上げる。
(……あんな冷たい声、聞いたことがない)
サイモンの淡々とした声に、ウィルは自身の腕に鳥肌が立っていることに気が付いた。込み上げてくるのは、明確な恐怖。まるで別人じゃないかと疑うほど、ウィルは目の前で起きていることが信じられなかった。
サイモンの手が上がる。男の目が見開かれ、途端、男は叫んだ。
「っ、お前たちは選ばれたんだ!」
「……は」
「選ばれた? 何に?」
「そ、そんなの、我が神に決まっているだろう!」
真っ赤な顔で叫ぶ男に、ウィルは何を言っているのか理解が出来なかった。
それはどうやらサイモンも同じようで詳しい説明をするよう、男に求めている。男は得意げに笑ったかと思うと、卑しい顔を上げ、サイモン越しにウィルを見た。
「お前たちは我が神に選ばれた! これはとても光栄なことだ! それなのに、貴様らは神の決定に抗い、私たちに怪我を負わせた! それは神に逆らったのも同義! 近々天罰が下るだろうなァ! ざまあみろ! 泣いても喚いても、きっと神はお許しに――」
以降、男の声は聞こえなかった。
気が付いた時にはもう、男の首は身体と離れており、息を引き取っていたからだ。
サイモンは男の首を草むらの方へ放り投げると、手を払った。手に持っていた剣を払うが、剣どころか周囲には一滴の血も流れていない。なんという早業だろうか。ずっと見ていたウィルさえ、彼が男の首を切ったことに男の声が途絶えるまで気が付かなかった。
(……強い)
強すぎる。そんな言葉が陳腐に思えてしまうほど、彼は強かった。
「大丈夫か、ウィル」
振り返ったサイモンが心配そうに声をかけて来る。しかしウィルの頭は、混乱を極めていた。
(なぜこんなにも強い? 隠していたのか? いや、それよりも今の魔法は。違う。魔法ならその前のやつだ)
思考がまとまらない。考えても考えても、今起きていることの理由がウィルはわからなかった。
ドクドクと脈が速くなる。頭が痛み、血が抜けていくのが自分でもわかった。ウィルはふとサイモンが駆け寄ってくるのが見えた。何かを叫んでいるが、上手く聞き取れない。だが、聞く気にはならなかった。
(ずっと、俺を嘲笑っていたのか)
込み上げてくる怒りに、思考が震える。
伸ばされた手を、ウィルは半ば反射的に叩き落とした。驚くサイモンの目が見えるが、それも自身を見下しているように見えた。
「触るな!」
「触るなって……触らないと治癒魔法が掛けられないだろ。ほら、興奮すると出血がひどくなる。いいからじっとして――」
「っ、触るなって言ってんだろ!」
パシンと、サイモンの手を再び叩き落す。困った表情をする彼に、ウィルは腹の底が熱くなるのを感じた。
(なんだ、なんだ。なんなんだ!)
お前はいつもそうだ。へらへらと誰かの為にばかり動いて。今だってそうだ。手を叩かれたのだから怒ればいいのに、そうしない。舐められた態度を取られても、生意気な口を利かれても、彼は怒らなかった。それはきっと、自分たちを内心格下だと思っていたからだろう。
(気に食わない)
「ウィ――」
「うるさい! 来るな! ずっと僕たちを嘲笑っていたんだろ! そうやって弱い人間を助けるふりをして、俺たちを嗤っていたんだろ!」
怒声が響く。荒い息を上げ、ウィルはサイモンを睨みつけた。
もう自分でも何を言っているのかわからない。頭がくらくらする。貧血と酸欠で、思考が上手く働かない。それでも、込み上げる怒りをぶつけられずにはいられなかった。
「お前みたいな性悪に助けられるなんてまっぴらだ! 僕が全部やる! アリアも僕が助ける! シスターもアラシたちも、僕が――!」
パァン。
「いい加減にしろ。ウィル」
高らかに響く打撃音。同時に視界が振られ、じわじわと頬が熱を持っていくのを感じる。静かな怒りに包まれた声が、鼓膜を突く。その声は、叩かれた衝撃で真っ白になった頭には、よく入って来た。
(叩かれた、のか)
誰が? 俺が。
噓だろうと笑い飛ばしたくなった。夢だと言ってやりたかった。でも、出来なかった。ゆっくりと触れた頬が、痛かったから。熱を帯びた頬が現実だと訴えていた。キッとつり上がった目が、サイモンを睨む。しかし、ウィルはすぐに怖気づいた。目の前にいる男は――ウィルの知っている男とはまるで別人だった。
(――勝てない)
殺気にも似た視線が、ウィルを貫く。怒っている。あのサイモンが、怒っているのだ。
手足が震える。さっきまで威勢の良かった体が、一気に冷や水を被せられたかのようにぶるぶると震え出した。込み上げるのは、純粋な恐怖。
「ウィル。お前が俺の事を嫌っているのは知っている。気に食わないと思っていることもわかっている。だが、あのままじゃお前もアリアも、四肢を切られて死んでいた。それとも、目の前でアリアの四肢を切り落とされた方が良かったか?」
「っ、!」
「今だってお前は意識を保っていられてるが、アリアはどうだ? 出血もひどい。打ち身もあるだろう。骨も何本か折れているかもしれないな。最悪、内臓に刺さっているだろうな。早急に処置が必要だとは思わないか? それとも、助ける機会をみすみす逃して大事な妹を殺したいのか?」
サイモンの言葉に、ウィルは息を飲んだ。無意識に視線が、アリアを見る。
足が真っ赤に染まっている。頬にも傷がつき、細い未熟な身体は打ち身だらけだろう。自分を受け止めた時の事も気になる。
(僕は……)
「守るのに必死なのはわかるが、本当にやるべきことを見失うな。戦うだけが守ることじゃない」
サイモンはそう言うと、ウィルの胸倉を手放した。
どさりとウィルの身体が地面に落ちる。ウィルは茫然とした後、おもむろに自身の手を見つめた。
自分はずっと、家族のために剣を握って来た。
一般的な家庭で生まれ、戦争で親を亡くした。戦えない自分が悔しくて、独学で剣を学び始めた。孤児院に引き取られたのは、十六の頃。年齢も高く、孤児院に居られたのは僅か二年だけだったが、楽しかったと思う。偶然来た教会の人間に筋がいいと褒められ、十八には使える人間として教会にも認められた。魔法の勉強もして、出来ることが増えれば褒められ、周囲からの期待も高かったと思う。
シスターが孤児院を引き継ぐのにも同行したのは、『家族を守る』という自分の目標のためだ。
孤児院に来て赤ん坊だったアリアが十になっていたのを知ったのは、その時だった。それだけの年月を、自分は費やしてきたのだと自負していた。町の衛兵にも負けなしの戦いが出来るようになった。
いつの間にか『自分は強いのだ』と思い込んでいた。家族のためと握ったはずの剣は、『自身の存在価値』を知らしめるためのものになっていたのだ。
(……ああ、そうか)
「こんな剣じゃ、勝てるわけがない」
小さな呟きは、誰に聞き取られることもなく地面に吸いこまれていく。落ちた雫は……雨だろうか。
ウィルはゆっくりと体制を整えると、サイモンに頭を垂れた。痛む体を折り曲げ、地面に額を付ける。――今ならわかる。
「サイモンさん。妹を、助けてください」
「ああ。任せろ」
自分はずっと、彼に嫉妬していたのだ。
ウィルはサイモンの言葉を聞くと、どさりと地面に倒れた。
意識を失いながらも安心したような表情を浮かべる彼を、サイモンだけが見ていた。