「間一髪だったみたいだな。ウィル」
「あ、あんたは……!?」
ボロボロのウィルの隣に降り立ち、サイモンは二人を見下げる。あちこちから血を流しながらもアリアを守ろうとするウィルの姿に、サイモンは内心感心する。
(おお。ちゃんと兄ちゃんしてるじゃないか)
あれだけサイモンに牙を剥いていただけあって、兄としての自覚は人一倍強いらしい。だからこそ、サイモンも彼を邪険に出来ない。
サイモンはウィルとアリア、そして唯一立っているローブの男の間に降り立つ。
男の後ろには焼け焦げた者たちが倒れており、木の上で隠れていた奴らも落ちて来て、ざっと三十くらいの人間が山になっていた。男はサイモンを見ると、情けなく体を震わせる。その場に尻もちを付いた男は、サイモンを指差し「あ、あ……!」と声にならない声を上げている。人の顔を見てその反応は、失礼すぎないか。
(まあ別にいいけど)
さて。
さっさと片付けて、アリアたちを病院に連れて行こうか。サイモンは僅かに香る血の匂いに、男を見る。
随分と二人をいたぶってくれたらしい男は、今目の前で情けなく震えている。サイモンは男に近づくと、男の前に座り込んだ。
「それで。――何の用でこの子たちに近づいたか、教えてくれるか?」
「ひぃいいっ!」
男は情けない悲鳴を上げる。足をもがき、ずりずりと後ろに下がっていく男。しかしすぐに背中が焦げた人の山にぶつかり、男の逃げ道は無くなった。
(なんか……予想以上に怯えてるな)
どうしてそんなに怖がっているのか。サイモンには見当もつかないが、このままただで帰すのも癪だ。男が足で土を掻き、逃げ出そうと立ち上がる。背を向けた男にサイモンがすかさず手を翳した。
「〝
「ぎぃ、ッ!」
ドスン、と大きな音が響き、男が地面に倒れる。サイモンが唱えるのと同時に出現した白い輪が、男の身体を絞り上げるように捕えている。
サイモンは男へ近づくと、男の髪を掴んだ。
「もう一度聞く。彼等に何か用事でもあったのか? それとも、何かしたのか?」
「ッ、う、ううう煩いっ! きっ、貴様になんぞ、か、関係ないだろうっ!」
「そうか」
「ぐぁッ!」
手を上げると、男を縛っていた輪が更に強く男を締め上げる。
ミシミシと嫌な音を立て、男が悲鳴を上げた。うるさいな、と思いつつ、サイモンは何も言わなかった。能面のような顔を向けるサイモンに、男は恐怖からガチガチと歯を鳴らす。本でしか知らなかった力を知らない速さで繰り広げる彼に、男の恐怖が跳ね上がる。
「正直に言えば見逃すことも考えるぞ」
「っ、な、なにを……!」
「いいのか、そんなに叫んで」
「もっと苦しくさせることも出来るぞ」と告げれば、男は真っ青な顔をしてブンブンと顔を横に振る。サイモンは男の首を掴むと、「それじゃあ言えるよな?」と圧力をかけた。
男は大きく咳き込むと、信じられないと言わんばかりの視線でサイモンを睨み上げた。
「お、お前たちは選ばれたんだ! だから私たちが迎えに来てやったっていうのに、それを恩をあだで返すようなことをしやがって……っ!」
「選ばれた? 何に選ばれたっていうんだ?」
「そんなの、我が神に決まっているだろうッ!」
興奮しているのだろうか、真っ赤な顔で叫ぶ男。
(青くなったり赤くなったり、忙しいな)
「お前たちは我が神に選ばれた! これはとても光栄なことだ! それなのに、貴様らは神の決定に抗い、私たちに怪我を負わせた! 見ろ! これは神に逆らったのも同義! 近々天罰が下るだろうなァ! ざまァみろ! 泣いても喚いても、きっと神はお許しにならない!」
「へぇ。そりゃァ随分懐の狭い神だなぁ」
「貴様ッ! 我が神を愚弄する気か!? 今にも天罰が――」
「下ってみろよ。何なら今ここでお前が助かるように祈ってくれても構わないぜ?」
男の胸倉を掴み、サイモンは額を打ち付ける。男は心底驚いたように目を見開いていた。
(神だ何だ、うるさいんだよ)
サイモンは顔を顰め、男を見つめた。――神なんて曖昧な存在に依存する人間を見ると反吐が出る。
神にされた奴がどんな思いで周りを見て、どんな思いで自分を犠牲にしているのか、この男にはわからないのだろう。
「お前みたいな人間が、心底不愉快だ」
「なっ、!」
「どこの団体か吐かせるつもりだったが……もういい」
サイモンは軽く手を上げると、手の平を伸ばす。手刀を男の首元に落とせば、男の首は身体と離れて転がり落ちていく。それを見ていたウィルは、人を殺すのに微塵も躊躇わなかったサイモンにぞっとする。
サイモンは男の首を草むらの方へ放り投げると、手を払った。此処は動物も多いし、低級の魔物も時々迷い込んでくる。あんな頭の足らない人間でも多少は何かの役に立つだろう。
(こいつらの事は後だ)
まずはアリアたちを病院に連れて行かなければ。サイモンは振り返る。
「大丈夫か、ウィル」
「っ、!」
息を飲むウィル。サイモンはそれを無視して、彼の前へと向かう。真っ赤に染まった顔や剣が握れないほど深く斬れた手を見て「派手にやられたな」と苦く笑う。かなり痛いだろうに、自分の事よりもアリアを優先して守っていた姿は立派な兄だった。
「二人とも、先に軽く手当てをしよう」と自分のバッグから包帯を取り出す。
滅多に使わないが、念のために持ち歩いていてよかった。サイモンがアリアに触れようとすれば、パシリと手を叩き落とされる。牙を剥くウィルがサイモンを強く睨みつけていた。
「っ、何しに来た!」
「何って、君たちを助けに来たんだろう? アラシたちが君たちを助けてくれって俺の宿まで来てな。まさかこんなことになっているなんて思っていなかったが、無事でよかったよ」
「アラシ、たちが……」
ウィルの声が静かにサイモンの言葉を反芻する。
彼がサイモンをどう思っているのかは未だによくわからないが、危害を加える存在じゃないということはわかってくれただろう。「手当てするから、アリアを渡してくれ」と告げれば、ウィルの手がピクリと反応する。
「っ、ひつよう、ない」
「あ?」
「帰ってくれ。これは、僕達の問題なんだ」
弱弱しいウィルの掠れた声が聞こえる。しかし、その言葉は聞き捨てならないものだった。サイモンは目を細める。
(その体で一体何を言ってるんだ)
ボロボロの身体。片手は使えず、頭から流れる血は未だに止まっていない。動きがぎこちないのを見るに、いくつか骨も折れているはずだ。そんな状況で、アリアを抱えて町まで戻れるのか。――答えは、否。彼が一番理解しているはずだ。
サイモンは思いっきり眉間にしわを寄せると、ウィルの頭に手刀を落とした。
「ッ、!」
「馬鹿か、お前」
「ばっ、!?」
「今の状況で何言ってんだ。よく見て見ろ。お前が一人立ち上がったところで勝てる相手か? 満身創痍な癖して気絶しているアリアを守りながら戦えるのか?」
サイモンの言葉に、ウィルは唇を噛み締めた。悔しそうな顔を隠さない彼は成人したとは言え、まだまだ子供のままだ。
「ウィ――」
「うるさい!! そもそもなんなんですかアンタ! 突然現れたかと思えば、僕達の家にずかずか上がり込んで、好き勝手して……!」
怒声が響く。荒い息を上げ、ウィルはサイモンを睨みつけた。
「僕達はずっと助け合って生きてきたんです! みんなで考えて、協力して、ずっとみんなで一緒にやって来たんです! それを……アリアもアラシもラットも! 部外者を入れてどうしてそんなに楽しそうにできるんですか!?」
まるで抱えていたものを吐き出すように叫ぶウィル。
(……それもそうか)
ウィルの言う通り、サイモンがこの町に来たのはここ三か月余りの事だ。それよりも前に住んでいたウィルからすれば、サイモンはポッと出の知らない人間だろう。そんな奴が大切な孤児院に出入りし、更に子供たちに慕われているなんて、兄としては心配だし嫉妬だってするだろう。
「……それで俺に突っかかって来てたのか?」
「大した人間じゃないとわかれば、みんな離れていくと思ったんです! それなのに……何なんですかあなたは! 僕を馬鹿にしているんですか!?」
「馬鹿になんて……」
「しているじゃないですか! 今! 此処で!」
キッと睨みつけられ、サイモンは後頭部を掻く。
(参ったな)
本当に馬鹿になんてしていないのだが、今のウィルは素直に聞きそうにない。
怪我と貧血で気持ちが高揚しているのか、話している言葉が支離滅裂になっていく。それでも本能はアリアを守ろうとしているのか、彼女を手放す気はない。強い意思が彼を動かしている。
「そんなに強いんだ。アンタ、ずっと僕たちを嘲笑っていたんだろ!」
「は?」
「そうやって余裕ぶって弱い人間を助けるふりをして、俺たちを嘲笑っていたんじゃないのか!?」
睨みつけてくる視線に、サイモンはため息を吐く。
興奮しているのはわかるが、流石に言い過ぎだ。
「アンタみたいな性悪に助けられるなんてまっぴらだ! 僕が全部やる! アリアも僕が助ける! シスターもアラシたちも、僕が――!」
パァン。
高らかに響く打撃音。
ウィルの目が大きく見開かれる。
「いい加減にしろ。ウィル」
「っ……」
「そんなことないって、お前はわかっているはずだ」
サイモンと出会ってそう時間は経っていない。それでも、相手がどんな人間なのか予想を付けることは出来るだろう。――大切な弟や妹が懐いている人間ならば、尚の事。
「お前が俺の事を嫌っているのは知っているよ。気に食わないと思っていることも、その理由もわかっているつもりだ。だが、あのままじゃお前もアリアも、四肢を切られて死んでいた」
「っ、!」
「今だってお前は意識を保っているが、アリアはどうだ? 足の出血もひどい。打ち身もあるだろう。早急に処置が必要だ。お前の腕もな。それとも、助ける機会をみすみす逃して、大事な妹の足を使い物にならなくさせた方がいいか?」
サイモンの言葉を聞いたウィルが息を飲む。ゆっくりと腕の中のアリアを見下ろし、彼女の足に触れた。足の血がウィルの指先につく。その光景にウィルは顔を真っ青に染め上げた。
ウィルは恐る恐るアリアの口元に手を翳す。僅かな息が彼の指先に触れたのか、ほっと息を吐き出していた。サイモンは自身のバッグから比較的綺麗な布を見つけると、ウィルに差し出した。
「守るのに必死なのはわかるが、本当にやるべきことを見失うな。それに、戦うだけが守ることじゃない。本当に誰かを助けたいと思うのなら、嫌いな人間にも頭を下げられる人間になれ」
「……」
「わかったらアリアの手当てをさせてくれないか」
ウィルの顔をじっと見つめる。迷っていた目がサイモンを見つめ、ゆっくりと伏せられる。力を抜いた腕が地面に落ちた。
「……妹を、よろしく、お願い……します」
「ああ。任せろ」
サイモンはウィルの頭を撫でると、包帯を片手にアリアの足に手当てを施した。その光景をウィルがじっと見つめる。その顔はまるで憑き物が落ちたようで、サイモンはほっと胸を撫で下ろす。予期しない形ではあったが、彼との確執も無事解決できたようだ。
サイモンは二人に簡単な処置を施すと、二人を連れて町へと向かった。出迎えたアラシたちに泣きつかれた時はどうしようかと思ったが、みんな無事で何よりだ。