「ぐっ……!」
「っ、ウィル兄さん!」
ガッと背中が大木に叩きつけられ、体が軋む。
振動が全身に伝い、息が出来ない。小さく吐き出した息に血のにおいが混じり、ぐっと強く眉を寄せた。
(くそっ……! こんな奴らに、俺は負けるのか……!?)
ウィルは霞む視界で自身の手を睨みつけた。剣を持てなくなった自分の手は赤く染まり、感覚を失っている。神経は切れていないようだが、今この場では限りなく役立たずに近い。
ざっと土が抉れる音が聞こえ、ウィルは静かに相手を睨み上げた。
――アラシに言われ駆けつけた先で見たのは、白いローブを着た男たちだった。
顔も見えないほど深くフードを被り、身体を覆い隠すローブのお陰で姿形もはっきりしない彼等はあろうことか子供たちを捕まえようとしていた。それを阻止するため、走り回ってやっと自分に標的を向けることが出来たのに、まさかこんなことになるなんて。
それもこれも、途中から増えた敵の数が多すぎたせいだ。
(十……いや、二十はいるか)
既に地面に伏している人数を抜いても、多勢に無勢なのは明らかだ。
本来なら撤退するのだが……それはアリアの足の傷に気付いた瞬間、一番最初にウィルの選択肢の中から削除された。
「っ、大丈夫ですか、アリア」
「こんなの全然かすり傷だよ! それより、ウィル兄の腕の方が……!」
「はは、気にしないでください……っ、かすり傷程度です」
泣きそうなアリアの頭を撫でようとして、ウィルは手を下げる。彼女の鮮やかな赤毛に、汚い赤を付けるわけにはいかない。差し伸べられる手を柔く押し退け、ウィルは震える手で置き上がった。
アリアが肩を支えてくれる。ざり、と砂を踏みしめる音がし、ウィルとアリアは顔を上げた。自分達を見下げる白いローブの男に、ウィルは警戒を隠さず睨みつける。
「嗚呼、憐れな子羊よ。己が役目を果たせず地面に伏す姿は、心底憐れで可哀想だ。あなた達の今生の神は、小さな幸福さえ与えてくださらなかったのでしょう。なんと愚かで、なんと浅ましい神だ。同情しますね」
はあ、とため息を吐く男。その声にウィル思い切り顔を顰める。
憐れだ、なんて自分達をぶっ飛ばしておいて何を言っているのか。
「ああ、憐れな子供たちよ。あなた達の不幸は誰のせいなのでしょう。そう! あなた達を救ってくれないのも、あなた達をこんな目に合せているのも! あなた達を守るとほざいている愚かな神のせいだ! 神の力が足りないせいなのだ!」
「わかるかい!?」と声を荒げる男はどこか興奮した様子で、ウィルもアリアも頬を引き攣らせた。神だのなんだの、何を言っているのか全然わからない。
(何なんですか、この人は)
――神といえば、〝英雄・スクルード王〟を指す言葉であることは、この世界の常識の一つだ。
勉強は得意じゃないウィルでも知っている。この世界に〝祝福〟を齎し、混沌とした世界を平和に導いた人。人間を神として崇めるのは嫌だという人もいるそうだが、ウィルとしてはどうでもいい。何を隠そう、ウィルが武器を取ったのは英雄スクルードに憧れたからだ。
ウィルはチラリと彼の後ろにいる人たちを見る。どうにかしてくれ、と僅かな願いを込めて見たつもりだったが、後ろの人間も似たような顔でこちらを見ている。……どうやら自分達は気持ち悪い集団に目を付けられてしまったらしい。
「おお、憐れな子供たちよ。私たち天の使いと共に来れば、その苦しみから救ってあげましょう。我が神を愛し、我が神に愛されれば、きっとその目も晴れる。そうでしょう、皆さん」
「そうだ、それがいい」
「「「それがいい、それがいい」」」
複数人の声が纏まって反響する。
周囲を覆いつくすような声に、ウィルとアリアは引き攣るような悲鳴を上げた。
(な、なんだこれ!?)
まるであちこちから声が反響しているようだ。
響く声にウィルの本能が警鐘を鳴らす。ふらりと揺れる視界を叱咤し、痛みを訴える身体に力を籠める。
(何が起きても、アリアだけは助けなくては)
大切な家族を守れず、何が護衛だ。何が英雄だ。こういう時の為に、自分は剣を取ったのだ。
「アリア、下がってなさい」
「兄さん!」
「大丈夫ですよ、アリア。僕を信じて」
飛び出そうとするアリアを制し、ウィルは告げる。
もう声を出すのも億劫だが、痛む腹を抑えてウィルは男たちを睨みつけた。利き手は使えないので、もう片方の手で剣を掴んだ。頼りにはならないかもしれないが、何もないよりはマシだろう。
「さあ、私達に着いて来てください。さあ」
「っ、何を言っているのかわかりませんが、僕達はあなた達とは一緒に行きません。そもそも何なんですか、あなた達は! 人の家に勝手に上がり込んで、みんなを危険に晒して……! ふざけないでください!」
「おや。我が神を愛さないというのですね。そうですか。ならば――裁きを受けるがいい」
ローブの人間が全員杖を天に突き上げる。瞬間、何もない上空から降り注ぐ氷柱の雨に、ウィルとアリアは目を見開いた。
「アリア! 伏せて!」
「ウィル兄さんっ!」
鋭く尖った先端に、ウィルは咄嗟に剣を振るった。弾かれた氷柱が宙を舞い、弾き返せなかった氷柱がウィルの腕や足を掠める。痛みに体が強張るが、息を吐く間もなく強引に体が引っ張られた。
「ッ――!?」
引っ張られた体が大木に打ち付けられる。ドンッと強い衝撃が体に走り、ウィルは乾いた息を吐き出した。
(くそっ、何が起きてるんだ……っ!?)
ゴホゴホと強く咳き込んで、ウィルは霞む視界で男を睨みつけた。
ウィルが助けに来てから、何度もこの不思議な力で吹き飛ばされている。右から左から、知らない力がウィルを襲う。この力に何度も吹き飛ばされ、意識が飛びそうになるのを堪え、必死にローブの奴らを睨みつける。アリアの前でこんな姿を晒すなんて情けないが、それでもアリアを守れるのならこの痛みも安い物だ。
体が木に打ち付けられる。乾いた息が吐き出され、どさりと体が地面に落ちた。
指一本動かせない。体が痺れて感覚がない。まるで自分の体じゃないみたいだ。
(く、そ……っ)
あの力の理由がわかれば、対策の一つ二つ立てられるというのに。
「ふふふふ。随分丈夫なお体をしているのですねぇ」
「ぁっ……ぐ……っ、!」
「痛いですか? 痛いですよねぇ。――下賤の者が。汚らわしい」
苛立った男の声が、ウィルの頭の上に落ちてくる。同時に腹に足が乗せられ、ぐりぐりと踏みつけられる。ウィルは堪らず痛みに呻いた。
(こ、いつ……っ)
ねっとりとした声に、眉を寄せる。男の足がどかされ、嫌な声が聞き慣れない文言を口にすると、ウィルの下に円形の模様が出てきた。体が浮かび、再び右へ引っ張られる。しかし、さっきとは比にならない勢いに、息を飲む。
(待て、そっちは――!)
「ウィル兄さん!」
「っ、アリア! 馬鹿! やめろッ!」
ウィルの飛ばされた先に、アリアが飛び出し両手を広げる。受け止められるわけがないのに、無茶だ。しかしアリアは退こうとしない。
(クソッ!)
ウィルは気合いで体を捻り、咄嗟に剣を地面に突き立てる。ガリガリと地面を削ったが、利き手ではない上、安物の剣じゃ衝撃に耐えきれない。掴んでいた剣がパキンッと甲高い音を立て、折れる。絶望する間もなく、ウィルの体はアリアのいる方へと突っ込んでいった。
「っ、!!」
「ぐっ、!」
右半身がアリアにぶつかり、勢いよく後ろの木へと押し込まれる。
咄嗟にアリアを抱え込んだウィルは、背中を強く木に叩きつけられた。
「カ、ハッ」
衝撃に頭が真っ白になる。
男がにやりと笑みを浮かべているような気がした。ウィルは動かない体と霞む視界に、ぎりぎり意識を保っているような状況だった。アリアが必死にウィルを呼びかける。……そんな泣きそうな顔をしないで欲しい。
アリアがローブの男に向かって手元にあった斧を投げる。しかし、彼女の非力な力では斧は彼等には届かない。力なく落ちた斧に、男は「危ないですね」と眉を寄せると、あの不思議な力でアリアを吹き飛ばした。ウィルはアリアを抱き留め、衝撃に息を詰める。肋骨がひどく痛む。骨が折れたのが自分でもわかった。
「さて。このまま見逃してあげても構わないのですが……そうですねぇ」
男の愉快そうな声が、遠い意識の中で聞こえる。
「ひい、ふう、みぃ……四人ですか。いやはや、子供のくせにお強いんですねぇ。これでも彼等は初級魔法を使える人間たちだったのですが。まあそんなことはどうでもいいです。――あなた達が倒した私の手足分、君たちの手足を頂きますから」
「っ、!」
にやりと笑う男に、ウィルの喉が引き攣る。
(うそ、だろ……!?)
人間の手足は基本四本。自分一人では一本足りない。つまり――。
「ゴホッ、ゴホッ! 待っ、て……くれっ……!」
「おや。まだ話せるんですね」
「こ、この子、だけは……っ、アリア、だけは……っ、見逃して、くれっ……!」
「ふふふ。大丈夫ですよ。お二方はお若いですから、腕一つ、片足一つ無くなったところで直ぐに慣れますよ。もちろん、切った手足は我ら神への供物として捧げますので、ご安心を」
(この男……話が通じない……ッ!)
笑みを深める男に、ウィルは得体の知れない恐怖が這いあがってくるのを感じる。供物として扱うとか言われても、全然安心できない。
男はまじまじと二人を見下げる。値踏みするような視線にウィルは身体を強張らせた。
「そうですねぇ。負傷した箇所は面倒なので……娘の両腕と左足、それとあなたの右半身でどうでしょう?」
「っ、それ、ごほんじゃ、ない、だろ……っ」
「ふふふ。私達のような人間が、ちゃんと約束を守るとでも?」
にっこりと笑う男。口元がにやりと嫌な弧を描き、不潔そうな銀歯が数本見える。それが余計にウィルの恐怖を掻き立てた。「冗談です。利子ですよ、利子」と笑う男だが、冗談じゃない。
体を捻る。痛みに呻き、出そうになる涙をぐっと堪えた。アリアを強く抱きしめる。何が起きても、例え半身を失ったとしても、彼女を渡す気はない。
(せめて……せめてアリアだけでも助けられればっ)
「――よく耐えたな、ウィル」
「!」
「伏せて、目を閉じろ」
ふいに聞こえた声。聞き覚えのある声は、間違いない。あの男の声だ。
「〝
刹那、男たちの頭上から巨大な雷が降り注ぎ、悲鳴が響いた。雷を落とされたローブの男たちが次々に火に巻かれていく。肉を焼くにおいが僅かに漂うが、舞う風がそれらを全て掻き消した。
あんなにいた敵が一瞬にして居なくなった。目の前で起きる光景に、ウィルは幻でも見ているのかと思う。
「……人間技じゃあ、ない」
呟いた声が零れ落ちる。
「ひどい言われようだな」
そう答えながら姿を現したのは、ウィルが常々いけ好かないと思っていた男――――サイモンだった。