「……アリア。そこで何をしているんだ?」
「きゃあっ!」
びくぅっと体を跳ね上げた彼女に、サイモンは苦く笑う。そんなに驚かなくてもいいだろうに。
鍛錬を始めて数時間。恒例の型を一通りしたサイモンは、ずっと突き刺さっている視線に振り返った。木の陰に隠れるようにしてこちらを伺っているのは、明るい茶髪。――アリアだった。
おずおずと姿を現すアリアに、サイモンは問いかける。
「どうかしたのか?」
「……」
だんまり。その反応に、サイモンは首を傾げた。
(何か用事があったわけじゃないのか?)
じっと見ていたのを考えるに、特に緊急性のある用事ではなさそうだが、それはそれで気になる。
(俺、何かしたか……?)
余所者の自分が何か粗相でもしてしまったのだろうか。もしそうなら謝らなければ。
「アリ、」
「あのっ! わ、私に――サイモンさんの剣術を教えてくれませんか!?」
「……はいっ?」
声を張り上げたアリアに、サイモンは素っ頓狂な声を零す。
(け、剣術?)
教えるって何。誰が。……俺が!?
「な、なんでそんなこと。な、何かあったのか?」
「そ、そういうわけじゃ、ないんですけど……」
顔を俯かせ、尻すぼみになっていく声で言うアリアを、サイモンが見つめる。
どこか伺い見るようにちらちらとサイモンを見るアリアは、まるで怒られるかもしれないと不安に思っているような目をしている。
(なにか……怒られるかもしれないことが、理由なのか?)
サイモンはそう思う。しかし、話を聞かないうちに頭ごなしに否定するのは良くない。とはいえ、正直理由を聞かない事にはどうしようもないのも事実。怒らないから言ってごらん、なんて言って迷信だ。知っている。
サイモンは彼女の前にしゃがみ込んだ。しっかりと目を合わせ、問いかける。
「とりあえず、今思っていることを言ってみてくれ。話はそれからしよう」
静かな声に、こくりと頷いたアリアは、ぽつぽつと話し始めた。
「この前、お母さんに聞かれたの。『アリアは今後どうしたい?』って。私、ずっとみんなと一緒にいるんだって思ってたから、びっくりしちゃって……全然答えられなかった」
「うん」
「そしたらお母さん、『大人になったら、あなたの好きなことをしていいのよ』って」
「でも、やりたいことも好きなことも、よく……わからなくって」と、アリアが小さく俯く。その視線は、まるで迷子になった子供の様だ。不安で、怖くて、でも何かしたいという思い。
(忘れてたな)
大人になってウン百年。いろいろなことをしてきたけれど、初めての時は誰だって不安になる。しかし、大人になっていくと、そんな気持ちにも慣れてしまう。いつの間にか忘れてしまうのだ。
ぎゅっと小さな手が、彼女の服を握る。
「でもね、私、やりたいことはわかんなかったんだけど……ここまでいろんな人に助けられて生きてきたんだってことはわかっているの。だから、今度は誰かの為に、役に立てる人になりたいって思ったんだ」
アリアの力強い瞳が、サイモンを射抜く。その目は既に迷子ではなくなっていた。
「それで剣術を?」
「うん。まずは強くなろうと思って! そうすれば、みんなの事も守れるでしょう?」
にっこりと太陽のように笑うアリアに、サイモンは目を細める。その子供らしい発想と表情は、なんと清らかで、眩しいのだろう。
(これはもう)
拒否をする理由はないな。寧ろ、彼女の希望に答えなければいけないという気さえしてくる。アリアの事だから、拒否したら勝手に独学で練習しそうだし、丁度いいのかもしれない。知識もない状態で鍛錬などして怪我をしてしまったら、シスターに合せる顔がない。それに、彼女の進みたいと思う気持ちに応えたいと思うのは、本当だ。
「仕方ないな。少しだけだぞ」
「ほんと!?」
「ああ。まずは護身術からだな。基礎体力をつけて――」
「やったあ!」
(さては聞いてないな?)
跳び上がるアリアに、サイモンは苦い顔をする。満面の笑みを浮かべる少女はとても嬉しそうだが、自分の声が届いているようには見えない。……まあ、あとで文句を言われても知らないということで。こちらは先に言っていたし。
サイモンはそう内心で呟くと、腰を上げた。
「そうと決まれば、準備運動からだ。怪我をしたら元も子もないからな」
「はい!」
「……」
意気揚々と返事をするアリアに、サイモンは笑みを浮かべる。その反面、内心では背後から突き刺さる視線の持ち主と話を知らないシスターに、どう説明をしようかと頭を悩ませていた。
「貴方に教えを乞うとは、アリアも見る目がなく困ったものですね」
淡々とした声に、サイモンは振り返る。
「どうも。お邪魔してます、ウィル殿」
「気安く名前を呼ばないでください」
キッとつり上がった目が、サイモンを睨む。剣吞さを隠すこともない彼にやれやれ、と思いつつもサイモンはにこやかな笑みを崩さない。それが彼――ウィルの機嫌を損ねたのだろう。睨む視線が強くなる。
――ウィル・バーン。彼はシスターのお目付け役で、護衛として雇われた一人だ。
銀の鎧を身に纏い、銀の剣を腰に付けた男。元々この孤児院出身であった彼は教会にその腕を買われ、教会の護衛として働いていたらしい。それが何を思ったか、シスターと一緒に着いてきたのだとか。シスター曰く『宝の持ち腐れ』で、アリア曰く『反抗期の抜けてない兄』らしい。
(確かに、反抗期というのは言い得て妙かもしれないな)
アリアの言葉にくすりとサイモンが笑う。こんな時に思い出し笑いをしてしまうなんて、自分ももう歳かもしれない。
「……何を笑っているんですか」
「ああいや、すまん。ちょっとな」
「そんなに僕の言っていることがおかしいと?」
「そんなことは言っていないだろう」
眉間にしわを寄せるウィルに、サイモンは困ったように眉を下げた。正直、どうして彼がここまで突っかかってくるのか、サイモンには見当もついていないのだ。
とはいえ、同じ剣士同士、仲良くしたいと思っているのは事実。出来れば互いに持ち得る技術の交換を……なんて思っていた頃が懐かしい。最近では、可愛い妹分であるアリアがサイモンに教えを乞うているのが、気に食わないらしい。やれやれ。とんだシスコンだ。
「貴方がアリアに教えるより、僕が教えた方が彼女の為になるだろう」
「なら君が教えてやればいい」
「……」
「そんな顔をするなよ」
悪かったから。
サイモンは居た堪れない気持ちに、つい口を突いてそう告げた。
ウィルがアリアに避けられているのは、ここでは周知の事実だ。何でも、幼少の頃に構い過ぎてキレられたのだとか。
(二人は孤児院出来上がってからの初期メンバーだからなぁ)
何か特別な思い出もあったのだろう。アリアは特にないようだが。
ウィルはサイモンを睨みつけると、フンッと鼻を鳴らして去って行く。高圧的な態度は相変わらずだが、元気そうで何よりだ。サイモンはパチパチと跳ねる火花を見ながら、一人ひっそりと笑みを零した。
――サイモンにとっては彼も立派な子供のうちの一人なのだ。