孤児院の裏にある森の中。少々開けた場所で、サイモンは毎朝のトレーニングを行っていた。
基礎トレーニングを終え、幼少期に仕込まれた一連の全ての型を取る。数百年以上やってきたからか、体に馴染んだ型は洗練時期を終え、最近ではただの健康的な習慣になっている。これをしないと腰が重くなる気がするのだ。
(習慣ってのは恐ろしいな)
型を一通り終え、深く息を吐き出す。
青空に浮かんでいる太陽は、ここに来てからあまり動いていない。時間からして、一時間も経っていないのだろう。あまり早く終わってしまうと暇な時間が増えるのだが……仕方ない。
(さて)
「そこで何をしているんだ? アリア」
「ひぁっ!」
突然振り返ったサイモンに大きく体を跳ね上げて尻もちを付いたのは、赤毛が特徴的な女の子――アリアだった。
(そんなに驚かなくてもいいだろうに)
「大丈夫か?」と手を差し出せば、戸惑いながらも手を取ってくれる。スカートに付いた土を払ってやれば、アリアは顔真っ赤にした。
「す、すみませんっ! その、覗き見する気はなくて……!」
「そうかそうか」
「ストーカーじゃないですから! どこに行くのか気になっただけで!」
身振り手振りで弁明をしようとするアリアに、サイモンはとりあえず落ち着くように告げる。飲み物を渡せば、彼女はすごい勢いで水を飲んだ。
落ち着きを取り戻した彼女は「すみません……」ともう一度謝ると、申し訳なさそうに視線を下げた。サイモンは「気にするな」と告げ、アリアのふわふわとしている赤毛を撫でてやる。
ここに来てから一時間と少し。彼女はずっと木の後ろからサイモンを伺い見ていた。反応から察するに、本人は隠れられていると思っていたのだろう。もちろんそんなことはなく、サイモンは気づいていながら特にアクションを起こさなかっただけである。理由は単純だ。彼女の目的がわからなかったからだ。
(でも、こんなに驚かせてしまうなら最初から声をかけておけばよかったな)
万一怪我でもさせてしまったら、シスターに怒られてしまうだろう。
サイモンは近くの切り株に腰を下ろすと、アリアに目線を合わせた。
「それで、アリアの気になったことは解消できたのか?」
「あ、はい。……でも、サイモンさんのやってることを見て、その、別の事が浮かんだっていうか、その……」
「?」
もじもじと指先を弄るアリアに、サイモンは首を傾げる。
(別の事?)
「あ、あのっ、サイモンさんっ!」
「お、おお。どうした、そんなに張り切って――」
「わ、私に、剣術を教えてくれませんかっ!?」
「……はっ?」
バッと顔を上げるアリアに、サイモンは目を大きく見開く。
(け、剣術?)
サイモンはゆっくりと自分の横を見る。木株には確かにサイモンが旅のお供――剣が立て掛けられている。古臭く、とてもいい物とは言えない、ただの剣。それをアリアはじっと見つめている。
(突然何を言い出すのかと思えば)
「なんで急にそんなことを?」
「実は私、この前教会の人から聞いちゃったんです。孤児院の子供は、成人したら一人で生きて行かなきゃいけないってこと」
サイモンはアリアの言葉に「嗚呼」と声を零す。
この国では通常、孤児院に引き取られた子供たちは成人年齢である十六歳を向かえると同時に、孤児院を出るのが一般的だ。そういう法律があるわけではないが、暗黙の了解みたいなものだ。
アリアは今年で十三歳。十六歳まであと二年……遅くても三年目にはここを出る必要がある。
「私、ずっとみんなと一緒にいるんだって思ってたから、すごくびっくりしちゃって……お母さんにも相談したんですけど、『何かしたい事ないの?』って逆に聞かれちゃって。私、何も言えなかったんです……」
「お母さんは『アリアの好きなことをしていいのよ』って言ってくれたんですけど、でも私、やりたいことも好きなことも、よくわからなくって……」と俯くアリア。まるで迷子の子供の様な顔に、サイモンは何と励ましたらいいのか、悩んでしまう。
(この場合、何を言ったら正解になるんだろうな)
今までみんなの為に頑張って来たからこそ、アリアには迷っているのだろう。
大人になったら出て行かなくてはいけない。けれど、何をすればいいのか、何をしたいのかわからない。……その気持ちは、サイモンにもよくわかる。サイモン自身、こうして旅に出る前はかなり悩んだのだ。子供の頃は悩まなかったが、大人になってからはより悩むようになったと思う。
「アリアはみんなと一緒に居たいんだろう? なら、そのままシスターの手伝いをしたらいいんじゃないか?」
「そうなんですけど……でも、それだけじゃ駄目だなって」
「駄目?」
どういうことだ?とアリアに視線で問いかける。
アリアはゆっくりと自分の手のひらを見つめた。まだまだ小さくて、細っこい手だ。しかし、歳のわりに荒れている手は日々の生活を頑張っていることが一目でわかる。
「私達は今まで、色々な人に助けられて生きてきました。家が壊れた時も、お金がなくて食材が買えなくなった時も、町の人たちに何度も助けてもらって。最近ではサイモンさんが食料を買って来てくれたり、私たちの分まで考えてくれるじゃないですか。その度に、私、すごく助けられてるなって思うんです。だから、私もみんなの役に立つことをしたいなって思ってて」
「その、上手く言えないんですけど」と苦笑いを浮かべるアリア。恥じらうような視線に、サイモンはじっとアリアの言葉を待った。
「でも、私には知識がありません。女だから力もない。できることが少ないんです」
「それで剣術を?」
「はい」
大きく頷くアリアに、サイモンは顎に指を当てた。
――アリアの気持ちはわかった。だが、それが剣を教える理由になるかと言われれば……正直難しいのが本音だ。
剣を持つということは、命のやりとりをすることだ。もちろん、そこには自分の命もある。剣術を逃げるために使うこともあるだろうが、基本的には戦闘を見据えたものになる。安易に引き込んでいい世界ではないのだ。
サイモンは視線を斜め上に上げると、浮かぶ言葉を選んでいく。
「アリアの言うそれは、基本的なトレーニングだけじゃ駄目なのか? 体を鍛えるとか、体力をつけるとか。剣を持たずともできることはある。わざわざ危ない橋に足を踏み入れる必要はないと思うが」
「それでもいいんですけど、その、安直かなと思うんですが、剣が使えれば万一魔物が襲ってきても戦えるじゃないですか。いざとなったらみんなの事も守れますし!」
なるほど、確かにそうだ。
アリアのいう通り、この世界には危ない魔物が何匹も存在している。今は大人しくしているあ彼らも、いつ動き出すかわからない。備えておきたいと思う気持ちはわからなくもない。
(そこまで言われると、特に拒否する理由がなくなるな……)
物見遊山ならやめておけと言えたのだが、ちゃんと考えての行動ならばこれ以上言う必要はない。そもそも、サイモンは『やってみたいことはやってみる』をモットーとしているので、アリアの申し出はむしろ応援したい方なのだ。ただ、素直に応援できない理由があったから、渋っていただけで。
(それに、断ったら勝手に練習しそうな勢いだからな)
むしろちゃんと教える人間がいた方が、逆に安全かもしれない。
「そういうことなら、多少の事は教えよう」
「本当ですか!?」
「ああ。でも、まずは護身術からだ。自分を守れないやつに誰かを守ることは出来ない。わかるか?」
「はいっ!」
「まずは基礎体力をつけて、次に――」
「ありがとうございます! 私っ、頑張りますね!!」
……さては聞いてないな?
サイモンは意気込みながら勢いよく立ち上がるアリアに、苦い顔をする。まあ、やる気があることはいいことだし、何かあったらその時に助けてやればいい。
「それじゃあ、特訓は明日からにして、今日は帰ろうか」
「はいっ!」
サイモンは立ち上がり、剣を腰に差す。そろそろ昼飯の時間になるだろう。町の商店街で何か食べて、一緒に仕事でももらいに行こう。
嬉しそうに鼻歌を歌うアリアを横目に、サイモンは来た道を引き返す。今回はもちろん尾行されながらではなく、アリアと共にだ。
(一応尾行の仕方も教えておくか)
いつか何かの役に立つかもしれない。
(……後ろの奴も一緒に受けてくれればいいんだが)
後ろから突き刺さるもう一つの視線に、サイモンは小さくため息を吐く。誰も彼も、尾行が下手すぎる。サイモンは後ろにいるであろう存在を思い出しながら、アリアと共に孤児院へと戻った。
――翌日から始まったアリアの特訓は、思っていた以上に調子よく進んでいた。
元々運動神経が良くて好奇心旺盛なアリアは、教えれば教えるほどスポンジのように吸収していく。教えたことがすぐさま吸収されるもんだから、サイモンも次々といろいろなことを教えたくなってしまう。時折危なっかしい時もあるが、それさえ気をつけていれば問題はない。
「今日は対人戦になった時を想定して、対処法を考えてみようか」
「はい! お願いします!」
「まず、敵に腕を掴まれた時の対処法だが――」
いつもの基礎トレーニングを終え、続いて対人戦に入る。一つ一つの動きや理由を説明し、サイモンが実際にやって見せ、さらにそれをアリアに再現してもらう。分からなければ、もう一度繰り返し教え、それを積み重ねていく。
アリアはいつでもサイモンの言葉を真剣に聞いてくれた。その真面目な姿勢は評価に値するし、変なプライドがない分上達も早い。最初は基礎だけで力尽きていたのに、それも今では最後までついてこれるようになっていた。
(子供の体力ってすごいな)
自分のような老体とは全く違う。
「アリアは上達が早いな」
「はぁっ、はぁっ……ほ、本当ですか、!?」
「ああ。呑み込みも早いし、身体の使い方も上手い。特訓もすぐに終わりそうだ」
「えへへへ」
サイモンの言葉に、アリアが嬉しそうに笑みを浮かべる。赤毛のふわふわな頭を撫でながら、サイモンは小さく息を吐いた。
(そろそろ面倒になって来たな)
アリアではない。森の奥から突き刺さる視線が、だ。
アリアとの訓練を開始してから毎日のように突き刺さってくる視線は、こちらを制するように睨んでくるくせに、特に何かをしてくる様子はない。ただ覗き見ているだけだ。
(暇なのか?)
とっ捕まえに行ってもいいが、アリアの修行時間を減らすのは癪に障る。正直これ以上敵視されるのも面倒なので早く片付けたいのだが……どうしようか。
「サイモンさん?」
「ああいや。何でもない」
サイモンは首を横に振り、アリアに次の指示を出す。真面目にやっている彼女の邪魔はしたくない。
(アリアに気付かれていないうちに、片を付けるか)
そう決めたら、やることは決まっている。サイモンは罠を仕掛けるため、思考を巡らせた。
その日、サイモンは初めてアリアと組み手をした。
もちろんサイモンが負けるわけもなく、アリアはコテンパンにされて地に伏す。悔しげにするアリアにアドバイスをしつつ、サイモンは視線を後ろへと向けた。突き刺さる視線に殺気が混じる。強くなるのを感じたサイモンは、彼が罠にかかったのを確信した。
湯浴みの後に宿に戻ると、もう空は暗くなっていた。月の角度からして大体夜の八時くらいだろうか。時計がないので正確な時間はわからないが、子供たちは寝る準備をする頃だろう。
ふと、自分の部屋の中に人の気配を感じる。なんともお粗末な気配の消し方に、呆れてしまう。そこらの兵士や盗賊なんかは気づかないだろうが、そこそこ腕に覚えのある人間には利かないだろう。
(少しがっかりだな)
サイモンはわざと気配を消さずに部屋に近づき、扉を開ける。部屋の中には我が物顔で居座っている男が一人。予想通りの人物が一人がけの椅子を陣取っていた。
「やっと帰って来ましたか」
「人の部屋に勝手に侵入しといてよく言う」
髪と同じ金色の目でサイモンを見つめる男は、サイモンを見るとあからさまなため息を吐く。人の顔を見てため息を吐くなんて、失礼な奴だ。
幼さを僅かに残している顔は、一般的にいえば美形に入るのだろう。歳は十八くらいだろうか。サイモンは入り口にある壁掛けに、タオルをかける。ここにかけておけば明日、サイモンがいない間に宿の人が回収してくれるのだ。
「それで。何か用か? ウィル」
「貴方に名前を呼ばれる筋合いはありません。それに、あなたは先ほど不法侵入とおっしゃいましたが、部屋には宿の人に話をしたら入れてくれました。なので不法侵入ではありません。ちゃんとした手続きを踏んでいますので」
「部屋主に無断な時点で不法侵入だろうが」
はあ、とため息を吐く。屁理屈にもほどがある。
――『ウィル・バーン』。シスターのお目付け役で、孤児院の護衛として雇われている。
アリアの話によれば、彼はアリアの五歳上で、数年前に孤児院を出た唯一の人物らしい。つまりアリアの兄で、先輩だ。
元々やんちゃをしていた彼は、シスターですら手を焼いていたものの、孤児院を出た今では町を守る傭兵として活動しているらしい。その証にウィルは教会から支給された銀の鎧と剣を所持しており、鎧の胸元には教会のマークが刻まれている。
ウィルは何も言わないまま、手元に持っていたカップを傾けている。当然、サイモンにはそれも用意した記憶はない。宿の人間が勝手に用意したのだろう。流石に文句の一つでも入れてやろうかと思ったが、今日の受付が若い女性だったことを思い出してサイモンは額を抑えた。
(顔か。顔なのか)
祝福すら世界中の人に平等に降り注ぐというのに、顔の良し悪しはいつになっても平等にならない。サイモンは文句を言うのを諦めて、静かにベッドに腰かける。椅子が占領されているのだ。仕方ない。
「まったく。貴方なんかに教えを乞うとは、アリアも見る目がなく困ったものですね」
「そんなに言うなら、代わりに君が教えてあげればいいだろう? 君だって優秀な護衛だと聞いているぞ」
「フンッ。僕は確かに優秀な護衛ですが、アリアの事は妹のように思っているんです。そんな僕がッ! 可愛い可愛いアリアにッ! そんな危険なことを教えるわけがないでしょうッ!?」
「あなたとは違うんです!」と声を上げるウィルに、サイモンは顔を引き攣らせる。
(えぇ……)
「昔はケーキ屋さんになるとか、お花屋さんになるって言ってたのにッ! どうして剣なんか……!」
「はあ……。夢はその時々変わるものだろ? そんなの全部本気にする方が――」
「うるさいッ! 僕は僕のお嫁さんになる!って言ってくれたアリアを知っているんだッ! あれはアリアの本心だった! ぽっと出のお前に何がわかる!」
「いや、それとこれとは話が違――」
「違くない!」
ギャンッと吠える彼。顔を真っ赤にして起こるウィルに、サイモンは思わず目を閉じた。
(とんでもないシスコンなんだけど)
しかもかなりこじらせている。正直話をするのも面倒だ。
(そういえばアリアも、ウィルのこと『過保護な保護者』だって言ってたっけ)
その言葉の意味がやっとわかった。
でも、確かに彼のようなシスコンには、最愛の妹を危険に晒すかもしれないことを本人に教えろというのは、少々酷かもしれない。アリアが彼ではなく、サイモンに教えを乞うた理由がよくわかる。
「そもそも、この町には僕がいるんですから、アリアが剣を持つ必要なんかないんです。それなのに、貴方が変なことを教えるから、アリアも調子に乗ってしまって……ああもう! これじゃあ僕の計画が破綻するじゃないですか!」
「計画?」
「この僕が、みんなの剣となり盾となるんです。そしてたくさんの弟と妹にチヤホヤされたい! 『ウィルお兄ちゃんかっこいい!』『ウィルお兄ちゃんみたいになりたい!』――嗚呼、なんて最高の未来なんでしょうっ! それを……!」
サイモンを強く睨むウィル。
……保護者っていうか、もはやただの不審者ではないか?
「なんか……ごめんな?」
「謝らないでくださいッ! 僕が惨めになる!」
「そんなこと言われても」
(俺にどうしろと)
サイモンは答えのない問いを心の中で呟いた。ウィルがサイモンを敵視する理由は分かった。だが、余計にどうしたらいいかわからなくなったのも事実だ。まさかウィルがそんな幼稚……否、素晴らしい作戦を立てているなんて知らなかったし。サイモンはふと拭い切れない既視感に気付く。騒ぐウィルを他所に既視感の正体を探っていれば、ふとアリアの顔が過ぎる。
『いざという時、みんなのこと守れるじゃないですか!』
『僕がみんなの剣となり盾となるんです。そしてたくさんの弟と妹にチヤホヤされたい!』
(……うん。紛れもない兄妹だな)
血は繋がっていないのに、恐ろしく似ている。
「あー……でも、今やっていることはアリア本人が望んだことだぞ? それは良いのか?」
「フン。そんなもの、今はただ好奇心に流されているだけだ。冷静になれば、アリアも直ぐに必要性の無さに気づいて辞めるだろう。お前の指導なら尚更」
腕を組み、ハッと鼻で笑うウィル。
(酷い言われようだな)
何がそんなに嫌なのか。サイモンにはわからないが、どうやら彼の目にサイモンは〝余所者〟以外に〝弱者〟も入っているらしい。なるほど、それならサイモンに教えを乞うアリアをおかしいと思うのも、仕方のないことだ。
(とはいえ、あんまりにも露骨すぎるけどな)
「全く、僕がいなくなったからって……」とぼやくウィル。兄としての立ち回りも難しいんだな、と哀れみにウィルを見つめていれば、「なんですか」と鋭い視線で睨まれた。自分の正義を持った人間というのは、面倒くさい生き物だ。
「いや、なんでもない。それより、そろそろ警備に戻らなくていいのか? 門番も変わる時間だろう。それとも、ここに泊っていくか? 茶くらいなら用意できるぞ」
「はあ!? 何を言っているんですか! 戻るに決まっているでしょう! 今日は貴方に余計なことをするなと伝えたかっただけです」
「そうか。頑張れよ」
「っ、ええ! ええ! あなたに言われなくてもちゃんとやりますよ!」
「僕を誰だと思っているんですか!」と叫び立ち上がるウィルに、サイモンは悪い悪いと笑いながら返事をする。
ウィルはそれを気に入らなさそうに見ると、フンッと鼻を鳴らして踵を返す。ドスドスと苛立ちをあらわにしながら扉へと向かい、乱雑に扉を開けた。
「くれぐれも余計なことはしないように!」
「ハイハイ」
「はいは一回で十分です!」
キッとサイモンを睨みつけ、部屋を出ていくウィル。その姿はまるで威嚇してくる番犬みたいだ。そんなこと言ったら余計に嫌われるんだろうけど。
ウィルは力任せに扉を閉めていく。勢いが良すぎて逆に開いてしまった扉にため息を吐き、サイモンはベッドから腰を上げる。
扉を閉めようとして、好奇心からそっと扉の向こうを覗き込んだ。廊下では、音に驚いて様子を見に来た宿の人に、申し訳なさそうに頭を下げているウィルの背中が見える。さっきまでの生意気そうな雰囲気とは一変、好青年らしい姿にサイモンは苦笑いを零した。
(あれだけ色々言っていたけど、悪い奴じゃなさそうなんだよなぁ)
ただ、自分の気持ちに真っすぐなだけ。だからこそ、憎めない。
「あいつも特訓参加すればいいのに」
サイモンは静かに扉を閉じた。――サイモンにとっては彼も、アリアたちと同じ〝守るべき側の人間〟なのだ。
ふと、テーブルの上に放置されたカップが目に入る。頭に浮かんだのは「片していけよ」の一言。しかし、今更呼び戻すのも面倒臭いので、仕方なしに洗い物を纏める。あとで受付に返しておこう。
(ああそうだ)
ついでに不審者を部屋に入れないよう釘を刺しておかないと。
サイモンはそう心に決めると、ベッドに寝そべった。柔らかいベッドがサイモンの体を包む。
今日は疲れた。諸々は明日にして、今日は休むことにしよう。サイモンはそう決めると、訪れる穏やかな時間にゆっくりと目を閉じた。――まさかそれが嵐の前触れだとは、サイモンも想像していなかった。