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第1話

「ふわぁあ」


くわりと大きな欠伸をして、サイモンは空を見上げる。

青い空。白い雲。賑やかな町。

(平和だ……)

がりがりと頭を掻いて、そう思う。歩き様、痒くなった脹脛を足先で引っ掻く姿は、まさに中年のおじさんのようで、締まりがない。

サイモンは寝ぼけ眼で周囲を見渡す。賑やかなここは、この町唯一の市場だ。

朝から新鮮な野菜や果物、肉や魚まで並んでいる。それを一つ一つ物色しながら、サイモンはぼんやりと歩いていた。


「おーい、そこの兄ちゃん!」

「んあー?」

「活きのいい魚が獲れたんだが、一匹食べてみねぇか?」


くわりともう一度欠伸をしたところで、魚屋であろう男が声をかけて来る。振り返れば、満面の笑みで太い腕で自分の釣ったであろう魚を掲げていた。

確かに大物だ。男の太い腕の二倍はあろう魚の体が日光に照らされている。

サイモンは興味本位に近づくと、男の売り場を見た。並んでいる魚たちは確かにどれも鮮度がよく、美味そうだ。もう一度、男の持つ魚を見る。


「おお、いいな」

「だろぉ? こっちの小さいのも今朝獲って来たばかりなんだ。活きがよくて苦労したよ。身が引き締まっているから、美味さは保証するぜ!」

「ほほう」


――今朝。獲って来たばかり。活きがいい。美味さの保証。

男の自信満々な言葉に、サイモンの興味が更にそそられる。こんな大物を釣って来た上、しっかりとした鮮度で魚を保管している男が言っているのだ。その言葉は信用に値する。

(うむ。本当はデカいのを買っていきたいところだが)

サイモンはこれから行く場所を思い浮かべ、首を振る。やはり、デカいやつはまた今度にしよう。


「そうだな。じゃあ、この中くらいのやつを六……いや、七もらおう」

「おっ、兄ちゃん見る目があるねぇ! 毎度ありィ!」


男はニカッと笑みを浮かべると、サイモンの指した魚を七匹手に取った。

器用に尾びれを紐で縛ると、予め用意していた整えられた枝に括りつける。この町ではこうして魚や肉を持って帰るのだ。初めて見た時はまるで魚の木の実ができたようだと思った。もし本当にあったら、世界中の学者たちが喜びそうだとも。

男から魚のついた枝を受け取ったサイモンは、他の売り場も回り野菜や果物を買っていく。それらを紙袋に詰め、朝市を抜けたサイモンは町はずれへと足を向けた。



「サイモン兄ちゃん!」

「よっ」


小高い丘の麓。古びた大きな一軒家の前で、サイモンは足を止める。溌剌とした子供の声にいつものように軽く手を上げれば、声に気が付いた子供たちが一斉に駆け寄って来た。


「サイモン兄! おはよう!」

「兄ちゃんはよーっす!」

「おはよう、ラット。アラシ」


一目散に走って来た二人の頭を撫でる。「おれも」「ぼくも」「あたしも」と寄ってくる子供を順番に撫でていく。

この孤児院は人があまり来ない辺鄙なところに建っている。町の人たちも気にしてくれているとはいえ、やはり来訪者が来るのは珍しいのだとか。大人に甘えたい年頃の子供たちに微笑ましい気持ちになりながら、サイモンは子供たちに朝の挨拶をしていく。最初は驚いたが、慣れたものだ。


「サイモン兄、それなにー?」

「ん? ああ、今朝獲れた魚を譲ってもらったんだ。こっちは野菜と果物。ミルクも買って来たぞ」


サイモンの言葉に、野菜嫌いな子供たちが口を尖らせる。そんな彼等の頭を撫でながら、「大きくなれないぞ」と告げれば、同時にバンッと大きな音が響いた。ビクリと肩が揺れる。おお、なんだなんだ、突然。


「サイモンさん!」

「あ、アリア」


むすっとした顔をして、ズンズンとこちらに向かってくる少女に、サイモンは驚いた目を向ける。

(びっくりした)

心臓が口から飛び出るかと思った。古びたエプロンをし、明るい茶髪を揺らす彼女の名前は、アリアという。この孤児院の最年長者で、みんなのお姉ちゃん的な存在だ。最近では母親のような口うるささが出てきたと、男子の中心人物であるアラシが言っていた。


「げっ、アリア姉ちゃん!」

「〝げっ〟て何かしら? 〝げっ〟て」

「あ、いやぁ。そのぉ……」


詰め寄られるアラシに、アリアが目を吊り上げる。

(仲がいいなぁ)

喧嘩するほどなんとやら。微笑ましい光景に、サイモンは平和を噛み締める。会ってまだ一か月程度の子供たちだが、成長しているのを見るのは純粋に嬉しい。


「係りの仕事サボったら朝ごはん抜きだからね!」

「ええー!」

「ひっでーよ、姉ちゃん!」

「嫌だったらさっさと動く!」


叱咤するアリアに、子供たちはブーブーと文句を言いつつ、慌てて孤児院へと戻って行った。まるで小さな嵐のようだ。

アリアは両手を組んで彼等を見送ると、サイモンに振り返る。


「サイモンさん、毎朝ごめんなさい」

「いやいや、みんな元気そうで何よりだよ。子供は元気が一番だからなぁ」

「そう言ってくれると助かります」


肩を下げながらそう笑うアリアに、サイモンも笑う。その姿は到底齢十三だとはあまり思えない。

(お姉ちゃんは大変だな)

サイモンは彼女の頭を軽く撫でると、朝市で買ってきたものを渡した。量の多さにアリアの大きな目が見開かれる。


「それ。みんなで食べてくれ」

「えっ!」

「足りないかもしれないが、少しは足しになるだろ?」

「そ、それはそうですけど……でも、もらえないですよ、こんなに!」

「気にしないでくれ。俺の朝食を買うついでに買ったもんだ。寧ろ俺が持ってても腐らせちまうから、貰ってくれると有難い」


そう言ってサイモンは、紙袋から林檎を一つ取り出した。これも今朝収穫したばかりの物らしい。きっと齧り付いたら果汁が溢れてくるだろう。それに、赤い木の実は縁起がいい。自分にとっては御馳走だ。

しゃくりと一口噛めば、瑞々しさが口の中に広がる。うん、美味い。


「……」

「ん? なんだ? 欲しいのか? 君たちの分はそっちに入っているが」

「あ、いえ。そうではなくて」

「?」


じっと見つめて来るアリアに、サイモンは首を傾げる。彼女は少し迷ったように視線を彷徨わせると、紙袋を抱き締めた。


「あの、俺のって、もしかしてその果物一個ですか……?」

「ん? あー、そうだな。それがどうかし――」


ガシリ。

サイモンの言葉を遮るように、アリアの手が袖を掴む。

(おっと)

落ちかけた林檎を慌てて逆の手でキャッチし、サイモンは目を瞬かせる。……何だかよくわからないが嫌な予感がする。恐る恐る見たアリアは、どこか不機嫌そうにサイモンを見上げている。一体どうしたのだろうか、と疑問に思うのも一瞬。


「来てください!」

「えっ、ちょ、おおっ!?」

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