「ふわぁあ」
くわりと大きな欠伸をして、サイモンは空を見上げる。
青い空。白い雲。賑やかな町。
(平和だ……)
がりがりと頭を掻いて、そう思う。歩き様、痒くなった脹脛を足先で引っ掻く姿は、まさに中年のおじさんのようで、締まりがない。
サイモンは寝ぼけ眼で周囲を見渡す。賑やかなここは、この町唯一の市場だ。
朝から新鮮な野菜や果物、肉や魚まで並んでいる。それを一つ一つ物色しながら、サイモンはぼんやりと歩いていた。
「おーい、そこの兄ちゃん!」
「んあー?」
「活きのいい魚が獲れたんだが、一匹食べてみねぇか?」
くわりともう一度欠伸をしたところで、魚屋であろう男が声をかけて来る。振り返れば、満面の笑みで太い腕で自分の釣ったであろう魚を掲げていた。
確かに大物だ。男の太い腕の二倍はあろう魚の体が日光に照らされている。
サイモンは興味本位に近づくと、男の売り場を見た。並んでいる魚たちは確かにどれも鮮度がよく、美味そうだ。もう一度、男の持つ魚を見る。
「おお、いいな」
「だろぉ? こっちの小さいのも今朝獲って来たばかりなんだ。活きがよくて苦労したよ。身が引き締まっているから、美味さは保証するぜ!」
「ほほう」
――今朝。獲って来たばかり。活きがいい。美味さの保証。
男の自信満々な言葉に、サイモンの興味が更にそそられる。こんな大物を釣って来た上、しっかりとした鮮度で魚を保管している男が言っているのだ。その言葉は信用に値する。
(うむ。本当はデカいのを買っていきたいところだが)
サイモンはこれから行く場所を思い浮かべ、首を振る。やはり、デカいやつはまた今度にしよう。
「そうだな。じゃあ、この中くらいのやつを六……いや、七もらおう」
「おっ、兄ちゃん見る目があるねぇ! 毎度ありィ!」
男はニカッと笑みを浮かべると、サイモンの指した魚を七匹手に取った。
器用に尾びれを紐で縛ると、予め用意していた整えられた枝に括りつける。この町ではこうして魚や肉を持って帰るのだ。初めて見た時はまるで魚の木の実ができたようだと思った。もし本当にあったら、世界中の学者たちが喜びそうだとも。
男から魚のついた枝を受け取ったサイモンは、他の売り場も回り野菜や果物を買っていく。それらを紙袋に詰め、朝市を抜けたサイモンは町はずれへと足を向けた。
「サイモン兄ちゃん!」
「よっ」
小高い丘の麓。古びた大きな一軒家の前で、サイモンは足を止める。溌剌とした子供の声にいつものように軽く手を上げれば、声に気が付いた子供たちが一斉に駆け寄って来た。
「サイモン兄! おはよう!」
「兄ちゃんはよーっす!」
「おはよう、ラット。アラシ」
一目散に走って来た二人の頭を撫でる。「おれも」「ぼくも」「あたしも」と寄ってくる子供を順番に撫でていく。
この孤児院は人があまり来ない辺鄙なところに建っている。町の人たちも気にしてくれているとはいえ、やはり来訪者が来るのは珍しいのだとか。大人に甘えたい年頃の子供たちに微笑ましい気持ちになりながら、サイモンは子供たちに朝の挨拶をしていく。最初は驚いたが、慣れたものだ。
「サイモン兄、それなにー?」
「ん? ああ、今朝獲れた魚を譲ってもらったんだ。こっちは野菜と果物。ミルクも買って来たぞ」
サイモンの言葉に、野菜嫌いな子供たちが口を尖らせる。そんな彼等の頭を撫でながら、「大きくなれないぞ」と告げれば、同時にバンッと大きな音が響いた。ビクリと肩が揺れる。おお、なんだなんだ、突然。
「サイモンさん!」
「あ、アリア」
むすっとした顔をして、ズンズンとこちらに向かってくる少女に、サイモンは驚いた目を向ける。
(びっくりした)
心臓が口から飛び出るかと思った。古びたエプロンをし、明るい茶髪を揺らす彼女の名前は、アリアという。この孤児院の最年長者で、みんなのお姉ちゃん的な存在だ。最近では母親のような口うるささが出てきたと、男子の中心人物であるアラシが言っていた。
「げっ、アリア姉ちゃん!」
「〝げっ〟て何かしら? 〝げっ〟て」
「あ、いやぁ。そのぉ……」
詰め寄られるアラシに、アリアが目を吊り上げる。
(仲がいいなぁ)
喧嘩するほどなんとやら。微笑ましい光景に、サイモンは平和を噛み締める。会ってまだ一か月程度の子供たちだが、成長しているのを見るのは純粋に嬉しい。
「係りの仕事サボったら朝ごはん抜きだからね!」
「ええー!」
「ひっでーよ、姉ちゃん!」
「嫌だったらさっさと動く!」
叱咤するアリアに、子供たちはブーブーと文句を言いつつ、慌てて孤児院へと戻って行った。まるで小さな嵐のようだ。
アリアは両手を組んで彼等を見送ると、サイモンに振り返る。
「サイモンさん、毎朝ごめんなさい」
「いやいや、みんな元気そうで何よりだよ。子供は元気が一番だからなぁ」
「そう言ってくれると助かります」
肩を下げながらそう笑うアリアに、サイモンも笑う。その姿は到底齢十三だとはあまり思えない。
(お姉ちゃんは大変だな)
サイモンは彼女の頭を軽く撫でると、朝市で買ってきたものを渡した。量の多さにアリアの大きな目が見開かれる。
「それ。みんなで食べてくれ」
「えっ!」
「足りないかもしれないが、少しは足しになるだろ?」
「そ、それはそうですけど……でも、もらえないですよ、こんなに!」
「気にしないでくれ。俺の朝食を買うついでに買ったもんだ。寧ろ俺が持ってても腐らせちまうから、貰ってくれると有難い」
そう言ってサイモンは、紙袋から林檎を一つ取り出した。これも今朝収穫したばかりの物らしい。きっと齧り付いたら果汁が溢れてくるだろう。それに、赤い木の実は縁起がいい。自分にとっては御馳走だ。
しゃくりと一口噛めば、瑞々しさが口の中に広がる。うん、美味い。
「……」
「ん? なんだ? 欲しいのか? 君たちの分はそっちに入っているが」
「あ、いえ。そうではなくて」
「?」
じっと見つめて来るアリアに、サイモンは首を傾げる。彼女は少し迷ったように視線を彷徨わせると、紙袋を抱き締めた。
「あの、俺のって、もしかしてその果物一個ですか……?」
「ん? あー、そうだな。それがどうかし――」
ガシリ。
サイモンの言葉を遮るように、アリアの手が袖を掴む。
(おっと)
落ちかけた林檎を慌てて逆の手でキャッチし、サイモンは目を瞬かせる。……何だかよくわからないが嫌な予感がする。恐る恐る見たアリアは、どこか不機嫌そうにサイモンを見上げている。一体どうしたのだろうか、と疑問に思うのも一瞬。
「来てください!」
「えっ、ちょ、おおっ!?」