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第3話

 いとしのサナートへ。俺はハフジャン中央ガシンの野にいる。お前に手紙を書きたいと思っていた。でも精霊せいれいは戦いの気配を嫌うから、精霊便せいれいびんは使えない。だからお前と連絡を取るのはもっと後になると思っていたが、軍の高官が手紙を集めて人に配る仕組みを作ってくれた。それでお前にこうして手紙を書いている。

 ハフジャン王国の王の旗には相応の効果があり、続々と兵士が集まって来ている。皆はハフジャン神のために集まった、とお前は思うだろう。お前はそうあるべきと神から定められているからだろう。そのお前に許して欲しいことが一つある。俺は神ではない別のことのためにこの戦いに行くが、それを許してくれるだろうか?

「アルト……」

 彼の名を小さく声に出してサナートは読み返した、いとしい恋人の様子が何となくわかる。ハフジャン中央にガシンと呼ばれる荒野が広がっていて、そこがハフジャン建国期によく使われていた決戦場であることも学んで知っていた。

 サナートが戦う理由について、アルトは誤解ごかいをしていると思う。サナートが戦うとすればその理由はハフジャンの為だとアルトは言うが、そんなことはない。アルトの為に戦おうと思う心もある。サナートが変わりつつあることを、アルトはまだ知らなかった。

 アルトは神のために戦うのではないと手紙で言っている。では、何のために?

「姫様?」

「あっ、ごめん……」

 レーカムに呼ばれ、サナートは元のように手紙をたたんだ。恋人から届いた手紙を読んでいたのだとレーカムはあきれる目でサナートを見ていた。

「その手紙、そんなに大事ですか?」

「うん、とても」

「神様と、どっちが大事?」

 サナートは少し胸が痛んで、うそをついた。

「もちろん、神様の方が大事です」

「へえ~?」

 レーカムがにやにやと笑いだした。サナートが無理をしたのがすぐ分かったのだ。

「それより、聖典詩せいてんしの読み解きはできましたか?」

「それを僕は持ってきたんだよ。はい、これ」

 レーカムと毎日、聖典せいてんについて勉強を繰り返す。姫神子は神殿の頂点に近い場所にある者で、研ぎ澄まされた神学しんがくを理解するものとされている。まずはそのための第一歩をレーカムは歩もうとしていた。

 サナートたちがいる旧ハフジャン東部の後方は平和そのものだった。エルジェノム邸を王宮とするなら、サナートとレーカムがいるのは仮の大神殿とでも呼ばれるべき神殿だった。古いが造りはしっかりしていて、姫神子のための部屋がついている。大急ぎで掃除され、そこでサナートとレーカムは腰を落ち着けた。

 姫神子が来たという知らせが旧ハフジャン領土に伝えられていき、当時の王宮で神官をしていた者がぽつぽつと現われはじめていた。彼らもまとめてサナートたちがいる仮神殿に住んでいた。

 姫神子がいると聞いて、活気が戻って来ている。町の有力者が神殿の周りに花を植えることを提案したから、窓の外は美しい花畑になっていた。レーカムと散歩するのに丁度よかった。

 レーカムは自らを姫神子の弟子だと言い、衣装も姫神子のものを着用した。そして、実家の優しいたくましい兄たちのことをサナートに話した。皆神の元に安らいでいると信じ切っていた。

「ねえ姫様、僕もいつか子を産むのかな」

「それはわからない」

「そうなの?」

 レーカムは多分、自分が子供を産むかどうか占っている。そしてはっきりと結果が出なかったのだろう。分かる、サナートも子供のころにそういう占いをした事があった。

「占っても分からない。神様以上の運命に出会わなくて、生涯しょうがいを神殿で過ごす人もいる。レーカムはどうしたい?」

「ん、うーん……わかんない」

「じゃあ、神が教えてくれるのを待つ?」

「神様はそんなことも教えてくれるの?」

「うん、あるよ。気付くか気付かないかは、レーカム次第だけどね」

「気付く?」

「そうだよ。その人と出会って、初めて自分の気持ちに気付くことってあるよ」

「じゃあ姫様は、アルト・ベレイーゼさんの赤ちゃんが欲しいの?」

「それは私達で決めることで、君が気にすることじゃないよ。ところで、この詩についての解説は八十五点だよ」

「えーっ、百点のつもりだったのに!どうして?」

「ここを間違えているんだ。大地の豊穣ほうじょうは麦だけじゃない……」

 後方での時はおだやかに過ぎていき、遠くガシンでのことも風のうわさにしか届かなかった。

 神殿の庭に薔薇ばらが満開の頃、ガシンで最初の軍の衝突しょうとつが起きた。神殿にも伝令が駆け込んできて、大声に伝えた。「我が方は敗走しております!」

 ギルガドゥ軍が改良した投石機カタパルトを戦いに効果的に用いて、その為に軍が敗走しているのだという。エルジェノムは幹部たちと共に後方に下がっている。

 サナートはその知らせをレーカムと共に聞いた。

「陛下が無事であることが何よりです。あなたも、ご苦労様でした。お茶を淹れさせましょう」

「はっ……」

 サナートのねぎらいを聞いて、伝令は引き下がった。彼は別室で茶と菓子が当たるだろう。

 戦いについての知識は神官たちの中で神殿騎士に当たる者達が担当している。彼らを呼んで状況を聞いてみようかと考えていた。

 そこに、神官たちの間で貴族出身の、指導力のある男が現れた。

「姫神子様にお話しがあります」

「何でしょうか?」

生贄いけにえについて、どうお考えになりますか?」

「どういうことでしょう」

「神官たちであらかじめ話していたのです。この戦い、負けた時には生贄いけにえが必要なのではないかと……」

 そう聞いて、ギルガドゥの偽姫神子ナーミのことが思い浮かんだ。彼女は勝ち誇っているだろう。だがそれも悲しい結果にしかならないのだとサナートは知っていた。

「それについては、私からも神官の皆さんにお話しすることがあります」

「おお、そうですか」

 予想外に好感触だ、という顔をした男に、サナートは追うように言った。

生贄いけにえはもう、神の手によって選ばれています」

「は?」

「それについて話しますので、皆さんを集めて下さい」

 怪訝けげんそうな表情をした男は神殿に戻り、人を集めた。その人々の前にサナートは立った。人前に立つことには慣れていた。隣にレーカムを座らせ、サナートがしずしずと話し始めたのは、ハトヤで起きた姫神子探索で経験した様々なことだった。

 特にその朝に「偽の女が生贄いけにえになり解決する」というが出たことについては、その場はどよめいた。

「では姫神子は、ギルガドゥにいる偽物の姫神子がその生贄いけにえだと?」

「はい」

 サナートの素直な返事を聞いて、神官たちは口々に勝手に話し始めた。

「そんな、ばかな……その話は作り話では」

「お前は姫神子様の占いを信じない、と言うのか」

「だが、あまりにもできすぎている」

「何を言う、ギルガドゥの情報を知れば済むことだ。冒険者ギルドに行けば、ギルガドゥの偽物のこともわかるはず。姫神子様はなぜ、その女のを見たのですか?」

 ざわめきが最高潮になろうとするとき、神官長の老人がガベルを叩き、その場に静粛せいしゅくを求めた。

「皆、姫神子の話を聞け。語り終わるまで口を挟んではならぬ」

 厳めしい声が響き、サナートは語った。どうやってギルガドゥの王宮からハフジャン東方の奥地まできたのかを。神官たちはひそひそとささやき交わした。

 中の一人が手をあげたのを、神官長が指名した。

「今、手をあげたもの。質問しても良い」

 その男は名乗ったうえで質問した。

「姫神子様は、敵国の王宮からここに至ったと仰いました。本当ですか?」

「はい」

「つまり、ハフジャン神の審査しんさを通り、ここまでいらした、ということではないですか?」

「いや、まさしくその通り!」

 サナートが答える前に神官長が威厳いげんある大声で決めつけ、サナートの声を遮った。驚いている隙に、事が運んだ。

「サナート・ナイスタシア・エイトリ―ナ・ハフジャンこそが真の姫神子!神の試練しれんを乗り越え、姫神子が国難こくなんの時に立ち上がったのだ!」

 神官長が大声で宣言すると、神官たちはどよめいた。祈り言葉を口にして、神に捧げる聖印せいいんの仕草をして祈り始める者が増え、あるいは隣の者に熱心に話しかけてサナートをじっと見た。サナートは祭り上げられるのは慣れていたが、余りにもあからさまだった。それを横でレーカムが見ていた。

「姫様、神様の試練しれんを乗り越えたの?」

「それが、よくわからないんだ。私は私の思うままに行動してきただけで、それが神の意志だと思ったことはないよ」

「そうなの?神様の意思はわからないんだ?」

「でも、どんな時も神は見てくださると強く感じたよ。特に、ギルガドゥ王国にいる時は」

 まわりの神官たちがざわめいている中で、神官長がサナートに合図をした。ここで人前から下がることで、姫神子としての権威けんいをつけた形になった。今後、神官長とその仲間が神殿を立て直す時に、サナートとレーカムの姫神子を利用する気でいることは明らかだった。

 偽の姫神子ナーミを神に捧げるための祭りが行われることが決まり、できるだけ正式な手続きを経て、わらの人形がナーミに見立てられ、祭壇さいだんの上で燃やされた。

 ナーミに見立てたわら人形を燃やす祭りが終わった頃から、ぽつぽつと戦況せんきょうが後方に届いて来るようになった。確かにガシンの野での戦いは敗れたかも知れないが、各地に散らばる諸侯しょこう軍が負けたわけではない。エイスリーの勝利、トジナンの敗退、バイオーザ丘陵の勝利、そういった知らせが続々と届き始めた。

 各地から騎士たちが神殿に来た。神の託宣たくせんを欲しがる領主が沢山いた。神殿は各地の騎士たちが出入りするようになり、レーカムは騎士たちと会う事を制限された。かわりにサナートが神官連れで騎士たちと面会した。

 あるとき、野趣やしゅあふれる騎士が使いだったことがある。

「これが神の御託宣ごたくせんか?」

 その騎士は若い男で、神官とサナートを見て呆れた風に聞き返した。

「はい。シナポルテの勝利を祝福し、戦死した全ての人が祝福の地に至ったことを告げました。生きている者は今後も励むようにと、慈愛じあい深いお言葉でございます」

「なんだそれは。それのどこが慈愛じあい深いのか。生きている者が今後も励むのは当たり前のことだろう。もっとこう、景気のいい話はないのか!」

 神官たちは戸惑っていた。無理もない、彼らの勤めは王宮の傍の神殿で、相手にするのは大人しい貴族ばかりだった。彼のような野性的な騎士と顔を合わせることなどなかった。

 サナートは野性味のある冒険者ぼうけんしゃを相手取っていたから、この騎士に親近感があった。にこやかに彼に話しかけた。

「神は自ら助くる者を助く、といいますよ。あなたが功績こうせきをあげるのを神様は見ていらっしゃいます。もちろん、お仲間のこともです」

 彼はサナートが口をきいた事に驚いた顔をしたが、すぐに笑いを浮かべて、どこか嬉しそうだった。

「ふうん、功績こうせきなら神よりも陛下に見ていて欲しいがね。なるほど、わかった」

 エルジェノムが既に陛下と呼ばれている事に、サナートは喜びを感じていた。

「私はサナートと言い、姫神子などをしています。勇猛な騎士よ、どうか陛下を助けて下さい」

 サナートが名乗ると、その騎士はその場に膝をつき、サナートの手を取った。レースのフィンガーレスのグローブをつけた手の甲に、彼はキスをした。それから挑戦的な目つきでサナートを見た。

「美しい姫神子様にちかいましょう。シナポルテの騎士は、全員が陛下の為に一番の働きをすると」

 その騎士は名乗りもせず、大股で広間を出ていき、神官たちは胸をなでおろしていた。

「なんでしょう、あの騎士は。無礼な……」

戦陣せんじんではああいう者が頼りになるのですよ、きっと」

「ですが、あんまりな態度でした」

「位が上がればいずれ礼儀を覚えますよ。さあ、皆で陛下の勝利の為に祈りましょう」

 サナートの周りは、昔のように姫神子を守ろうとする者達が増えつつあった。彼らの目を盗むようにしてアルトの手紙が届けられ、サナートは自室でそれを開いた。

 サナートへ。俺はエルジェノム陛下の部下として戦場に立つことになりそうだ。そのことで気持ちがふるい立つ思いでいる。お前は後方の神殿に、大神ハフジャンと共にいるので安心していられる。だが、どうか心して俺の言葉を聞いて欲しい。人事を尽くした末に、もしハフジャンの軍がやぶれる時が来たなら、俺も生きてはいないだろう。

 その時は、お前はネプティサル王国へ向かうといい。南の国境を渡り、同じ神の神殿に仕えて俺の冥福めいふくを三年間祈ってほしい。それが終わったら、その後のことは神が決めて下さるだろう。

 手紙を最後まで読んでサナートが実感したのは、サナートが神の審査しんさを受けたように、アルトもまた戦いによって神の審査しんさを受けるのだ、ということだった。彼は自分が戦死した後もサナートがどう生きるか気にかけている。いや、アルトは自分がその戦いで死ぬのだと思っていた。だからサナートは、次の戦いが大きなものになるのだと予想した。国占くにうら占星盤せんせいばんはくるくる回って勝利とも敗戦ともが出ず、神官長をやきもきさせていた。

 神官長は部下の神官たちを集め、秘密裏に会議を行った。

「陛下が勝利するためには、大公クレニオス殿下に参戦して頂かねばなるまい」

 神官長の言葉に異論を唱える者は一人もいなかった。

 クレニオス公とは先王ルネブルムの妻の叔父に当たる人物で、ハフジャンの中でもとりわけ重要な地位についていた。彼の助力があれば戦いに勝てるのだと神官長は踏んでいる。

 そこで一人、会計担当の文官と親しい者が手を挙げた。

「ですが、クレニオス公は我が軍に既に五千金貨きんかを寄付なさっておられます。エルジェノム陛下に対する義務を果たしたとお考えのようですが」

「なればこそだ。公の心を戦にり立てる手だてが必要になる。公が参戦さんせんすれば、公の持つ鉄騎旅団てっきりょだんが戦場に来る。彼らに陛下を補佐ほささせたい。なにかうまい手はないか?」

 いくつかの案が上げられ、夜をてっした相談が行われた。

 やがて、サナートの元に神官長がやってきた。

「姫神子。少し話しがある」

「はい、神官長様」

 レーカムの教育中、人が来て呼び出された先でサナートは神官長のいかめしい態度に少し驚いていた。彼は本来優しい人物で、威厳いげんのある態度をするときは大抵演技している。呼び出された先はサナートと神官長の二人きりしかいないのに、なぜ彼は演技をしているのか。

 神官長は黙り込んでいる。サナートはヴェールの中で考えた。最近のレーカムの話でもして場を持たせようかと思った時、神官長は言った。

「実は姫神子には、出陣しゅつじんして欲しいのだ」

「私が出陣しゅつじん?」

 神官長の言い出したことは、サナートには思いもかけないことだった。

「そうだ。ガシンの野に、また戦いが起こるのだ。そこに姫神子に行って欲しい」

「私が、戦場に?」

「姫神子のことは、神官騎士が必ず守るし、最後方にいて貰う事になる。どうだ?いやか?恐いか?」

 神官長は、サナートを深窓しんそうの姫であるかのように思っているようだった。これはサナートもあまり意識していなかったが、姫神子時代の頃の仕草を思い出していて、ヴェール越しに見る彼は本当に世間せけん知らずの美しい姫神子であるかのようだった。

 アルトと同じ戦場に行く。サナートは頷いた。

「いいえ、恐くはありません。行きましょう、ガシンに」

「おお、それは助かるぞ」

 この時、神官長はハフジャン王国の勝利を確信した。サナートが参戦すると聞いたエルジェノムから旗と盾が送られ、それを持ってサナートは参戦する。あっというまに戦いの支度がされ、戦場まで馬車に乗って移動した。

 後方の丘に立てられたテントの中にサナートはいた。レーカムがついてきて、神意の宿やどるヴェールをあげて丘の向こうの戦場を見ている。サナートはその背を眺めていた。

 姫神子の参戦については、アルトも聞いているはずだ。立場は違っても同じ戦場に立っていることに、サナートは男として高揚を感じていた。

「姫様!クレニオス公が参戦しましたよ!」

 レーカムがテントに走り込んできて、サナートの手を引いて外に出ようとする。仕方なく彼について、丘の向こうを見晴らした。手前の方がハフジャン王国の軍で、向こうがギルガドゥの軍勢になる。レーカムが指さす方に、赤染めの防具を着こんだ騎兵たちが続々と到着していた。

「あの赤い鎧がクレニオス公の鉄騎旅団てっきりょだん?」

「かっこいい!」

 姫神子と呼ばれていても体は男でできている。レーカムは少年のような声をあげて、遠くの戦場を見ていた。

 鉄騎旅団てっきりょだんの旗をあおる風が、この丘にも吹いている。

「レーカム」

「はい」

「君は剣を握りたい?」

「神がそうを望むならそうします」

「でも、ここにいるなら剣を取る運命ではないね。神はレーカムに祈って欲しいんだと私は思うよ。陛下の力になるように、テントの中で神に祈りを捧げようか?」

「はい、姫様」

 二人でテントの中に戻り、サナートが介添えをしてレーカムが主体となって祈り言葉を捧げていく。

 サナートが知っている戦いは冒険者ぼうけんしゃがダンジョンの中でモンスターを相手にする班が主体となる行動のことであって、地上の大規模な集団戦のことは知らなかった。

 二人が祈りを捧げている間に、戦陣せんじんではそれぞれの王命を受け、突撃の喇叭らっぱが吹き鳴らされた。満を持して両軍は突進してぶつかり合い、徐々に混戦となり、戦線が乱れていった。運命の糸が正面から絡まり合い、もつれたと見える所に、横から回り込んだ鉄騎旅団てっきりょだんが、ギルガドゥ王国の本陣に向けて突撃した。

「ギルガドゥ王の首を取れ!」

「陛下を守りまいらせよ!」

 ギルガドゥの王直属の堅固な守備隊と、クレニオス公の鉄騎旅団てっきりょだんが激突した。ついに押し勝ったのは鉄騎旅団てっきりょだんの側だった。ハフジャンの鉄で鎧った人馬が一体となってギルガドゥ本陣に雪崩れ込み、血塗れの剣をたずさえた騎兵が目を怒らせてギルガドゥ王の姿を探し回った。その時には既に王は戦場を離れて逃げ去っていた。

 王を失い、じわじわとギルガドゥの軍が散っていく。戦勝の喇叭らっぱが吹き鳴らされている間、二人の姫神子はずっと神に祈りを捧げていた。

 エルジェノムは戦勝の荒野をゆったり馬を歩かせ、参戦したクレニオスと馬を並べた。

叔父おじ上、お久しぶりです」

 エルジェノムが声をかけると、クレニオスは彼自身が王であるかのように頷いた。この風格は、まだエルジェノムにはなかった。

「陛下におかれては、ご壮健そうけんなようで何よりです」

「それは叔父おじ上のお陰です。ですが、なぜ参戦されたのでしょうか?叔父おじ上はギルガドゥ王国からも、公爵であるように取り計われているはずです。参戦しても利はないはず」

「それは、ギルガドゥの女をめとることと引き換えにの話だ」

 つまらないことを呟くようにクレニオスは言った。

「女は国に返した。それに、聞けば姫神子様までもが戦陣せんじんにいるというではないか。わしは信仰があついのだ、国を取り戻す戦いに出ない訳には行かない」

「ああ。姫神子のサナートなら、あの丘の天幕にいます」

「会いに行こう。戦勝の知らせを持ってな」

 姫神子の二人の熱のこもった祈りが終わった時、日は西に傾いていた。サナートが祈り疲れたレーカムを横にしてテントの外に出ると、王と大公が床机しょうぎに座って待っていたのに驚いた。

「これは……お待たせしたようで、失礼いたしました。お声掛け下されば、もっと早く出てきましたのに」

 かしこまるサナートに、クレニオスが声をかけた。

「よいのだ、姫よ。そなたが参戦せねば、私もここにはいなかった」

「恐れ多いことでございます」

「予も、そなたが参戦すると聞いた時は驚いた。だが、何ゆえだ。神の為にか?」

 サナートはその場に一礼した。王と大公に、アルトのことをどう説明すればいいか少し迷った。

「落ち延びた先で婚約者ができました。その方と同じ戦場に立てるのがうれしかったのです」

「ほう、婚約者?」

「はい」

 サナートの素直な返事を聞いたクレニオス公は、質問した。

「というと、今後は姫神子を辞退するる気かね?」

「いずれは」

「ほう、予の王冠授与はレーカムになるのか?」

「はい、そうなるでしょう」

「そうか。だが、あいつの修行は足りているのか?」

「ご安心ください。少しおてんばですが、陛下に王冠を授けるのは自分だと思って熱心に修行を積んでいます。私はお呼びではないようですよ」

 姫神子として交替したいことを、サナートはエルジェノムとクレニオスに伝えた。サナート自身は先王ルネブルムの姫神子だったのだから、新王の御代に姫神子が交替するのは自然なことだと考えていた。エルジェノムは辞意について頷き、了解した。

 勝利した王は王都フルージュへと凱旋がいせんする。その後を付き従うのは姫神子様とクレニオス大公である。ハフジャン中を戦勝の祝いが駆け巡り、凱旋がいせんの道筋は花と酒で祝われた。

 王都フルージュで戴冠たいかん式が執り行われ、ハフジャン王朝エルジェノム朝の夜が明けた。

 レーカムがエルジェノムの頭に王冠を乗せる様子を、サナートは神官の列で見つめていた。神殿からは斎郎さいろうとしての席を用意され、今後はそこに務めることになる。姫神子の指導役に当たることが決まっていた。

「サナート様は、いつご結婚されるのですか?」

 正式に姫神子となったレーカムが、私的な部屋でヴェールを脱いで質問する。十代の少年が薄化粧をして少女のような顔立ちをしていて清かった。

 彼もいつか恋をすることがあるだろうか?サナートはあっさりと頷いた。

「近くの神殿でもう済ませましたよ」

「僕が祝福したかったのに」

「大貴族でもないのに姫神子が来るなんて、おおげさですよ。そこの神殿の神官の方も、とても良い方でしたよ」

 帰り支度をするサナートのそばに、レーカムが寄って来た。

「サナート様。またここに来てくれますか?」

「もちろん。あなたは友達ですからね」

 レーカムがほっとした顔をしたのを見た。その気持ちには覚えがある。

 サナートが姫神子をしている時に一番あこがれたのが、友達をつくることだった。レーカムの友人になれば、彼の心のなぐさめになれる。

 これからレーカムはエルジェノム王とハフジャン王国の為の占いをして、を様々に読み解いていくだろう。友人として、その重責じゅうせきの助けになれればいいと思っている。

 サナートが神殿を出ると、門の所に見知った人影があった。

「アルト。きてたの」

「ああ」

 アルトは宮廷騎士として返り咲いていた。ベレイーゼ家の再興さいこうが許され、ベレイーゼ伯爵としてサナート・ナイスタシア・エイトリ―ナを娶った。再興さいこうしたベレイーゼ伯爵家の当主が元姫神子を娶ったことは社交界の噂になっているが、二人は社交にあまり興味がなかった。

「ギルガドゥの姫神子が処刑されたそうだ」

 知らせを聞いて、サナートは瞑目めいもくし神の印を切った。

「しかたない。あの女は自ら火の中に飛び込んだのだから、こうなることは分かっていた」

 アルトはあくまで冷たい物言いをしたが、すぐに語調を変えた。

「うちの騎士団長が、お前に会ったことがあると言っていた。覚えはあるか?」

「ん?うーん、何て言ってました?」

「勇猛な騎士よ、どうか助けて下さい、と姫神子から言われたそうだ」

「ああ、多分シナポルテの出身の方ではないですか?受け答えからすると、あまり神官と縁のない方のようだったので、助け船を出したのを覚えています。確かシナポルテは勝っていませんでいたか?」

「そうだ。確かにうちの将軍は勝つのがうまい。最後の決戦の時、鉄騎旅団てっきりょだんがいるのを見て動きを彼らと合わせろと皆に命令した。その協調性が良かったことで、将軍に任命されたんだ。姫神子の武運だと喜んでいたよ」

「その団長の名前、知らないんですよね。名乗る前に行っちゃったので」

「あの方らしい」

 笑い合って、アルトがサナートの手を握った。

 隣の背の高い凛々りりしい騎士を見上げ、サナートも彼の手を握った。

「このまま帰ろう。馬車は家に戻す」

 二人で歩きたがっているアルトに、サナートもうなずいた。

「帰りが遅くなって夕食が冷めても?」

「冷めてもだ」

 笑って、二人で神殿の門を潜り抜けて王都の邸宅までの帰路につく。ベレイーゼ家の僕が用を聞きに来たのをそのまま帰し、新婚夫婦はのんびりと王都の中を散歩ついでに帰宅した。

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